2010年09月01日
人類の歴史とともにー『武器ー歴史・形・用法・威力』(ダイヤグラムグループ編/マール社)



太古の昔、ヒトは食料となる獲物を得るため、自分を守るため、敵とした相手を倒すため、「武器」を創り出した。
始めは手の延長としての棍棒を、そして斧や刀や槍を、弓を、……そして、現在では人類全体を何度でも壊滅させ、地球というさまざまな生命が互いに繋がりあって成立させている奇蹟のような星の姿を一変させてしまう威力を持った武器を手にしてしまっている。
ロンドンのデザイナー集団「ダイヤグラムグループ」は、「ダイヤグラム(Diagram)」、日本語にすれば「図解化」という手法をもとに、さまざまなテーマに取り組んできた。
日本でも私が授業でよく見せている『目で見る比較の世界』を始め『図解オーケストラの楽器―歴史 形 奏法 構造』『楽器』『ウーマンズボディ』などが出版されている。
『武器ー歴史・形・用法・威力』(ダイヤグラムグループ編/田島優・北村孝一訳/マール社/1982初版)は、古今東西、さまざまな時代、地域文化のなかの代表的な武器を取り上げ、機能によって分類している。
「手の武装」から始まり、「手投げ武器」「携行用発射装置」「脚架付き発射装置」「定置武器」「爆弾およびミサイル」「化学兵器、核兵器、生物兵器」にいたるまで、イラスト・図解を中心に詳細に解説される。
命をかけて使う者にとって自信を、相手にとって脅威を、そしてもっとも合理的機能性と効果を追求するプロダクトデザインの歴史の原点を見る思い。
武器の歴史・地域別索引はピクトグラムでデザインされている。
「手投げ武器」の章扉写真に1972年北アイルランドの街角で盾と銃をかまえる治安部隊に投石する少年の写真が掲げられている。
キャプションに記されたことばー
もっとも簡単な手投げ武器である石は、現在でも使われている。
9 1, 2010 07.デザインの世界, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月31日
智と情の匠の対談ー『ぼくは こう生きている 君はどうか』(鶴見俊輔・重松清 /潮出版社)

戦後日本の思想家で最も畏敬するひとり、鶴見俊輔(1922=大正11年生まれ)の本があいついで出版されてうれしい。
鶴見さんが戦後発刊した『思想の科学』は1960年代の中学時代から読んでいた。
1965年のベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の活動開始時は、間近で話を聞くこともできた。
ここ1年ほどに出版され、目の長患いでほとんど「積ん読」状態のものをちょっと確認してみると、『不逞老人』『言い残しておくこと』 『ぼくはこう生きている 君はどうか』『戦後日本の思想』 『教育再定義への試み』 『思い出袋』『思想の折り返し点で』『新しい風土記へ』 …。
最近顕著な、出版社が著者が「旬」のうちに売れるだけ売っておこうなどと量産する類いのものではない。
鶴見さんから私たちが学ぶこと、受け継ぐべきことはあまりに広く深い。
何をきっかけに若い人たちにそれを伝えたらいいだろうかと考えて、作家・重松清との対談をまとめた『ぼくは こう生きている 君はどうか』(潮出版社/2010)をまず読んでほしいと思った。
重松清(1963=昭和38年生まれ)は『ナイフ』『エイジ』『きよしこ』など高度成長期以降の子供や親子、学校、コミュニティーなどの変化をずっと題材として小説を書き、またTVのルポなどでもさまざまな人や土地に踏み込んでいく実践のなかで学ぶ人でもある。
こちらももちろん読んでほしい。
鶴見さんはテーマに関連するような重松清の小説を読み込み、そこから「教育」「家族」「友情」「老い」「師弟」などについて、自分の人生の経験と思考を平易なことばで語る。
重松清が「はじめに」で記す。
鶴見さんはやはり博覧強記のひとで、並はずれた記憶力の持ち主だった。だが、それ以上に、表情が豊かなひとだった。クリクリッとした目が、じつによく動く。話に熱が入れば机に身を乗り出して、怖いぐらいの迫力でつたない聞き手をじっと見据える。一方、僕がなにかを話しだすと、その目は少年のような好奇心でキラキラと輝く。かと思えば、はじけるような笑い声とともに、まなざしは一転、優しいおじいちゃんのそれになる……。
「知識を授けられた」のではなく「智恵を分け与えていただいた」
書名は対談のなかからとられている。
重松:僕は自分の小説は読者自身の思い出がよみがえるための「呼び水」だといっているんです。
鶴見:それは私の手法と通い合うところがあるんですよ。というのは「自分はこういうふうに生きている」「きみはどうか」ーそれが私にとっての哲学なんです。
8 31, 2010 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 11.教育と学びのデザイン, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月29日
広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したかー『神国日本のトンデモ決戦生活』(早川タダノリ/合同出版)

アジア・太平洋戦争に向けて、あらゆるメディア表現は「国家総動員」「翼賛」体制への隷従を強いられ、潔しとしないものは沈黙するか投獄されるしかなかった。
そして「銃後」は「思想戦」の戦場となる。
これらについて若い人たちに参考になるようなものは少しずつ触れていきたいと考えているのだが、今月出た『神国日本のトンデモ決戦生活ー広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか』(早川タダノリ/合同出版)がとてもおもしろく、きっかけになると思うので先に紹介する。
この本がまず興味を引くのは、このテーマに関する文献ががほとんどすべてメディア史やデザイン史、日本近現代史の専門研究者によるものであるのに対し、奥付けを見ると1974(昭和49)年生まれ、三十代のフリー編集者・DTPオペレーターであること。
氏の「虚構の皇国」というサイトを見ると、ブラジル生まれ東京在住の日系4世。曽祖父は広島から開拓移民として移住し、日本敗戦直後は「勝ち組」に属して暴れ回ったという。
「現在Adbe奴隷」と記されているのは「InDesign」でのDTPワークに従事しているからなのだろう。
2000年頃から、「支那事変」から「大東亜戦争」期の雑誌、広告チラシなどの収集と研究を始め、当時それらが浸透させようとしていた大日本帝国臣民にふさわしい意識、感性、道徳、思想の一端を「標本化」することを目的にこの本はまとめられている。
「大東亜戦争」の総動員体制が引き起こした「クダラナイこと・知っていても役に立たないこと・人類の運命にとってはどうでもいいことを厳選して収集」したと「はじめに」で述べる。
それらは今の眼から見れば実に「トンデモ」なものばかりに映り、彼も嗤い、読む私たちも嗤うのだが、重要なのは、我々はそれほど単純にそれらを「嗤う」位置に現在いるわけではないこと、やがて近い将来訪れるかもしれない「ディストピア(ユートピアの対極である暗黒郷)」を浮かび上がらせるためのリアリティの断片群として彼は提示していること。

いわゆる婦人雑誌を扱ったところはとりわけ興味を引く。
敗色濃厚になるにつれメーターの針が振り切れんばかりにボルテージが上がる。
「台所戦争に勝利せよ!」「台所を要塞化せよ」ときて、女学生時代の幅の狭くなった古いブラウスに別布を足しただけなのだがなぜか「決戦型ブラウス」と名付けられたものが奨励される(「勝負服」などというのはここらあたりに淵源を持っているのか?)。
『主婦之友』の昭和19年5月号からの特集は「勝つための戦争生活」「敵前生活」「突撃生活」「勝利の体当たり生活」「勝利の頑張り生活」と意味不明なタイトルが続き、敗戦間際には「一億特攻の生活」「勝利の特攻生活」などともうほとんどヤケクソ状態になる。
本文記事の「火無しコンロの作り方」などという実用記事の上には「アメリカ人をぶち殺せ」「一人十殺米鬼を屠れ」「ぶっつけろ一億の肉弾!」などのスローガンが入る。
占領軍が来る前に新聞社が写真を処分したように、出版社も在庫はおそらく大慌てで処分した。

丸善が創業間もない1885(明治18〕年に造り始めたものを沿革とし、現在でも万年筆用インキの定番である丸善アテナインキの『学生の科学』(誠文堂新光社)への広告(そういえば小中学生時代『子供の科学』というこの後身にあたる雑誌を愛読した)。戦争勃発直後に連続して掲載。
あまりにあけすけな帝国主義便乗に呆れるが、これも「誰か」が創っているー当時の「図案家(グラフィックデザイナー・イラストレーター)」「文案家(コピーライター)」「写植オペレーターあるいは活版清刷制作者」「版下制作者(フィニッシャー)」などなど…。
私が教えている大学でデザインの力を身に付け巣立っていく若い世代が、こんなにあからさまには事態がわからないようになっている時代のなかで、本質的にはこれと変わりない戦争美化や国家主義、新植民地主義的プロパガンダ制作を、無自覚にあるいはやむをえずやることになる可能性を否定する自信は私にはまだない。
そうならないよう傾注し続けるのみ。
8 29, 2010 07.デザインの世界, 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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3万枚の絵からの結実ー『戦争童話集〜忘れてはイケナイ物語り〜』(原作/野坂昭如・絵/黒田征太郎)


野坂昭如『戦争童話集』は1975(昭和50)年に刊行され、現在は中公文庫で読める。
黒田征太郎(1939〜)は、この原作をもとに7年の歳月をかけて3万枚の絵を描き、原作全12話を『戦争童話集〜忘れてはイケナイ物語り〜』4部作(NHK出版)として2002年に出版した。
黒田の盟友、長友啓典がアートディレクション、コピーライターである日暮真三、仲畑貴志が童話絵本としての文脚色にあたっている。
私のところの学生たちにはイラストレーションやアニメーション志向がけっこう強い。
単なる自分の趣味趣向ではなく、この「忘れてはイケナイ」物語りにインスパイアーされて、「歴史のバトン」の受け渡しとなるような独自の絵本やアニメーションを作る学生が出てきてくれることを私はひそかに願っている。
関連記事:
昭和20年8月15日。正午過ぎ。大日本帝国南のはずれの島の、太平洋に面した洞穴で少年が死にました。ー野坂昭如『戦争童話集 沖縄篇 石のラジオ』『戦争童話集 沖縄篇 ウミガメと少年』
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2010年08月25日
京都は原爆投下最有力候補だったから、奈良、鎌倉は単に空爆優先順が低かったから ー『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(吉田守男/朝日文庫)

鎌倉駅西口の時計台小広場にウォーナー博士の顕彰碑というのが建っている。
ラングドン・ウォーナー(米国)1881〜1955
「太平洋戦争の勃発に際し、氏は日本の三古都をはじめ全土の歴史的建造物には決して戦禍の及ばぬよう強く訴えた。そして日本の多くの文化財は爆撃を免れた。博士の主張の成果というべきであろう」
とし、鎌倉の古都保存法制定20周年にあたり有志が建立するとある。1987年4月建立。
戦後、さまざまな経緯を経て、日本の「古都」が爆撃から免れたのは、戦前から日本美術に造詣が深かったウォーナー博士のおかげだという「伝説」が拡がった。
占領した地域での文化財を保護し、略奪された美術品等を特定し、返還するため、というのが最大の目的(それを爆撃破壊対象から外すなどということではない)である委員会でウォーナー博士が極東担当として日本古文化財のリストを作成提出した、ということが唯一の根拠であり、その後尾鰭がどんどん付いた話が広まった。
GHQは、アメリカ文化の寛容と優越を日本国民に示す宣撫のため、また原爆投下への批判をかわすための格好なプロパガンダになると考え、お墨付きを与えた。
お墨付きを得た矢代幸雄(1890〜1975)という文化財保護委員として重きをなしていた美術史家はその広報マンとなり話を持ち込まれた朝日新聞は「美談」として持て囃し、戦後来日した氏は国賓級のもてなしを受け、1955年に死去した際は、マスメディアはこぞって美談を繰り返して偲び、日本政府は外国人に対する最高の勲章を授与し、ウォーナー博士の「貢献」は政府公認の「定説」となった。
鎌倉円覚寺でも当時の政界、美術文化界の錚々たるメンバーの発起のもとに盛大な法要が営まれた。
ウォーナー博士自身は訪日の際、自分はそのようなことはしていない、と繰り返し否定し、それはそれで東洋的な謙遜の美徳などとされ、それでも繰り返されるしつこい質問に不機嫌になり癇癪も起こしたという。
米軍の戦争にあたっての文化財への「配慮」は、実際には次のようだった。
1943年12月、アイゼンハワー将軍はヨーロッパ戦線で全アメリカ軍に指令を出したが、そのなかで言う。
我々が戦場としている地域は多大な文化遺産、遺跡が豊富な地域である。我々は「戦争が許す範囲で」これらの遺跡を尊重する義務がある。
しかし、…軍事的必要性よりも優先するものは何もない。これは認可済の原則である。
この原則はもちろんドイツ降伏後の日本にも適用された。
つまり米軍に空爆や原爆投下に際して「文化財保護」の精神や足枷などなにもなかった。
米軍は日本の都市爆撃の目標として180の都市をリストアップし、優先順位を付けていた。
建物が密集しているか、燃えやすいか、軍需・輸送施設があるか、都市の大きさと人口の多さ、レーダー爆撃が可能か、などを基準に、第1位・東京(678万人)から第180位・熱海(2.4万人)まで。
そして、広島、長崎を除く64番目の都市空襲で「終戦」となった。
奈良(5.7万人)は第80位、鎌倉(4万人)は第124位とプライオリティが低かったため空襲を免れただけ。


京都で原爆投下照準点とされたのは京都駅から西1.5Kmの梅小路機関車庫。東海道線と山陰本線が交差し上空から目視しやすいと選ばれた(原爆関係の極秘文書から発見された地図より)
京都(100万人)がなぜ空襲を受けないでいたかというと、原爆投下の最有力候補であり続けたから。
原爆投下目標都市(京都・横浜・長崎・新潟・小倉・広島)は、一般空襲は禁止されていた。通常の空襲で破壊されてしまうと、原爆投下時の「効果」が有効に測定できなくなるという理由。
だからそれまで空襲を受けず、幕末開港以来の由縁があるからなどと勝手に安心していた横浜は原爆目標から外された翌5月29日には大空襲を受け灰燼と化す。
京都は市街地に直径3マイル(約5キロ)の円を描け、東北にまだ市街地が拡がり、周囲の山陵からの増幅力も入れると原爆の未知の威力を試すには理想的な目標とされていた。
一時目標から外されたりした(古都であるからとかは関係なく、戦後ソ連との国際政治関係を考慮してのもの)が爆撃禁止は解かれなかった。
8月末には準備が整う3番目の原爆投下候補地として残されたから。
鎌倉駅西口の顕彰碑には、肖像レリーフとともに、「文化は戦争に優先する」(英文碑では "CULTURE TAKES PRECEDENCE OVER WAR.")と刻まれている。
これがウォーナー博士自身の言葉か、建立者有志が創った言葉かどうかは分からない。
長年にわたり丹念に資料に基づいて「伝説」「定説」の根拠を解明・批判した吉田守男氏(元大阪樟蔭女子大学教授)の『京都に原爆を投下せよ』が刊行されたのは1995年。ほどなく絶版となってしまい、2002年『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』として朝日文庫で復刊された。
未だにこのような顕彰碑を残し、6月の命日には法要まで行うというのは「戦争が文化に優先した」歴史の実態を覆い隠し、幻想擬制に無自覚に安住するものではないか。
8 25, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 28.それってどうなの鎌倉 | 固定リンク
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2010年08月23日
子どもだった頃の同時代史 ー『日本の子ども 60年』(日本写真家協会・編/新潮社)

8月15日ではなく8月6日の広島原爆投下直後、よろよろと火傷に油を塗ってもらう子どもたちの姿の写真から始まる。
日本写真家協会がまとめた戦後60年の子どもたちの写真204点を収録。
上)撮影:菊池俊吉 /1945(昭和20)年
上野駅地下道などでは餓死病死した子どもたちが折り重なるように倒れていた。
戦後間もない時期、東京の戦災孤児収容所で。
アメリカの直接軍政下に置かれて途絶させられた沖縄を除き、全国の戦災孤児者は12万名を超えた。
下)撮影:白井和成 /2000(平成12)年
渋谷を闊歩する「ヤンママ」たち。
このあいだに、このなかに、私たちと私たちの子どもと、そして若い世代にとっては自分と自分の親たちの子どもだった頃の同時代史がつまっている。
8 23, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月22日
水木、俺たちのことを描いてくれ ー『総員玉砕せよ!』(水木しげる/講談社文庫)

先日の『ゲゲゲの女房』(NHK)で、水木しげる(役)が戦争中、自分の属していたニューブリテン島の部隊は「玉砕」してなくなった、ということを初めて明かす場面があった。
水木自身はその前の空爆で左腕を失い、後方ラバウル郊外の傷病兵施設に収容されており、その後さしたる戦闘がなかったため帰還できた。
そして彼は最近夢に当時死んでいった仲間たちの顔が出てくると言う。
「水木、俺たちのことを描いてくれ」と訴えているかのように。
水木は、貸本マンガ時代から妖怪もののかたわら戦記物を少しずつ発表し、後『ラバウル戦記』として出されるものの元も描き続けていたが、戦後も四半世紀を過ぎた1972年、戦友たちの霊に全力で手向けるように、長編『総員、玉砕せよ!』を発表し、自らの体験とその後知った部隊の悲惨を描ききった。
新兵の補充がないためいつまでも最下級兵で上等兵の不条理なビンタが続き、戦いがなくとも様々な労役が課され、腹いっぱい食べることだけをひたすら夢見る毎日。
いろいろな死がある。
陣地構築のためのヤシの木の刈り出しで押し潰される兵、栄養失調のもとデング熱で一晩で息を引き取るもの、魚採りを命じられ手榴弾で浮かび上がった魚を喉につまらせての死、正月用の豚を調達せよとの命に対岸に渡ろうとしてワニに食われ下半身だけ流れ着く者、重傷を負ったがまだ生きている兵の小指をスコップで切り落としこれで遺骨にしてやると放置される倒れたままの姿、気まぐれのようにやってくる米機の機銃掃射に倒れる同僚…。
そして「玉砕」してまで守る価値のない陣地から夜襲・切り込みの白兵戦という帝国陸軍が信奉する無謀な突撃。
図らずもはぐれたり、別動隊に襲われているうちに生き延びてしまった兵にはさらに過酷な運命が待っている。
皇国兵士に降伏や捕虜になることは許されない。
生き延びたこと自体が罪となる。
将校は自決させられ、下級兵士は次の玉砕攻撃の先陣に立たされていく…。
長編マンガとしての完結性のため少しの脚色がなされているが、「90パーセントは事実」と水木は語る。
戦争をテーマにした戦後日本の小説や映画は数多い。
しかしこれはマンガという表現メディアのなかで、下級兵士の経験と立場から描いたものとして、水木しげるにしか描けない最高傑作。
最初に出された時のタイトルは『総員玉砕せよ!! 聖ジョージ岬・哀歌』。
こんな前線にも慰安所はある。
冒頭で「女郎の歌」と呼ばれる哀歌が流れる。
玉砕攻撃の直前、隊長が言う。
「最後にお前たちの好きな歌をうたって死のう」。
兵たちが顔を見合わせたあと歌い出すのはこの「女郎の歌」。
私は〜 な〜あんで
このよう〜な
つら〜いつとめ〜を
せ〜にゃ
なあらぬ
…
8 22, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月21日
昭和20年8月15日。正午過ぎ。大日本帝国南のはずれの島の、太平洋に面した洞穴で少年が死にました。ー野坂昭如『戦争童話集 沖縄篇 石のラジオ』『戦争童話集 沖縄篇 ウミガメと少年』


野坂昭如(1930=昭和5年〜)が『戦争童話集』を書いたのは1971(昭和46)年。
70年の日米安保自動延長を乗り切った後の日本の世の中は高度成長真っ盛り、同年には三波春夫の「世界の国からこんにちは」ががんがん流される「日本万国博覧会」(大阪万博)が開かれ、「日本の人口の三分の二ほどは、まだ、鉄の臭い血の臭いを忘れていなかったと思うが、眼先きの繁栄にとりまぎれ、泥沼のベトナム戦争は他人ごと、焼跡闇市の記憶消滅、さらにアジヤ、太平洋戦争の記憶は、ゆるやかなものだが、封印された」(『戦争童話集』ー中公文庫・改版のためのあとがき)
「終戦」時、15歳、自ら「焼跡闇市派」とする野坂には、この繁栄は「あやふやな感じがつきまとう」。
「今でもそうだが、舗装道路のヒビ割れに育つ草を眼にして、これは“食える”、頑丈な庇(ひさし)の下にいると、“ここなら焼夷弾の直撃はない”、風光明媚な山間部では、水を確め、つまり“疎開”にふさわしいかどうか。
…
戦争をひきずっていることは確か」
『戦争童話集』は、すべて「昭和二十年、八月十五日」で始まる。
野坂はこの「カセ」を自らに課して物語をつむぐ。
「“沖縄”と“原爆”と、旧満州からの引き揚げ者については、書けなかった」と同改版のためのあとがきに彼は記したが、その後、沖縄篇として『石のラジオ』と『ウミガメと少年』を書いた。
『石のラジオ』(講談社/2010)は黒田征太郎の絵、『ウミガメと少年』〔徳間書店/2008)は男鹿和雄の絵、早川敦子の英訳、そして吉永小百合の朗読とともに受け継がれねばならない歴史的バトンとなる。
8 21, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月19日
忘れられない写真ー『写真 昭和30年史 1926-1955』(毎日出版社)



『写真 昭和30年史 1926-1955』(毎日出版社)を古本で購入し再会する。
1955(昭和30)年3月15日初版発行とある。
「終戦」後10年目の節目、まだ通学の途中の空き地に防空壕の跡があったりした時代。
発売されてすぐ父が購入した。
その頃私はまだ7歳だったが、小学生時代、この写真集を何百回となく飽きずにめくって見ており、ガキのくせに妙に昭和や戦争の歴史には詳しくなってしまった。
新聞社勤めが永かった友人に聞くと、戦後、占領軍が来る前に、大本営のプロパガンダメディアとなっていた各新聞社は「戦争協力」の証拠となりそうな写真ネガはほとんど処分してしまった。
そうした中で毎日新聞社は、膨大な戦前、戦中のネガをどこかに疎開させ保管したらしい。
「戦後」に伝え続けようという気概があったからか、たまたまなのかはわからない。
しかし、この保管写真が、この『写真 昭和30年史 1926-1955』をはじめ、その後の『1億人の昭和史』シリーズ、『20世紀の記憶』シリーズ、『秘蔵の不許可写真』、そして最近の『日本の戦争 1 満州国の幻影』『日本の戦争 2 太平洋戦争』に至る毎日新聞社の財産となっている。
最近、朝日新聞大阪本社所蔵だった戦前戦中の写真ネガが7万点ほど奈良で見つかり、一部がウェブでも公開されている(料金が高いから個人で閲覧はほとんど無理)。
子供心に脳裏に焼き付いて忘れられない写真の数々がある。
1929(昭和4)年にアメリカで始まった世界大恐慌は日本の農村を直撃した。
当時農林水産業労働者の総数は約1,000万人、農家は560万戸、有業者の34%を占めていた。
30(昭和5)年にはその4割が副業と頼む生糸価格が暴落し、一般の農作物が続いた。時の政府の農業合理化策で低米価となり、31(昭和6)年満州事変を始めた年は東北・北海道は「凶作飢饉」に襲われる(写真上は青森の凶作農家)。
1934(昭和9)年、東北農村の飢饉は極点に達する。
わずかに大根で餓えをしのぐ子らの写真は、岩手県青笹村小水門部落(11月)。
東北線岩手県一戸駅で食堂車に群がる子どもたち。
松の木の甘皮をむいて食料にする農民たち。山形県東置腸郡伊佐沢村付近。
壁板から月光がさしこみ寒風にふるえる母と子。青森県三本木。
人買いの手から救世軍に救われた娘たち。
村長と駐在巡査が娘身売りの相談を受けている。山形県伊佐沢村。
戦後、高度成長のなか、日本は工業製品を作って輸出で儲け、農業のような生産性の低いものはアジアなどにまかせればいいんだ、というような主張がまかり通った。
愚かしい歴史から学ばない限り、私たちはこの先を歩めない。
8 19, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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『<新版>私の従軍中国戦線ー村瀬守保写真集<一兵士が写した戦場の記録』

『<新版>私の従軍中国戦線ー村瀬守保写真集<一兵士が写した戦場の記録』(日本機関紙出版センター/2005)は、プロの報道機関員ではなく、写真好きの一兵士が日中戦争従軍中に撮った希有な写真集。
村瀬氏は1909(明治42)年、本郷真砂町に13人兄弟の6男として生まれる。
15歳のとき初めてカメラを手に入れてから60年以上撮り続ける。
37(昭和12)年に召集されたとき、かさばらないカメラをと「ベビーパール ヘキサー4.5」を買い、胸ポケットに入れて出征する。
上海攻略後の外国人租界の写真店では二眼レフと現像焼き付け機材も買い込む。
行軍の合間に、中隊長をはじめ部隊中の兵隊たちの写真を撮って焼き付け配っていた(内地の家族へ送る)ため、彼が写真を撮ることは軍務に支障がない限り半ば公認となる。
こうして2年半の従軍中、約3,000枚を撮り、除隊後も700枚ほどのネガを保管した。
わずか2年半にも関わらず、実に中国大陸のあちこちを転戦している。
天津、北京、上海、南京、徐州、漢口、山西、ノモンハン…。
配属されたのが兵站自動車第十七中隊(200名)だったので、常に侵攻前線の後を追う。
その結果、彼が見ることになったのは、破れた中国軍兵士の遺骸であり、戦禍と餓えと日本軍による虐殺、暴行に苦しむ中国の民衆の姿だった。
カバーに載せられた写真は、南京攻略途上のある部落で、逃げ遅れた老婆と子供。
「子供にキャラメルをやろうとしましたが、手を出そうともしません。涙ながらに語る老婆の訴えをきくと、八十にもなる老婆がつかまって、二人の日本兵に犯され、けがをしたというのです。言うべき言葉もありませんでした」
南京揚子江岸ではおびただしい数の死体の山を撮る。
「軍服を着た者はほとんどなく、大部分が平服の民間人で、婦人や子供も交じっているようでした。死体に油をかけて、焼こうとしたため、黒焦げになった死体も、数多くありました。死臭で息もつけない中を、工兵部隊が死体を沖へ運んで流す作業をやっていましたが、こんなやり方では一〜二ヶ月はかかりそうでした」
大木に村人20名ほどが縛られ焼き殺されている猛烈な死臭のなかでの昼食。
怪しいと引き立てられ、翌朝には、日本刀の試し斬りで惨殺されている若者たち。
大洪水と悪路の行軍、コレラの発生。
「コレラ患者はほとんど放置されて死を待つばかりでした」
「徴発」(食料の強奪)に出かけた兵隊がひとり戻ってこない。捜しても見つからず、このあたりでやられたのだろうと思われる部落を焼き払い、逃げ出してくる住民を銃殺した、と報告がある。
彼のレンズは、底辺にあえぐ人びとをも捉える。
「盲しいた方が生きる道は物乞いをする外にどんな方法があるでしょうか」
いつも弟が盲目の兄の手をひいて物乞いをして歩く兄弟の一瞬の笑顔に彼の心も少しだけなごむ。
兵の移動に伴い軍直営慰安所の女性たち(大半は朝鮮から連れてこられた)は無蓋トラックに押し込まれ荷物同様に運ばれる。
さらに、戦火で生きるすべを失ない子供や家族のために私設の慰安所に身を沈める女性たち。
村瀬氏は除隊後会社を経営、戦後40年を経てからこの写真集の元になったものを出版し、1988(昭和63)年に亡くなった。
遺された歴史のバトンを私たちはしっかり直視し受け取るほかない。
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2010年08月16日
鎌倉と戦争ー『鎌倉近現代史年表稿』(編著発行・小坂宣雄)


往時の鎌倉海浜ホテル(現由比ヶ浜4丁目角で今はマンションが建っている)ー『ふるさと鎌倉』(郷土出版社)より
鎌倉裏駅前の行きつけ「たらば書房」に『鎌倉近現代史年表稿』(編著者・小坂宣雄)というのが置いてあったので求める。
個人出版のよう。小坂さんは1925(大正14)年生まれ、永らく鎌倉市役所に勤め、67(昭和42)年ころから、鎌倉のできごとを整理しようとメモや記録を始め、退職後この書を出した。
昭和の鎌倉の戦時・戦争に関わるようなところを見てみる。それほど多くはない。
1935(昭和10)年
9月9日、大日本国防婦人会鎌倉支部、発会式。
「大日本国防婦人会」は1932(昭和7)年に設立された、日本で最初のファッショ的婦人団体。後に「大日本婦人会」に統合され、「大政翼賛会」傘下に入った。
20歳以上(以下でも既婚者は含まれた)のすべての娘たち、おばちゃんたちの「経済戦、思想戦、国土防衛戦の戦士として恥しからぬ訓練を施す訓練体」とされた。
鎌倉支部の幹部たちはどういう人たちだったのだろう。
当時の鎌倉は横須賀海軍の高級将校の別荘が多かったから、なんとか海軍中将夫人あたりなのだろう。
1938(昭和13)年
3月27日に、訪日イタリア使節団(ファシスト黒シャツ隊ームッソリーニの武装突撃隊)来鎌、鎌倉海浜ホテルに1泊、9月22日に、ヒットラー・ユーゲント一行来鎌、26日まで鎌倉海浜ホテルに滞在、とある。
1940(昭和15)年、日独伊三国同盟が結ばれる前だ。
彼らは何を観、どう感じたのか。
5月22日、鎌倉町、皇軍大勝利を祝し小学校、女学校、婦人団体による旗行列、夜は町民の提灯行列を行う。
徐州占領(5月19日)の報によるものだろう。
大勝利といっても中国軍主力は逃れ、黄河堤防を決壊されて追撃は不可能となり、武漢攻略戦へと日本軍は泥沼の戦線拡大を強いられることになる。
1941(昭和16)年
12月8日、日本はパールハーバーを攻撃、マレー半島上陸、米英に宣戦布告。
12月28日、鎌倉警察署、防空上の見地から除夜の鐘をつくことを禁止。
除夜の鐘をつくと敵機に察知される?
1942(昭和17)年
4月3日、鎌倉市翼賛壮年団結成発団式。
まだ徴兵されていないおじさんたちか。
1943(昭和18)年
4月10日、鶴岡八幡宮、金属回収のため楼門前の鉄製雨水鉢を供出。12月24日、建長寺半僧坊の青銅製の烏天狗が金属回収のため供出。
戦前、鉄鋼材料の7割をアメリカから輸入しておいて戦争を始め、文化財まで供出させる愚。
4月、灯火管制が強化され、鎌倉市内の街路灯がすべて廃止。
11月21日、鎌倉市の学徒出陣式、鶴岡八幡宮で行う。
どのような学生たちが鎌倉から出征し、その後の運命はどうなったのだろう?
1944(昭和19)年
3月、鎌倉図書館が軍(東京第3警備旅団第8特設警備工兵隊第4中隊本部)に接収され閉鎖。
8月、海水浴が禁止される。
1945(昭和20)年
2月16日、米艦載機横浜、川崎、横須賀の各市と湘南各地を空襲、高射砲破片、鶴岡八幡宮境内に落下。
5月23日、空襲警報発令中、十二所方面に焼夷弾が投下。
6月、衣張山などに陣地構築のため、久里浜防衛隊の第15特別連合陸戦隊20数名が妙本寺に常駐。
6月、秘密命令で15歳以下、60歳以上の婦女子を長野県へ疎開させるため名簿を作成。
7月30日、空襲警報発令中、敵小型機10数機による機銃掃射が市内であった。
8月15日、「終戦」
8月27日、米軍の艦船、由比ヶ浜沖に停泊。
大佛次郎『終戦日記』にある通り。
8月28日、米憲兵鎌倉警察署を来訪、市長、市議会議長等に占領軍の指示命令に従う旨の署名を要求。
8月30日、占領軍、慰安施設設置を命令、鈴木市長これを拒否。
『慰安施設」はむろん売春を伴うもの。市長が拒否したのは評価したいが、横浜などの貧困地域に米兵相手の売春は拡がる。
大佛次郎『終戦日記』に、友人が日系2世の米兵を鎌倉に連れてこようとしたら北鎌倉駅でMP(米陸軍憲兵)に制止された、という記述があり、下級兵士は鎌倉には入れなかったらしい。
8月30日、鎌倉海浜ホテル、米軍に接収。
鎌倉海浜ホテルは、もとは「鎌倉海浜院」として医学者長与専斎が横浜の富豪商人らと洋式保養施設として明治21年に開設。その後高級ホテルとして外国の賓客、政府要人、実業家が利用していた。
12月15日、占領軍の倶楽部となっていた鎌倉海浜ホテルは、アメリカ兵がストーブを倒したことから出火、1350坪を全焼。損害時価1000万円。
9月2日、マッカーサー元帥、幕僚12名を帯同し鶴岡八幡に参拝。マッカーサーは29日にも夫人を伴って参拝している。
鎌倉と戦争と人びとということを少しずつ調べてみたい。
戦時中、陸軍は相模湾から米軍は上陸してくるだろうと想定して、七里ヶ浜丘陵一帯にトンネルを張りめぐらし大砲を配備したらしいが、高度成長期、西武による大規模宅地開発の過程ですべて無いものとされ埋め尽くされた。
当時を知っている人はどんどんいなくなってきた。
ここでも歴史の数々のバトンは落とされ失われている。
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2010年08月15日
由比ガ浜沖の米軍艦隊ー大佛次郎『終戦日記』



中・下は『ザ・パシフィック』(トム・ハンクス、S.スピルバーグ、G.ゴーツマン/製作総指揮)第1話 ガダルカナル より
由比ガ浜で海を眺めていると、ああここはアメリカ海兵隊にとって絶好の上陸地点だろうなあと思い、揚陸艇が押し寄せるイメージが浮かぶ。
かつて由比ガ浜沖に米軍の艦船が並び、やがてその後極東最大のアメリカ海軍基地となる横須賀へ去っていったことがあった(写真が撮られているはずだがまだ見たことがない)。
大佛次郎『終戦日記』(文春文庫)より
1945(昭和20)年
8月16日
材木座に海軍機が来て海軍航空隊司令の名で大詔は重臣の強要せしものにて海軍航空隊は降伏せずあくまでたたかう旨のビラを撒きしと。
朝鮮人の乱暴食料奪取の危機などに人は怯えいるらし。
夜おそく村田来たり医者が診察に来ての話に、米軍は明日あたり上陸(それも鎌倉に)するらしく女子供を避難させる要ありと話して帰りたるがと意見を問われる。
工場に来ている巡査もデマがとめどもなく飛び処置なしと語りし由。
8月17日
県で婦女子逃げた方がいいと触したのが誇大につたわり敵の上陸が今明日の如く感ぜられ駅に避難民殺到すと。
あさましき姿なり。
横浜では警官の持ち場を捨てて逃亡続出すと。役人からこの姿なのだから国民がうろたえ騒ぐのは当然である。
日本人のどこに美しく優れたところがあったのか。絶望的である。
8月20日
吉野君の話では材木座あたりでは米軍が小さい子供を軍用犬の餌にするとて恐怖している母親が多いという。
無智と云うのではなくやり切れぬことである。
敵占領軍の残虐性については軍人から出ている話が多い。自分らが支那でやって来たことを思い周章しているわけである。
日本がこれで亡びないのが不思議である。
8月27日
敵艦隊が見えるというので由比ヶ浜へ出て見る。
浪の高い沖に「やあ」と苦笑を感じるばかりに垣根のように並んでいる。
二十一隻が数えられた。
心外だが堂々としたもので持っているなあと感心させられる。
8月29日
由比ヶ浜沖の米艦は東京湾へ入ったらしい。明日が横須賀上陸である。
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そして私たちもそれぞれの責任について考えるようになりますー『夢の痂(かさぶた)』(井上ひさし)

戦後、1946(昭和21)年年頭に神格否定のいわゆる「人間宣言」を発した後、昭和天皇は全国を「巡幸」した。
井上ひさし『夢の痂(かさぶた)』(集英社/2006年初演)は、昭和天皇の宿泊先となった宿一家の人びとのあたふたぶりに託して、天皇と、そして庶民ひとりひとりの戦争責任を問う。
宿の主人は予行演習をすると言い出し、自ら天皇役になりきる。
ところが恋人を戦争で失った長女が突然進み出て「天皇」に申し述べる。
天子さまがご責任をお取りあそばしたならば
その下の者も
そのまた下の者も
そのまたまた下の者も
そしてわたしたちも
それぞれの責任について考えるようになります
「すまぬ」と仰せ出された御一言が
これからの国民の心を貫く
太い“芯棒”になるのでございます
ご決意を
御一言を!
1975(昭和50)年、昭和天皇は初めて訪米し、帰国後の記者会見で「いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか」という質問にこう答えた。
「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」
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2010年08月14日
華と散った?ー『餓死した英霊たち』(藤原彰)

藤原彰は1922(大正11)年に生まれ、陸軍士官学校を卒業して華北へ従軍。44(昭和19)年には陸軍大尉として「大陸打通作戦」等転戦し胸に銃創を受ける。
戦後、東京帝大で歴史を学び、昭和史を中心に一橋大学などで教鞭をとり、2003年に没した。
多数の著書を残したが、この『餓死した英霊たち』(青木書店/2001)は、戦没者の「死に様」の驚くべき実相を明らかにしたもの。
アジア・太平洋の各地に送り込まれた「皇軍兵士」たちは雄々しく戦って「華と散った」わけではなく、その大半が餓死、餓えを因とする病死だったのだ。
ここで分析推計されている数字は、アジア・太平洋戦争を果敢な「玉砕」や「特攻」で漠然とイメージしている今の日本人にとっては唖然とさせられるものだろう。
1946年夏に目一杯戦線を拡大した日本軍に対して、ミッドウェー海戦で連合艦隊の主要空母、航空機、熟練パイロットを殲滅したアメリカは、海兵隊を先遣として日本軍の要衝となっている島々の攻略を始める。
その最初となったソロモン諸島ガダルカナル島の攻防では、日本側死者2万を数えたが、そのうち戦死は5千、残りの1万5千名は密林の中を彷徨った末の餓死者。後に「餓島」と呼ばれるようになった。
※ガダルカナル戦に関しての本は亀井宏氏が多方面の取材をまとめた労作『ガダルカナル戦記』(光人社NF文庫・全3巻)など多数あり、また太平洋戦に従軍した海兵隊員の手記などをもとにトム・ハンクス、スピルバーグらが200億円と7年の歳月をかけて製作し、WOWOWで現在放映中の『ザ・パシフィック』(全10回)でも最初の2回があてられている。
かつて海軍の誇る零戦の基地だったラバウルは、戦闘機も船もなく補給もない状態となったので、アメリカはもう見向きもせずに次の目標に向かったため戦死者はほとんどなく、死者の9割は広義の餓死。
地獄といわれたニューギニア島も同じく9割が餓死。
『ビルマの竪琴』(竹山道雄)で知られる「インパール作戦」での死者16万5千のうち14万5千が病死、すなわち餓死。
補給も支援も断たれ、米軍にも相手にされずに「置き去り」状態になり、自給の途も断たれた島々の兵士たちも大半は同じ運命をたどった。
緒戦で追い落とされ「I Shall Return」とマッカーサーが執着していたフィリピンでは、日本側は中国本土での死者46万を上回る戦争中最大の戦没者50万を出したが、決戦場と位置づけたレイテ島でさえ半数は餓死。
ルソン島、ミンダナオ島などの持久戦を戦った部隊は、米軍に追われた上に住民がすべて敵となる中で餓えに倒れるほかなかった。
フィリピン50万戦没者のうち40万は餓死と推定される。
中国大陸では戦線が拡大し兵站補給線が細るにつれて栄養失調に起因するマラリア、赤痢、脚気などによる病死が増大し、最終的には46万の戦没者のうち23万は病死。
沖縄9万、硫黄島を含む小笠原諸島1万6千はほとんどが「玉砕」による戦死。
総計すると、アジア・太平洋戦争における日本の戦没軍人軍属230万のうち、戦闘による「戦死」は90万、そして140万名もが餓死、餓えを主因とする病死だった。
「日本という、死んでいった兵士の家族に、彼がどこでいつ(そしてどのように)死んだのか教えることができなかった国」(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』/加藤陽子)
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ジャパンナレッジ『国史大辞典』


吉川弘文館が1979年から1997年にかけ刊行した日本史に関する最大級の辞典『国史大辞典』(全15巻17冊)がデジタル化されて、「JapanKnowledge(ジャパンナレッジ)」で利用できるようになったので、入会し直した。
まあ、これまでは図書館に行かないと調べられなかったものが自宅でもiPhone、iPadでも見られるのは嬉しい。
他の辞典との串刺し検索もできる。
ジャパンナレッジ・コンテンツ案内
『国史大辞典』『日本歴史地名大系』『デジタル版集英社世界文学大事典』なども含めて閲覧できる個人会費は月2,100(年21,000)円。
調べられる内容の広さ深さからいってこれは安い。
『国史大辞典』は8月31日までお試し期間だそう。
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2010年08月13日
俺はお前の父ちゃんだよー『人間の運命』(ミハイル・ショーロホフ)

初めにいつごろどんな版で読んだのかは今となっては覚えていない。小学生の頃の少年少女世界文学全集なのか、中学に入ってからの角川文庫だったか、叔父の蔵書の世界文學全集だったか。
第二次大戦、苛烈な独ソ戦争がようやく終わった後の最初の春、ドン河のほとりで時間待ちをしている際に出会った、小さな男の子連れの男が一刻の間に話す半生。
戦場の悲惨と恐怖、過酷な捕虜生活の中での死を覚悟した最後の矜持、ぎりぎりで生き延びたにもかかわらず家族すべての死という人生の暗転、そして…
そこですぐさま、こう決心した。「俺たちが別々にくたばるようなことがあってはならん! こいつを引き取って、自分の子供にする」
すると、たちまち俺の心は軽くなって、なんとなく明るくなって来た…
文庫本でわずか50ページほどのものだが、戦争と人間と生について少年時代にこれほど深く心に残った小説はない。
もし、小学校高学年くらいの子供がいる方は、ポプラ社の『Little Selections あなたのための小さな物語 1 戦争』(赤木かん子・編)に『人の運命』(井上満訳)として収録されているものがお薦め。
手塚治虫の漫画の原点である戦争体験を記した『ぼくは戦争を忘れない/語り部になりたい』、漫画『紙の砦』も収録されている。
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2010年08月12日
『子どもたちと話す 天皇ってなに?』(池田浩士)

『子どもたちと話す 天皇ってなに?』(池田浩士)は現代企画室(代表・北川フラム)発行の「子どもたちと話す」シリーズの新刊。
1940(昭和15)年生まれのおじいちゃん(もちろん同年生まれの著者・池上浩士)と孫であるミッちゃん(高校2年生)とヤーくん(大学情報学部1年生)とが話す、という設定の中で、若い人にとって「別にぃ~、関係ないよぉ」という「天皇」「天皇制」が、「国民主権」となったはずの現代日本においても、いかにすみずみに(「一木一草に」竹内好)見えない形で染み渡っているかを解きほぐしていく。
今、「国民の祝日」というのは年に15日あるが、そのすべてが明治以来の天皇制に関連して制定されていること、太平洋戦争中、日本軍は「天長節」などの祝祭日を期して攻撃をかけ、相手もそれを考慮して戦術をたてたことなどから始まる。
戦後日本の手っ取り早い安定占領政策のため、アメリカは日本の戦争最高責任者(戦争を始めることができ、また終わらせることができる唯一の存在)である昭和天皇を軍事裁判の上では免責したが、すんなりと許したわけではなかった。
「極東軍事裁判(東京裁判)」で、A級戦犯として28名を起訴するが、その起訴状の発表は1946年4月28日〔日曜)であり、提出されたのは翌29日、昭和天皇の誕生日(現・昭和の日)だった。
ー意地が悪い。そこまでやるの?
A級戦犯で病気を理由に最後まで出頭命令を逃れていた松井岩根陸軍大将(1937年南京大虐殺時の現地軍最高司令官)が逮捕収監されたのが1946年3月5日。新聞に載る翌3月6日は「地久節」、つまり皇后誕生日の祝日。
ーで、まだこれでおしまいじゃないの?
東条英機以下7名の絞首刑が執行されたのは、1948年12月23日深夜零時1分から35分までのあいだ。日本占領軍(GHQ)の緊急発表は零時45分。当日朝の新聞に間に合うように。
その当日というのは、さて?
ーもういやだ! だって、12月23日って天皇誕生日じゃない!
現明仁天皇は、当時皇太子で、満15歳の誕生日を迎える日だった。
明仁天皇は、父昭和天皇裕仁の身代わりに殺されたといっていい人たちのことを、自分の誕生日が来るたびに思い起こさずにいられないことになる。
無条件降伏したにも関わらず、戦前の「国体」、天皇制の存続にしがみついた政治家たちと、効率的な占領政策のために天皇の戦争責任を追及しない方が得策と判断した占領軍との思惑の一致で、天皇は裁判にかけられなかった。
しかし、当然天皇を処刑するところを代わりにA級戦犯7名を絞首刑にすることですませた戦勝国アメリカは、本当はお前たちが裁かれるべきだったのだぞ、ということを天皇一家に思い知らせるため、「天皇のカレンダー」に合わせて一連のスケジュールを組んだのだろう。
ー天皇の言いなりになって、天皇のために戦った国民にも、思い知らせるつもりだったのかもね。
ーそう考えるべきだろうね。おじいちゃんもそう思うよ。
以下、「人間天皇」と戦後民主主義、「君が代」「日の丸」「元号」、「象徴」と憲法の矛盾、「統合」と「排除」という天皇制の持つ二つの力、将来を決めるのは私たち、と新書判200ページに満たないが、これまでの「天皇制」論と一線を画す内容。
若い世代にぜひ読まれて欲しい。
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2010年08月11日
過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となりますー『荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』

「韓国併合100年」にあたっての首相談話に対して、毎度のように、いつまで謝り続ければいいんだ?自虐外交だ、いいかげんにしろよ、という声が出る。
保守的、国家主義的な政治家(民主党内にもたくさんいる)やマスメディアはもちろん、ネットでの内向不満匿名吐き出しタイプによるものもどっとあふれる。
なぜいつまでも謝罪を続けなければならないか?
答えは単純。
ちゃんと謝ってこなかったから。
政府レベルでも国民レベルでも。
謝罪をすれば相手がつけあがる、金でカタがついているのに余計な要求が出る、などという旧植民地宗主国である日本の閣僚や政治家の声が報道されていたら、謝罪といっても「嘘偽りのない謝罪」「心からの謝罪」(『言葉の力 - ヴァイツゼッカー演説集』/岩波現代文庫)などと受けとめられるわけがない。
1952(昭和27)年にアメリカの指導で始まった日本と韓国の戦後交渉は、日本側の「日本の朝鮮統治による恩恵もあったはず」という発言に韓国側が席を蹴り、日本政府が正式に取り消して再開するまで5年間も要した。
今でも同じようなことを平気で発言する政治家が後をたたない。
敗戦後のドイツは西と東に分裂し、ナチスの引き起こした惨禍の広さ深さからいって歴史の引き受け方はある意味日本よりもっと重かった。
「過去が過ぎ去らない」ことへの苛立ち、「ドイツだけが悪かったわけではないだろう」という感情、重苦しい汚点のある歴史を忘れていいなら忘れたい、というなかで「戦後」を模索してきた。
『新版 荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』(岩波ブックレット)は、1985年、当時の西ドイツ大統領フォン・ヴァイツゼッカー(後、統一ドイツ初代大統領)によるドイツ連邦議会での終戦40周年記念演説(約50分)を翻訳収録したもの。
あと4年でベルリンの壁は崩壊し、東西ドイツは統一に向かうのだが、当時そんなことは誰も予期できなかったし、別に「ラウンド・ナンバー」でもない40周年に「わざわざ傷口を開くことはない」という意見も根強いなか、各界各層の人々と話を重ね、数ヶ月にわたる準備を経た上での演説だった。
「われわれにとっての5月8日(無条件降伏の日)とは、何よりもまず人びとが嘗めた辛酸を心に刻む日であり、同時にわれわれの歴史の歩みに思いをこらす日でもあります」
ここでいう「人びと」はドイツ人だけのことではない。
「強制収容所で命を奪われた600万のユダヤ人」「戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連、ポーランドの無数の死者」「シンティ、ロマ(ジプシー)」「殺された同性愛の人びと」「殺害された精神病患者」「宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びと」「非人間的な強制的不妊手術を受けた人びと」「ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者」「ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス」「積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びと」…
「われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。かつて起こったことへの責任は若い人たちにはありません。しかし、歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります」
演説の最後でヴァイツゼッカーは若い世代に訴える。
「ヒットラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とを掻きたてつづけることに腐心しておりました。
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
…
自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
今日5月8日にさいし、及ぶかぎり真実を直視しようではありませんか」
「次の選挙を考える政治屋(ポリティシャン)」ではない「次の世代を考える政治家(ステイツマン)」のことばと背景を解説した「若い君への手紙」(永井清彦)も収録。
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2010年08月09日
こんな日本になってしまったわけー橋本治『二十世紀』『日本の行く道』『“わからない”という方法』

橋本治は『日本の行く道』(2007/集英社新書)で以下のように書いている。
1964(昭和39)年の東京オリンピックの年に16歳になる。
その次の年が「終戦から20年」と言いはやされていたのだが、彼はこの言い方が嫌でしょうがなかった。なぜかというと、自分が生まれた時にはもう戦争が終わっていて、それ以前に戦争があって、その前にもなんやかんや色々あっただろうが、「戦争が終わって新しい時代が始まった」ということを前提にして生きてきた16歳にとって「そんな終わってしまったことなんてどうでもいいじゃないか。もう終わったんだから」としか思えない。
「自分が生まれる前の時代は意味のない時代だったーだって、それは“よくない戦争の時代”だったんだから」で割り切ってしまいたかった。それでいいと思っていた。
私が属する大学も学生のほとんどは平成生まれになった。
平成の始まり(1989年)頃ははバブルの絶頂と崩壊、「空白の20年」の始まりで、俺たちはそのなかで育ってきたんだから、もうそれ以前は無いものとしたっていいや、と思うものもいるかもしれない。
私も橋本治と同年代だから気持ちはよく分かる。
ただ子どもの頃から歴史は好きだったのでそうは考えなかったが、保守的で頑迷な老人たちがどんどん世を去っていけば世界は少しは良くなっていくだろうなどとは思っていた。
むろん、その後の橋本はそんな次元に留まっていたりせず、ずっと社会と歴史を、「どこかに正解があるはずだという20世紀的幻想」によってではなく、「わからない」「わからないからやる」という方法に徹し(『「わからない」という方法』(2001/集英社新書)調べ、経験し、考え、文章にしてきている。
そのひとつが「私がこれまで書いた本の中で最も個人的な本」という『二十世紀』(2001/毎日新聞社)。
子どもの頃「自分の生きている社会はどっかがへんだ」と思っていて「どんないきさつで“こんな時代”になったのだろう」ということを、最も強く知りたがっていたから。
16歳のころと話が違うじゃないかと思われるかもしれないが、これは多分両方とも本当だと思う。
『二十世紀』は、『日本の行く道』で述べられているような産業革命以来現代まで引きずっている世界のおかしさを書いた総論「二十世紀とはなんだったのか」と1900年から(20世紀は本来1901年からなのだが時のドイツ皇帝は勅令を出して1900年を20世紀の最初の年とするというとんでもないことをやってヨーロッパで通用してしまったのでこの年から話が始まる)2000年までの101年間を一年ずつ分けて書いてある。
その年にあったことはもちろん含まれるのだが、それに限らず話は縦横に拡がる。
1年4ページなので、自分が関心がある年から読んでもぜんぜんかまわない。
長くなるが、たとえば1979年のページから少し引用ー
1970年代を経過して、「モーレツ社員」という言葉は日本人の間に深く定着していた。「貧しさからの脱却」とは、そのまま「豊かさへの一直線」になるはずで、日本人は、あるはずのゴールを目指してひた走りに走っていた。ところがしかし、そのゴールがいつの間にかなくなっていた。一生懸命働くことが「ほめられる」には通じず、「ウサギ小屋に住む仕事中毒患者」という揶揄にしかならなかった。
…
「もう豊かだからいい」ではない。「まだ豊かではないが、それはそれとして、疲れた」という臆病な認識が、高度成長のガムシャラ態勢を温存させたのである。既成の秩序はそのままで、しかし、人間だけが疲れているーーだから末梢的なものがブームになる。「空疎にして豊かで、各人はバラバラ、金だけがその空洞を埋める」というその後の日本のあり方は、この1979年の臆病さから始まる。
…
住宅街の自販機の前で疑似ポルノを買う青少年というのは、かなりへんなものである。一人掛けの席にずらっと男の客が並んで、その前をミニスカートにノーパンの娘が歩いて行くのを黙って凝視しているのも、かなりへんてこりんなものである。しかし、日本人はオープンに孤独だった。それを不思議とは思わなかった。だからこの年には、その孤独状況をさらにスケール・アップさせるものが登場する。インベーダー・ゲームとソニーのヘッドフォン・ステレオ「ウォークマン」である。
若者たちは社会の一角で、“社会との無縁”を公然と演じ始めた。
…
それは、関係のない人間には関係のないもので、日本における「個人の自由」は、そのような形で確立されたのである。
インベーダー・ゲームとウォークマンは、やがてコンピューター・ゲームと携帯電話という二十世紀末日本の最大産業へと発展する。社会の中で、人は公然と自分自身の孤立を表明して、しかし悩まない。悩む理由がない。悩む必要が分からない。社会は、その基本構造を変えないままにあって、人の孤立は、もう“当たり前”になっていた。その「社会の中の逃避」は、1979年に始まる。
8 9, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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アインシュタインが原爆開発に関わった?

長崎平和祈念式典での挨拶で菅直人内閣総理大臣がとんでもないことを述べた。
以下NHKの生中継録画より述べた通り起こしたものー
最後に私自身のことをひとこと触れさせていただきます。
私が大学で物理学を専攻した際、原爆開発にも関わったアインシュタイン博士や日本の湯川博士が核廃絶を呼びかけたパグウォッシュ会議のことを知りました。
人類の幸福に役立つはずの科学が人類の生存をおびやかす核兵器を生み出したという矛盾です。この会議の活動を学び、自分もこの矛盾を解決したいという思いが、政治を志す私の一つのきっかけになりました。この初心を忘れずに世界から核兵器をなくするその努力を全力をあげて取り組んでまいりたいとこのように思っております。
なに?これ。
アインシュタインは原爆開発の中心人物レオ・シラードに名前を貸してルーズベルト大統領への注意喚起の手紙に署名はしたが、その後のマンハッタン計画のことはまったく知らされておらず原爆開発に一切関わってなどいない。
日本国首相としての公式発言だから、遺族から名誉棄損で訴えられるよ。
なお「パグウォッシュ会議(科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議)」(1957年)というのは、バートランド・ラッセルとアルベルト・アインシュタインによる「ラッセル=アインシュタイン宣言」(1955年ー湯川秀樹も書名、発表時にはアインシュタインは既に死去)を受けて10カ国22名の科学者が、1957年にカナダのパグウォッシュ村に集った会議。
日本からは湯川秀樹、朝永振一郎、小川岩雄が参加し、核兵器は絶対的な悪であり廃絶を求めるとした。
こんなことは反核運動の世界の常識だし、原稿を書く段階で少しでも確かめればすぐ分かること。
こういうアバウトさで「政治を志している」というから信用できないんだよ。
ついでながら、アメリカの場合は、落とした側の「道義的責任」という言い方も現段階でのぎりぎりのものとしてあるだろうが、日本の場合は、核廃絶を進める「国際的政治的責任」だろうが。
8 9, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月08日
17歳のために、そしていまだに17歳からのやりなおしをしていない大人のためにー『17歳のための世界と日本の見方』(松岡正剛 /春秋社)

セイゴオ先生は、1998年、関西の大学から新設した「人間文化学部」で「人間と文化」についての1年生向け講義を受け持つよう頼まれて応じる。
ところが予備的な講義をしてみて、学生たちがあまりに何も知らないことに驚く。
今、世界の中での日本の立場は、孤立はしていないにしても、必ずしも充実したものではなく、アジアともアメリカともかなり片寄った付き合いをするようになっている。
日中戦争と太平洋戦争で敗れたことによって、アメリカにばかり顔を向け、いつのまにか「世界と日本の相互関係の歴史」を見なくなってしまった。
たとえば、「日米安保条約が何を足枷にどのくらい続くのか、中国がどんな現代史のなかにいるのか、世界中のマグロと日本はどういうふうにつながっているのか、そういうこともよくわからない」
一方で、日本は2000年も前からアジアの諸国とは交流し「百済や新羅の時代は朝鮮半島とつながっていたようなもの」だし「儒教のテキストの四書五経や漢訳された仏教も、アジア人のように学んできた」。
ところが「世界と日本の相互関係の歴史」を見なくなるのとともに、「なぜか日本人は仏教のことも、着物のことも、三味線のことも知らなくなってしまったのです」。
「最初の予備講義のときに、学生たちにブッダのことや帯のことや三味線のことを訊いてみると、みんな何も知らないのです。伊勢神宮も連歌もお手上げでした。当時のみんなが好きなのは“お笑い”と“プリクラ”と“トレンディドラマ”でした。
いや、ドストエフスキーの『罪と罰』も与謝野晶子の歌も、プラトンの理念も溝口健二の『雨月物語』もマルセル・デュシャンも知らないのです。
これでは世界と日本の相互関係といったって、何もわかるはずがありません。もう東京裁判のことやベトナム戦争のことを尋ねる気はなくなりました」
しかしセイゴオ先生は気を取り直し、「せめて“世界と日本をめぐる人間文化”という視点で話してみようと決意」する。
こうして1998年から2004年まで続けた講義を5講(1. 人間と文化の大事な関係 2. 物語のしくみ・宗教のしくみ 3. キリスト教の神の謎 4. 日本について考えてみよう 5. ヨーロッパと日本をつなげる)にまとめたものが本書。
「人間文化を学ぶ」ということはひとつは「世界と日本を歴史観をもって見ること」、もうひとつは「社会と文化はどのように成立しているのかをよく知ること」という基本の上に、タテヨコナナメ、「関係をつかむ」刺激的なレクチャーが展開される。
「17歳のための」としたのは単なるマーケティングフレーズではない。
「大学生に話す前に、高校生の諸君にこそ語りかけたかったという思いをこめて」。もちろん特に年齢にこだわっているわけではない。「でも、17歳というのは象徴的な年齢だと思います。私も、何かを考えたり行動したりするときは、しばしば“精神の17歳”に戻ります」
「いまだに17歳からのやりなおしをしていない“大人”だっていいのです」
続編にあたる近現代を扱った『誰も知らない世界と日本のまちがいー自由と国家と資本主義』(松岡正剛 / 春秋社)も必読。
8 8, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月06日
核抑止力は必要?

広島原爆の日の平和記念式典での挨拶のなかで秋葉忠利広島市長は「非核三原則の法制化」と「核の傘からの離脱」を総理大臣に明確に求めた。
その後に挨拶した菅直人内閣総理大臣は、むろんそれに答えることなどなく、また例年になく海外マスコミが注目しているにもかかわらず、用意された通り一遍の原稿を、とっぱなで「原爆」を「原発」と言い間違えながら目を伏せて精気無く読み上げるだけ。
後の記者会見で「非核三原則は堅持するが、核抑止力というものは我が国にとって引き続き必要だ」と述べている。
冷戦時代の「核軍拡」のためのプロパガンダ論理である「核抑止力」などというものをまだ信奉しているわけね。
こんな考えで「核廃絶の先頭に立つ」?
ちゃんちゃらおかしいにもほどがある。
鳩山前首相も、いろいろお勉強してみると普天間の米海兵隊の「抑止力」がよくわかりました、などと唖然とするようなことを言っていたが、ほとほと彼らには愛想がつきた。
8 6, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話ー『歴史とは何か』(E.H.カー/岩波新書)

中学から高校の頃読み、英語の原書でも読み1章まるごと暗記したりした。
歴史についての興味はこういうところからもきた。
E.H.カーについてはまた別の機会に(この本は1961年、ケンブリッジ大学での連続講演をまとめたものなのだが、実はいろいろな意味でとても難しい)。
戦争と歴史について私がずっと抱いている最大の問題意識は以下。
なぜ私たち日本人は、いつまでたってもアジア・太平洋戦争を「政府レベル」ではもちろん、「民衆レベル」できちんと総括することをせず(できず)、この戦争で関わった他の人々(主としてアジアの人々、そしてアメリカの人々)と、ほんとうの意味で豊かな関係を築いていく将来的展望を、国際政治レベルでも、そして民衆レベルでも創ることができないでいるのだろうか?
なぜ私たち日本人は、いつまでたっても過去の戦争を受け身で捉え、私たちもまた悲惨な戦争の被害者であり平和を切に願う、今の平和は戦争のなかでの「尊い犠牲」の上にある、というような感情感傷レベルに留まっているのだろうか?
無知が何かを生み出すことはない。
知らないということを知ることから何かが始まる。
若い世代の「無知」に笑うことがある、というより呆然とする。
しかしそれは、とりもなおさず父であり母であり年配者であり人生の先達である私たちの責任ではないか?
そういう私もまた無知だ。
たとえばこんなことを私は最近まで知らなかった。
1944(昭和19)年、日本軍占領下のベトナムの北部は未曾有の凶作に見舞われた。ほんのわずかの収穫や備蓄は日本軍に持ち去られる。南部にはまだ余裕があったが輸送ルートを断たれ米を輸送することはできず、44年末から翌年にかけて大飢饉となる。
200万人のベトナム人が餓死した。
ー『太平洋戦争 日本の敗因1 日米開戦勝算なし』(NHK取材班編/角川文庫)による
8 6, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月05日
教科書がつまらないならー『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子 / 朝日出版社)

歴史の教科書というものははっきりいってつまらない。
私が高校生時代に使った教科書は山川のものだった。
それを(もちろん新しい版だが)元にした『もういちど読む山川世界史』『もういちど読む山川日本史』(山川出版社)を「もういちど」読み直してみてもまったく感想は同じ。本文より「コラム」の方がわずかに面白味がある程度。
「世界史」や「日本史」をわずか300ページくらいで記述する無理、というのが基本的にあるかもしれないが、それでもたとえば336ページの『ビジュアル版世界史物語』(西村貞二 / 講談社)の方がはるかに面白い。
教科書がなぜつまらないのかは『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子 / 朝日出版社)を読めばよくわかる。
加藤陽子さんは、東大で日本近現代史を講じているのだが、この本は神奈川・栄光学園の歴史研究部を中心とした中高校生に5回にわたってレクチャーした内容をまとめたもの。
一方的に講義しているのではない。
「自分が作戦計画の立案者であったなら」とか「自分が満州移民として送り出される立場であったなら」とかも考えさせる。
アーネスト・メイ先生はなにがきっかけで『歴史の教訓』という本を書かねばならないと思ったのでしょうね。メイ先生の「問い」とはなんであったのか。書かれた1973年あたりがヒントです。
ーオイルショックがあった。
そう、いいところをついています。なぜオイルショックが引き起こされたか、そこまで思いいたるとわかるのですが。
ーベトナム戦争が終結する。
そう、ベトナム戦争。
という調子。
アメリカ政府機関のなかで、Best & Brightest(ベスト&ブライテスト、もっとも頭脳明晰で優秀)の補佐官たちが政策を立案していたはずだったのに、なぜこれほどまでベトナムに介入し泥沼にはまってしまったのか、をベトナム戦史編纂に従事していた歴史家メイは「問い」として立て、調べ考えていく。
歴史は誰かが出来事を並べて記すことではなく、歴史家がつくる(もちろん優れた郷土史家のものもあり、普通の市民の体験記が歴史に組み込まれることもある)。
教科書がつまらないことのひとつは、そうした歴史家たちがその時代と突き当たり、何を課題とし、どのように「問い」を立てて苦闘したかがまったく見えないこと。
加藤先生は、日本の支配層の立場だけでなく、反対する動き、一般庶民の捉え方、列強の立場、侵略と被侵略というだけでは見えてこないこと、等、最新の歴史学的知見も含めて縦横に脈略づけて述べる。
地図やグラフも工夫され、空間的、数量的にもイメージを喚起する。
また、生徒たちにも印象深かったらしい、日中戦争が迫るなか、「アメリカとソビエトをこの問題に巻き込むには、中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、二、三年間、負け続けることだ」と「日本切腹、中国介錯」論を進言する胡適や、日本は通商が命であり持久戦はできないのだから、そもそも戦争する資格はないとすでに1929年の時点で主張した海軍提督、水野廣徳などの人物と意見なども歴史の文脈のなかで位置づける。
教科書のつまらなさのもうひとつは、時代と場の条件のなかでこうした人たちがどう問題を立て、どう解決しようとしたかが描かれないこと。
つまり、単に限られたなかに詰め込まれすぎているというのではなく、「今」の高見に立って事後的に整理し「時代に即応した簡潔かつ明確なかたち」(『もういちど読む山川世界史』)、「情報としての教養書」(『もういちど読む山川日本史』)にしているからこそつまらない。
教科書、とりわけ検定という名の検閲と事細かな学習指導要領のもとにある日本の教科書は、若い人が歴史を学び、様々な観点やそのわくわくするような面白さに気付き、知的好奇心を呼び起こす上で、とっかかりにはあまりならない。
よく言われるように、ぎっしり書かれた年代と固有名詞は、これらを「暗記」するという学習イメージと容易に結びつけられ、歴史を学ぶことへの敬遠や、あるいは逆に俗流の安易な歴史観やTVの歴史ドラマで満足することに流されるだろう。
だからこそ若い人たちにこういう本をぜひとも読んでほしい。
8 5, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月04日
安島太佳由『歩いて見た太平洋戦争の島々』『消滅する戦跡ー太平洋戦争激戦の島々』


安島太佳由(やすじまたかよし)さんは1959年、福岡県生まれ。大阪芸大で写真を学び、広告制作などの仕事ののちフリーカメラマンになる。
戦後50年となる1995年、日本の戦跡をたどることをライフワークと定め、東京に残る戦跡を探し撮影することから始め、日本全国の戦跡を訪ね歩く。
『歩いて見た太平洋戦争の島々』(安島太佳由 / 岩波ジュニア新書)、『消滅する戦跡ー太平洋戦争激戦の島々』(安島太佳由 / 窓社)は、太平洋戦争の激戦地となった島々の戦跡を訪れた記録。
日本の国内とはまた違う、なぜこんなはるか遠く離れたところでという南島で、安島さんは現地を歩いて見る大切さを実感する。
『歩いて見た太平洋戦争の島々』あとがきよりー
私は戦場跡に立つと、あらゆる想像力をめぐらし、そこで起きたことにできるだけ思いをはせるようにしました。戦場跡では、かならず兵士たちの死と直接むきあわなければなりませんでした。戦闘でもがき苦しみながら死んでいった兵士たち、故郷のこと家族のことを思いながら飢えや病気で死んでいった兵士たち、一見のどかに見える光景のなかに戦争の悲惨さや愚かさ、恐ろしさが垣間見えてきます。
私は何かできることをやらなければと思いました。それが「戦争の”跡”の時代」に生まれ、生きる私の役割だと思います。
安島さんは、一人でも多くの中学・高校生たちに、戦争について知ってもらい、写真の一枚一枚から過去の歴史を想像する力を持ってもらいたいと「若い世代に語り継ぐ戦争の記憶」というプロジェクトを立ち上げている。
そして次の目標、中国、台湾、朝鮮半島などのアジア諸国の戦跡の旅に向かう。
安島太佳由さんの他の本・写真集:
『日本の戦跡を見る』(岩波ジュニア新書)
『訪ねて見よう!日本の戦争遺産』(角川SSC選書)
『東京痕跡』(安島写真事務所)
『日本戦跡』(窓社)
『特攻漂流』(窓社)
『要塞列島』(窓社)
8 4, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月03日
なぜ歴史を学ぶかー『世界史読書案内』(津野田興一/岩波ジュニア新書)

著者の津野田さんは都立西高校の世界史の教員。
この高校のカリキュラムは、2年生で19世紀の歴史が必修、3年生で20世紀と古代から近世を選択で学ぶ。
現代の私たちの社会の基本的な仕組みや考え方が19世紀の「国民国家」形成のなかで作られたことを重視してこういう構成にしているという。
津野田さんは生徒たちと話すなかで、受験にとらわれない知識や教養への志向を感じ取る。
そこで「世界史読書案内」という独自のプリントを作り、授業の単元が終わるたびに、それに関連する本を紹介して好奇心を刺激する、という試みを始める。
「この本を貸して」「面白かったよ」「大学に入ったら片っ端から読みます」などの応答のなかで続けてきたものをまとめたのが本書。
私たちはなぜ歴史を学ばねばならないのか?
歴史を学ぶというのはどういうことなのか?
津野田さんは、それは究極のところ「今、ここにいる」「自分自身」を知るため、と説く。
そのためには「比較」し「相対化」しなければならない。
どうやって?
「時間軸」と「空間軸」のなかで、世界を知り理解すること、日本の歴史を世界のなかでとらえること、そして「今」を知ること。
いわゆる歴史書だけではないさまざまな本が紹介されている。
『大地』『西部戦線異状なし』『大地の子』『GO』『イワン・デニーソヴィチの一日』『石の花』『オイディプス王』『小説 十八史略』『李陵・山月記』『敦煌』『薔薇の名前』などの小説や『生物と無生物の間』もあり、『戦争中毒ーアメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由』のようなコミックもある。日本の若い世代がこれから特に理解しなければならないイスラーム世界と文化への誘いも充分ある。
それぞれの本についての記述は新書2ページ程度だが、単なる紹介ではない。それぞれが歴史や学問の脈絡やつながりのなかでどのような意味をもっているのかが分かりやすく記されている。
そしてなによりも、津野田さんがそれらの本に出会ったときのわくわく感、目が開かれていく知的興奮、「今ある自分」にとっての意味が伝わってくるのが素晴らしい。
挙げられている90冊ほどは私もほとんどを読んできており、若い頃からのそれぞれの本に向き合ったときの読書体験を思い起こす。
第1章「国民国家が生まれ、広がる」のとっぱなが、田中克彦『ことばと国家』(岩波新書)であることがうれしい。
8 3, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月02日
歴史のバトン

『山川 世界史総合図録』(山川出版社)より
学生たちにこの地図の「太平洋戦線」というタイトルや「日本軍の攻撃」などの凡例を隠した上で見せると図の意味するものがなかなかわからない。
黄土色の部分は1942(昭和17)年夏、アジア太平洋における大日本帝国の占領、統治、軍事力展開が最大であったときの範囲。
大陸では満州から華北、中原、華南、ベトナム、タイからビルマ、マレー半島。そしてスマトラ、ジャワ、ボルネオ、ニューギニアといった大きな島から点在する小島の数々。
「大東亜共栄圏」というスローガンのもと、当時の経済・軍事力を無視してよくもまあこれだけ無謀に膨張させたものだと見返すたびに思う。
現在の若い人たちにとって、ベトナム、ラオス、タイなどはエスニック観光で人気、南洋の島々はリゾートでありダイビングツアーの対象だ。
しかしたとえばこれらの「楽園の島々」では、かつてこの図の茶色の線(日本軍の攻撃・進路)と青い線(アメリカ軍の反攻)が交錯し、砲弾銃弾の嵐、肉弾戦と火焔放射、ジャングルの泥沼の行軍、マラリアと餓死の地獄があった。
かろうじて日本に帰還できた今の若者の曽祖父や祖父は父に語らず、父は子に話しようはなく、アジア太平洋戦争の経験と記憶は風化の一途をたどった。
私もまた中国大陸に出征し瀕死の重傷をおいながら奇跡的に生還した父から戦争の話はほとんど聞くことはなかった。
カメラマン、安島太佳由さんは、戦死者、犠牲者の無念と戦争の理不尽を考えるとき「戦争の”跡”」の世代として何かできることをやらなくてはならない、と日本中の「戦跡」を訪ね歩き、太平洋戦争の島々も訪れ写真と文を発表しているが、南島で日本人のダイバー青年に出会い、ここは太平洋戦争の激戦地なのです、と話しても「へ?」と反応されるばかりだ。
バトンは渡されていない。
さまざまな、ほんとうにさまざまなバトンがあったはずだった。
どこかでたくさん落とされ失われた。
あるいは渡そうとする意思を喪失した。
受け取る立場にあると考えなかった。
バトンなどいらない新しくレースを始めればいいと思われた。
日本中が毎年「戦争の記憶」「平和」「原爆」「慰霊」などに覆われる8月、またかよもういいよと感じるかもしれない若い人々になにか少しでも届くものがあるように、落とされたバトンを拾ってみるのもいいかと思ってくれるきっかけになるように、なぜ今この道を走っているのだろうと振り返ってみてもらうために、「戦争」と「歴史」について考えてきていることや読んで欲しい本や映像のことなどを少し集中して書いてみようと思う。
8 2, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年08月01日
『日本のいちばん長い夏』(NHKハイビジョン)

1963(昭和38)年、まだ30代の編集者だった半藤一利が企画・司会し、文藝春秋に掲載された有名な座談会。「終戦」当時、内閣、官僚、軍部などの中枢にいた人々、戦地や捕虜収容所で敗戦を迎えた人々など28名を集めた。
『日本のいちばん長い夏』 (文春新書)で読める。
これを、鳥越俊太郎、田原惣一郎、島田雅彦などが当時の人々に扮して再現したドラマ。
出演者自身の戦争体験、ほとんどの者が出征した父から何も受け継いでいないこと、しかしバトンは今自分が持っていること、等がはさまり、あらためて興味深い話はいろいろある。
しかし、一点、著しくリアリティを欠く。
煙草の存在をすべて消去して描いたこと。
この時代、男性の約8割は喫煙者であり、閣議であろうと国会の予算委員会であろうと大企業の役員会であろうと皆煙草を吸っていた。
この種の座談会で喫煙を禁じられることなどありえない。
このことだけで私はこの映像ドラマの評価を下げる。
黒澤明や市川崑や山本薩夫だったらこんな演出は絶対に許さなかっただろう。
8 1, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年07月27日
「反社会勢力」?

相撲界の暴力団がらみ野球賭博問題を契機に、突然「反社会勢力」という言葉がマスコミを通じて氾濫している。TVで「識者」がしたり顔で使っていたりする。
「反社会」とはどういうことを意味して使っているのか?
イコール「暴力団」であるのならばなぜ直接「暴力団」と言わないのか? いわゆる「指定暴力団」に該当しない「勢力」がからんだ場合に備えているのか?
「社会にとってよくない」という意味なら、強欲ハゲタカファンドも貧困層を食い物にする悪徳ビジネスも金権政治屋たちも「反社会勢力」だろう。
今の社会のあり方に反対したり異議を申し立てたりする運動・組織体は「反社会勢力」なのか?
そうではないというならなぜ「反社会」などという中国国営通信なみの言葉を使うのか?
誰がどこでなぜこんなことばを使うことを決めたのか、責任者をはっきりさせてほしい。
マスコミはなぜ無批判に追随して垂れ流しているのか、あるいは積極的に敷延させようとしているのかきちんと説明する義務がある。
日本という「異物排除」社会、そしてある種のことば(たとえば「大麻」)を聞くとすぐ「思考停止」状態に陥る社会を象徴する新しいことば。
写真は、もともと隣家から「侵入」し、今ではほどよく塀の目隠しと目の保養と防風になっている庭の竹。
7 27, 2010 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年07月11日
独りよがり菅直人の自滅

自明のことだったが、開票後すぐ民主党の敗北が明らかになった。
消費税10%増税しないとギリシャのようになる、それでいいんですか皆さん、などとデマゴギーまがいを唐突にふりまき、自民からは変節模倣、他の野党、地方からはいっせいに増税反対の声を浴び、その後のトーンダウンは言い訳としてしか受け止められず支持をさらに下落させた。
鳩山前首相が沖縄の民意を無視して駆け込み的に結んだ普天間基地移転の日米合意は、前首相から引き継いだ、と嬉しげにメモを披露してさっさと既定事実化し、沖縄では公認候補も立てられない状況にした。
そもそもこの問題にきちんと関わるべき「副総理兼国家戦略担当相」だったとき、我関せずを決め込みひたすら次の総理への途に傷を負わないようにした。
1968年を中心とする学生運動、反戦運動を経験した人々にインタビューした『叛逆の時を生きて』(朝日新聞出版)で、学生運動に関わり、卒業後弁理士資格を得た過程を、菅直人は、「すでにある人生のコースに乗るのではなく、自分の一生という舞台で、自分でシナリオを書いて演出したいという気持ちがあった」と述べている。
個人主宰のアングラ演劇ならいくら極私的なシナリオ、演出でもありうるだろう。
しかし一国の総理大臣が独りよがりなシナリオを書き自己演出したら、共演者も周りも困惑し、観客が白けるのは明らか。
参議院選で本来議論し有権者に提示すべきことをすべて渾沌のなかに投げ込み、政治不信と自民党の復調を許した責任は重い。
7 11, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年07月09日
ボローニャ - サラ・ボルサ図書館

ボローニャの旧市街は、ミラノやローマのような大都会と違って、私にはとても気分がいいサイズ、なにか「身の丈+アルファ」といった感覚がする。
鎌倉の旧市街がせいぜい3キロ四方ほどで、ボローニャのチェントロ(歴史街区)2キロ四方と似ているせいもあるかもしれない。
住民数も鎌倉旧市街地区、チェントロ地区とも同じ約5万。
しかし、古いものや街の景観を徹底して残し補修・修復し、さらに単なる歴史的遺物とはせず、現代の市民的要請にあうように内部と使い方は作り替えてしまう、というボローニャ方式を生み出し守っている住民の自治意識と文化環境への情熱は、安易な観光収入に寄り掛かり、どんどん新建材の住居とあふれる車とパーキングの街と化している今の鎌倉とは比べものにならない。
マッジョーレ広場に面するアックルシオ宮殿は現在市庁舎として使われているが、その一部に19世紀末パリ証券取引所を模して鉄とガラスでサラ・ボルサ(証券取引所)が造られた。
それを外観、現状はできうるかぎり保存、修復させた上で、ウンベルト・エーコ教授の監修で、2001年に新しい図書館に生まれ変わった。
徹底してIT化され、ネットワークにリンクされた900以上の座席やゆったりした革のソファー、各種マルチメディア機器の利用、絨毯敷きでベビーベッドもある幼児室、役者が読み聞かせをする部屋…。
学生たちも熱心に勉強している。
中央吹き抜けのガラス張り床の下には、修復時に発掘された紀元前2世紀古代ローマの住居跡が残され、さらに下にはエトルリア時代の層もあり、見学もできる。
ボローニャには図書館は80以上、本屋もまたたくさんある。
映画館が50、劇場は41、美術・博物館が50。
どれも日本のハコモノ行政で造られたような半端なもの、生き生きと活用されていないものなどはない。
そして圧倒的な数の修道院と教会。
鎌倉市内には中央図書館ほか図書館は5つしかないし、内容が充実しているとはとてもいえない。映画館は最盛期、由比ガ浜通りだけで4〜5軒あったようだが今はひとつもない。小演劇もコンサートも皆場所に苦労する。
ボローニャをつぶさに観た井上ひさしさんも今の鎌倉を嘆いているだろう。
しかし私たちが後を考え続けねばならない。
この間参考にしてきている書籍:
・井上ひさし『ボローニャ紀行 - イタリアの街から世界の在りかたを考える』(文藝春秋)
・星野まりこ『ボローニャの大実験 - 都市を創る市民力』(三推社 /講談社)
・梅原浩次郎『イタリア社会と自治体の挑戦 - ボローニャ再生に向けて』(かもがわ出版)
・佐野敬彦『ヨーロッパの都市はなぜ美しいのか』(平凡社)
・八木宏美『違和感のイタリア - 人文学的観察記』(新曜社)
・ファビオ・ランベッリ『イタリア的考え方 - 日本人のためのイタリア入門』





7 9, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 16.都市・住い・インテリア・暮らし, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年06月13日
ボローニャ・パルチザンたちの遺影

二つの塔は街を歩くといやおうなしに目に入ってくるが、ボローニャを訪れてまず第一に行き敬意と哀悼の意を表したかったのは、街の中心マッジョーレ広場に面する今は市立サラ・ボルサ図書館となっている建物の壁に掲げられた数百人の遺影。
故井上ひさしさんは『ボローニャ紀行』で「二つの塔と並んでボローニャのシンボルであり、もっといえば、この街の精神そのものです」と書いている。
第二次大戦で、イタリアはムッソリーニ・ファシスト政権のもと日・独・伊で「枢軸」を形成し、英・米・仏・露などの「連合国」と対戦した。
1943年には米軍を中心とした連合国軍がシチリアを攻略する。ナチス・ドイツは弱体ムッソリーニに替わり、ナポリ以北のイタリアに進駐して攻防を続ける。
連合国軍はなかなか北上できず、北部イタリアのパルチザンたちは孤立していく。
しかしボローニャでは、占領したナチスとそれに呼応しているイタリアファシスト黒シャツ隊に対して、市民たちはデモ、ストライキ、サボタージュを徹底して行い、1945年4月21日、ついに自力で街を解放した。
この間「パルチザン(遊撃兵)」として参加した市民は約1万7000名、うち2000名以上が戦死あるいは銃殺刑に処された。
戦後、遺族、友人たちが壁に写真を貼ったことがきっかけで今のようになった。
その後、強制収容所で亡くなったユダヤ人、反フランコのスペイン市民戦争に義勇軍として参加し戦死した人等、抗議、反ファシスト権力の闘争過程で落命した人たちの写真が加わっている。


6 13, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2010年05月23日
普天間問題の無残

鳩山民主党政権の最大のアキレス腱は、「政権交替」しながら、「アメリカの属国」であり続けるのかどうかということに関してずっとあいまいであり、まあ出自、政治思想からして自明ではあったのだが、結局それを現実の問題としても受け入れたこと。
始めからボタンの掛け違い。
政権は替わったので、自民党政権が約束したことは白紙に戻す。
沖縄の民意は「米軍基地はいらない」ということ。
われわれはその民意を尊重し、代表する。
とまず言えばいいこと。
それができず、アメリカによる「抑止力」、正確にいえば「軍事的抑止力」などという冷戦時代イデオロギーのイリュージョンに屈し、東アジアの平和を軍事力に依ってではなく創造していくイマジネーションをまったく提起できないでいること。
5 23, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年05月15日
今朝のおはよう-408 「要注意外来生物」黄菖蒲

散歩道の駐車場脇で咲くキショウブ(黄菖蒲)。
ここは広いお屋敷跡が駐車場化されたのだが、コンクリートで敷き詰められたりしていないため、際の方に残された草木とか、近所の人が植えたものなど楽しませてくれる。
大きく丸い花びらだが、内側の花びらはすぼまった形で、入ってきた昆虫の背中に花粉が付きやすいよう花筒のなかに雄しべがある。
ダーウィンの『進化論』の俗流の理解で、この花は生き延びるためにこのように「進化してきた」と思われがちだが、福岡伸一ハカセは、そうではない、生物は自らを意図的に変え、生存戦略とすることはできない、と言う(『福岡ハカセのパラレルターン パラドックス / 週刊文春5月20日号』)。
どういうことか。
世代継承の中で、あるときDNA中にほんの一ヶ所だけ「誤植」「写し間違い」が起きる。これはまったくランダムで、不意で、しかし不可避的に生じる。
誤植はほんのわずかな確率でしか起きないし、その結果もほんのわずかな変化でしかない。それは次の世代を生み出せるかもしれないし、継続せずに終わるかもしれない。
しかし、気の遠くなるような膨大な時間と世代交替があれば、「誤植」は繰り返し試され、さらに新しい誤植も生み出される。
カタチが変わる、色が変わる、性能が変わる。
そして、ここが重要なところなのだが、その新しい誤植、変化が「誰かによって選びとられる」必要があるということ、生物自体ができる唯一のことは「身をまかせることだけ」。
この花の場合、蜂などの受粉を媒介する昆虫が、この誤植を選びとった結果、結果、結果…なのだ。
これを「現在」の在り方とその知識からさかのぼって見てしまうと、この花は環境に適応するように「着実に進化」してきたようにとらえてしまう。
福岡ハカセは言う。
「それは選ばれなかったものたちが視界から消えているからそう見えるにすぎない」
私の関心はいろいろあるのだが、ひとつは「Evolution」ということばを明治の時代「進化」と訳したのはその後かなりの誤った影響を及ぼしただろうということ。
「進化」ということばは当然「進歩」「発展」とか「前進」とかの価値的意味合いを含んで理解されてしまった。
もうひとつは「適者生存」などを人間社会に敷延した「社会ダーウィニズム」の問題。
「自由競争」「勝ち組・負け組」「自己責任」など、ついこの間の「小泉改革」の底流になっていたものであり、現代資本主義とグローバリゼーションの基本的イデオロギーでもある。
黄菖蒲は原産はヨーロッパで、明治30年頃に観賞用として輸入されたものが野生化したという。
そしてこの花は日本では「要注意外来生物」の一種として「栽培にあたっては、逸出を起こさない」「既に野生化している湖沼等があり、在来種との競合・駆逐等のおそれがある場所については、積極的な防除または分布拡大の抑制策の検討が望まれる」として環境省が警戒を呼びかけているものなのだ。
日本自然保護協会、日本野鳥の会、WWFでは生態系に与える影響や「侵略性が高い」としている。
このもとになっている「外来生物法(特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律)」とそれを成り立たせている思想については、ナショナリズム、人種・民族概念、近代国家と国境等の問題とのつながり、また生態系とはなにかの観点から根底的に批判したいのだが、なかなかいい参考文献が見当たらない。
どなたかご教示を。
関連過去記事:
ヒメアサガオと「帰化」植物(2004/09/22)
リスに餌を与えることをめぐる背景(2004/06/17)
5 15, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク
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2010年04月29日
"Loopy" 日本を席捲


Washington Post のコラムニスト、Al Kamenの "In The Loop" というコラムで書いた一部が引き起こしている騒ぎは、ことばとコミュニケーション、外国語と日本語の相互理解、またマスコミによる「洗脳」、ミスリーディングや、最近ではTwitterなどで(意図的であれ無自覚的であれ)あっという間に増幅される大衆的な感情醸成(容易に扇動や特定の対象への”バッシング”になる)等の問題に関心を持っているものとして見過ごせない。
彼は、4月14日付(ネット版)の "Among leaders at summit, Hu's first(サミットのリーダーたちのなかで胡錦涛が第一)"と題するコラムで、鳩山首相は「核サミット」での「"the biggest loser"(最大の敗者)」であり、"hapless(不運な)" 人で、何人かのオバマ政権当局者の意見によると、increasingly(ますます、いっそう)"loopy" だ、と書いた。
まず問題は "loopy" ということばの意味。
「Longman 現代英英辞典」には、「crazy or strange」、
「Cambridge Dictionary」では「strange, unusual or silly」、
「ランダムハウス英和大辞典第2版」には、「輪(loop)の多い」というもともとの意の他に俗語として、「常軌を逸した、変わった、頭がおかしい」、「(酔って)正体のない、ぼうっとしている、ふらふらの」、
「ジーニアス英和大辞典」にも俗語として、「狂気の、ばかな」、
と載っている。
日本のマスコミは、この意味の「馬鹿な、愚かな」とアメリカの新聞が言っていると煽り、鳩山自身もワシントン・ポスト紙がいうようにたしかに私は愚かかもしれませんが、などと言わなくてもいいことを言い、「常軌を逸した、変わった」あたりは当たらずとも遠からずなので、大多数は納得し、ネットで「ルーピー夫妻」などというTシャツやグッズを売り出すものも出てきた。
それ以前というレベルの問題は、「鳩山は、ますますloopyだ」と言ったのは、オバマ政権の当局者であり、このコラムニストはそれを紹介しただけという事実をそもそも鳩山や官房長官でさえ認識していないこと。
元記事を確認もせず、「米有力紙が”鳩山首相は”最大の敗北者”、"愚か”と報道」などという日本のマスメディアの報道を鵜呑みにしている「愚かしさ」。
「不快感」を表明するならオバマ政権にするべきなのだ。
Al Kamen は、4月28日付の「 'Loopy' takes Japan by storm ("Loopy"という言葉が日本を席捲)」で、"Loopy"が、語釈は疑わしいが日本の新語になりつつある騒ぎについて書き、その中で、過日、言語学者である山田正義・島根大学名誉教授からメールをもらったことに触れている。
山田教授は、日本のマスメディアは "loopy"にふたつの異なった訳をあてており、ひとつはstupidにあたる「愚かな」、もうひとつはcrazyにあたる「狂った」。アメリカのスラング辞典には「stupid(愚かな)、silly(馬鹿な)、eccentric(一風変わった、常軌を逸した)」とあるが、これでは自分にも学生たちにも助けにならない。あなたは正確にはどのような意味で使ったのか?と聞いてきた。
Al Kamenは山田教授への返信でいう。
”loopy"はまずもって "in the loop" の対極的意味。
(※高味訳注:彼のコラム欄の名称ー「天声人語」にあたるようなー自体が "in the loop” )
At the outset, we must emphasize that "loopy" is the exact polar opposite of "in the loop," which means plugged in or very well informed about things, especially the internal decision-making at the top levels of organizations.
"in the loop" とは、組織の中枢にきちんと位置しており、十分に情報や内部的意思決定に携わっていること。
だからその対極である "loopy" を「愚かな」とか「馬鹿な」とか訳すのは意味を掴んでいない。
After discussion with several experts -- actually, reporter colleagues who sit within a 30-foot radius -- the consensus is that the term essentially refers to someone oddly detached from reality.
近くにいた色々な記者たちと議論した結果同意にいたったのは、この言葉は、本質的には、oddly detached from reality(奇妙に現実から離れた)というような人に使うということ。
________________________________________
「奇妙に現実から離れた」と「普通の人」や「世間の常識」から見なされる人は、「一風変わっている」「常軌を逸した」から果ては「馬鹿な」「愚かな」「狂った」人とされるだろう。
ことばの「本質的な」原義から派生した具体的な使用意味だけが普通は辞書に載る。
だから辞書で色々ある語義のうちどれかということを第一にしてことばを分かったつもりになってはならない、ということに関わるかなり深いことをこの人は言っているのだ。
日本のマスコミは彼があわてて真意はこうだと弁明したかのように報じているが、自分の都合のいいように勝手に解釈して浅薄に報道しておいて、相手のその後の言い分を言い訳であるかのように報じるのはいつものやり方。
もっとも、鳩山首相に関して言えば、これらを通じたすべての語義が当てはまりそうに思えるので問題が不明瞭になるのだが…。
4 29, 2010 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年04月04日
「100色のココロ ー 国境なきアーティストたちの活動リポートとコンサート」

写真左から)矢野東洋さん、齊木佳奈さん、QUAさん、村上雄介さん、齊木瞳さん、エクトル・シエラ、稲川瑞穂さん
エクトルに招かれて「100色のココロ ー 国境なきアーティストたちの活動リポートとコンサート」(4月3日/渋谷アコスタジオ)に。
スライドと映像によるエクトルの活動レポート。
コソヴォ、セルビア、チェチェン、アフガニスタン、ニューヨーク、東チモールなどの子どもたちと絵や折り紙を通じた交流…。
昨秋、私のところ(多摩美術大学造形表現学部デザイン学科)にも招いて学生たちに見せてもらった。
大阪出身、まだ18歳のシンガー、QUA(クア)さんの歌。
「僕にクレヨンがあれば」など3曲ともエクトルの作詞、矢野東洋さんの作曲。
ハスキーでエモーショナルだがダイナミックな歌声、とても将来性を感じる。
矢野さんがプロデュースされているそう。
ピアニスト齊木佳奈さんが弾いたのは「Adios a Bogota(さようならボゴダ)」ほかコロンビアの音楽家 Luis Antonio Calvo / L.A.カルボ(1882-1945)の曲。
18歳のときに "Adios a Bogota, Adios a Columbia" の生活をしてきたエクトルがとても懐かしい感じがするという。
CDは海外版を探さなくてはならないが、YouTubeで "L.A.Calvo" を検索するといくつか出てきて聴ける。
エクトルの文(もともと絵本にするために書いたのだがまだ実現していない)に矢野東洋さんが作曲した「かぶとむしのお出かけ」。
エクトルの朗読(間にダンスも)に齊木佳奈さん、齊木瞳さん、村上雄介さん、稲川瑞穂さんたちのピアノ。
最後はグランドピアノに3人がかり、ミニチュアピアノに2人の楽しい合奏。
とてもおもしろかった全体のプロデュースは「HOUSE OF TOMORROW」の安斎哲さん。
安斎哲『世界で一番やさしい照明‐110のキーワードで学ぶ』(エクスナレッジムック 世界で一番やさしい建築シリーズ16)
HOUSE OF TOMORROW
鎌倉でも企画したい。
4 4, 2010 13.音楽の楽しみ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年04月02日
「100色のココロ…」国境なきアーティストたちイベント

友人の絵本作家・映像作家エクトル・シエラが主催している人道支援グループ「国境なきアーティストたち(Artists Without Borders)」の「100色のココロ、100色の世界、100色の未来…」と題したイベントが4月3日(土)に開催されます。
活動報告、エクトルの詩の朗読や、さまざまな演奏コラボレーション、まだ高校を出たばかりの歌手デビューなど、子どもの参加も歓迎。
昼の部:14:30〜16:00
夜の部:19:00〜20:30
アコスタジオ
東京都渋谷区神宮前1-23-27 赤星ビル BF
詳しくはこちら
コロンビアCARACOL TVでのエクトルの日本での活動紹介
過去記事:
生まれる国を 選べない 死にたい国だけ 選びたい(2009年10月12日)
くらい たいようは かがやく ように せんそうの いろが なくなる ように(2009年10月12日)
10/14多摩美公開特別講演会「世界のあちこちの"痛み"に芸術の種を蒔く」(2009年10月10日)
「国境なきアーティストたち」(ギャラリーf分の1)(2006年09月04日)
4 2, 2010 13.音楽の楽しみ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年03月06日
映画『ミラクルバナナ』(脚本・監督 /錦織良成 /2005)


ハイチをタヒチと取り違えるような、少しとっぽい女の子サチコ(小山田サユリ)が外務省のハイチ大使館派遣員に応募し、ほんとうにハイチでいいんですねと念を押されながら、西半球で一番貧しい国に赴任する。
大使、書記官を含めて職員は4名しかいない。少ない予算と山積する課題。
まあ、なんとかなるっしょ…
一度きりの人生だから、行ったことのないところ、見たことのないこと、他人がやってないことをやりたい…
首都ポルトープランスの大手スーパーでは金さえ出せばたいがいのものは手に入るが、中心部でさえ電気も水道もろくに通じていない。
小学校で、日本のことで知ってることは?「ポケモン、ポケモン!アイボ!」
日本にはストリートチルドレンがいる?早く働いて母さんを助けたい。
貧しいが親たちの溢れるような愛情のもとで育ち、幼い頃から家計を支える子どもたちの素直で明るい笑顔がいい。
実家から送られてきた録画ミスのビデオでたまたまバナナペーパーのことを知り(名古屋市立大学・森島紘史教授がモデル)、サチコは子どもたちがなかなか買えないノートを作りたいと考える。
全国土の3%しか森林はない。この国で簡単に揃うようなものでなければ持続しない。
バナナの木は実を採り、木を刈っても3ヶ月から6ヶ月でまた繁る。
日本の伝統的な和紙づくり職人(緒形拳)をくどいてハイチに連れてくる。
そして…バナナの茎の繊維から見事な紙ができあがる。
母への愛をその紙にたどたどしく記し贈るこども。
サチコを暖かく見守り、ハイチの人にとって大地の恵みこそ真の豊かさと教える語り部の現地職員フィリップ(アドゴニー)が実にいい。
3 6, 2010 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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絵本『ミラクルバナナ』


「わたしたちの国では、バナナの木が、たくさん捨てられています。なにかに使えないでしょうか」というメールが名古屋市立大学芸術工学部の森島紘史さんのもとに届く。
森島さんは思案の末あることを思いつく。
紙は木から作られる。バナナの木だってきっと紙になるはずだ!
日本政府や製紙会社が協力し、森島さんをリーダーとするバナナ・ペーパー・プロジェクトが発足する。
現地の200人の若者たちが、捨てられていたバナナの木の茎を集め、竹のナイフでしごく。
やがてバナナ色のきれいな繊維がたくさんとれる。
ハイチの大学で日本の和紙職人が協力し、実験の末、見事な紙ができあがる。
この絵本(GAKKEN刊)はその紙で作られている。
やや厚めでごわごわとした、しかし立派で味わいのある紙だ。
「なぞなぞ だすよ なぞなぞ おいで」
「なぞなぞ いくよ なぞなぞ どうぞ」
などの加古里子(さとし)さんの文も、
「私は素朴な画家です。描くことを教わったこともありません。バナナの木を好きになってほしくて精いっぱい描きました」という1924年ハイチ生まれのルイジアーヌ・サン・フルランさんの絵も素晴らしい。
ラテンアメリカでもっとも早く独立(1804)を果たしながら、旧宗主国フランスへの過大な「賠償金」支払い、アメリカ軍の占領、独裁政権の圧政に苦しみ、21世紀の今なお最貧困国であり、国民の識字率は半分にも届かず、人口密集の首都ポルトープランスを1月12日襲った大地震で壊滅状態になっているハイチの人々に、「バナナペーパー」が少しでも希望の糧になりますように!
3 6, 2010 10.美術工芸, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年03月02日
イスラームの名前

iPhoneのアプリ、「Islamic Names」「Muslim Names」より。
パレスティナ・ガザの病院で薬も無く息を引き取った3歳の「Mona(モナ)」の名は「願い・熱望」を意味する。
パキスタン西部でアメリカ軍の無人"偵察機"の爆撃で命を落とした「アブドル・アリム(Abdul Alim)」は「すべてを知っている僕(しもべ)」。
アフガニスタンで「誤爆」で死んだ5歳の「ハナン(Hanan)」は「慈悲」。
バグダードの爆弾で吹き飛ばされた「マハ(Maha)」は「大きな目」。
イラン反政府デモで投獄拷問されている「アリ(Ali)」は「高潔・高尚」。
どこにでもおり、どこででも殺されている「アルタフ(Altaf)」は、
More Gracious, More Delicate !
より尊厳に満ちた優美さと、他者への細やかな思い遣りを !
そして「アーズー(Arzu)」は、
Wish ! Hope ! Love !
願い、希望、そして愛 !
すべて親たちが子らに、幸あれと願いを込めて名付けた。
3 2, 2010 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 33. iPhone/iPad の愉しみ | 固定リンク
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2010年02月03日
朝日新聞 vs 週刊朝日

朝日新聞は検察の小出しのリークを垂れ流し、週刊朝日は一貫して検察の暴走批判を組んでいる。
先週号に上杉隆氏が一報を載せた、小沢一郎の元秘書、石川知裕事務所の女性秘書を「押収品の返却」とだまして呼びつけ、「被疑者として呼んだ」「なんでもいいから認めればいいんだよ」「早く帰りたいなら早く認めて楽になれよ」などと10時間にも渡る「事情聴取」した今週号の詳細なレポートには慄然とさせられる。
彼女は3年前に他の民主党議員秘書から移ってきたので、石川が秘書時代のことなど知っているわけがない。携帯も電源を切られて事務所にも弁護士への連絡も、保育園に預けている二人の子どもの迎えもずっと許されずパニックに陥る。
大新聞、TVなど記者クラブマスメディアはこのような人権侵害(というより「監禁」にも相当する権力犯罪)にまったく触れようとはしない。
検察の筋書き通りに脅してもすかしても調書をとり、いったん起訴されれば99%が有罪になるというこの国の司法は旧ソ連並みなのか。
週刊朝日編集長・山口正臣の編集後記より:
上杉隆さんの記事、読んでいただけましたか? 検察がいよいよ青年将校化してきたように感じます。編集部へもさまざまなルートでプレッシャーがかかるようになってきました。味方はあまりいません。…
毎週、胃が痛む思いです。しかし、世の中がひとつの方向に流れそうなとき、あえて別の視点を提供するのが週刊誌の役割だと思っています。読者の支持がある限り、大本営発表に抗する誌面をつくっていくつもりです。
2 3, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年02月02日
悼/ ハワード・ジン

私たちは、そう思いたくはなくとも、圧倒的にアメリカ合衆国の情報、文化、政治、経済、軍事力の影響下にあり、しかもアメリカという国を知らず、漠然と"Freedom"と"Dream"の国であり、"Democracy"の本家本元などとイメージしている。
1月27日に亡くなった歴史家、政治学者、公民権運動家、ベトナム反戦運動家、ハワード・ジン(Howard Zinn 1922-2010)の講演を高校生の頃聴きにいき感銘を受け、以降著書は読んできた。
訃報を知り、手元に今ある『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上・下)』(原題:"A Young People's History of the United States"・あすなろ書房)を見返す。
かつて『民衆のアメリカ史』(猿谷要訳・明石書店)として刊行されたものを、歴史読み物作家レベッカ・ステフォフが十代の若い世代向けに編集したもの。
アメリカという国が、その成り立ちからいかに虐殺と暴力、差別に満ち満ちて出発したのか、小さなわずか13の州の寄せ集め弱小国から、帝国主義時代以降どのように世界中に正義と自由をふりかざして戦争をしかける国に変貌したのか、そして利潤追求の結果、今現在、7秒半に一つの家族が住む家を追われるような絶望的な国になぜなってしまったのか、若い人たちにぜひとも読んでもらいたい。
2 2, 2010 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2010年01月16日
昔の岩波新書のたたずまい

Amazonの古書で求めた岩波新書『アルジェリア戦争』(ジュール・ロワ / 鈴木道彦 訳)。
当時フランス政府はアルジェリア独立解放戦争(1954〜62年)を「国内問題」として徹底的に秘匿し、日本での情報は皆無に近く、そうしたなかでほとんど唯一のまとまったルポルタージュだった。
高校生の頃サルトルを通してアルジェリア戦争のことを知り、この本と後にフランツ・ファノン『地に呪われたる者』等を読んでフランス、そして西欧世界に対する眼が変わった。
アルジェリア戦争についてはあらためて記したいが、ここでは私が中高生だった頃の、知と社会的視野を拡げる入り口であり糧であった岩波新書。
青版、赤版とあるが、現在のようなカバーはなく、帯の上からパラフィン紙でくるんである。
1961年6月24日第1刷発行の初版、定価100円。
紙質は良くないが、しっかりとした活字活版印刷と糸かがり製本、今はないしおり紐。
今すぐは読み返せないが、ぱらぱらめくりながらしばらく手触りを確かめる。
1 16, 2010 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年12月13日
健康帝国ニッポン

メタボだなんだ健康に気を付けなくっちゃ、などと一億総強迫観念に陥っているうちに、かつて「成人病」と呼ばれていたものは、いかにも個人の自己責任の生活態度のせいだというような「生活習慣病」と名を変えられ、この国はいつの間にかナチスばりの「健康ファッショ帝国」になった。
なにしろ今では「健康は国民の義務」などという憲法違反の法律(「健康増進法」)がまかり通っている。
たばこ増税も「国民の健康増進のため」になされる。
ざけんじゃないよ、
公共福祉としての医療費の削減のため、取りやすい所から取るという志の低さは見え見えではないか。
国家が個人の「健康」だのに干渉、管理しようとするときにろくなことはない。
そもそもヒトは誰でもなんらかの「病」とともに生きている存在だ。
「健康」と「病」を法律で判別しうるような境界などない。
参考:
『健康帝国ナチス』(ロバート・N・プロクター / 宮崎尊訳 / 草思社)
『タバコの歴史』(上野堅實 / 大修館書店)
『麻薬の文化史―女神の贈り物』(D.C.A.ヒルマン / 森夏樹訳 / 青土社)
『現代たばこ戦争』(伊佐山芳郎 / 岩波新書)
『健康不安社会を生きる』(飯島裕一・編著 / 岩波新書)
『禁煙ファシズムと戦う』(小谷野敦・編 / ベスト新書)
12 13, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 19.食と農、健康と病 | 固定リンク
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今朝のおはよう-339 ハゼ残葉

「日米同盟の重要さ」など民主党政府もTV・新聞もうるさい。
NHKをつけっぱなしにしていたりすると、定時のニュースのたびに同じ文言が繰り返される。
「対米従属関係」「沖縄密約」というのはあるだろうが「日米同盟」などというものはそもそも存在しない。
法的にあるのは「日米安全保障条約」という軍事条約。
50年以上に渡る外国軍隊の軍事基地運営、駐留、優遇措置というのは世界の近現代史の主権国家で他に例を見ない。
アメリカ帝国の没落はもう世界史的な必然だ。
オバマはたとえば増派したアフガニスタンであがきながらそれを見届けるだけの存在に過ぎない。
ノーベル平和賞などちゃんちゃらおかしい。
すっかり紅葉を落とした庭のハゼ残葉。
12 13, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 18.花・木・野菜・生きものたち, 26.今朝のおはよう | 固定リンク
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2009年12月02日
NHKの無駄使い

朝NHK-BSでオバマのアフガン増派の弁を聴く。チェンジといいながら相変わらずのアメリカ流対テロ戦争の論理。
NHK受信料の公正のためうんぬんとかいうじゃまな表示が出っぱなしになる。
表記されている番号に電話。
てっきり音声ガイダンスだと思っていたらいきなり生身の応答。
B-CASカード番号まではいいとして、郵便番号、住所、建物名、氏名、などくどくど聞き始める。
豊川悦司モードになる。
「タカミのタカは高い低いの高でよろしかったでしょうか?」
「今だってそうさ」
「は?」
「世帯主さまでいらっしゃいますか?」
「NHKにいう筋合いはないよ」
「は……、しばらくお待ちくださいませ…」
「契約しているのになぜこんなことをやらなくちゃならないわけ?」
「あ、さようでございますか。いつもありがとうございます。ただ今表示を消す作業をいたしますので」
なにこれ。たとえやるとしても、始めに契約の有無を確認するのが順序だろうが。
1,500万世帯のNHK-BS契約者+未契約視聴者がこれからこの手のやりとりをしなくてはならない(画面5分の1ほどの表示をがまんすれば別だが)。
この膨大な応対の人件費、通信費はいったいいくらかかってどこから出るのよ、NHKさん?
こんなことを始めた責任者は誰?
蓮舫呼ぶか。
12 2, 2009 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年10月25日
投票所

参議院神奈川補選だけでなく今回は鎌倉市長選挙が重なっている投票日。
甘縄神明宮の長谷公会堂がこの辺の投票所。
公会堂といっても古い木造二階建の民家を改築したもの(写真正面)で、なにか他人の家に上がりこんで、十数名に見守られながら投票するような感じがしないでもない。
この左隣が旧川端康成邸。
鳥居から内へは犬は入れないからMicを外に繋いで。
10 25, 2009 01.私の好きな鎌倉の風景, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年10月12日
生まれる国を 選べない 死にたい国だけ 選びたい

エクトルは両親が病気で、この夏コロンビアに帰省(?)してきた。
私と会ったときコロンビアのお菓子を土産にくれた。
お菓子は食べず、麻心の真司さんとダリさんの娘、コロンビア育ちのルナちゃんにあげた。
彼の詩には、弱いもの、虐げられるものへの同情と共感が、いつもユーモアを込めて表現されているが、それとは別に(あるいは同時に)、母国と悲惨な世界を見、そして日本に住む「外国人」としての心のシリアスな葛藤の詩もある。
私は難民ではない
エクトル・シエラ
私は難民ではない
生まれた国は
私を待っていない
生まれる場所を
選べない
愛したい国があれば
許されない
私は難民ではない
生まれた国を
選んでいない
生まれた国を
愛した
母国の旗を
だっこした
三つの色は
誇らしかった
その気持ちは
無色になった
愛国心は
辛かった
世界をすべて
愛したかった
私は亡命者ではない
こころの難民は
存在しない?
外国人さん、
教えてください
国のことを
なつかしくない?
国にあった光り
なつかしい!
雲の形は
特に親しい
子どものとき
マンゴを食べたり
8月になったら
たこをあげたり
なつかしいことを
数え切れない
戻らないことだと
考えたくない
日曜日の朝に
ホットチョコレート
土曜日の夜に
踊りと デート
1年に2回
雨の季節
短いけど
8つの季節
決まった時間に
雨が降る
晴れの日は
日曜日に来る
外国人さん、
教えてください
国のことでは
何がきらい?
愛国主義で
育てられる
愛国主義者でないと
嫌われる
愛国心があふれる
かわいそうな祖国
愛国主義者どもは
一番残酷
「イエスみこころ聖心の国」だと
呼ばれている
神様は息子を
忘れている
生まれる国を
選べない
こころの移民は、
存在しない?
外国人さん、
教えてください
すんでいる国では
何がきらい?
自分になるのは
とても むずかしい
平和があっても
なぜか哀しい
国家は歴史の
偽造を許す
国家のためなのか
真実を隠す
すんでいる国では
何が素晴らしい?
安定していること
国家の暮らし
春になったら
お花見始まる
国は少しずつ
絵ハガキになる
子どもたちは
学校を掃除する
小学生は
国をつくる
親切な言葉
よく聞こえる
礼儀や感謝
大事にされる
生まれる国を
選べない
こころの亡命者は
存在しない?
住みたい国を
探してきた
住みたい地球だけ
見つけてきた
お墓があるかないか
気にしない
生きたことを
後悔したくない
生まれる国を
選べない
死にたい国だけ
選びたい
10 12, 2009 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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くらい たいようは かがやく ように せんそうの いろが なくなる ように

エクトル・シエラは日本語で詩や絵本の原文も書く。
すでに『なけない ちっちゃい かえる』(やまうちあずあき・絵 / すずき出版)、『だっこして』(村上康成・絵 / 佼成出版社)という絵本も出版されている。
10/14(水)の特別講演会では、彼の詩のいくつかも朗読する予定で、そのために作っているKeynoteのスライドのなかの一部。
「こどもの え」
エクトル・シエラ=作
こどもの え
みたこと ある?
なんか・・・みると
しあわせに なる
いろづかい じょうず
アーティストの ように
そうぞうりょく あふれ
てんさいの ように
たいようの たこあげ?
おもしろい ばめん!
うさぎに とどいた
ひかりの せん
ねこの なわとび?
とても かわいい!
こんな にじに
のって みたい〜
こんな えがおは
なかなか みない
いっしょう かけても
まね できない
しらないの?
この さくひん!
うみだしたのは
いろの しじん
あらっ!この えは なに?
いろが くらい〜!
・・・せんそうの こが
えがいた せかい
これは えんぴつ?
いやっ、ロケットの え
はなびと おもったら
ばくはつの え
ふつうの こ なら
あそびや どうぶつ
この えでは
きょうふが ふつう
えを かいて〜 かいて〜
「ぼく クレヨン ない!」
もって きたよ
あけて ごらん〜
へいわの くにから
もらって きた
たくましい きみに
もってきた
えを かいて〜 かいて〜
かんがえずに
こころの げんしょく
あらわれるように
クレヨン あげたら
"ありがとう" いわない
こどもは かんしゃの
ことば いらない
だって、その ほほえみ
だれも えがけない
その めが いったこと
わすれられない
えを ひとつ だけ
わたしに ちょうだい
へいわの ひとに
みて もらいたい
えを かいて〜 かいて〜
たくさん たくさん
すべての クレヨン
つかって ごらん〜
くらい たいようは
かがやく ように
せんそうの いろが
なくなる ように
うさぎと ねこも
きみと ともに
つぎの ことばが
いえる までに
こどもの え
みたこと ある?
なんか・・・みると
しあわせに なる
10 12, 2009 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 10.美術工芸, 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年10月10日
10/14多摩美公開特別講演会「世界のあちこちの"痛み"に芸術の種を蒔く」
10月14日(水)に多摩美上野毛キャンパス講堂で公開特別講演会を行います。
「世界のあちこちの"痛み"に芸術の種を蒔く」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
講演:エクトル・シエラ 司会進行:高味壽雄
日時:10月14日(水)
時間:18:00〜21:10
場所:多摩美術大学上野毛キャンパス講堂
(一般にも公開・予約不要・入場無料)
アクセスマップ


友人のエクトル・シエラ(1964年コロンビア生まれ)を招いてのもの。
コロンビアは太平洋とカリブに面し、資源も生物も豊かで、人々は陽気で素朴であたたか、楽天的だ。しかし同時に別名「ロコンビア」と呼ばれる。"Loco" はスペイン語で"クレイジー”という意味だ。首都ボゴダでは毎日30人が殺される。第二次大戦後もずっと内戦が続き、また麻薬カルテルが裏の社会を支配する。
映画を志したが奨学金のある高等教育の場はなく、彼は条件のよかった旧ソ連のキエフ大学に留学。鬼才と呼ばれたセルゲイ・パラジャーノフ監督に師事し、また多民族、宗教がおりなす現場を見、パラジャーノフの反骨と美への洞察を学ぶ。
在学中から世界のあちこちを旅し、日本にも来て気に入り、1994年から日本を拠点とする。
彼を決定的に変えたのは、日本大学大学院での卒業制作に、当時緊迫しつつあったコソヴォの撮影をテーマに選んだことだった。セルビア人とアルバニア人の殺し合い、NATO軍の空爆も経験し、どうしてもなにかをせざるをえないと考える。
ひとりの若い外国人アーティストの手で戦争を止めさせることなどできない。
薬や食料などは公的な機関やさまざまな団体が援助している。
しかし心のケアまでは手がまわらないだろう。とりわけ心に深い傷を受けた子どもたちに対して。
子どもたちとのアートの実践を通して癒しや精神の浄化や希望につなげられないだろうか。彼は日本に戻ってからNGO『国境なきアーティスト(Artists Without Borders)』を創って活動を始める。
コソヴォ、東ティモール、カフカス、アフガニスタン、そして9.11後のニューヨーク等々を訪れ、それぞれの地での子どもたちに絵や折り紙などのワークショップを行い、日本の子どもたちたちには想像もできないこれらの子どもたちの作品との交流活動を行う。
初めは太陽を黒いクレヨンで塗りつぶす子、「私の町」と言うタイトルで撃ち合う人々を描く子、かつてあっただろう家は薄く描かれ、地には死者が並べられている絵。
一方で「美」という漢字と意味を教わり、じょじょに美しく明るい絵を描くようになる子。
そして、過酷な環境にありながらも、作った折り紙をかざす子どもたちの、日本の子どもにはめったに見られなくなった生き生きとした目に魅せられる…。
10 10, 2009 07.デザインの世界, 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年09月17日
国家戦略局?

ふ、「国家戦略局」?
いかにも松下政経塾出の若造が付けそうなネーミングだ。
もちろん「国家総動員法」などは熟知の上での名付けだろうね。
ひとつだけ忠告したい。
日本国憲法に関してだ。
近代国家は国家としてあるために憲法(Constitution)を必要とする。
国のありかたを定める最高の法だ。
ただしこれは国民の「義務」を定めるものではなく、まったく逆に「国民が政治権力に対して守るべき義務として突きつけるもの」だ。
これを守らない政治権力に対しては国民はいつでも廃棄、転覆させる権利を有する。
これが近代「憲法」の基本。
つまらない投票啓発をするくらいなら、このことをこそ啓発すべきではないか。
「押しつけ憲法」だのの議論や鳩山がもともと改憲論者だったなどということは関係ない。
日本にはいわゆる「憲法裁判所」にあたるものなどがない。
だから、最高の法である日本国憲法にいかに違反している下位法律が国会で制定されても、「トンデモ」レベルの政府解釈だの政令だの通達が出されても、明らかに憲法と相容れない裁判所の司法判決が出されても、たとえ訴えても原告に実害はないなどと門前払いで誰もどうしようもない状況が数少ない例外を除いて戦後ずっと続いてきた。
「国家戦略局」などという仰々しい名前の局をつくるならば、まずこのことの改革から取り組むのが基本ではないか。
9 17, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年08月31日
四角の上に丸三つ

想田和弘監督の映画『精神』に出てくる精神科医、山本先生は訪問看護ヘルパーたち向けのセミナーでちょっとした課題を出す。
私の言うとおりに紙に描いてください。ただし質問は無しです。
四角を描き、その上に丸を三つバランスよく描いてください。
描いたものをたがいに見せ合ってみると、四角の上辺に丸を並べたもの、四角の中に丸を描いたもの等々実にバラバラだ。
「これが一方通行的なコミュニケーションが生み出す結果なのです。それを避けるにはできるだけ相手に質問してみることです」
「四角」といっても正方形も、長方形も、平行四辺形も、台形もある。「上に」というのはどういう意味か。丸もいろいろ、サイズの問題もある。
麻生が最後に頼らざるをえなかった「保守」の本質は、疑問、懐疑、批判の精神の欠如、あるいは封じ込められた状況。
課題解決が先にありき、ではなく、問題はなんなのか、課題としてどう設定するのが適切かを考えるのは、数学や哲学でもっとも基本とされるが、政治の世界でも同じ。
民主党のマニフェストが、農家補償にしても高速道路無料化にしても、目先のバラマキにしか見えないのは、その底から基本ポリシーが浮かび上がってこないのと、問題をさまざまな角度、視点、関係から検討し、課題を適切に立てて出した政策とはとても思えないから。
このマニフェストの達成を金科玉条としてこれからやってほしくはない。
社会のさまざまな層の人々や在野の専門家らと意見をかわすことを深め、課題と目標、解決プロセスを適切に立て直してもらいたい。
8 31, 2009 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年08月27日
候補者の動画を見るー「e国政」サイト

「e国政」という候補者の映像を載せたサイトがおもしろい。
早稲田大大学院で地方自治を学んだ中村健さんが事務局長を務める市民団体「ローカル・マニフェスト推進ネットワーク四国」が、徳島県の小選挙区で立候補表明していた7人に依頼して動画を撮影し、昨年9月HPに掲載したのがきっかけ。
早大マニフェスト研究所(所長・北川正恭元三重県知事)がこれに着目して全国の立候補予定者に投稿を呼びかけ、公示日までに1,374名の立候補者中768名が応募。
今の公職選挙法では、ネット上の映像は、選挙運動中の頒布・掲示が禁じられた「文書図画」にあたるため、公示後はアップ、更新できないが、公示前に掲載した内容は削除する必要はない。
いわば5分以内の映像による自己プレゼンテーション。
佐藤ゆかり(自民・東京5区)など、広報・広告代理店のプロが制作したようなプロモーション風のものは今の状況や感覚からいっていかにもわざとらしく嘘くさい。
時代遅れの政見放送的なもの、小泉進次郎(自民・神奈川11区)のようにボク政治家になりたい的5分近くの無内容な街頭演説をそのまま撮ったもの(レンズの中央に曇りがあり、ずっと顔がピンボケなのが笑える)などさまざまだが、福田衣里子(民主・長崎2区・28歳)=上掲画像のように、2分足らずとはいえ、自分の経験に即して自分のことばで真摯に語っているシンプルなものが、人柄も主張も伝わってくる。
8 27, 2009 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年08月17日
そろつて投票しませふ

今回の衆議院選挙のための「啓発標語」(選挙公報、候補者ポスター掲示板、うちわ、ポケットティッシュなどに記される)を「みんなそろって投票しましょう」としていた兵庫県選挙管理委員会が、その後「みんなの党」ができたため「公正さを保つため」として「みんな」という表現をやめて「皆さん」に差し替えることにしたという。
「みんなの幸福のための一票を」なんてしていたら始めから考え直さなくてはならないところ。
戦後の混乱期、初めて女性参政権が認められた頃ならともかく、また日本人の標語好きの問題はさておき、現代の情報化社会でなぜこんな「啓発標語」なるものが必要なのか。
国政選挙用「啓発標語」というのは都道府県別の選挙管理委員会で決めている、らしい。
しかし、都道府県ごとに異なる「啓発標語」を発信していたら、それこそ「国政選挙」の「公正さ」が保たれないのではないか。
ネットにのっていてみた三重県などは公募して決めており、今回決定したのは「未来への 責任果たす この一票」だそう。
は? 投票しないと未来への責任を果たしていない、とでも?
そんなことを「選挙管理委員会」などから言われる筋合いはない。
投票は国民の権利ではあっても義務でも責任でもない。白票を投じる権利はもちろん、棄権する権利もある(浮動層はなるべく家で寝ていてほしい、などと本音を報じられた元首相もいたっけ)。
「政治」は投票で選ばれた「政治家」が行うのがすべてではまったくない。
しかしなぜ執拗に投票を呼びかけるかというと、現代世界の政治権力は、選挙という体裁によってのみその権力の国内的国際的正当性を主張できるから(安部、福田、麻生と三代続けて総選挙の洗礼を受けていないが)。
で、国民に投票を求める。
反対党への投票を含めて正当性が確保される。
神奈川県は「そろって投票しましょう」か。
これを見て「おお、そうか、そうか、そろって投票しよう」などと「啓発」される人がいるか?
だいたい「誰と」あるいは「何と」「何に」、「そろって」なのか意味不明。
私みたいにそもそも「そろって」なんてことが大嫌いな「国民」もいるんだよ。
8 17, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年07月08日
ウルムチ / デジャヴが続く

写真は「日本ウイグル会議」サイトより
「新疆ウイグル自治区」の漢字「疆(キョウ)」は白川静『字統』によれば、「さかい」「かぎり」を意味している。そして弓幹の強さをいい、「強」は弓弦の強さをいう字だという。
「新疆」と呼ばれる地の人々の近世以降の歴史は異民族による強権支配とそれへの抵抗の歴史だ。
今でこそ「中国西南部」「周縁部」などと認識してしまうが、それは違う。
歴史的に見れば、チュルク(トルコ系)化、ムスリム化した人々の暮らす中央アジアの一部だ。
18世紀半ばに清朝の侵略を受け、「新しい領土」として「新疆」と名付けられ、異民族、異教徒による支配が始まる。
1864年には新疆でウイグル人による大規模な叛乱が起き、コーカンド・ハンのヤークーブ・ベグがイスラム国家を樹立するが、1878年までには再び清朝に征服される。
以来、漢族移民の推進、漢族支配者による独裁、漢語(中国語)強制、宗教弾圧などは、中華民国の成立(1912年)、軍閥支配、国民党時代、そして中国共産党支配の今にいたるまで一貫して変わらない。
1933年、1944年の二度にわたってウイグル人たちは大規模な蜂起のもと「東トルキスタン共和国」の独立を宣言するが、国際政治の荒波のなかで潰え、徹底的な弾圧にさらされる。
だからこれらの時代からの亡命ウイグル人たちとその末裔たちは世界にたくさんいる。
1949年、国内で優位にたった中国共産党は「人民解放軍」を進駐させる。ウイグル人指導者たちは毛沢東の要請を入れ協議のために北京に飛び立つ。そして…消息を絶つ。新疆は容易に中国に「編入」された。
文化大革命時代には、モスクは破壊され、貴重な教典も焼き払われる。
豊富な天然ガス、原油、希少金属などは「中央」に収奪され、この地の人々は格差と抑圧にあえぐ。
サミットにも出ず戻った胡錦濤はテロの誘発を策し、イスラム過激派に対する「対テロ戦争」にすることで国際的な人権批判、武力弾圧批判をかわそうとするかもしれない。
しかし、どれだけ武力を投入し、ネットや携帯電話を遮断し情報を統制・捏造しようと、必ず失敗し、ウイグル人たちの「私たちはテロリストではない」「私たちは自治と改革、自由と人権を望む」という声は世界に届き共感を呼ぶだろう。
参考)
日本ウイグル協会サイト
世界ウイグル会議(日本語)サイト
『中央アジアを知るための60章』(宇山智彦編著 / 明石書店)
『多民族国家 中国』(王 柯 /岩波新書)
『中国の異民族支配』(横山宏章 / 集英社新書)
7 8, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年06月24日
イラン民衆の「プロテスト」は止まない-2

6月20日、テヘランの路上で民兵に殺されたアザード・イスラム大学に通っていた学生ネダ・アグハ・ソルタンさん(享年26)ーロイター。


イランの人々の、とりわけ女性の置かれた状況については、マルジャン・サトラビ(Marjane Satrapi)の自伝アニメーション映画『Persepolis(ペルセポリス)』(DVD発売)、原作のマンガ『Persepolis(ペルセポリス)I・II』(バジリコ株式会社)をぜひみてほしい。
6 24, 2009 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年06月21日
イラン民衆の「プロテスト」は止まない-1

イランについて書きたいのだが仕事に追われていて時間がない。
写真画像はREUTERS Protests in Iranより
かつて東独=共産圏崩壊の契機になった1989年ライプツィッヒの市民デモで、人々は「私たちは”ならず者”ではない」そして「私たちが人民だ」とシュプレヒコールした。
1980年、韓国光州市、「俺たちは”暴徒”ではない」と叫びながら数千の若者たちが殺されていった。
今、イランの若者たちは「私たちはテロリストではない、私たちは改革を望む」と叫んでいる。
人々を暴力的に抑圧する体制が長続きしたためしは世界史的にみて一度たりとない。
6 21, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年05月09日
な〜にがガイアの夜明け?

BSジャパン「ガイアの夜明け “格安の激震〜衣料不振に価格革命で挑む〜"」を見て、この番組編集に対してふつふつと怒りが煮えたぎる想い。
高級ブランド品の在庫余りを現金で買いたたいてネットで安く売る新手のビジネスも登場などというのはどうでもいい。勝手にやれば。
許せないのは、「大手スーパーが起死回生を狙って、衣料品の安さの限界に挑戦、その裏側に密着」という部分の扱い。
大手スーパーというのは西友。
ジーンズを1980円だかで売り出したら、他店に980円で出し抜かれた。
「消費者の要望に沿うような品質でさらに安く」と尻をたたかれ、死んだ目つきのバイヤーは中国にとぶ。
訪ねるのは、あのウォルマート(今は西友の親会社か)の中国支店。
「裏側に密着」といいながらウォルマートの手引きのバイヤーに会って「やっと品質、価格とも満足できるものが入手できた」というだけのことで、「裏側」など描くはずもなく、この販売競争の行く末は、などとばかばかしく終わる。
「ガイアの夜明け」などと大仰に打ち上げているタイトルに見合うジャーナリスト精神がほんのカケラでもこの番組プロデューサーにあるのか?
「裏側」「夜明け前」の一端はこちらを:
ジーンズのポケットの中の手紙
原宿で嬉々として行列して買い物する日本の若者たちの無知と愚かしさ。
「無知」とは単に知識がないということではない。
知らないということを知らないこと、疑問、関心を持たず、知ろうとしない、批判力、イマジネーション力の欠如した精神の怠惰なあり方。
5 9, 2009 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 17.衣・ファッション | 固定リンク
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2009年04月19日
『朝日ジャーナル』ー”怒りの復活”

私は「右手に『朝日ジャーナル』、左手に『少年マガジン』」の世代。
創刊から50年。
1959年創刊時(『少年マガジン』『少年サンデー』の創刊年でもある)は小学生だから知らなかったが、高校生時代から1992年終巻号まで30年近く毎号読んでいた(最後の下村満子編集長時代は辟易していたが)。
丸山眞男、加藤周一、竹内好、吉本隆明、鶴見俊輔、小田実、開高健、等戦後日本を代表する知識人たちが論陣をはり、報道的にも60年代後半のベトナム反戦、若者たちの異議申し立てなどの世界共時の動きをよく伝えた。
週刊朝日を編集しながらこの緊急増刊として発刊された『朝日ジャーナル 4.30』への想いは、巻頭、週刊朝日編集長、山口一臣の「風速計」にある通り、「この国への強い危機感」だ。
政治の機能不全はいうまでもないが、経済だけでなく社会システムとしての崩壊、そしてなにより若い世代がこの国の将来に希望を見いだせないこと。
「怒りの復活」「知の復権」が今のジャーナリスト精神不在の時代、なんとか足場を築くことを願う。
4 19, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年04月05日
普段と変わらない生活を?

きのうBSのNHKを付けていたら、「ヒショータイ」などという聞き慣れないことばが耳に入ってきて画面は見ていないので一瞬なんのことかわからない。
NHK政治部員というのが、政府も自治体も万全の体制をとっているので、国民の皆さんは平静を保ち普段と変わらない生活をしてほしい、などということを言っており、ちょっと唖然として仕事の手を止める。
この物言い、立ち位置はもう戦時中の国策報道、大本営発表の垂れ流しと本質的に同じではないか。
その後すぐに今度は「ゴタンチ」などとまた耳で聞いているだけではすぐには分からないことば(戦前からの流れを汲む軍隊用語だろう)を繰り返している(これは後になって探知ミスではなく、情報の確認、判断、伝達ミスとわかる)。
しかし政府や防衛省の失態などとあげつらって、もっとしっかりしろなどと言っているうちに、「ミサイル防衛網」だの海外派兵などがなし崩しに拡大し、国民は慣らされていく。
4 5, 2009 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年03月06日
ガザからのメール(TUP-Bulletinより転載)-11


写真は広河隆一氏によるガザの写真と記事が掲載されている『DAYS JAPAN 3月号』より
イスラエルとハマスは停戦に合意したわけではなく、それぞれが一方的に停戦したのであり、イスラエルはいつでも攻撃できる。
クリントンとアッバスは、パレスチナ人のこれからの運命を直接の当事者抜きで話し合ったりしている。
イスラエル「建国」時と同じ。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学
教養・人文学部英語学科) 発信の一連の電子メール
邦訳: 岡真理/TUP
【メールその42】
日時: 2009年2月19日 (木) 07:37
件名: ガザへの攻撃は止まない!
昨日夕べ、イスラエルの戦闘ヘリコプターがテル・アル=ハワー地区の私たちの頭上を飛んでいた。ヘリは私たちの地区のどこかにミサイルを一発、発射した!
さらに、ハーン・ユーニスとラファの2カ所がF16戦闘機の標的なった。また昨晩、ほとんど深夜だったが、F16がガザ市北部の複数の標的に3回の襲撃をかけた!
連中がこのごろ標的にしている場所の多くは戦争中に何度も攻撃されたところだ。つまり連中は、すでに破壊された場所を攻撃しているのだ!
問題は、これらの襲撃はメディアで報じられていないということだ! ニュースで一言も触れられない。まるで
これが当たり前の日常習慣になってしまったかのように!
【メールその43】
日時: 2009年2月19日 (木) 09:27
件名: 献血の要請
ガザの保健省は市民に対し何型でもよいから(おもにRhマイナス)緊急に献血を要請している。すべての病院と血液銀行でRhマイナスのすべての型の血液が底をついたのだ! 保健省は人々にこれら必要な型のうち何型でも可能なかぎり献血するよう求めている!
それに加えて、91種類の薬がガザではもはや完全に入手不能だ。ゼロになってしまったのだ! これらの薬について、当然、人々はどうすることもできない!
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2009年02月26日
いきなり「自宅待機」

来月大学を卒業する息子は、セラミックス、シリコンウェーハ等の製造販売会社に就職が決まっている。この業界では大手。
本来は4月、5月が研修期間で、6月から正式配属。
ところが会社から、4月の1週間だけ研修。以後6月1日の配属まで自宅待機せよ、と通知があったという(給与は8割支給)。
子会社の「派遣切り」の話は聞いていたが、受注、販売は激減し、生産調整で工場は止まり、当初予定の通常の研修ができないらしい。
派遣切りから大企業でも正社員切りが進むなかで、まだマシな方ともいえる。
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2009年02月24日
「ショーン」という名から

『MILK(ミルク)』オフィシャルサイトより
米アカデミー賞主演男優賞に『Milk』のショーン・ペン(Sean Justin Penn)が選ばれたのを見ていて、「ショーン」という名前から思い起こしたこと。
彼の祖父母はリトアニア及びロシアからのユダヤ人、母はイタリア人及びアイルランド人の、父はスペイン人の血を引いているという。
まあ、アメリカ人といってもこの程度には複雑なハイブリッドがけっこう普通なのだ。
「ショーン(Sean)」はアイルランド系の名。
ショーン・コネリーももちろん。
イギリスでは「ジョン(John)」。
ジョン・ブル(John Bull)は雄牛のように頑固で無愛想なイギリス人のこと。
同じゲルマン系では、ドイツでは「ヨハネス(Johannes)」。
略称「ヨハン(Johann)」あるいは「ハンス(Hans)」。
ヨハン・シュトラウス。
ロシアでは「イワン(Ivan)」。イワン雷帝、イワンの馬鹿。
ハンスもイワンもドイツ系、ロシア系を指す代名詞になっている。
オランダ、ポーランド、チェコ、デンマークなどでは「ヤン(Jan)」。
ヤン・フェルメール、ヤン・チヒョルト。
新世界アメリカ・ニューイングランドに入植したオランダ人をイギリス人がからかって「ヤンキー(Yankee)」と呼んだのが、その後広がり、20世紀後半からは「Yankee Go Home !」と世界中から嫌われるアメリカ人全体の俗称になった。
ラテン系諸国にいくと、フランスでは「ジャン(Jean)」。ジャン・コクトー。
イタリアでは「ジョバンニ(Giovanni )」。ジョバンニ・ベリーニ。
ポルトガルでは「ジョアン(Joao)」。
スペイン(ラテン・アメリカスペイン語圏)では「ファン(Juan)」。ファン・ルルフォ。
コーランで預言者のひとりとされるのは「ヤフヤー(Yahya)」。
で、これらはすべて古代パレスチナ周辺の地の民の名「ヨハネ(Johannes)」が元になっている。
ヘブライ語で「神(エホバ=Jehovah)は慈悲に満ち恵み深い」というような意味。
イエスの洗礼者でもあり、十二使徒のひとりでもあり、「新約聖書」の「ヨハネ福音書」「ヨハネの手紙」「ヨハネの黙示録」(これらは同一のヨハネという人物によるものとは考えられていないが)があり、キリスト教のヨーロッパへの布教拡大とともに代表的な男子名となった。
世界はこのくらい名前でもつながっている。
2 24, 2009 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年02月17日
あの〜、ふぅ〜 ……

「ショウちゃん、ゴックンしたの?」
「ううん、タローちゃん、ぼくゴックンしてないもん」
イラストはデザイン学科卒業生、照井正邦くん。
週刊朝日「山藤章二の似顔絵塾」にちょくちょく掲載(今日発売2/27号にも)。
過去記事:
照井正邦くんの似顔絵
2 17, 2009 07.デザインの世界, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年02月13日
卒業を迎える学生たちへ贈ることば

多摩美上野毛デザイン学科卒業制作図録に求められて寄稿した卒業を迎える学生たちに贈ることば
1. 卒業生への言葉
あなた方が大学生活を過ごした2005年から2009年という時期は、おそらく後世からみて世界史的なターニングポイントとして位置づけられるでしょう。
自由競争と市場原理をグローバルに押し進めようとしたアメリカ主導の資本主義と新自由主義が音をたてて崩れつつあります。それに追従してきた日本も当然同じ危機に入りました。「格差社会」というような警鐘の段階を越え、「貧困」ということが日本でも現実の問題となっています。世界的にみれば、宗教や「民族」「地域」の対立はますます先鋭化し、温暖化をはじめとする地球環境は悪化するばかりです。
このような時代にデザインということに何ができるのか、大量生産・大量流通・大量消費に「寄り添うように」、あるいは東京という「中央」に集中して展開してきた日本のデザインはこれからこのままでいいのか、デザイナーはどのような視野と創造性、独創性、革新性を持たねばならないのか、真剣に考え続けてほしいと思います。
●学ぶ方法を学ぶ
デザイン学科であなた方が学んだことは、けっして技術や知識だけではないはずです。私が常に望んだことは、「学ぶ方法を学んでほしい」ということでした。学ぶ方法さえ自分で身につければ、社会のなかで、仕事をしながら、歳を重ねても、いくらでも学び続けることができます。
●自分が情熱をもって取り組めるコト、テーマを見つけ、とことんやってみる
あなた方は与えられた課題に取り組みモノを創り出すことはほぼできます。しかし自分で課題を見つけ、設定し、考察・企画し創造するという面ではまだまだ充分とはいえないでしょう。哲学でも数学でも、課題を解決する以前に、問題課題をいかに設定するかが一番重要なのです。デザインの世界でも同じことです。
今後の健康と健闘を祈ります。
2. あなたにとってエネルギーとは?~デザイン創作活動をする上で~
対象とするコト、モノ、ヒトを好きになること。解決の方向は対象自体の関係のなかにあります。それを発見すること。そして、どうしても好きになれなかったらやらないこと。
2 13, 2009 07.デザインの世界, 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年02月09日
ガザからのメール(TUP-Bulletinより転載)-10

TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載(続)。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学教養人文学部英語学科)
岡真理さんによる翻訳を転載:
【メールその41】
日時: 2009年1月27日 (火) 07:29
件名: トラウマを負った子どもたち
家族を失いトラウマを負ったパレスチナ人の子どもたちは、心理セラピーや特別のケアを必要としている!
誰がこの子たちの世話をするのだ? 疑問なのだが!
地元にも心理セラピーのための団体はいくつかあるが、諸般の事情で事態に対処できない。とはいえ、ここでその理由を説明しているわけにはいかない。
子どもたちは今もなお悪い思い出から離れられない。
恐い夜やうなされた悪夢の数々について今も話している。悲惨、語られていない物語、ストレス、抑鬱といったもののオンパレードを見ているようだ!
そんなさなかの一昨日、悪夢のような日々の記憶がよみがえった。
PFLP[パレスチナ解放人民戦線]が 2発のロケット弾をイスラエルに向けて発射し、それに対してイスラエルが報復するという噂が流れたのだ。
中央郵便局をはじめとした多くの政府の建物から、そしてガザ市内の多くの学校から、みなが緊急避難した!
だが、生徒たちは学校から走って逃げ出したものの、どこへ行けばよいか分からなかった。下校時間ではなかったので、スクールバスもなかったのだ!
多くの海外メディアの特派員たちも事態の新たな展開ないし混迷化を恐れて、ただちにガザを離れた!
きのうは、アメリカ製の F16戦闘爆撃機が頭上を飛んでいたのだが、すわ空襲すると見せかけて、音速の壁を破って、すさまじい爆音をとどろかせた!
ガザ市内の誰もが恐怖におののいた。どこかで爆発があったと思ったのだ!
イスラエルは依然、なんだろうとおかまいなく恐怖をあおり続けている!
それなのに、国際社会はガザへの武器密輸について真剣に議論している!
いったいどんな武器がガザに密輸されているというのだ。実際問題、侵攻が証明したのは、イスラエルのいかなる種類の航空機であれヘリコプターであれ、困らせることのできる武器など、パレスチナ人は何一つ持っていないということだった。連中は、対空砲火ひとつ受けずに飛来し攻撃したではないか!
イスラエルの戦車は、軍事用ブルドーザーがガザの農地の 60%を破壊するのを護衛し、また、ジャバリーヤのエズベト・アーベドラッボとガザ市のはるか北部にあるアタートラとのパレスチナ人の住宅を破壊するときもブルドーザーを守った!
現場に到着した外国メディアの記者たちはその目を疑った。土地の地勢そのものがすっかり変わり果てていたからだ。
人々の精神状態さえすっかり変わってしまった。
土地はまるで地震に襲われたかのようだ。そして……なんといっても、それはみな市民の住まいだったのだ! 何千人もの人々が家を追われて、UNRWAの学校で生活したり、[今は変わり果ててしまった]かつて自分たちの住まいであったものから離れて、どこかの親族のもとに身を寄せている! とにもかくにも、今のこの様子がどんなか、とても言葉では言い表せない! ホロコーストよりおぞましい!
450人もの幼児や子どもがハマースのメンバーや支援者だったなどとはついぞ知らなかった!
みなさんは、どうかお元気で……
2 9, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年01月30日
歴史地図シリーズ / iPhone & iPodtouch

韓国のSeung-Bin Cho社から出ているiPhone/iPod touch用アプリの歴史地図シリーズ「History: Maps of 〜」が私にはとてもおもしろい。
古地図、歴史地図は若い頃から大好きで、海外に行くときは常に世界史地図図録を携行しているが、今後はiPhoneで見ることができる。
現在、ヨーロッパ、U.S.、アメリカ、アフリカ、アジア、中東、オセアニアが次々にリリースされている。
各600円だが、ヨーロッパなどは400にもおよぶ高精細地図が収録されている。
写真は「History: Maps of Middle East(中東)」の部。
左上は1849年に刊行された古代パレスチナの地図。Gaza(ガザ)の名が見える。
左下は、1915年(第一次世界大戦中)にロンドンで刊行されたエルサレムの地図。
当時イギリスはオスマン帝国の支配下にあったパレスチナの地をアラブ人を焚き付けて反抗させ、戦後の支配権を狙っていた(「アラビアのロレンス」の時代)。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が隣り合う。
右は「イスラエル」の「建国」と占領拡大の歴史変遷地図。
日本の古地図・歴史地図もどこか作ってほしい。
1 30, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 33. iPhone/iPad の愉しみ | 固定リンク
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2009年01月28日
ガザからの決死のメール(TUP-Bulletinより転載)-9

TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載(続)。
ガザのアル=アズハル大学教養人文学部英語学科アブデルワーヘド教授が、連日の空爆、砲撃で電気も途切れたなか、ディーゼル自家発電でメール発信しているもの。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学教養人文学部英語学科)
岡真理さんによる翻訳を転載:
ガザ市内の学校が再開されました。
学校再開は子どもたちにとって、喜びよりも、むしろ、級友たちを見舞った新たな悲しい物語に触れる機会になってしまいました。
2002年4月、イスラエル軍の一大侵攻を受け、徹底的に破壊されたジェニン難民キャンプで、数日前に再開されたばかりの国連の学校を訪れました。多くの子どもたちが、家を破壊され、肉親や友人や隣人が殺されるのをその目で見てしまっていました。
教科書はまだ、瓦礫の下です。
ジェニンの街の青年たちの有志のグループが、学校再開初日に、子どもたちにお芝居を見せに学校に行ったという話をそこで聞きました。
「今、子どもたちにいちばん必要なのは、笑いだと思ったから」と青年団の団長のサーミーは言いました。
いま、ガザの子どもたちが必要としているのも、傷ついた心を癒す「笑い」なのかもしれません。
ガザの子どもたちが笑顔を取り戻せるようにすることこそ、私たちの責務なのかもしれません。
(岡真理:京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)
【メールその39】
日時: 2009年1月21日 (水) 14:14
件名: ガザのアル=クドゥス病院、イスラエル軍によって焼かれる
イスラエル軍によって焼かれたタル・エル=ハワー[地区]のアル=クドゥス病院(自宅から 2ブロック先)!
[10数枚の写真が添付されている。(予定):
以下から閲覧できる
ガザ侵攻第25日 (2009年1月21日 水曜)
皮肉なことだ。侵攻が終わったのだという。
イスラエルの戦車が持ち場から引き揚げていった。
言っておくが、侵攻は終わってなどいない。侵略者は今なおガザ地区の中にいるのだから。
再配備は撤退を意味しない! 続いて、取り決めのため、首脳会談が三つ開かれた! しかし、いったい何を取り決めるというのだ? 政治的な意味ではなく、人道的な意味でどうか、と問うているのだが。
私がとにかく気にかかっているのは民間人犠牲者であり、人命の損失だ!
あいにくどの国王も、大統領も、首長も、スルタン[イスラム教国の君主]も、国家の代表使節も、誰一人としてイスラエルによる人権侵害を敢えて口にしようとしない。民間人や住宅に対してイスラエルが白燐弾を無差別に用いたことも「見えなかった」のだ!
最大の損害のひとつが農業の営みが破壊されたことだ!
イスラエルは実に広範に農業地帯を破壊した。ガザ地区全域に比して、それは広大だ。軍事用ブルドーザーで木々を根こそぎにし、温室、作物、収穫物、井戸、灌漑網、電線、そして農地にあるほかのありとあらゆるものを破壊した。文字通り、その周りにあるありとあらゆるものだ! 奴らは家畜、食肉用動物に、鶏まで殺した! 土地の姿が変わってしまった! 小さな土地を仕切る垣根さえ破壊された! 農家の家までも粉々にされた! 農地は、私の掌のようにまっさらになってしまった!
イスラエルはガザ地区で暮らすパレスチナ人ことごとくを罰したのだ!
全体の損害のうち、およそ 50%が農地におけるものだと推定されている。
ありていに言えば、イスラエルの対ガザ戦争は、ガザ地区のありとあらゆる人々に対する無差別懲罰であったことがはっきりした!
それは、来るべき世代を殺害する措置だった。
何百人もの幼児や子どもたちが殺されて瓦礫の下に埋まった。
また、何百人もの女性が民家への狂気の爆撃で殺された!
イスラエルによる正当化や弁解はまったくもってばかげている。
国連[事務]総長がガザを訪問した。総長は UNRWAの学校で罪もない市民が非人道的な生活をしている状況を視察し、ジャバリーヤ[難民キャンプ]にある
アル=ファフーラの学校へも足を運んだ。イスラエルの戦車からの砲撃によって、避難していたパレスチナ人 67名が殺され、何十人もが負傷した場所だ! 事務総長は、自身の言葉でもってイスラエルを非難したか? だから何だ? ——私は本気で言っている。国連事務総長の訪問が何だという? 三つの首脳会談が中東地域で開かれたが、イスラエルによる人権侵害と戦争犯罪を非難する言葉は一言も口にされなかった!
ガザでは、今なお、同胞の死者を見つけようとする努力が続いている。
停戦後の最初の日、103体の遺体が瓦礫の下から発見された。その翌日にはさらに 26体。捜索はなお継続中だ。全家族が、人間性の地図から一掃されてしまったのだ! 一方、どうにか助かって生き残った人々に目を向ければ、保護を必要とする孤児が何十人もいることに気付かないわけにはいかない。いったいこれらの子どもたちを誰が面倒みるのか? 使える設備が何もなく、孤児のための正式な計画社会も何一つないというのに? ガザ地区には孤児院が一つだけあるが、寄付と善意の人に依存する貧乏な施設だ!
侵攻後 25日が過ぎ、戦闘行為が中断され停戦になったというのに、イスラエルの戦車がガザ地区の中央部に進攻し、2名を殺害した!
一方、昨日と今朝、イスラエルの軍艦から砲撃があった!
言うまでもないことだが、イスラエルの偵察機が複数、依然、頭上を低空飛行していて苛立たしい。そしてイスラエルの戦車も依然、ガザ地区の境界の内側で展開している!
【メールその40】
日時: 2009年1月24日 (土) 18:38
件名: 学校再開初日
ガザ市内の学校が再開された初日、生徒たちの負った精神的な傷跡が明るみに出てくることになった!
たとえば私の末の息子は学校に行きたがらなかった。イスラエルが新たに攻撃を仕掛けてくるかもしれないと言って恐がっているのだ。息子は、かって
治安警察があった複合ビルに対する F16の最初の奇襲攻撃を目撃した。そこで 5人の民間人(通りがかりの人だった)が即死した。うち 3人は、息子がスクールバスを待って立っていた場所からほんの数メートルのところで死んだのだった! 大丈夫だからと、学校側は今日一日まるまる遊びや演劇や生徒が純粋に楽しめるようなことだけに費やすつもりなのだからと、言ってはみたものの、息子を納得させるのは無理な相談だった。
ところで、12歳になる息子のカリームは、クラスの優秀者名簿の筆頭で、学校や先生たちのことが大好きだ!
その息子が学校から帰って、侵攻によって被害を受けた他の人々の話をいろいろ聞かせてくれた。どの生徒にもそれぞれの恐怖の話がある——誰もが
心に傷を負っている!
長男のハルドゥーンは 16歳で、アメリカ国籍も持っている。
ハルドゥーンによれば、生徒の一人が空襲で殺され、別の一人は手を負傷して病院に担ぎ込まれた、という。その男の子は病院に着くやいなや、手を切断された。学校はぞっとするような話で満ち、悲しみに沈んでいた。
17歳になる娘ソムードもアメリカ国籍を持っている。
ソムードは私と長い時間話し合った後、学校に行った。学校の再開初日のようすを行って見てくればどうか、大丈夫だから、と私は娘を説得したものだ。ところが学校で、娘は、イスラエル兵による拷問についての微にいり細を穿った話の数々を聞くことになったのだった! 娘が下校の道すがら歩いているとき、同級生が地面を強く蹴ったところ、砂が燃え上がった。爆弾の破片があったのだ。
イスラエル軍が撤退して 8日たった今でも、白燐弾が残っていて、ある条件のもとで発火するのだ!
昨夜は、この 30日以上のあいだで初めてよく眠れた。だが、子どもたちのことが今も心配だ。子どもたちのうち2人は依然、自分のベッドで眠ることができない。子どもたちがふつうの生活に戻れるよう、ケアし続けなければ。
1 28, 2009 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年01月25日
ガザからの決死のメール(TUP-Bulletinより転載)-8

写真はALJAZEERA.NET(アルジャジーラ)より
日本のマスコミを含む外国メディアもガザ地区に入りこんだため、ガザの惨状とイスラエルの蛮行=戦争犯罪もようやく具体的に明らかになりつつある。
殺された人たちの数ではなく、一人ひとり名前と顔と人格と家族、親族と生活を持った人々の苦しみとして想像し続けよう。
TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載(続)。
ガザのアル=アズハル大学教養人文学部英語学科アブデルワーヘド教授が、連日の空爆、砲撃で電気も途切れたなか、ディーゼル自家発電でメール発信しているもの。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学教養人文学部英語学科)
岡真理さんによる翻訳を転載:
【メールその38】
日時: 2009年1月19日 (月) 13:51
件名: 破壊されたガザから、ハロー!
2009年1月18日 (日) 侵攻23日目
ガザ停戦! これが停戦か? 疑わしいものだ!
今朝(2009年1月18日 日曜)、イスラエルは一方的停戦を発表した。
だが、実際には、イスラエルは衝突の前線で銃撃を続けている。
塀の反対側では何時間かたって、パレスチナの諸組織が停戦を宣言した。
その間も無人飛行機はガザ上空を立ち去ることなく、またF16はイスラエルによる停戦発表の 12時間後になってさえいくつかの建物を攻撃目標にした。
ほかのところでは救助作業が続いている。
今日になって、瓦礫の下、農地やゼイトゥーン地区の裏道、ガザ地区の北部、そしてイスラエル軍が攻撃し破壊した場所場所から、新たに100体を超える遺体が見つかった!
瓦礫や破壊された家の下から子どもをふくむ一家全員[の遺体]が発見された例もたくさんあった。
医療関係筋によると、今日、発見された死者の2割が身元不明だという!
発見された遺体のうち、17体は[身元の判別が不可能なほど]完全に腐乱が進んでいたため、ひとつの墓に埋葬された!
ゼイトゥーン地区の東部に住んでいたアル=サンモーニー家の一族も遺族になった。
攻撃の初期の頃、イスラエル人たちはこの一族の13人を殺した!
民間人の彼らは、白旗を掲げてその場を通過したかっただけなのに、撃たれ、殺されたのだ。
イスラエル兵たちはさらに、自宅にいた同じ一族の15人を殺害した!
今日、停戦が発効し、救助隊はまたも同じ一族の 21体の遺体を発見した!
この一族の50〜60人が侵攻のあいだにイスラエル兵に撃ち殺されたそうだ。
死者のなかには子どもも女性も老人もいる。
死者の数は1300を超えた。
こんなことをどうやって信じれば、理解すればいいと言うのか。ただただ呆然とするばかりだ! 何の罪もない市民が最大の代償を支払わされた、つまりその命で償わされたのだ!
これはジェノサイドだ!
ガザの社会全体が打ちひしがれている。
喪われた命の数々、圧倒的な破壊、荒廃、残骸、死傷者、壊滅のさまに!
農作地、農家やそのまわりのすべても甚大な被害に見舞われた!
欝になったり精神的外傷を負った人、あるいは激しく動揺したり悲しみに沈む市民はそこらじゅうにいる! まわりの[人々の]心理的状況に私の心はうち震える!
イスラエル兵が建物内部にまで侵入した住宅は、どこもかしこもめちゃくちゃにされた!
兵士はヘブライ語で「死ね」とか罵倒の言葉やダヴィデの星[*]を壁に落書きし、さらには聖なるコーランにまで落書きしていった。
[訳注*: ユダヤ教のシンボルでイスラエルの国旗にも用いられている六芒星形]
イスラエル人たちは今なおパレスチナ人の家庭に電話をかけ、お前たちに新たな罰を与えてやるぞと脅している!
午後にはイスラエルの航空機が反ハマースのビラをガザの西部に撒いた。
ばかげた行為だ。ガザの誰もが、イスラエルの有無を言わせぬテロリズム、つまり個人の政治的な帰属などおかまいなしにパレスチナ人を無差別に攻撃してくるテロリズムを体験してきたのだから。
これは、パレスチナ人という存在に対する全面的戦争にほかならない!
ビラを撒くなんて愚かな行為だ! ガザ地区のありとあらゆるところで市民を情け容赦なく攻撃し、膨大な数の負傷者を残し、途方もない数の命を奪ったそのあとで、こんなばかげたビラを撒いたところで心動かされる者は誰ひとりいなかった。
F16戦闘爆撃機で爆撃された市民に対して、こんな1枚の紙切れで何ができるというのだ。冗談もいい加減にしろ!
今晩のガザは、みなが息をひそめ、沈黙と予感のなかで時が過ぎている!
状況全体が、いつなんどき燃え上がり爆発しても不思議ではない!
イスラエルの戦車部隊が何か作戦を展開するのではないかという恐れもある。今まさに頭上で偵察機の飛ぶ音がする。
奴らは何もかも監視している! イスラエルはこれ以上何を攻撃目標にするというのだ? 純粋な疑問なのだが! ガザのいたるところに、いまだ語られていない恐怖の物語、破壊の物語、死の物語がある。ガザ市の 80%が依然、電気なしの状態で生活している。
侵攻24日目:
停戦が発効した翌日。イスラエルのF16が頭上を舞っている!
戦車部隊は今もガザ地区内部に。今朝、イスラエルの軍艦がガザ市のどこかを砲撃した。その音がはっきりと聞こえた!
ガザのインフラは無惨に破壊されている。
幸運なるかな、電気や水が手に入る者は。
ガザ市のへりに住む人々は電話が不通になっている。
瓦礫の山、不毛で荒れた土地に変わり果てた地域がいくつもある。
今日、アル=サンモーニー一族から遺体がさらに見つかった。
また、パレスチナ人医師の妻でウクライナ人のエリナ・エル=ジャルーの遺体も見つかった。その傍らにはエリナさんの子どもの一人も遺体で見つかった。一方、エリナさんの幼い娘さんはシファー病院の集中治療室にいるのが分かった。
報道によれば、この侵攻で5人の外国人が殺されたという。
1 25, 2009 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年01月21日
オバマ幻想

昨年11月に発売された『オバマ演説集』のCD(40万部も売れているという)をiPhoneに入れてずいぶん聴いた。
自己の出自から始め、たたみかけるようなレトリックを駆使した、よく通るバリトンの滑らかなアメリカンイングリッシュの、「One America」のスピーチ(演説)は、だみ声で妙な節回し、漢字もろくに読めない日本の首相の演説に比べればたしかに格調があり説得力があった。
しかし、今日の就任演説は過大な期待への牽制のようでインパクトにまったく欠ける。
「Change !」「Hope !」ー「Yes We Can !」は影をひそめ、いかにアメリカが危機のなかにあるかをひたすら訴える。
リンカーンを気取るオバマの「歴史的な就任演説」を求めていた数百万の人々には肩すかしだったろう。
注目すべきは、あげた外国の名前は「イラク」「アフガニスタン」であり、「過酷なパトロール任務」についている兵士たちへの賞賛だ。
かねてから「対テロ戦争」の主戦場はアフガニスタンであり、兵力を増強するというオバマとネオコンの戦略そのもの。
1 21, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年01月20日
ガザからの決死のメール(TUP-Bulletinより転載)-7

イスラエルが「一方的停戦」を表明し、ハマスも「停戦」を発表。
盟友オバマの就任式に間に合うようイスラエルは軍の撤退を始めた。
ガザ地区の徹底的なインフラ破壊と子ども約400名を含む1300名以上のパレスチナ人の虐殺の後、いつでも再攻撃できる「権利」と封鎖と抑圧を維持したままの「停戦」であり、「一件落着」などでは断じてない。
TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載(続)。
ガザのアル=アズハル大学芸術人文学部英語学科アブデルワーヘド教授が、連日の空爆、砲撃で電気も途切れたなか、ディーゼル自家発電でメール発信しているもの。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学芸術人文学部英語学科)
岡真理さんによる翻訳を転載:
【メールその32】
日時: 2009年1月12日 (月) 14:29
件名: 12日のガザ最新情報
みなさんの努力と支援に感謝している。
家族も私も無事だ。
昨夜、攻撃目標になった小児病院は、ガザ市東部にあるムハンマド・アル=ドゥッラ病院だ。またひとつ UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校が昨日、ハーン・ユーニスの町で、攻撃目標にされた。民間人こそ最大の被害者だ。
友人一家から今しがた聞いた話だ。引退した年配の元UNRWA職員の夫婦、アフメド・オスルフ(73歳)と妻のサミーラ(66歳)、そして娘のアリージュ(25歳)の一家で、あるアパートの8階に住んでいる。隣の建物からの激しい爆風で気付いた時には皆、床に叩きつけられていて、瓦礫がアパートのなかに散乱していたという!おかげで家はゆがむし、安全でもなくなった。
自分たちのアパートが安全でなくなってしまったので、彼らは家を出て隣のブロックの友人家族のところに泊まっている! ガザ市内の親戚や友人をたよって自宅アパートを出た家族があまりにも多い。
報道によれば、今日、7人が死亡した! 死者の数は 900人を超えた。
おおやけの報道やメディアでは触れられていないことだが、ガザの郊外に死体が何体も残されている。しかし、イスラエル軍支配下の地域にあるため誰もそこにたどりつけないのだ!
いつでもチャンスがあればまた書き送ります。
【メールその33】
日時: 2009年1月13日 (火) 11:14
件名: ガザ恐怖の夜
血まみれの夜だった!
昨晩またイスラエルの地上攻撃があった。
午前1時半頃に始まり、午前6時45分まで続いた。またもうちの地区だった。戦車やヘリコプターに加えて奴らは白リン弾も使用し、地区全体が煌々と照らし出された!
イスラエルは大工[の工房?]と家1軒のつごう2箇所を焼き、ほかの複数の場所に被害を与えた。昨晩の攻撃は、3日前に行われた最初の攻撃にもまして強烈だった! 救急車と消防車がようやく戦闘地域にたどり着けたのは午前7時、すべて終わってからだった!
人々は脅え、この地区全体からさらに多くの家族がガザ市内の別の地区へ避難していった。だが、結局のところ、どこに行くというのだ。どこもみな狙われ、爆撃されるのだ。昨晩、ガザ市北部では複数の軍艦が爆弾を発射、15階建てのビルを破壊した!アル=アンダルス・タワーというビルだ。
連中はガザ海岸にある夏のリゾート施設も攻撃し、焼き落とした!
アル=ジャジーラというところだった! どんなに控えめに言っても、地獄のような夜だったことは確かだ。夕べ、ガザで眠れた人間がいたとは思えない! 昨晩の死傷者数規模についてはまだ分からない! 恐ろしい状況だ!
【メールその34】
日時: 2009年1月13日 (火) 12:10
件名: どうやって世界にメール発信しているのか
ヨーロッパにいる友人の一人からメールで質問があった。こんな状況、絶えまない戦闘の只中で、どうやって電子メールを送っているのかと。
まず、かれこれ 15日間、電気がなく、飲み水もほとんどない状況におかれている。
携帯電話は壊れていて、わずかにショートメッセージを送れるくらいだ。電話線はずっと大丈夫だが、時折、不通になることはある。
この15日間、小さな発電機を使ってノートパソコンを動かしている。
3日前、電力会社が変圧器と電線を修繕したので、ふたたび電気が使えるようになった。私たちは階上の貯水槽に水を汲み上げられた! とはいえ、依然、よく繰り返し停電になる。2〜3時間、電気が使えるときもあれば、10時間かそれ以上、電気が通じることもある。このようにして電子メールを送っている。普段ならまったく考えられないことだが、とにかくあらゆる機会を見つけては世界に向けて発信することが、私にとって最優先事項となっている。
【メールその35】
日時: 2009年1月14日 (水) 01:16
件名: 今夜のガザ
ガザはたった今、午前 1時15分。今日は比較的静穏だったように思う! そう感じるというだけで、実際は、F16によるガザ市への空襲が複数回あり、またラファの国境地帯に対しても集中的な空襲があったのだが! まさに今、イスラエルの攻撃用ヘリがガザ市の南地区に照明弾を投下している! 人道面の状況は最悪に向かっている! 毎日、新たな日が訪れるたびに、死者の数も負傷者の数も、破壊被害の数々も都市部、農村部の両方で増加の一途をたどっている。
環境については言うまでもない。軍事作戦がやむと、間をおかず環境の危機が宣言されるだろう。また、農業はめちゃくちゃにされてしまった。何百台もの戦車や軍用車が畑を走り回り、イスラエル軍が作戦展開したいところは好き放題、どこもかしこも軍事用ブルドーザーが植物を踏み潰し木々を根こそぎにしている!
先のメールで、複数の UNRWAの学校が、家を失ったり戦闘を恐れて家を逃げ出したパレスチナ人の避難所になっていると伝えた。
今日、その文章を訂正したい。現在、パレスチナ人が暮らしている UNRWAの学校は33校。どの学校にも120家族がいる(先のメールでは 120人と書いたが、そうではなく)。UNRWAが毛布と一日3度の食事をこれらの避難家族に提供している。地元の NGOも複数、寄付をしている。
今日はまた、さらに何人かの外科医が病院で支援するためにガザに入ることを許された。一方、シファー病院の外科で何日も働いていたノルウェーの医療チーム(外科医2名)はガザを去った。
エジプト、ヨルダン、アルジェリア、サウジアラビア、スーダンからも医師が駆けつけている。スーダンのチームはスーダンの人々が献血してくれた血液バッグをもってガザに向かっている途中だ。
死者はおおよそ1000の命になり、負傷者は 4300人以上に達している!
死者のうち 331人が子ども、99人が女性だ。
遺体がいまだ瓦礫の下や戸外に残されている者たちは含まれていない。
たとえば今日、医療チームは攻撃初日に亡くなった人の遺体にようやくたどり着くことができた! ガザ市北部にあるジャバリーヤ難民キャンプ出身の 92歳の老人の遺体だ。老人は白旗を掲げていた!
家族全員の行方が知れない例、あるいは、行方不明、負傷、死亡と家族がばらばらになってしまった例がたくさんある。爆撃で身体に障害を負った子どもたちや女性の話にも事欠かない!
精神的ショックやトラウマで心理治療を必要とする者の話にも事欠かない!
通りの一本一本にたくさんの物語があり、どの家族にもいくつもの物語があるのだ!
【メールその36】
日時: 2009年1月14日 (水) 09:48
件名: ガザからグッド・モーニング
昨晩もヘリコプターと戦闘爆撃機 F16による監視行動と爆撃に何の変化も見られず、狙われたのは主に民間人の住居だった!
たとえば、アル=ナーセル地区では夕べ、少なくとも5軒の家がF16に攻撃された! そのうちの一軒は、ガザ・イスラーム大学(IUG)の渉外部職員の家だった。ゼイトゥーン地区でも住宅が攻撃目標にされた! 昨晩、F16のミサイルがシュイフ・ラドワーン墓地に着弾した! 奴らはあと、どこを破壊するつもりなんだ!
ある医者から聞いたのだが、何百人もの負傷者は二度と回復することもなければ、ふつうの暮らしに戻ることもないという!
私が見た一本のヴィデオに写っていたのは、両脚をひざの上から切断された15歳の少女、片脚しか残っていない少女、そしてほかの少女たち……。[病院の]外科手術室の数は限られ、使える設備も貧弱な中、保健衛生状況はどんどん悪化している。パレスチナ人の外科医を支援しにアラブ諸国といくつかのヨーロッパの国々から駆けつけた60〜70人の医師が助けになってくれているが、しかし、それでもなお、ガザにはいかなる治療も受けることができないでいる負傷者がいる……。また、13人の救急医療隊員が、勤務中に命を落とした。何台もの救急車が、負傷者を救出し遺体を運ぼうとしている最中に撃たれているのだ! ぜんぶ感嘆符つきだ!
【メールその37】
日時: 2009年1月15日 (木) 15:09
件名: ?
13時間におよぶ爆撃と襲撃のあと、自宅付近は完全にイスラエル陸軍の戦車部隊、歩兵部隊その他の完全な支配下におかれている。
狙撃兵たちが我が家の扉の外にいる。
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2009年01月18日
ガザからの決死のメール(TUP-Bulletinより転載)-6

昨年末、南イスラエルの町をイスラエル軍ヘリコプターで訪問し、ロケット弾がいつ飛んでくるともわからない状況では、自分も娘たちを守るためなんでもするだろう、などとイスラエル支持の姿勢をあらわにしたオバマ次期米大統領と、シオニスト、ユダヤロビーメンバー、超タカ派が数多く入る新閣僚人事をみて、イスラエルは安心し、かねてからの計画通りガザ攻撃を始めたのだろう。
そしてハマスを「テロリスト集団」として位置づけるイスラエル・アメリカが、ハマスの政治的位置を認めることにつながるような「停戦合意」をするはずがなく、国際社会の批判をかわす体裁を見せながら蛮行と抑圧を継続するだろう。
TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載(続)。
ガザのアル=アズハル大学芸術人文学部英語学科アブデルワーヘド教授が、連日の空爆、砲撃で電気も途切れたなか、ディーゼル自家発電でメール発信しているもの。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学芸術人文学部英語学科)
岡真理さんによる翻訳を転載:
【メール その29】
日時: 2009年1月6日 (火) 18:06
件名: UNRWAの学校に避難したパレスチナ人
何千人かのパレスチナ人がUNRWAの複数の学校に避難した。
そのうち40人が今日(2009年1月6日)、空からの攻撃で殺された!
【メール その30】
日時: 2009年1月8日 (木) 19:06
件名: ガザ攻撃13日目
30分前、2基のミサイルが自宅近所のアパートを狙い撃ちした!
ぞっとする殺傷攻撃だった。
私の子どもたちは恐怖で泣きわめく。
子どもたちがふつうの生活の雰囲気のなかで過ごせるよう、私はいっしょにトランプ遊びをしていたのだが。この爆発で男性 2人が亡くなったほか 2人が負傷した。初日に、治安警察[*]の一群の建物に対する最初の攻撃で4人が殺されたのと同じ場所だ。
[(*) "the Preventive Security apparatus [または Service]";
パレスチナに特有の警察組織]
昨夜のガザ、ほんとうに身も凍る思いだった。
60回以上の空襲があり、加えて戦車や大砲による砲撃があたり一帯ところかまわず引っきりなしに続いた!
ガザでは一瞬たりとも安全な場所などどこにもない!
このところ私たちが経験している身の毛のよだつ恐怖は言葉では言い尽くせない。
なかでも昨夜は、もっとも苛烈なもののひとつだった。昼間であろうと夜寝ているときであろうと、静かな瞬間などないのだ!
ラファでは80軒の家が複数のヘリコプターによって攻撃された!
ほかにも、ハーン・ユーニス、アル=マガーズィ難民キャンプ、アル=ブレイジュ難民キャンプ、ジャバリーヤ村、ビーチ難民キャンプにも散発的な攻撃があった。
死者の数はうなぎのぼりで今日だけで 30人以上が死んだ。負傷者数は言うまでもない。
死者のひとりは UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)のトラック運転手で、トラックもろとも攻撃に見舞われたものだ。ほかにも UNRWAの職員一人が負傷した。
これまでのところ 10名の救急医が人命救助の奮闘のさなかに命を落としている!
死者の数は一挙に800人に、負傷者は 3100人以上に達した。
貧弱な設備しかないガザの病院では、こんな数の死傷者には対応できない。
【メールその31】
日時: 2009年1月10日 (土) 20:31
件名: ガザ攻撃15日目
どこもかしこも死が覆っている。
昨晩の空襲は70回以上、さらに今日は30回!
これらの空襲で何百人もの子どもたちや女性が死んだ!
このすさまじい破壊のさまは、あなたがたには想像できるまい。人々はこの引続く爆撃にとても耐えられない。いくつもの家族が爆撃された建物の瓦礫の下敷きになって一家全滅した!
複数の戦車が[ガザ]市内に向かってゆっくりと移動している。
夜はただひたすら恐ろしく、暁の光を目にすると子どもたちは歓喜の声を上げる! 子どもたちは何時間も続けて眠ることがほとんどできないでいる。こっちで空襲、あっちで砲撃、遠くで激しい機関銃の音という状況なのだから。今、F16が私たちの頭上を飛んでいる。
ガザ市全体が食糧難に陥っている。当然のことながら果物や野菜などまったくない。電気と水の状況も依然、ひどい。
今日、ガザのいくつかの地域で 2時間、電気が供給された! ガザは人道的・環境的危機の限界にある! 保健衛生状況も、貧弱な病院の数々も、崩壊しつつある!
時折、自分のまわりで起きていることを表現する言葉を失うことがある!
1 18, 2009 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年01月15日
iPhoneに「プリント」

MacBook Proをふだん持ち歩いているが、いつもいつもというわけでもない。
Houdah Softwareというところが出しているiPhone/iPodTouchアプリ、「ACTPrinter」というのがiPhoneで手軽にデータを見たいというときなかなか便利。
App StoreからアプリをiPhoneにダウンロードし、さらにサイトから「ActPrinterMac」というアプリケーションをMacにダウンロードして加える(今のところMacにのみ対応)。
そうするとMacでプリントメニューからPDFを選んだとき、PDFメニューから「Print to iPhone」というのが選択できるようになる(同じWIFI環境が必要)。
iPhoneにデータが「プリント」される(PDFデータが送られる)。
iPhoneの「ACTPrinter」を開くと、拡大縮小表示自由のPDFデータが見られる。
イスラエル軍によりガザで殺された人は1000名を超えた。
1 15, 2009 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 33. iPhone/iPad の愉しみ | 固定リンク
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2009年01月14日
Free Gaza, Free Palestine !

イスラエルによるガザへの戦争犯罪はますます明らかになりつつある。
かつてゲットーとホロコーストと、絶望的な決起(ワルシャワ・ゲットー蜂起・1943)を経験した民の子孫らが自らナチスと同じ次元のことをし、自らを貶めていることの愚。
電流フェンスと地雷原により強制収容所と同じに封鎖、ゲットー化され、今、地空海からほとんど無差別に攻撃されているガザ150万の人々を想う。
映画『パレスチナ1948 NAKBA(広河隆一)』より
アキバ・オール(ユダヤ人:元マツペン・メンバー)
「私はアラブ人を支持しているわけではない。
私は今までアラブの王たちを支持したことはない。
では誰を支持しているのだと聞かれる。
私は抑圧され苦しんでいる人々を支持する。抑圧者とはいつも闘う。
私は抑圧する者と抑圧される者に分ける。
私はユダヤ人アラブ人など問わず、抑圧された人々を支持するのだ」
とりあえずのリンク集:
パレスチナ情報センター
ガザ情報他、歴史的な背景も。
DAYS JAPAN
ブログに刻々のガザ状況
CARE World
世界の最も貧しいコミュニティにおける個人や家庭を支援することを目的としたケア・インターナショナルの日本サイト。ガザの現地事務所からのブログ報告。
アル・ガド(al-Ghad)
パレスチナ/イスラエル関連を中心としたイベント、テレビ番組、書籍、映画などの情報メモ
ALJAZEERA.NET(アルジャジーラ)
中東カタールからのニュースサイト(英文)
TUP-Bulletin
TUP(Translators United for Peace: 平和をめざす翻訳者たち)によるメール配信
アムネスティ・インターナショナル日本
人権侵害に抗する国際団体
ヒューマンライツ・ナウ
人権擁護の国際団体
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2009年01月09日
われわれはまだ生きている。来るべきわれらの思考の誕生にふさわしいささやかなものだけを携えて。鳥となって、自分の無から存在を引っ摑む。

2002年4月、軍事封鎖されたパレスチナ自治区に食料運輸の許可を出すよう求めるデモで、イスラエル兵に対しVサインを長時間かかげて抗議するパレスチナ女性(写真:広河隆一)
パレスチナ生まれの代表的詩人、マフムード・ダルウィーシュ(Mahmud Darwish 1942〜)の詩、『壁に描く』(マフムード・ダルウィーシュ 訳:四方田犬彦 書肆山田)よりー
わたしはある日、なりたいものとなる。
わたしはある日、鳥となって、自分の無から存在を引っ摑む。
…
わたしはある日、なりたいものとなる。
わたしはある日、詩人となる。水はわが眼力しだいだ。
わたしの言語は隠喩となる。
わたしは語らない。場所を仄めかさない。
場所はわが罪、わがアリバイだ。
わたしはそこから来る。
わたしの「ここ」は足取りから想像力へと跳ぶ。
わたしとはわたしであったものだ。わたしがなるものだ。
膨張する無限の空間によって創造され、破壊され。
わたしはある日、なりたいものとなる。
わたしはある日、葡萄の樹となる。
これから先、夏はわたしを絞るがいい。
甘やかな場所のシャンデリアの下をゆく者は、わたしを呑むがいい。
わたしは伝言であり、それを運ぶ使者、
短い住所であり、音信である。
…
われらはある日、なりたいものとなる。
旅はまだ始まっていなかった、道は終わっていなかった。
賢者たちはまだ亡命の地に達していなかった。
亡命した男たちはまだ叡智に達していなかった。
花といえば、われらはアネモネしか知らない。
だから一番高い壁画へ行こう。
…
われらは剣とミズマールのうちに、無花果とサボテンの間に生まれた。
死はゆるやかにして明確だった。
死は河口を渡る者たちの休戦合意だった。
殺す者は殺される者に耳を傾けない。
殉教者は遺言を語らない。
『越境する世界文学』(河出書房新社・1992)より
ー「私たちのまわりで大地は狭まる」
最後の辺境も果てた後に私たちはどこに行けばいいのか、
最後の空も尽きた後に鳥たちはどこを飛べばよいのか。
1 9, 2009 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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フリー・ガザ・キャンペーン チャリティ絵はがき

イスラエル軍によるガザ空爆・地上軍侵攻によるパレスチナ人犠牲者は1月8日までに約760人、うち子供が257人と3分の1に上ると国連事務次長が述べた。
土井幸美さん(すぺーす・どい主宰)が、ガザのアトファルナ聾学校でボランティアをしていた時、美術の授業で「ナクバ」(1948年イスラエル「建国」によりパレスチナ人が難民化させられた「大惨事」)の絵を描くことになった。
これを描いた少女ファティマ(聾者)は、描いたものの「家族が散り散りになるなんて二度とイヤ!」「こんな絵は嫌ね、いらないわ」と破ってゴミ箱に捨ててしまった。
捨てられた絵を土井さんは拾いあげ、くっつけてもらってきた。
2001年、ファティマが中学生のとき。
今、彼女はその聾学校の幼稚部の先生になっている。
ファティマ、そしてガザの子どもたちを想いながら土井さんがその絵をもとに作ったアピールカード(企画:土井幸美 制作:ハルオン楽舎)

Free Gaza ! Free Palestine ! (作画:だるま森 制作:ハルオン楽舎)

セカイジュウノコドモタチガ ゲンキデカケマワレルヒヲユメミテ(作画:だるま森 制作:ハルオン楽舎)
3枚組絵はがきの売り上げの50%が「土井敏邦パレスチナ記録の会」を通してガザ地区のNGOへ直接寄付される。
1 9, 2009 10.美術工芸, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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パレスチナ難民女性たちが作るオリープ石鹸

広河隆一アーカイブ・パレスチナ1948 NAKBA 完成報告と試写会(2009/1/8/文京シビックホール・小ホール)で試写された「広河隆一アーカイブ・パレスチナ1948 NAKBA 序章」に、パレスチナの村人が丹誠こめて育てて来たオリーブの樹々が、イスラエルのブルドーザーで無惨に根こそぎ破壊されていく映像があった。
会場でチャリティ販売されていたオリーブ石鹸。
イスラエル占領下、ヨルダン川西岸のパレスチナ難民女性たちの経済自立プロジェクトとして作られた「アシーラ女性協同組合」によるもの。
60年にわたるイスラエルの軍事占領下、男たちの職もほとんど無いなか、パレスチナの女性たちは子どもたちの未来のため、自分たちの力で家族を支えようと奮闘している。
無農薬、無添加物の昔からの手作りの石鹸は、使ってみると肌もすべすべとして気持ちいい。
アシーラ石鹸の売り上げは全額パレスチナの作り手たちに送金される。
注文・問合せ(日本国内)
aseela~japan@mbp.nifty.com
Tel/Fax: 045-894-0763
1 9, 2009 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2009年01月07日
ガザからの決死のメール(TUP-Bulletinより転載)-5

住宅から退去せよとイスラエル軍は住民を脅し、避難した国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)運営の学校に戦車の砲撃と空爆。
ガザ北部ジャバリヤ難民キャンプの上記学校で女性子どもを含む少なくとも42名の民間人が殺された。
南部ハンユニスの同上学校2校が砲撃されている。
まだ瓦礫に多数の人々が埋まっている。
これが虐殺でなくて何なのか!
TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載(続)。
ガザのアル=アズハル大学芸術人文学部英語学科アブデルワーヘド教授が、連日の空爆、砲撃で電気も途切れたなか、ディーゼル自家発電でメール発信しているもの。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学芸術人文学部英語学科)
岡真理さんによる翻訳を転載:
【メール その25】
日時:2009年1月5日(月)18:31
件名:2009年1月5日午後6時半
今日、シファー病院の発表によれば、16人の子どもと7人の女性を含む39人の民間人が亡くなった!
公式発表の死者数は540人以上にふくれあがり、加えて負傷者は2600人!
人々の健康をめぐる状態は耐えがたく、酸鼻をきわめる。市民は逃げ場を失い右往左往している!ガザ市内のシュジャイヤ(人口がとくに過密な地区だ)で、妊娠中の女性が4人の娘とともに砲撃で死んだ。
私の子どもたちは、隣の建物が狙い撃ちされてから、ますます緊張と不安を募らせている。私は努めて子どもたちに話しかけ、できるだけ落ち着かせようとしている。
しかし、実際は、航空機、ヘリコプター、無人飛行機が大砲や戦車の砲撃に加わって、私たちは緊張を解いたり和らげたりする暇もないのだ!
【メール その26】
日時:2009年1月5日(月)19:00
件名:ガザ 2009年1月5日
2009年1月5日午後6時。
地上攻撃の今日、イスラエルの戦車部隊はさらに多くの土地を制圧した。
イスラエルの航空機はガザ地区の30の攻撃目標を空襲した。
気がかりなのは、ゼイトゥーン地区の東部であれ他のどこであれ、自宅にとどまることのできない市民たちのことだ。ゼイトゥーンは農業地帯で住んでいるのは農民たちだ。
彼らのうち何百人かは、ゼイトゥーン地区のなかで人口が密集した住宅地の奥に避難することができた。
多くの民間人が、ガザ市の境界地域に対する爆撃で死んだ。
電気と水が、ガザの人間すべてにとって依然、主要な問題となっている。
発電機はまだ動くので、私はこれらのメッセージを大急ぎで書くことができる!
携帯は麻痺し、地上電話はつながらなかったり、聞き取れなかったりすることもあるが、はっきりと聞こえることもある!
数分前、すぐ近くが空襲された。
どこだか特定できないが、恐怖におののいた。近所の建物に着弾したのだ!
ほんの3軒向こうの建物だ。犠牲者もいる!
イスラエルの航空機が照明弾を投下している。あるいは、なにか軍事目的のための光なのかもしれない。イスラエルは何度か、アル=アクサー衛星放送を妨害して、反ハマースの内容を放送した。
また戻ります、そうできるなら!
【メール その27】
日時:2009年1月5日(月)20:13
件名: なし
次から次へとF16による空襲が今。
【メール その28】
日時:2009年1月6日(火)13:36
件名:ガザ 1月6日12:30
昨晩、空襲はますます激しさを増した:30回以上にわたり、ビーチ難民キャンプ東部にある保健センターをはじめ、さまざまな地点が空襲の標的になった。4階建ての建物が1軒、F16に爆撃され、完全に破壊された。
何百人もの人々が次々に、戦闘地帯となっている市の郊外から命からがら脱出した。彼らは市内に住む親戚を頼ったり、UNRWAの学校に避難している。
フセイン・アル=アイディと家族(女たちと子どもたち)はいまだに、水も食糧も電話その他いかなる生命線となる設備もないまま、一部屋に閉じ込められたまま動くことができないでいる。家族のうち5人が何かの爆弾の破片で負傷している。アミラ・ハス記者が、イスラエルのヘブライ語・英語の日刊紙ハアレツで昨日、それを記事にし、今日、内容が更新された!
一方、人権のための医師団が介入して、身動きできないアル=アイディの家族のもとにたどりつけるよう調整に努めている。救急車とおそらくいくらかの食糧を届けようとしている。だが、これまでのところ成功していない!
戦闘のただなかにおかれて人道的〔措置を必要としている〕ケースはほかにもある。さらに多くの市民が戦場で身動きがとれなくなっているのだ。
死傷者の数も増加の一途だ!
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2009年01月06日
『パレスチナ1948・NAKBA』(広河隆一)

1948年「イスラエル建国」とその後の戦争・占領により、それまで永くこの地に暮らしていたパレスチナ人たちは村を追われ難民とならざるをえなかった。
パレスチナ人はこれを「NAKBA(ナクバ)」と呼ぶ。
「大惨事」を意味するアラビア語。
広河隆一さんは1967年大学を卒業してすぐイスラエルに渡り、キブツ(社会主義的な共同体村)研修で農作業に従事する。23歳で新しいコミューン体験に希望に燃えていた。
ある日いつもと違うヒマワリ畑の向こうに白い廃墟のようなものを見る。なにかの遺跡かと思いキブツのメンバーに聞いても答えをにごされる。
第二次世界大戦中のホロコーストを経て、ようやく「約束の地」にユダヤ人のための国家ができたが、パレスチナ・アラブ人の敵意にさらされている、という当時の(今でもほとんど変わりない)常識しか持っていなかった広河さんの心のなかに小さな疑念が起きる。
おりしも勃発した第三次中東戦争(いわゆる六日間戦争)後、戻ってきたキブツの若者たちが、いかにアラブ諸国をやっつけたか、東エルサレム、ゴラン高原、シナイ半島、ガザを手に入れたかを繰り返し酔いしれて語るのを聞き、この戦争後、「イスラエルの安全」のためには何をしても許される熱狂的な軍国主義が育って行くように思えてくる。
自分が働いている美しい畑、豊かな水、これらは本当にユダヤ人移民が「民無き」荒れ地を開墾し作り上げた血と汗の結晶なのだろうか?
「ユダヤ国民基金」(ユダヤ系ロスチャイルド財閥などが負担)が先住していたパレスチナ・アラブ人から正当に買い上げたものなのか?
1年以上後、ユダヤ人の友人が探し出してくれた古い地図で白い廃墟の答えを得る。
それは破壊されたパレスチナ人の村の跡なのだった。
ダリヤトルーハ(香ばしい葡萄の樹)村。
「私は、村の人々が追放され、難民キャンプに押しこめられ、村が廃墟となったあと、その畑で働いていたことになる」(『パレスチナ 新版』(広河隆一/岩波新書)
この衝撃から、後年、世界的なフォトジャーナリストとなる広河さんの40年にのぼるパレスチナへの訪問と交流、観察、取材、記録、撮影が始まる。
映画『パレスチナ1948・NAKBA』(監督・広河隆一)は、膨大な写真と1000時間以上にのぼるビデオ映像をもとに131分に編集したもの。「1コマサポーターズ」などの協力により成った。
池澤夏樹:
「遠い人々の悲劇は抽象的である。
われわれにとってパレスチナは遠い。
彼らの受難を具体的なものとして受け止めるために、われわれはこの映画を見なければならない。
パレスチナの人々の運命を、名前と顔を持つ友だちの身に起こったこととして感じ取らなければならない。
広河隆一と彼らの何十年にも亘る親密なつきあいがそれを可能にしてくれる」
映画『パレスチナ1948 NAKBA』サイト
単行本『パレスチナ1948 NAKBA』(広河隆一/合同出版)
この劇場版とは別に、DVD-BOX「広河隆一アーカイブ・パレスチナ1948 NAKBA」の日本語版全30巻(約45時間)が完成(英語版は2月ころ完成予定)。
パレスティナ難民に関する国際的な第一級史料となる。
2009年1月8日(19時開演/文京シビックホール・小ホール)
広河隆一アーカイブ・パレスチナ1948 NAKBA 完成報告と試写会
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ガザからの決死のメール(TUP-Bulletinより転載)-4

TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載(続)。
ガザのアル=アズハル大学芸術人文学部英語学科アブデルワーヘド教授が、連日の空爆、砲撃で電気も途切れたなか、ディーゼル自家発電でメール発信しているもの。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学芸術人文学部英語学科)
岡真理さんによる翻訳を転載:
【メール その22】
日時: 2009/1/4(日)12:12
件名: 緊急!
毎分、爆発音が聞こえる。1回あるいは2回、3回のこともある。
この状態がここ15時間以上続いている。戦車、大砲、戦艦。
UNRWA職員のフサイン・オーダ・アル=アイディ(58歳)が戦闘のまっただ中に釘付け状態にされている。イスラエルの
戦車複数が彼の自宅の周りを直径1キロ以上の円を描くように動いている。
彼は昨晩10時半、砲撃を受けた。家族5人が重傷を負っている。だが、イスラエルの戦車以外、誰も彼に近づけない。
彼の家には電気も水も食糧もない。彼の家族たち、母親と彼の二人の兄弟の家族が一部屋にすし詰めになっている。20人以上だ。
フサインを緊急に援けなければ、そして怪我人を避難させなければ。
【メールその23】
日時 : 2009年1月4日(日)18:15
件名 : フサイン・アル=アイディ、戦闘の只中に釘づけ!
フサイン・アル=アイディが戦闘の只中に釘づけになっている![注1]
フサイン・アル=アイディはガザ市東部在住のパレスチナ人(58歳)。
今の場所に25年以上、住んでいる。自宅は野菜畑の真ん中に位置している。彼はUNRWAの職員だ。彼は今、一部屋に、自分の家族20人と、彼の二人の兄弟の家族たちとともにいる。彼らは、狭い部屋で電気も水も食糧も電話もないまま、すし詰めになっている!
彼の周りには何もない、あるのは戦場だけ。
昨夜10時半、アル=アイディ氏は戦闘の真っ只中におかれ、砲撃が自宅に着弾、家族5人が負傷した!彼は負傷者を救出するため救急車をよこすよう訴え続けているが、叶わない。負傷者を、そして可能ならば家族全員を救出するために、彼のもとに救急車を送ってくれという訴えはこれまでのところ、いずれも聞き入れられるにいたっていない!
周囲1キロ半以上をイスラエル軍が完全にコントロールしており、イスラエル人以外、誰もアル=アイディ氏のもとにたどり着くことができない!
この状況は、どこの国でもいい、人権団体が緊急に人道的行動をおこすことを必要としている!
ガザには電気も水もない。食糧もわずかしかない。
私は発電機がまだ稼動するのを幸いに、世界に発信している。爆弾が雨あられと私たちの上に降り注いでいる。そして不運にも、アル=アイディ氏は戦闘のど真ん中にいるのだ!
[注1]
アル=アイディ氏については、イスラエルのハアレツ紙でアミラ・ハスも報じています。
日本語訳はこちらを。
【メールその24】
日時 : 2009年1月4日(日)19:41
件名 : ミサイルの雨と真っ暗闇のガザ
ガザで、私たちは、雨のように降り注ぐミサイルと砲弾の集中砲火の真っ只中にいる!
今は完全な暗闇だが、その闇を破って無人飛行機やヘリコプターの唸る音が聞こえてくる。
通りは人っ子ひとりいない!
ときどき、救急車と消防隊のサイレンが聞こえる!
ガザ北部の市民は自宅からガザ市西部に逃げ、ゼイトゥーン地区の者たちは西部に逃げている!市民にはなすすべがないというのに、彼らのことなどおかまいなしだ!
彼らを守るものは何もない。
今日、救急医療士3人が死ぬ。ほかの命を救おうとしているさなかだった。
一昨日も、医師1人と救急医療士が殺された。
今夜、携帯の電話網は完全に麻痺している。地上電話は、回線状態は悪いが通話可能だ!
夜明け前、ガザの空のいたるところに黒煙の雲があった!わぁぁぁぁぁ、
今まさに、足元で地面が揺れている!ボーーーーーーン!
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「ガザのゲルニカ」

軍事占領後も2年におよぶイスラエルによる封鎖で医療物資、食料、水、燃料に窮乏し、他の世界との交流を断たれた上での執拗な空爆、そして地上軍侵攻。
電流の流れる越えられないフェンスと海上封鎖のなかで、退去を「命じ」られてもどこにも逃げ場のない150万のガザの人々。
イスラエルもやり過ぎだがハマスも悪い、というような問題か?
「DEMOCARACY NOW! JAPAN」サイトに、12/29付けの「ガザのゲルニカ」タイトルの動画(37分)が日本語字幕付きで掲載されている。
「デモクラシー・ナウ!(Democracy Now!)」は北米500局以上で放送されている非営利の独立系ニュース番組。
大資本による「マスメディア」とは異なり、各種コミュニティ・ラジオ局や衛星放送、ケーブルのパブリック・アクセスTVチャンネル、インターネットなど、さまざまな形態の非営利の公共放送が協力した全国配信ネットワークのさきがけであり最大のもの。
ニューヨーク市チャイナタウンにある地域メディアセンター、「DCTV(ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョン)センター」(元消防署のビル)に間借りして制作、発信している。
米国政府の外交政策の影響を直接的にこうむる世界各地の人々の声や、フリーランス国際ジャーナリストの報告、草の根運動のリーダーや平和活動家、アーティスト、学術関係者や評論家など、企業のスポンサリングを受ける米国メディアではほとんど報道されることのない人々の主張や視点を視聴者に紹介しており、日本の米欧マスコミ、為政者発表垂れ流しなどとはまったく異なる質を持っている。
番組の司会を務めるのは、ジャーナリストとして数々の賞を受賞しているエイミー・グッドマン(Amy Goodman)とフアン・ゴンザレス(Juan Gonzalez)。
今回の番組のゲストは、
・ムーサ・エルハッダート(Dr. Moussa El-Haddad)=ガザ市在住の元外科医
・フィーダ・キシュタ(Fida Qishta)=ジャーナリスト、国際連帯運動(IMS)のガザ地区の世話人
・ムスタファ・バルグーティ(Dr. Mustafa Barghouti)=ラマラ在住のパレスチナ立法評議会議員、ファタハに対抗する民主派の政治家
・ギデオン・レビ(Gideon Levy)=イスラエルのハアレツ紙の記者
・アリー・アブニマー(Ali Abunimah)=米国在住、エレクトロニックインティファーダ(The Electronic Intifada)の共同創設者。"One Country: A Bold Proposal to End the Israeli-Palestinian Impasse" (『一国家解決 出口のないイスラエル=パレスチナ紛争を終結させる大胆な提案』)の著者。29日のガーディアン紙に‘We Have No Words Left’ を寄稿。
字幕翻訳:田中泉/校正・全体監修:中野真紀子
アメリカのマスコミ(特にTV)は日本のような「中立公正」などという「立て前」もへったくれもない、ネオコン、産軍複合体、石油資本、ユダヤ資本、キリスト教原理主義などの圧倒的支配下にあるが、一方でこうしたオルタナティブ(対抗的な、既存のものとは別の価値観を持った)TV放送、ネット配信もなされている。
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2009年01月05日
「私たちはガザにとどまる イスラエルの犯罪を伝え続けるため」

TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載
岡真理さんによる翻訳を転載:
8日にわたる爆撃に続き地上部隊が侵攻したガザに、なおとどまることを選んだ人権活動家たちがいます。
「私たちの命とパレスチナ人の命といったい何がちがうのですか?」と言って。
彼らの声を報告します。
ガザ発 2009年1月2日
「私たちはここに残る」
外国パスポート保持者、ガザにとどまることを決意
イスラエルは外国のパスポート所持者に対し例外措置として、安全のためガザを離れることを許可しているが、ガザにとどまりパレスチナ人と運命をともにすることを選んだ外国人たちがいる。
アルベルト・アルケ(スペイン)は救急車に同伴して病院から報告を続けてきた。
「イスラエルはガザの人々に対して自分たちがおかしている罪を目撃されたくないのです。国際ジャーナリストや支援団体はここにはいません。ぼくらがガザを去ってしまったら、いったい誰が、ぼくたちが今、目にしているこの戦争犯罪を証言するのですか。
12月28日、ぼくは、ラマとハヤー・ハムダーンの二人の姉妹の瀕死の目を見つめました。ラマは4歳、ハヤーは12歳、二人はイスラエルのミサイルに殺されました。ぼくがそこに認めた彼女たちの人間性は、ぼくたちの人間性と何一つ違ってなどいない。
ぼくたちの命は彼女たちの命より価値があるのですか?」
アルベルト・アルケ——国際連帯運動
パレスチナ系南アフリカ人のハイダル・イード博士は言った。
「これは歴史的瞬間だと思う。ガザのこの大量虐殺は、南アフリカで1960年に起きたシャープヴィルの大量虐殺[1]と類似している。この事件の結果、アパルトヘイトに対するBDS[ボイコット、投資引き上げ、制裁]キャンペーンが始まった。
2009年のガザの大量虐殺は、イスラエルのアパルトヘイトに対するBDSの運動をより激化させるだろう。南アフリカのアパルトヘイトでは、BDSキャンペーンによってついにはネルソン・マンデラを獄から解放することに成功し、のちに彼は、民主的かつ多人種的かつ多文化的な南アフリカ共和国の、初の黒人大統領となった。だから、イスラエルのアパルトヘイトに対するBDSキャンペーンも、すべての市民が平等に遇される一元的国家を生み出すにちがいない」
イード博士は、ガザのアル=アクサー大学の社会・文化研究の教授である。彼はまた、イスラエルに対する学術的・文化的ボイコットのためのパレスチナ・キャンペーン(PACBII)の実行委員会のメンバーであり、「民主的一国家」 One Democratic Stateグループの創設メンバーの一人でもある。
ナタリー・アブー・シャクラ(レバノン)は語った。
「彼らはレバノンでも同じことをしました。でも、レバノンでは、激しく爆撃されたところもあったけれど、安全なところもありました。ガザでは、安全な場所などどこにもない。この人たちをどうして残して行けますか?生きるなら彼らとともに生きます。それができないなら、彼らと死をともにします」
ナタリー・アブー・シャクラ——国際連帯運動
「イスラエルが国際ジャーナリストの[ガザ立ち入りを]禁じているために、ガザの声はさらに押し殺されてきました。この地の現実を外の世界に発信することは、イスラエルによる攻撃の違法性に光を当てるために不可欠です。私たちは最近になって救急車に同伴するようになりました。医療従事者に対する攻撃を報告するためです。これはジュネーヴ協定違反です。苦しむ家族たちの姿を目にし、私もその苦しみを感じてきました。彼らをおいて出て行くことなどできません。すべての市民が、イスラエルの攻撃の前で身を守るすべがないのです。私たちはとどまって、ガザの人々に対するイスラエルの攻撃の本質をあばき続けるつもりです」
ジェニー・リネル——国際連帯運動
「イスラエルは、ガザを離れることができる者を決めているだけではありません。誰が入ることができるかも決めているのです。私は、家やモスクや大学が粉々に破壊されているのをこの目で見ました。市街地でミサイル攻撃がどれほど人々を恐怖に陥れているかも分かりました。死んだ子どもたちの姿も目にしました。家から30メートルのところをイスラエルが爆撃しているのに、家のなかに閉じ込められてしまった家族が叫ぶのも聞きました。ガザの人々、150万の人々すべてが、これらの違法な攻撃から逃れることができないのです。
私たちの命が彼らの命よりも大切であるなどということはありません。
彼らが苦しんでいるかぎり、私たちはとどまります。
彼らと連帯するために、そして、イスラエルが邪魔して外国のジャーナリストに公表させまいとしていることを報告するために」
エヴァ・バートレット——国際連帯運動
「ガザのパレスチナ人は、イスラエルが課している封鎖のせいで世界から孤立しています。今、私たちにはここを離れる機会が与えられましたが、ガザの人々にはそのような選択肢などありません。ガザの家族たちと連帯してここにとどまること、それはイスラエルの暴力がおぞましいまでに増大しているなかで決定的に重要なことです。
私は封鎖の影響をこの目で見ました。民間人に対して現在進行形で振るわれている暴力も見ています。私たちはイスラエルの違法な政策の犠牲者たちの側に立ち続けます」
シャロン・ロック——国際連帯運動
「イスラエルによって犯されている人道に対する罪を耐え忍んでいるガザの人々と連帯して、自分にはここにとどまる責任があると思います。ガザの全住民に対するこの物理的、心理的、政治的戦争を止めるために国際社会が行動しないのなら、国際的監視者、ジャーナリスト、活動家たちがここガザで必要とされています。
私たちはこの目で見て、報告し、止めなければならないのです、イスラエル占領軍がガザの人々に対しておかしている戦争犯罪を、どこであろうと、この目で見て、報告し、止めなければなりません。
イスラエルは人道に対する自分たちの罪を目撃されたくないのです。
でも、ガザの人たちは違います。彼らは言い続けています、「どうか、私たちの身に起きていることを世界に伝えてください、こんなことが起きるなんて信じられません」と。彼らは最悪の事態となることを恐れています。誰もが脅え、恐怖に突き落とされています。私はここを離れません。イスラエル占領軍こそ国際法に従って、パレスチナを去らねばならないのです」
エヴァ・ジャシウィッツ——自由ガザ運動
「エレツ検問所[2]の開放は、私たちを追い出すためではなく、国際監視員や医薬品をガザに入れるために使われるべきです。
私たちは、封鎖およびこの間の爆撃で死ぬ人たちをじかに見てきました。イスラエルの違法な軍事行動によって私は大勢の友人をなくしました。私たちはパレスチナ人と連帯し、この暴虐非道を報告し続けます。国際的監視者である私たちには、イスラエルによるガザ攻撃の現実をきちんと国際社会に知らせる責任があります」
ヴィットリオ・アッリゴーニ——国際連帯運動
国際人権活動家たちは、12月31日、イスラエルのミサイルでインターンのムハンマド・アブー・ハセーラと医師のイハーブ・アル・マスーンが殺害されてから、ガザ地区の救急車に同伴するという活動を続けてきた。国際活動家たちはマスーン医師が亡くなったとき、ベイト・ハヌーンのカマール・アドァーン病院にいた。
ガザにとどまっている人権活動家たち
アルベルト・アルケ(スペイン)
エヴァ・ジャシウィッツ(ポーランド/英国)、
ハイダル・イード博士(南アフリカ)
シャロン・ロック(オーストラリア)、
ヴィットリオ・アッリゴーニ(イタリア)
ジェニー・リネル(英国)、
ナタリー・アブー・シャクラ(レバノン)
エヴァ・バートレット(カナダ)
原文URL
[1]シャープヴィルの虐殺
1960年3月21日、南アフリカで、PAC主導のもと、パス法に反対して5000人以上の黒人たちがシャープヴィル警察署前でデモを行ったところ、警官隊が発砲、69人が殺され、180人が負傷した。
[2]エレツ検問所
ガザ北部、イスラエルとガザ地区の境界にある検問所。ガザ地区の出入り口は、このエレツ検問所と、エジプトとの境界にあるラファ検問所の2箇所しかない。前者はイスラエルが、後者はエジプトが、出入りを管理している。
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ガザからの決死のメール(TUP-Bulletinより転載)-3

イスラエル地上軍がガザに侵攻。
東京都区部の6割ほどの面積に住み、封鎖され、シェルターもないガザ150万人の人々に逃げるところなどない。
TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載(続)。
ガザのアル=アズハル大学芸術人文学部英語学科アブデルワーヘド教授が、連日の空爆、砲撃で電気も途切れたなか、ディーゼル自家発電でメール発信しているもの。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学芸術人文学部英語学科)
岡真理さんによる翻訳を転載:
【メール その18】
日時: 2009/1/1 (木) 18:34
件名: 嘆きと悲しみと死と 2009年元日のガザ
2009年元日のガザはどのような姿か?
死がガザを覆い尽くしている。
嘆きと悲しみが2009年という新年の挨拶なのだ。 血と大量の死体の匂いがする!毎分のように悪い知らせが新たに届く。 爆発音、爆撃、ミサイルの飛来音、崩壊、すさまじい破壊、イスラエルの無人機、アパッチその他の軍用ヘリ、F16型戦闘機、足元を揺るがす大地。破壊の跡がいたるところに。
死体、千切れた四肢、泣き叫ぶ子ども、幼子や夫を探し求める母親。 どこに行けばいいのか、どこに隠れればいいのか、 誰にも分からない! イスラエルの攻撃のもとでは、安全な避難場所などどこにもありはしない。
市民社会の施設さえ標的にされた。
法務省、教育省、文化省が破壊された!モスクも手ひどくやられた。うち6つは過去のものになってしまった。これらモスク周辺の何十という家々もすさまじく破壊され、粉砕された。人々は死に、また傷ついた。今日、2009年1月1日までに攻撃で2000人以上が負傷し、420人以上が殺された。
この数字には50人を上回る子どもたちが含まれている。
今日、ガザ市だけで、20回以上の空襲が実行された!
最後の攻撃でジャバリーヤ難民キャンプの4階建ての建物が破壊され、少なくとも15人が殺された! このメッセージを書いているさなかにも、ガザ市北部、シェイフ・ ラドワーンで5階建ての建物が数分前、イスラエルの軍用機によって粉々に破壊されている!
爆撃についてこれ以上、書き続けることができない、たった今、3回目の大爆発が起こった!
【メール その19】
日時: 2009/1/1 (木) 22:45
件名: ガザが再び燃えている
法務省(新築)、教育省(新築)、囚人問題省、立法評議会(新築)、両替所3軒、モスク3つ、民家3軒、移動中の車2台、そしてその他の建物も、空と海から、二度、三度と攻撃された。古い地元の石鹸工場も今朝、攻撃された。無人機とF16が何機か今まさに空を飛行中だ。
朝には20機もの航空機が空にあった。昨晩、ガザの人間は1分たりとも眠れなかった!
イスラーム大学のイスラーム研究の教授でハマースの指導者であるニザール・ライヤーン博士が今日、殺された。F16がジャバリーヤ難民キャンプ中央部にある彼の4階建ての自宅を爆撃したのだ。
彼の4人の妻と9人の子どもたちもいっしょに殺された。これまでの捜索で彼の家族14人が瓦礫の下敷きとなっていることが判明した。
同地区の住居多数が甚大な被害を受けている。いくつかは人間が暮らせる状態ではなくなってしまった。ライヤーン博士は前にイスラエルが侵入したとき、戦闘で息子二人を亡くしていた!
あらゆる形で、毎分のように、ガザが再び燃えている!
【メール その20】
日時: 2009/1/2(金) 1:41
件名: 真夜中のガザ
真夜中のガザの姿とはどのようなものか?
完全な暗闇。ガザ市内の80%以上がすっかり闇に覆われている。
この暗闇のなかでは自分の指すら見えない!一方、家の外では、無人機が頭上で唸り、軍用ヘリが空を徘徊している。家のなかに目を戻せば、子どもたちは就寝時間になっても、床につきたがらない!
悪夢や爆撃、爆発その他もろもろを恐れているのだ!
お決まりのように航空機の音が6日以上にわたり昼夜を問わず続いていたが、それが突然、消えた。
・・・爆発音。・・・継続する爆発音。・・・一連の爆発。・・・ほかにも身の毛のよだつ爆発が複数。・・・爆風・・・ 遠くで燃え盛る炎。
・・・子どもたちがベッドから飛び上がる。恐がって・・・震え上がって・・・不安そうに・・・どうしたら
よいか分からずに!どこかに身を隠したい、でも、行くところなどないのだ。
まるでマットレスの下で爆発音がしているみたい、今度はどうすればいいの?ただ待つしかないんだ!だが、どうしたら子どもに待つことを納得させられるだろう?しかも、何を待つというのだ? 今度は、救急車と消防車のサイレンが聞こえてくる。それで我にかえる。
私はガザにいて、小さな発電機を動かして、2009年新年に世界に向けてメッセージを書いているのだ。
【メール その21】
日時: 2009/1/3 (土)) 10:29
件名: 私は無事です
今のところ私は無事だ。しかし、私の住む地区に対する空襲はこの10分間で9回、最悪の事態を誰もが予期している!
午前3時から4時のあいだに、ガザ市内の複数の目標に対して10回の空襲があった。イスラエルの軍艦からも砲撃があった。
地元の漁船10隻以上がその場で炎上した!
午後、イスラエルのラジオが、攻撃目標になっているガザ地区の36カ所を発表した。
ガザ市東部の南北を結ぶ橋もあったし、ラファのガザ空港もあった。
事態は悪化の一途をたどっている。今にも地上攻撃が始まりそうだ!
もう電気も水もない。ディーゼル[発電機の燃料]もほぼ尽きた。
外出も無理だ。
攻撃初日からずっと家にいる(今日ですでに8日。あと何日この状態が続くのか…)
神の祝福がみなさんすべてにありますように。
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2009年01月02日
ガザからの決死のメール(TUP-Bulletinより転載)-2

TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載(続)。
ガザのアル=アズハル大学芸術人文学部英語学科アブデルワーヘド教授が、連日の空爆、砲撃で電気も途切れたなか、ディーゼル自家発電でメール発信しているもの。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学芸術人文学部英語学科)
岡真理さんによる翻訳・注を転載:
【メール その14】
日時: 2008/12/30 (火) 18:27
件名: 12月30日夜のガザの爆撃
2008年12月30日、ガザは 5分間で20基のミサイルによる爆撃。
同夜、ほかにも20ヶ所が攻撃される! 添付の写真は最初の攻撃のもの!
[同写真はゼネラルユニオンの遠藤礼子さんのご協力でリンク ]
パルテル[パレスチナの電話会社]の録音メッセージが、パレスチナの外から電話や携帯にかかってくるガザ市民に対する脅迫電話に注意するよう顧客に警告している!
分からないが外部の誰かが私に電話をかけてきていた。だが携帯は電気がないため使用不能で、発電機を作動させるのは、外界に発信するためだ。
さまざまなイスラエル無人機が私たちの頭上から立ち去る気配は全くない。
たった今、付近のどこかが攻撃された。爆撃が膨大な回数に及ぶため、どこに着弾したか、もはや見分けることができない。
ガザ市内だけでこの状態だ。ほかの地域は言うまでもない。
地元メディアのニュースによれば、イスラエルの地対地ミサイルがアル=ブレイジュ難民キャンプに、また砲弾が何発かハーン・ユーニス東部に撃ち込まれたという。ガザ・ワーディ東部では(ガザ・ワーディは小さな村)、民家が 1軒、爆撃された。爆発で 2人が亡くなり、ほかは負傷! 公式発表では死者数は 390に達し、負傷者約1800人、うち子どももふくめて民間人の数は膨大だ!
アル=カッサーム旅団が今、記者会見であらためて闘いの誓いを立てている。イスラエル航空機および無人機が空で広範囲にわたり活動しているにも
かかわらず、同旅団は 150発のロケット弾を発射したと発表した。
ハッピー・ニュー・イヤー!
【メール その15】
日時: 2008/12/30 (火) 20:59
件名: 爆撃、再び!!!!!!!!!!!!
今晩の猛爆撃がたった今始まり、民家や政府関連の場所が狙われている。
テル・エル=ハワが標的になるのは 2度目! ベイト・ラヒア、ジャバリーヤ村、ハーン・ユーニス、ラファにも襲撃。
イスラエルはラファ国境地帯のトンネル 200本を破壊と発表した。
ある男性は初日の攻撃のなかで行方不明となり、家族は3日間、喪に服した。今日、その男性が命をとりとめ、シファー病院の集中治療室にいることが判明した。スドゥキ・ハンマードだ!
これ以上、新たな波状攻撃について伝えることができない。
民家一軒が今まさに燃えている! ぞっとする!
【メール その16】
日時: 2008/12/30 (火) 23:56
件名: 爆撃、再び!!!!!!!!!!!!!!
ミリヤム・クック先生(デューク大学)、ご厚意と心からのお気遣い、感謝します。幸いなことに、ほんの 10分前に、この 5日間で初めて電気が復旧した。
ガザは今、午前零時。無人機の唸る音が耳障りとはいえ、ミサイルがそこらじゅう、目と鼻の先からはるか彼方まで雨あられと降り注ぐことに比べれば何でもない。
20分前、付近で軍用ヘリによる攻撃があったが、どこだか場所を特定できない。燃えた家は、近所にある政府関係の建物の近くだ。
私の住むテル・エル=ハワーは政府関係の建物が数多い地域だ。
それらの建物の多くがすでに一度ならず攻撃を受けている!
今やガザの 80%が停電している! 実を言えば、ガザのいたるところでパニックが起きている。数多くの民家が、意図的かどうかは別にして、攻撃を受けたからだ。
ガザに対する今回の軍事攻勢で 42人の子どもが殺された。これらの子どもがハマースの活動家でロケット弾を発射しているというのだろうか!
ハマースのアル=カッサーム旅団の 1万2千人の強者はまだ何の戦闘もしておらず、依然、強固なままのはずだ。
一方、主たる犠牲者は警官隊、民間の労働者、そして子どもや学生をふくめた無辜の人々だ。
イスラエルが攻撃しているのはホテル、スポーツセンター、無人の家、そして政府関係の建物、たとえばパスポート発給事務所、税関や税務に使われている建物などである。イスラエルは庁舎や、ガザではまだながら他の町や村々の役所を攻撃している。また 10のモスクを狙い撃ちし、うち 6つは完全に破壊された。だが、いずれの場合も、モスク周辺は著しい被害を被った。ジャバリーヤ難民キャンプではある家族の姉妹 5人が、モスクの壁が崩れ落ちた時に瓦礫の下敷きになって殺された。
世界じゅうの人々が、ムスリムの国々でさえも、楽しい時を過ごしているはずのクリスマスの時期に何が起きているのか、誰かが伝えねばならないことが多くある。これはそのごく一部である。
みなさんが楽しいクリスマスと良いお年を迎えられますように。
【メール その17】
日時: 2008/12/31 (火) 08:29
件名: 雨のガザで軍事行動!
ガザ地区では何時間も雨が降り続いている。
この新たな状況を受けて、イスラエルの無人機、無人飛行機およびヘリコプターが空から姿を消した。
だが、イスラエルの戦車および大砲から何回にもわたって砲撃がある! とはいえ、私たちは睡眠を中断されずに何時間か眠ることができた!
子どもたちは緊張と恐怖と不安からわずかながら解放された。
ガザは見捨てられた街のようだ!
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2009年01月01日
ガザの人々はどのような新年を迎えているか
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2008年12月31日
ガザからの決死のメール(TUP-Bulletinより転載)

Google Earth、ガザ市内とモスクの画像
TUP(Translators United for Peace=平和をめざす翻訳者たち)のメール配信「TUP-Bulletin」に、ガザからのメールが翻訳掲載されている。
ガザのアル=アズハル大学芸術人文学部英語学科アブデルワーヘド教授が、連日の空爆で電気も途切れたなか、ディーゼル自家発電でメール発信しているもの。
原文: Prof. Abdelwahed (ガザ・アル=アズハル大学芸術人文学部英語学科)
岡真理さんによる翻訳を転載:
【メール その1】
日時: 2008/12/27 (土) 13:03
25の建物がイスラエルに空から攻撃された。それら建物はすべてぺしゃんこにされた。死者はすでに推定250名に達する。負傷者は何百人にものぼるが貧弱な設備しかないガザの病院では、彼らは行き場もない。電気も来ないが、ディーゼル発電機でなんとかこれを書いている。世界にメッセージを送るために。携帯電話もすべて使用できない!
【メール その2】
日時: 2008/12/27 (土) 18:03
件名: 27日午後6時
なんという光景だ。数分前、パレスチナ側のカッサーム・ロケットが飛んでいく音が聞こえた。続いて、もう一つ、そして爆発音。
2発目は、パレスチナ人を標的にしていたイスラエルの機体から爆撃されたものと思われる。今、聞いたニュースによれば、イスラエルのアパッチ・ヘリが攻撃したのは、釣堀用の池のあるレジャー施設だという。シファー病院は、195人以上の遺体、570人以上の負傷者が同病院に運ばれていると声明を発表している。刻一刻と死傷者の数は増え続けている。これはガザ市だけの数字だ。ほかの町や村、難民キャンプからの公式の発表はない。
自宅アパートの近くで末息子がスクール・バスを待っていたところ、以前、国境警備局があったところが攻撃された。息子が立っていたところから 50メートルしか離れていないところで、男性二人と少女二人が即死した!
真っ暗な夜だ。小さな発電機を動かして、インターネットを通じて世界に発信している。
【メール その3】
日時: 2008/12/27 (土) 20:03
件名: 27日午後8時
今宵、ガザの誰もが恐怖におびえている。完全な暗闇。子どもたちは恐怖で泣いている。死者は 206人。遺体はシファー病院の床の上に横たえられている。負傷者は 575名をうわまわるが、同病院の設備は貧弱だ。病院事務局は市民に輸血を要請している。教員組合は大虐殺に抗議し 3日間のストライキを決定。たった今、イスラエルの機体がガザ市東部を爆撃、大勢の人々が死傷した。
犠牲者の数は増え続けている。瓦礫の下敷きになっている人々もいる。ある女性は二人の幼い娘と一人の息子を亡くした。通学途中だったところを!
メール その4】
日時: 2008/12/27 (土) 23:09
件名: 27日午後11時
11:00 pm。イスラエルの F16型戦闘機による、複数回にわたる新たな空襲。ガザでは視聴できるテレビ局は 3局だけ、それも電力をなんとか確保できた場合の話だ。空爆はガザ市東部に集中。
ある女性は家族のうち10人を失った。生き残ったのは彼女と娘一人だけだ。娘はメディアに向かって、何も語ることができなかった。何が起こったのか見当がつかない、と彼女は言う。
町のいたるところでパニックが起きている。事態がさらに悪化するのではないかとみな、恐れている。
エジプト、ヨルダン、レバノンで、この残虐な空爆に対するデモが行われた。死者数は、219以上にのぼる。225という説もある。
【メール その5】
件名: 空襲下、冷たく暗闇のなかで
冷たい夜だ。とりわけ爆破のせいで窓ガラスが砕け散った家に住む人にはなおさらだ。ガザの封鎖のため、窓ガラスが割れても、新たなガラスは手に入らない。私が居住するビルでは、7つのアパートが、凍てつく夜をいく晩もそうした状態で過ごしている。彼らは割れた窓をなんとか毛布で覆っている。何百軒もの家々が同じ境遇に置かれているのだ! それも控え目に言っての話だ。
他方、ハニーエ氏は地元テレビでハマースについて話をした。彼の話は、士気を高め、ハマースは屈服しないということを再確認するものだった。
死者の数は210に、重傷を負った者も 200人に達した。
今また、ガザの北部で新たな爆撃が!
【メール その6】
日時: 2008/12/27 (土) 23:40
件名: ガザに対するイスラエルの攻撃を中止させる行動を!
今、10分のあいだに 5回の空襲!
標的は人口密集地域の協会や社会活動グループ。モスクもひとつやられた。
私のところではもう 30時間、電気が止まっている。
なんとか小さな発電機でこらえている。インターネットで世界に発信するために!
【メール その7】
件名: イスラエルから脅迫電話が!!
今しがた、イスラエルから何者かが電話してきた。
末息子が応答したが、電話の主は、私が武器を所有しているなら、住まいを攻撃すると脅しをかけてきた!!!!!
【メール その8】
日時: 2008/12/28 (日) 18:45
件名: 今のところ無事だが……
大切なレイチェルへ
私も家族も無事だが、緊張が続き神経がすり減っている。依然、電気は止まったままで、おまけに自家用発電機にもトラブルがあった。
2時間前、隣の建物がヘリから小ロケット弾を食らった。標的はアパートの 7階。私の自宅は 4階にある。それから、通りの向かいにあるアパートの 5階も攻撃された。耐え難い状況だ。
住民は正真正銘のパニックになっている! 昨晩、F16型戦闘機がアル=アクサ衛星放送局を攻撃し、粉々にした。周囲のビルも多くが居住不可能になってしまった! ビルの持ち主も住人たちもビルを見捨てて、どこかよそへ移る羽目になった! シファー病院の向かいにある小さなモスクも粉々になり、その攻撃のせいで周りの住宅も深刻な被害を受けた。私の友人の家もその一つだ。
自分が目にしたことはほとんど言葉では言い表せない、とにかく家はひどい被害に見舞われた、と彼は言う。また、彼の 56歳になる姉[または妹]は重傷を負った! さらに政府の主要庁舎(アル=サライヤ)もやられた。英軍が委任統治時代に建設した建物だ。
なかでも標的になったのは刑務所だった! 収容されているのは一般の囚人や政治犯だというのに。
マスコミは死者280人、負傷者1000人以上と報道しているが、シファー病院の医師として働く私の友人の一人は、死者は約500人にのぼる、と教えてくれた!
今、ラファの国境地帯で攻撃はエスカレートしていて、イスラエル空軍はラファの[地下]トンネルを破壊するための作戦を展開している。何百人ものパレスチナ人がブルドーザーであるいは徒歩でエジプト国境に怒涛のように押しよせているが、エジプト側の容赦ない発砲に遭って、誰も国境を越えられないでいる。
【メール その9】
日時: 2008/12/28 (日) 20:08
件名: 今のところ無事だが……
数分前、複数の地点を狙ってまた空襲があった。死傷者多数。
私の自宅の窓ガラスも砕け散った。
税関事務所と入国管理事務所も先刻、破壊された。軍用機やヘリがいまだ上空で作戦を継続中。
【メール その10】
日時: 2008/12/28 (日) 22:12
件名: 破壊
F16型戦闘機がガザの公安関係で最大のビルを破壊した。その一帯はアラファトの身辺警護のために欧州連合[EU]が建設したものだ。4発のミサイルを受けてビルは粉々にされた。
各地の警察署も攻撃され、今日、すべて破壊された。
230の地点がイスラエル軍用機の標的になっているという話だ。
今日の攻撃で、子どもを含む大勢の民間人が死傷した。ラファの国境地帯ではパレスチナ人が一人射殺された。さらに発砲があり、エジプト人官憲が一人撃ち殺された。国境の状況も最悪だ。イスラエルによる地上攻撃もありうる!
【メール その11】
日時: 2008/12/29 (月) 13:09
件名: ガザへの攻撃、引続く!
昨晩、ガザ市内だけで20カ所が空襲された。爆撃について私が知るかぎりのことをお伝えする。
1) 自宅近所に 3回目の攻撃。元公安局。うちミサイル 1基が不発のまま、自宅アパートのあるビルの正面、救急ステーションから数メートルのところに落ちる。
2) ガザのイスラーム大学の主要校舎二つが粉々に。建物の一つは実験室棟、もう一つは講義棟。いずれも地上4階、地下1階建て。
3) ビーチ難民キャンプ、イスマーイール・ハニーエ氏の住まいの隣家が空と海から同時攻撃され崩壊。
4) モスク 2つが空襲され粉々に。中にいた10人が死亡、うち5人はアンワル・バルーシャ氏の娘たち。自宅が危険なのでモスクに避難していたのだろうか。これで、破壊されたモスクは計6つに。
5) 内務省のパスポート局の建物が今朝、破壊された。
6) 文化省のビルが今朝、こなごなに。
7) 首相執務室のビルが空襲され完全に破壊された。
8) 民事行政の主要ビルは完全に破壊されている。
9) 地元メディアが報道していなくて私も把握できていない複数箇所に何度かの攻撃が実行されている。夜間、ヘリコプターが複数回にわたり攻撃するのを目撃。
10) ジャバリーヤ青年スポーツセンター(UNRWAの施設)が、上空から直撃された。
11) サライヤ政府センター近くの空き家が空襲され破壊。
12) ゼイトゥーン地区で移動中の車体が攻撃され破壊、男性 2人、子ども 1人が死亡。
13) 下校途中の高校生の姉妹 2人が、空爆を受けともに死亡。
14) いくつかの警察署が再度、攻撃される。
15) イスラエルはジャーナリストおよび記者に対し自宅もしくはオフィスにとどまること、従わない場合は攻撃目標にすると公式に伝達。ガザで起きていることをメディアに報道させないためだ。
16) 病院二つが標的に。ファタ病院はまだできたばかりで操業していなかったが、空から攻撃された。もう一つはテル・エル=ハワーのアル=ウィアム病院。この小さな個人経営の病院も標的にされた。
17) ベイト・ハヌーンの庁舎が昨晩、破壊された。
18) ラファの自治体のビルが昨晩、破壊された。
19) ラファの庁舎が昨晩、標的にされた。
20) ラファのハシャシュ地区が昨晩、二度にわたり攻撃された。いずれもミサイル 2基によるもの。2度目の着弾では周囲15軒の家が破壊された。同攻撃により多数の死者が出た。
21) ゼイトゥーン地区の遊び場にミサイル一基、着弾。
22) ラファ国境地帯にある40個の[地下]トンネルに対しイスラエルは空から攻撃、そのすべてを破壊した。
23) ビーチ難民キャンプの警察署が完全に破壊された。
24) エジプトのガザ元総督の邸宅も空と海からミサイル攻撃を受け完全に破壊された。
【続報】
ガザにある負傷者のための民間協会が破壊された。アル=ファラフ慈善協会が使っていたガザとハーン・ユーニスの二つの建物も破壊された!
【続報2 (日時: 2008/12/29 (月) 13:56)】
数分前、ウンマ大学の新しくとても小さな校舎が攻撃を受け、破壊された。
【メール その12】
日時: 2008/12/29 (月) 19:06
件名:クリスマスのガザを襲うイスラエルの戦争!
今日、エジプトで、イスラエルのガザ侵攻に抗議する大規模な民衆デモ。
今日、ガザ侵攻に抗議するパレスチナ人(イスラエルの1984名のアラブ系市民)による複数のデモ。イスラエル警官40人が負傷、140人のパレスチナ人がイスラエル警察に逮捕された。
イスラエル軍から今晩シファー病院の病棟 1棟を爆撃するという脅迫電話。さらに多くの人々が正真正銘のパニック状態に陥る。
アラブ連盟は、次の金曜に開催予定だった≪緊急非常≫サミットを日曜に延期。
【メール その13】
日時: 2008/12/30 (火) 12:59
件名:ガザ攻撃はハマスに対するものではない、全パレスチナ人に対するものだ
ガザ地区に対する急襲はなおも続いている。ハーン・ユーニスにさらなる襲撃。昨晩は10回以上。うち 2回はハーン・ユーニス自治地区の建物に対してだった。ガザ市では、シュジャイヤ地区(ガザ市東部)の古いモスクが攻撃され破壊された。ガザ北部では、ロバに引かれた荷車が空襲され、避難途上の一家が殺された。
皮肉なのは、発表によれば、攻撃されたのはグラード・ロケットを積載した車だという! 実際は、不運な一家が家財道具を積んだ荷車をロバに引かせていただけだ!
毎時間、イスラエルの爆撃でさらなる数の民間人が死んでゆく。
イスラーム大学が再び襲撃され、かって予防安全保障局として使われた構内一帯にも再攻撃があった。アル=アズハル大学の校舎も被害に見舞われた。
イスラエルの航空機が今も頭上を飛びかっている。
今晩もガザに対してさらなる攻撃があるにちがいない! ガザのパレスチナ人は対空兵器など何一つ持ってはいないというのに!
これが年明けだ。
これが「ハッピー・ニュー・イヤー」、
そして失敗に終わった恥知らずのブッシュ政権とその民主主義が私たちに贈るラスト・メッセージなのだ!
昨日、カイロで大規模なデモがあった。
デモ参加者が叫んだのはムバーラク大統領を非難するスローガン、いわく、裏切り者ムバーラク、ムバーラクに死を、イスラエルはナイルの地から出て行け、などなど敵意に満ちた言葉の数々だった!
12 31, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年12月30日
ガザの人々のことを想う


3日連続の空爆でガザでの死者は300名を超えた。
来年2月に総選挙をひかえ、オバマ就任以前に既成事実を作ってしまいたいイスラエル政府は、ガザ地区への地上軍での攻撃準備に入った。
アメリカはハマスのロケット弾攻撃が原因などというが、そんなものはイスラエル軍のアメリカ製F16戦闘機やアパッチ攻撃ヘリの爆撃などに比べれば単なるデモンストレーションにすぎないレベルのものだ。
高校生時代から、パレスチナの問題には関心を抱き、さまざまな本や映画や写真集に接してきた。
今あらためて、さかのぼれば3000年以上にわたる歴史を学び直し、この地の人々と連帯したいと思う。
DAYS JAPANのブログ『DAYSから視る日々』
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2008年12月29日
ガザへの空爆と第三次インティファーダ(民衆蜂起)

『リウスのパレスチナ問題入門ーさまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』(RIUS/山崎カヲル訳/第三書館)より
『占領ノートーユダヤ人が見たパレスチナの生活』(エリック・アザン著/益岡賢=訳/現代企画室)を読み始めているとき、イスラエルのガザへの空爆攻撃のニュースに接する。
イラク、アフガニスタンに加え、「イスラム原理主義過激派」とアメリカとそれに追従するマスメディアが決めつけるハマスが提唱する「第三次インティファーダ(抵抗運動)」に対して「テロとの戦争」という位置づけをするならば、オバマは泥沼にはまるだろう。

『占領ノートーユダヤ人が見たパレスチナの生活』(エリック・アザン著/益岡賢=訳/現代企画室)より

『リウスのパレスチナ問題入門ーさまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』よりイギリスの思想家バートランド・ラッセルのことば
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2008年12月06日
「オ"バ"マ」はなぜ「"オ"バマ」になっているのか?

林望先生の『日本語は死にかかっている』(NTT出版)は示唆に富み共感するところも多いのだが、そのなかに「下品なアクセント」という項があり、「近頃は、何でも尻上がりに発音する、いわゆるおっつけ型アクセントになっている」とある。
例として、昔は「ギター」と言っていたのが「ギター」になり、「ドラム」は「ドラム」、「ドラマ」は「ドラマ」になりという具合。
アクセント、あるいはイントネーションは、どの言語でも時代のなかで変化していくことは林望先生ももちろん認めている。
しかし、ギターもドラムもドラマも今の方が元の英語のアクセントに近いという面もあり、『ギターを持った渡り鳥』(小林旭主演・1959)ではたしかに様にならないが、日本では昔はこうではなかった、正しくはこうだと若者に「ちゃんと言い続ける責務がある」というのは(あげた例がよくないせいなのかもしれないが)少し筋違いで林望先生と同世代の私からみても説得力がない。
で、その「尻上がりに発音する」「おっつけ型アクセント」の近頃の傾向に反する「オバマ」はなんなのだろう。
アメリカのニュースの音声を聴いていれば「オバァマ」(低-高-低)であるのは明らかであるのに、日本のマスコミ(TV)ではなぜ「オバマ」(高-中-低)になったのか。
便乗している「小浜市」とか「小浜温泉」とか言うときの「オバマ」(低-中-中)の方がまだ近い。
「低-高-低」が日本人には発音しにくい、などということはないだろう。
そもそも「日本」が、「ニホン」であり、かすかではあれ「低-高-低(ないし中)」だ。「ニホン」だったら「二本」になってしまう。
なぜオバマがオバマになったのか、そしてどうしてそのままになっているのか、TV業界の方、教えて。
12 6, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年11月27日
『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(町山智浩/文藝春秋)

カリフォルニアに1996年以来住むコラムニスト、映画評論家の町山智浩さんのアメリカ観察はとてもおもしろく、アメリカ日記も愛読している。
『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(町山智浩/文藝春秋)は、「普通の」アメリカ人の大半が、自分の街やせいぜい州(日本の”道州制”などとはちがい”State”だから本来ひとつの”国家”ではある)程度の範囲のことにしか興味関心がなく、世界はおろか自分の国(the United States of America)のことですらほとんど知らないこと、それはどうしてなのか、その結果どういう国になっているのか、それでも希望はあるのか、という根本的な問題を具体的なニュースや筆者自身の経験から描き出している。
別にユーモラスに書こうとしているわけではないのだが、日本のTVのバラエティやクイズ番組のおバカキャラなど目じゃない、あまりに私たちの常識とはかけ離れている普通のアメリカ人の無知と「知ろうとしない」姿に、いたるところで思わず笑ってしまい、また怖くもなる。
タイトルの『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』は別に冗談ではなく、権威あるナショナルジオグラフィック協会(月刊誌『ナショナルジオグラフィック』で有名)が18〜24歳のアメリカ人に対して行った調査(2006)によるもの。
「覇権国家アメリカ」の、まあ今では危うくなっているにしても、その次代を担う彼ら彼女らの半数がニューヨーク州がどこにあるかさえ示せなかった。
アメリカ以外の海外についてはもっとひどい。
世界地図をみても、自分たちが戦争をしかけ占領しているイラクを63%は分からない。オバマが「主戦場」と唱えているアフガニスタンにいたっては88%が知らない。
TV番組では、「悪の枢軸」のひとつとされるイランはどこですかと街頭インタビューされて、紳士が地図で指差すのはオーストラリア。
”アメリカが外国に戦争をしかけるのは地理の勉強をするため”というジョークがあるのもうなずける。
「パスポートを持っているアメリカ人は国民の2割にすぎない。他の8割は外国に関心がない。彼らが外国の土を踏むのは、銃を持って攻め込む時だけだ」
筆者は、アメリカ人の三分の一を占めるキリスト教福音派(「聖書以外を信じるな」「進化論は悪魔の嘘」「中絶は殺人」「ゲイは地獄に行く」などがスローガン)の狂信的かつ反知性的な姿とそれによる教育、これを大きな支持基盤とし、大企業、富裕層、ハゲタカ金融資本を優遇野放しにし、デタラメな戦争をしかけたネオコン、軍産複合体とその操り人形ブッシュと腐った政治、これとつるみ、嘘とデマゴギーをまき散らすメディアの姿を活写する。
この国に希望はあるのか?
ないわけじゃないという。
なぜなら「どこの国よりも激しく、その血を入れ替え続けているからだ」。
「カミさんの会社の同僚のホーム・パーティーに行けば、韓国、インド、ロシア、フィリピン、ドイツ、ブラジル……。世界じゅうの家庭料理が持ち寄られ、いろんな訛りの英語が飛び交う。…
最先端のビジネスの職場はどこもこんな風にマルチ・ナショナルでマルチ・エスニックだ。
一生に一度も外国に行かず、外国について何も知らず、聖書以外の価値を否定する”ブッシュ的”なアメリカ人たちのいっぽうで、こんな虹色のアメリカもある」
「ウチのご近所さんや娘の学校の友達の親たちは、イラン、クウェート、アフガニスタン、中国、台湾、モンゴル、チベット、韓国、インド、パキスタン、バングラデッシュ、ラオス、ベトナム、タイ、インドネシア、メキシコ、エルサルバドル、グアテマラ、ロシア、ウクライナの人たちだ。母国同士が対立していても、ここではみな隣人で、結婚したりもする。世界各国の事情は遠い外国のことではなく、常にご近所の問題として感じられる。
ここに住むことは”世界”に住むことだ。だから、もうしばらくここにいようと思う」
オバマの勝利は、この虹色のアメリカの勝利でもある。
11 27, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年11月21日
誤報のおわびの表現と校正・校閲

毎日新聞が11月19日朝刊で、元厚生事務次官宅が相次いで襲われたことに関して「ネットに犯行示唆?」という誤報を掲載した。
ネット上の「ウィキペディア」に犯行前に、暗殺という書き込みがあったというもの。
「ウィキペディア」の更新日時はデフォルトでは「協定世界時(UTC)」という時刻で表示される。
日本標準時(JST)はこの協定世界時より「9時間進んでいる」。
で、「+0900(JST)」のように表記される。
ところが、毎日新聞のお詫びでも、それを報じた産経等のニュースでも「日本標準時よりも9時間遅い”協定世界時”で判断したのが間違い」と述べられている。
「遅い」という表現で、この誤報の原因が伝わるのだろうか?
そもそもの誤報を含め、一昔前の大新聞社だったら絶対チェックが入ったと思う。
あきらかに校正・校閲部門の弱体化が進んでいる。
外注・下請けにまかせている日本の新聞社のウェブサイトの校正・校閲のお粗末さはまた別に記す。
『週刊文春』11/20号のエッセイ「福岡ハカセのパラレルターンパラドックス」に『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一/講談社現代新書)の校正プロセスのエピソードが記され、ふだん普通の人は知るよしもない校正・校閲者の世界が活写されているので記しておく。
筆者が初めてニューヨークで研究生活を始めたとき、観光船に乗り次々と現れるマンハッタンの偉容をノルタルチックにふりかえる場面の文章。
ゲラ刷にバーンとマンハッタンの地図のコピーが貼られ、文中ふれたビルの位置がマークされている。
「見える順番が違います」という校正者のメモ。
新聞社、出版社の校正・校閲者というのは、単に表記上の間違いなどを見ているわけではない。
表には絶対に出てこないが、「広辞苑の間違いを見つけるのが無上のヨロコビ」だというような驚くべき博識な人たちであり、また「調べるすべ」を知っている人たちだ。
「彼ら・彼女らを特徴づけているのはその視点である。さらにいえばその視点の深度にある。校正者さんは、執筆者のように自己陶酔していない。編集者のように社交的でもない。読者代表でありながら、ストーリーに没入することを自ら禁じ、かといって表層的な書き間違いや表記の不統一だけを探しているわけでもない。深すぎず・浅すぎず、一定の深度を保ちつつ、水中のタナをスキャンして魚を探る熟達の釣師のような存在なのだ。
書き手、編集者、校正者。この間のてまひまが活字というものを支えているのである。」
11 21, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年11月19日
麻生首相と漢字テスト比べどう?-2

前回の麻生首相と漢字テスト比べどう?で出てきたものを含めて再度、麻生首相と漢字テスト比べ。
行きつけの上野毛「味喜」で、高卒、現専門学校生、22歳のフツーの女の子Aちゃんに聞いてみた。
9問中6問正解。
はい、上記で正しい読みはひとつもありません。
しかし「ふしゅう」という読みはすごいね。
「村山談話を踏襲(とうしゅう)」は歴代の首相や官房長官がくどいほど(無内容にだが)繰り返してきた言葉だよ。
「踏む(ふむ)」からきてるのか。
質問した社民党福島党首がこの答弁の意味を理解できかね(当たり前です)、「村山談話」は「腐臭」をはなっていると言っているのかとか頭の中で「?」が渦巻いたことが察しられる。
「ようさい」は「羊」が入っているからか。なにか漢字についての想像力が膨らむ。
「有」をすべて「ゆう」と読むと、「有事」「有識者」あたりはいいとして、これまで出てきていないが「希有(けう)」などは麻生的には当然「けゆう」とか「きゆう」となるんだろう。
「それは杞憂(きゆう)な例にすぎません」などと答弁されたら、ちょっと思考が止まる。
「天地有情(うじょう)」は「友情」となって、まったく違うストーリー展開になる。
物見遊山(ものみゆさん)は政治家やお役人の税金を使っての視察旅行のこと(違います)だが、「ものみゆうざん」といわれると、「美味しんぼ」の「海原雄山」のような重々しい趣きがあってよい。
しかし、国会の正式議事録には書記が苦労して推測したり元原稿と照らし合わせたりして正しく表記されているようです。
日本の未来はうぉぅうぉぅうぉぅうぉぅ…
11 19, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年11月14日
麻生首相と漢字テスト比べどう?

電車の中の中学、高校受験向け塾の広告のようだが、以下の読みはどちらが正しいか?(夕刊フジ11/14等より)
「頻繁」=はんざつ or ひんぱん
「未曾有」=みぞゆう or みぞう(みぞーう)
「踏襲」=ふしゅう or とうしゅう
「詳細」=ようさい or しょうさい
前のものが麻生首相の読み。
いずれも公の場での発言。
後ろがもちろん正しい読み。
日中首脳の交流関係が「頻繁(ひんぱん)」なのかと「煩雑(はんざつ=込み入ってごたごたしている)」なのかではまったく意味が違うではないか(日中交流行事で両国首脳の関係についての発言)。
「みぞゆう」「ふしゅう」は国会での答弁。
「ふしゅう」は参議院本会議、予算委員会と日をおいて繰り返している。
侵略戦争と植民地支配を中国、アジアの人々に謝罪した村山富市首相談話を「ふしゅう」するというようではその精神を「踏襲(とうしゅう)」できっこない。
国会では、昔は「速記者」というのがいて、早稲田式とかいろいろあり若い頃興味を覚えたことがあるが、今は形式上書記はいるにしてもデジタル録音が元になるのだろう。
しかしそれを録音起こしする人はいるわけで、類推し、間違いはなかったことにして正しくみえる公式記録にしなければならない彼ら彼女らの当惑と苦労が思いやられる。
それにしてもこの歳になるまでこのお坊ちゃまに注意する者は誰もいなかったのか?
てゆ〜か、なんてえの、かなり大人になっても間違ったまま思い込んでる読み方ってなんとなくあるだろ。
しかしふつうはどっかで自分で気がつくよな。
あ、なんかマンガばっか読んでてもやっぱ駄目か。
過去記事:
「なんとなく」「なんてえの」「なんか」…
11 14, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年11月09日
ジーンズのポケットの中の手紙



スーパーでも大規模衣料品店でもブランドショップでもいい、安いだとか気に入ったとか一本のジーンズを買って家に帰り、ポケットのなかに一通の手紙が入っているのを見つけたらどうだろうか。
このジーンズを作った中国の工場のまだ童顔の16歳の少女からの手紙。
それはたとえば無農薬有機栽培にこだわり、丹誠込めて私たち夫婦がこの野菜をつくりました、という生産者のネーム入りカードとはまったく異なる背景を持っている。
この少女は、過酷な労働の実情を訴えたいわけではない。
いやもちろん訴えられれば訴えたいがそんなことはできない(今の中国で労働組合の結成や運動は認められていない)。
それ以上に少女は純粋に知りたいのだ。
「オービットがファスナーを付け、私ジャスミンが糸を切りました。これをはくあなたはどんな人なのでしょうか?
もしよかったら手紙をください。
中国広東省○○市○○工場気付ジャスミン・リー」
自分たちが毎日作っているジーンズが見も知らず知識もない外国に運ばれ、こんな巨大なXLサイズを買ってはく人と生活と人生をまったく想像できない。だからこそ知りたいしコミュニケートしたいのだ。
少女はこの夢を同僚に語るが、そんなことをしたらバイヤーにすぐ見つかって即クビだよと諭される。
『女工哀歌(エレジー)』(原題:China Blue/監督:ミカ・X・ペレド/2005)を渋谷イメージ・フォーラムで最終日に観る。
ミカ・X・ペレドはスイス生まれ、イスラエル育ち、様々な職業を経た後ドキュメンタリー映画作家となる。
観ていないが前作で『Store Wars: When Wal-Mart Comes to Town』(2001)を作り、世界最大のスーパー「ウォルマート」(売上高は世界20位以内の国家GDPに匹敵する)が地方都市に進出することで生まれる葛藤を描いた。
その後「ウォルマート」のような小売り企業がどうやって安い商品を作っているのかを探り、中国のジーンズ縫製工場をテーマに選ぶ。
この撮影が、「児童労働」「労働搾取工場(Sweatshop)」といっていい実態を知られる事を恐れる中国政府当局、作らせている「ウォルマート」のようなグローバル企業、現地工場のいずれからもの拒否、妨害にあい至難の極みだったことは想像に難くない。
結果としてこれだけの密着したドキュメンタリー映画が完成したことが奇跡に思われる。
当初撮っていた主人公に据えた少女の映像は中国当局にフィルムを没収され、少女もおびえ、別の設定にして撮り直さざるをえなかった。
再度据え直した主人公ジャスミン・リーも後半では接触を断たれ、彼女の発言は吹き替えで作られたという。
水牛が田を耕し、アヒルや豚を飼ってなんとか生活している四川省の農民に二人目の娘を上級学校に入れさせる資力はない。
16歳のジャスミン・リーは広東省の工場の募集広告を頼りに、ショルダーバックとポリバケツに身の回りのものを詰め、汽車で2日間をかけ工場にたどり着き門をたたく。こちらで募集していませんか。
1億数千万ともいわれる農村から都会への「農工」の一員。
ジーンズ縫製工程の細かく残った余り糸を切りはらう仕事。
工場内の4階建て寄宿舎。一部屋に12名が2段ベッドで寝起きする。
作業開始朝8時、終わりは…納期によってわからない。
私語が禁じられている職場でかすかにかわすことばは例えば「今日やっておかないと、明日はもっときついよ」。
「午前3時」の灯りが付いた仕事場。交代の夜勤者ではない。朝から働き詰めなのだ。
わずかな休憩時間にジーンズの山のなかに倒れ込む少女たち。
過酷な残業と度重なる給料の遅配、恣意的な理由をつけた理不尽な罰金天引きなどにとうとう少女たちは罷業におよぶ。
経営者に詰め寄る先頭にたっていたのはわずか14歳の子だった(中国では表向き15歳以下の雇用を禁じているが、偽造IDは簡単に手に入り、経営者も黙認する)。
少女たちの月給(払われれば)は約3,000円からよくて7,800円ほど(歩合給)。
食費、寄宿費、罰金その他良く分からない費目でも引かれ、故郷への仕送りもままならない。
15〜16名ほどでつくるジーンズ1本あたり、彼女たちが受け取る賃金はあわせて約100円。
1人あたりでは約8円弱。
コンテナに積まれ、たとえばLAのウォルマートで開梱され無造作に「Sale」の貼紙がされるとき20〜40ドル(2,000円〜4,000円)となる。
早期退職を防ぐため、初めの月の給料は留め置かれる。
正月の帰省の交通費もないため寄宿舎でじっと涙をこらえるジャスミンの姿が哀しい。
束の間、街に出かけ、友達と一緒に故郷に送るためのポラロイド写真を40円ほどで。
安っぽい中国庭園の絵の背景で同じく安っぽい赤いチャイナドレスの貸し着姿。
カメラがダウンすると足元はすりきれたスニーカー…。
ミカ・X・ペレドは当然このような市場至上主義とグローバリゼーションが生み出しているひずみに憤っている。
しかしそれを声高に映像のなかで主張しようとはしない。
それは、毎日、自分のこと、まわりのこと、そして師について修行を積み両親をいじめる悪い役人をこらしめる弟子の夢想のお話を日記に記し続けるジャスミンの姿と、世界を知りたい、つながりたいという彼女のイマジネーションを通して、静かに圧倒的に伝わってくる。
こういう事態を許しているのは誰に責任があるか?
儲かればいいというグローバル企業にあるだろう。きちんと取り組まない政府にもあるだろう、工場の経営者にもあるだろう。
しかし、最大の責任は、こういうことを知ろうという意思や意欲を持たず少しでも安いものやブランドものを追い求め、想像力を働かせない私たち自身にある。
今のところはないだろう。
しかし、買ってきたジーンズのポケットの中にあるかもしれない無数のジャスミンたちの手紙をイマジンし続けよう。
Sweatshop(スウェットショップ)についての過去記事:
「PLAY FAIR プレイフェア」(オックスファム・インターナショナル・オリンピックキャンペーン)
11 9, 2008 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年11月05日
「好戦の共和国」は変わるか?

オバマ勝利の報道に接しながら、『好戦の共和国 アメリカー戦争の記憶をたどる』(油井大三郎/岩波新書)を読んでいた。
「アメリカはなぜ好戦的なのか、デモクラシーの先駆者を自負するのに……」
という根本的な疑問を出発点とし、アメリカ現代史が専門の著者が、恩師・斎藤眞の「建国期をきちんと勉強しないとアメリカは分からない」という教えを思い起こし、植民地、独立戦争から9.11後の現在までの400年をわずか250ページほどの新書ながら総括していて示唆に富む。
「アメリカはデモクラシーの先駆者を自負するがゆえに好戦的なのだ」という答えとの間の歴史の葛藤。
「Change !」「Yes, We Can ! 」のオバマも「対テロ戦争(War Against Terror)」というブッシュが敷いた問題構制は(選挙戦術上だけかどうかはまだ分からないが)継承している。
ついでながら日本の政治家やマスコミは、普通に訳せば「対テロ”戦争”」のはずなのに、「戦争」という言葉を意図的に避け「テロとの”戦い”」などと、あたかも「エイズとの戦い」「貧困との戦い」と同じような比喩的意味に薄めている。
インド洋給油などの民主党の暗黙の了解で進められている「テロとの戦いへの”協力”」は、これも普通に英語に訳せば「アメリカの対テロ戦争への”参戦”」以外のなにものでもない。もちろん「敵」とされている側はそうとらえている。日本国民に「参戦国」という意識はあるか?
大義など崩壊して泥沼化し展望が見えないイラクから16ヶ月以内に撤退するというのは当然としても、「まだ勝利の可能性のある」アフガニスタンを「対テロ戦争」の「主戦場」ととらえ、部隊も増派して完遂するというオバマの公約が絶対に不可能なことを、アメリカ国民は、そして日本国民はまったく考えようとしていない。
11 5, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年10月30日
view red/blue map / SonicLighter/ iPhone



一昨日青い灯(オバマ支持)対赤い灯(マケイン支持)-SonicLighter/iPhoneで、「場合によって家まで特定されてしまうからだろう、詳細Googleマップとは連動させていない」と書いたが、あっさり連動された。
開発元「smule」の「map」を見ると、「view red/blue map」というモードがあり、それに切り替えると赤と青の様相がGoogle詳細マップまで見られる。
下の由比ガ浜の海の中に青く灯っているのがおそらく私の発信。
GPS検知が200mほど外れている。
10 30, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 33. iPhone/iPad の愉しみ | 固定リンク
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2008年10月28日
青い灯(オバマ)対赤い灯(マケイン)-SonicLighter/iPhone


予告通りSonicLighterがバージョンアップされ、青い灯(オバマ指示)、赤い灯(マケイン指示)が地球のマップ上に表示されるようになった。
アメリカは、東部、カリフォルニアでオバマが圧倒、中南部は拮抗だがフロリダは青い灯が多い。
ヨーロッパは圧倒的に青い灯で覆われている。パリはここぞと灯している。
日本も青多数。西端石垣島に赤い灯。
北極海氷原で灯り続けていた灯も青に変わった。
前に書いたようにこれは人数ではなく、一人が1秒間灯すと1J(ジュール)としてカウントされる。
場合によって家まで特定されてしまうからだろう、詳細Googleマップとは連動させていない。
米大統領選とSonicLighter/iPhone
パタゴニアの灯-sonic lighter/iPhone
灯火の共時世界「Sonic Lighter」/iPhone
10 28, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 33. iPhone/iPad の愉しみ | 固定リンク
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2008年10月27日
米大統領選とSonicLighter/iPhone

iPhoneアプリの「SonicLighter」は、ここ3日間、24時間、60分に分けて、このアプリで炎を灯している人をGPSで検知し、地球儀上で(サイトに跳べば詳細なGoogleマップでも)見られるとてもおもしろい試みなのだが、当然それだけではなく、なんらかの意思表示やコミュニケーションに展開する可能性があることは始めから想像できた。
きのうバーションアップし、11月4日に迫った米大統領選、マケインを指示するか、オバマを指示するか、普通の灯をつけるか、という選択が最初に表示される。
マケインを指示するを選択すると灯は赤になり、オバマを選択するとブルーになる。
結果が従来の地球儀上に表示されるかと思ったら残念ながらそこまではいっておらず数値表示のみ。
分布がぜひ見たい。
数日中にまたバージョンアップするというので期待。
パタゴニアの灯-sonic lighter/iPhone
灯火の共時世界「Sonic Lighter」/iPhone
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2008年10月25日
『シューカツ!』(石田衣良)

学生と話していて「シューカツ」という言葉を初めて聞き「?」となったのはいつ頃のことだろうか。
石田衣良は『非正規レジスタンス - 池袋ウエストゲートパークⅧ』で、ネットカフェで夜を過ごし、携帯一本で登録し呼び出され、今日はどこに行かされ何をやるのかもわからないまま西口公園前に早朝並ぶバスに詰め込まれる日雇い派遣の若者たちの世界を描いた。
一方で、今月出た『シューカツ!』(文藝春秋)では、難関のマスコミ就職をめざす学生たちが就職活動を経て悩みながら成長していく姿を描いている。
欧米では不足があれば採用するというスタイルが普通だが、不定期のキャリア採用に力を入れる企業が増えたとはいえ、日本の特に大企業、そして公務員は卒業時に合わせ一斉に多数の新卒新入社員を入れる、という年功序列ー終身雇用時代の仕組みのままだ。
で、「シューカツ」は3年生の間が勝負となる。
大学3年の春、友人たち7名で「全員合格!」を目指す「シューカツプロジェクトチーム」を作る。
情報交換や各自の状況報告、時には愚痴を吐き出す場でもある。
チーム結成式に模擬的にやってみるグループディスカッション(最近の入社試験に多く採用されている)が興味深い。
個人面接では見えにくい、討議を引っ張る力、大局的な判断力、他人の意見をきく力、協調性、情報発信力、調整力、独創性、積極性など、コミュニケーション能力や論理的な説得力とともに、その集団のなかでどういう役割を選ぶか、などの個性が観察される。
「エントリーシート」「OBOG訪問」「インターン」「受付面接」「圧迫面接」…を通して「働くというのはどういうことなのか」を学生は考えざるをえない。
一連の就職試験で試されるのは個性や人柄だけではない。
底知れず求められる知識、雑知識、教養学力から、「あなたはニューヨーク証券取引所でITバブル崩壊を目撃しました。その場面を英語で日本に実況中継しなさい」などという頭が真っ白になる英作文問題…。
身体的な健康や激務に耐える体力は当然の前提で、精神的なタフネスさはもっと重要だ。
プレッシャーに押しつぶされ引きこもりになる仲間と、自分にもまったく余裕は無いが、かわるがわる励ますメンバーたち…。
そう、「シューカツ」は生きることそのものの凝縮。
10 25, 2008 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年10月17日
「なんとなく」「なんてえの」「なんか」…

武田泰淳の名著『政治家の文章』(1960/岩波新書)を読み返すまでもなく、戦前から戦後ある時期までの日本の政治家は、主義主張の違いはあれ、まがりなりにも「弁論」の伝統にのっとり、発することばと演説の文章には最大限配慮し、内実と格調を重んじていただろう。
だからこそ作家の「批評」の対象にもなりえた(最近の「首相」たちの文章は皆ゴーストライラーによるものだから、内容的な批判は別にして、文章的な批評の対象にはまったくならない)。
この間の日本の首相たちが発することばの「存在の耐えられない軽さ」はどうよ。
ワンフレーズで何か自信を持って断定しているようにみせ、内容は別にしてかっこいいなどと惑わせた小泉、まったくことばが空疎だった安倍、慇懃無礼の他人事ことばの福田、を経て今度は「なんとなく」「なんてえの」「なんか」とあいまい、非論理、逃げをうつ麻生ときた。
朝日新聞(10/16朝刊)「“何となく”口癖なんです」という記事。
首相就任から3週間での答弁や取材のなかで「なんとなく」「なんてえの」「なんか」がなんと80回を数えるという。
例をみると唖然とする。
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんとの会話:
「なんてえの、ますますこういったなんてえの、素粒子の理論とか…」
「なんとなく、なんとなく、勉強とか、なんとなく物理とか、なんとなく難しく考えないで、なんか夢を持ったり…」
同じく小林誠さんとの会話:
「なんとなく若い人がちょっと夢がないような話が多いんですけれども、なんとなくこういった地道な研究を頂いた方がノーベル賞なんていうものになりますと、地道に研究した成果がなんとなく努力が実ったみたいな感じがして…」
就任から一夜明けて:
「改めてなんとなく付いてくる人も多いし、大変やなと改めて責任の重さみたいなものを強く感じた」
ここの「なんとなく付いてくる人も多い」は期せずして唯一適切な使い方に結果としてなっている。
しかし責任の重さ「みたいなもの」で馬脚をあらわす。なぜ「責任の重さを強く感じた」と断定できないのか。
地球温暖化問題に関連して:
「明らかに、なんとなく我々のまわりに大きな変化が起きている」
な〜に、これ。
「明らかにー起きている」のか?
「なんとなくー起きている」のか?
麻生は外務大臣を経験しているのだが、こういう余分を心得て省くお抱え専任の手練れ同時通訳者とともにでないととてもではないが外国には出られない。
もし、言葉通りに通訳するものしかいなかったら、somehow(どういうわけか、理由はわからないが)とかvaguely(漠然と)とかがそこらじゅうに入ってきて、聞いているものは何を言いたいのかまったくわからなくなるだろう。
以前書いた学生や若い世代の断定を避けることば状況(「みたいな」「とか」「かも」「かな」「語尾上げ?」)は政府や国会にまで蔓延している。
明確な政治理念を持っていないこと、責任回避への逃げの現われでもあるが、政治家に絶対的に必要な明晰明解な言語コミュニケーション能力にこれほどまでに致命的な欠陥を持った人を首相としている私たちの悲惨を想う。
10 17, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年10月10日
世界恐慌への連鎖

例えてみれば(というか、現実にこういう方もいるだろうが)、老後のためになけなしの貯金と退職金で長年勤めてきた会社の株や優良とされる株に1年前1,700万円投資し、安心していた人が、ここ1ヶ月たらずのうちにその資産価値が800万円と半分以下になってしまい、売るに売れないというような状況になっている。
iPhoneの株価アプリのアイコンにはジグザグながら少し右肩上がりのグラフが描かれているが、ここ一ヶ月でのアメリカの金融システム崩壊、信用収縮から、世界同時株安、世界恐慌への連鎖が始まっている。
ハイリスク・ハイリターンで荒稼ぎし、ハイリスクの方を誰も未だに正確に把握しきれないほど世界中に拡散させてきた「カジノ資本主義」の「強欲のツケ」が巨大な引き金となった。
市場原理、自由競争とそのための規制緩和という新自由主義と、ドルを基軸としたアメリカ主導のグローバリゼーションが音をたてて崩れ始めている。
「大きすぎてつぶせない」ようにするしか策がなくなった大企業への膨大な公的資金(税金)による「救済」と、泥沼のイラク・アフガニスタンをはじめとする「対テロ戦争」戦費、巨額の累積財政赤字、Big3でさえ政府に泣きつかざるをえない経済の空洞化、雇用の悪化等のなかで、アメリカが遠からず「財政破綻国家」に転落する可能性が現実味を帯びてきている。
特に小泉以来「構造改革」と称してこれに追従してきた属国日本は「追従のツケ」を払わねばならなくなった。
アメリカの国債を世界一買い込んで(買わされて)いる日本は、これが紙切れ同然になるまで一蓮托生で後生大事に持ち続け、同じく「財政破綻国家」の仲間入りをするか。
麻生の「景気回復」「経済成長」などというお題目は単なる弥縫策にすぎない。
今までの「景気が良くなればいいというようなあり方」「輸出主導のいびつな日本経済の実体・中味」と「経済成長しなければという脅迫神話」「アメリカや世界との関係のあり方」などが根本的に問われている。
私たちひとりひとりは生活を守るため、これまでの価値観を見直し行動していくほかはない。
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2008年09月02日
悼・伊藤和也さん(ペシャワール会日本人ワーカー)

2001年に鎌倉で中村哲医師の講演を聴いて感銘を受け、それ以来著書や関連書を読んできた。
アフガニスタンでペシャワール会の日本人ワーカー、伊藤和也さんが殺されてから、追悼の意を込め、またペシャワール会の活動の継続発展を願って、あらためて一連の著作を読み返している。
私たち日本人のほとんどはアフガニスタンのことを知らないし知ろうともしていない。
どこかインドの西あたりにあり、旧ソ連と戦争をしていたようだ。
そのあと狂信的なイスラム原理主義のタリバンが政権を握り、貴重な仏教遺跡を破壊したり、女性を抑圧した。
2001年9.11同時多発テロの後は、ウサーマ・ビン=ラーディンを匿うテロリストの温床となっていることが明らかになった。
アメリカの空爆などでタリバン政権は倒れ、民主化が始まったはず。
しかしその後タリバンが復活し、治安の悪化やテロの危険が増している。
テロを封じ込めるために日本としても協力しなければならない。
アメリカ政府と追随する日本政府の発表、それを垂れ流すマスコミを通じて、普通の日本人がイメージしているアフガニスタンはおおざっぱに言えばせいぜいこの程度のものだろう。
1984年、パキスタン北西辺境のペシャワールに赴任し、以来ほぼ四半世紀にわたって現地貧民やアフガン難民、そしてアフガニスタン国内にも診療所を拡げ、医療活動、井戸灌漑、農業振興に携わってきた中村哲医師が描き出すアフガニスタンと人々の状況はそのようなイメージからはほど遠い。
アフガニスタンの人々はもともと日本には親近感を抱いてきた。
古くは自らの脅威であったロシア帝国(北に国境を接している)を同じアジアの小国日本が日露戦争で打ち破ったこと。
そして、ヒロシマ、ナガサキは誰でも知っている。
しかし、湾岸戦争、アフガン空爆、イラク戦争、また今現在の米軍進駐を経て、アメリカに追従する日本の姿に人々は失望した、と中村医師はいう。
少しでもアフガンの人々のために、と思って活動している『丸腰のボランティア』日本人ワーカーでさえ、しょせん外国からの抑圧システムの一環でもあり、捕らえれば高い代償を得られると思われる存在になっている。
伊藤和也さんの死に、アメリカのいいなりになっている日本政府の責任もあるのだ。
今回の伊藤さん殺害を受け、日本人ワーカーはすべて帰国させ、中村医師のみ残ってペシャワール会の活動を継続するという。
アフガニスタンの人々と、「誰もが行きたがらない所へ行き、誰もがやりたがらないことをする」ペシャワール会の活動を少しでも知るために、ぜひペシャワール会サイトを訪れ、またその中の書籍案内から1冊でもいい、まず読んでみてほしい。
『丸腰のボランティアーすべて現場から学んだ』(中村哲・編/ペシャワール会日本人ワーカー・著/石風社)には、今読み返してみると、たくさんの日本人ワーカーに混じって、伊藤和也さんの写真も、会報に寄せた文も掲載されている)
享年31。
合掌。
9 2, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年08月16日
『コンビニのレジから見た日本人』(竹内稔/商業界)

「コンビニ(Convenient Store)」は日本全国に今や4万店超ある。
大量生産・輸入ー流通ー安価な販売、利便効率第一という現代日本社会の縮図。
人がある程度まとまって住んでいる地域で無いところなどないほど普及している。
こんな異常な国は世界で日本以外にはない。
著者は1968年生まれ。高校1年からスーパーで、大学に入ってコンビニでアルバイトを続け、コンビニ業界に深く興味を持ち、以降、一般従業員、店舗マネジャー、店長代行、オープニング店舗指導員、不振店再興指導などに携わり、現在は4店舗を経営している。
「私はコンビニの売場が好きだ」
著者は1日平均13時間働き、そのうちの半分は「レジ」に入り、1日1,000人のお客と応対する。
この本はしかしコンビニの業界本ではない。
コンビニは、日本人が最も緊張から解放されリラックスできる空間になっている。
職場や家庭、世間での煩わしいつきあいの気苦労から離れ、そこでは自由気ままに振る舞えるかのように思われ、だからこそここを通して現代の日本人の本音、本性が現れる。
コンビニのレジで、「毎日、人間の、日本人のシャワーでも浴びているような」20年以上にわたる経験と観察から、コンビニ自らがお客の「もっと便利に」という「わがまま」にひたすら応える形で成長してきた自戒をふまえた上で見えてくる「今の日本人は、明らかに失くしてはいけないことまで失くしつつある」状況に警鐘を鳴らし、真っ当な社会になんとかしたいという願いを込めた本なのだ。
第1話「日本人は『コンビニでは何をしてもいい』と思っている」から、店頭ゴミ箱の悲惨な状況、店舗にとってはもうメンテ負担が限界に達している公衆便所以下にしか思われていないトイレの汚しようの惨状、従業員を「人」とは思わず「声を出さない」日本人、すぐにキレ、ストレスを従業員に発散する人々、子どものような親に育てられ買い物のマナーも躾けもできていない子どもたち…。
現場を知らず、矛盾難題は個別店舗に押しつけ「善悪」ではなく「損得」勘定だけのフランチャイズ本部。
一方で「ワタシ、アイサツトカ、キライナンデス」という女性従業員。
「えぇー、廃棄(廃棄食品)食べられなかったら意味ないじゃないすか」という応募者。
商品を運んでも力加減の分からない若者たち…。
ほとんど末期的というしかない状況の中で、しかしコンビニを愛する著者は訴える。
「コンビニから日本を変えよう!」「コンビニから日本を良くしよう!」
政治家や有名人の発言より、日々の買い物での態度、習慣の方が人間のあり方に与える影響は大きく深いと著者は考える。
商人はお客に対する教育者でもある。
親と学校の先生以外に、子どもにあるべき買い物の態度を教えられるのは、商人しかいない。
その誇りを持ち、日々毅然として、お客のひどい態度を変えていく勇気を持たねばならない。
そのための具体的な第一歩はお客への声掛けの徹底。
「いらっしゃいませ」「こんにちは」
「ありがとうございました、またお越しください」
まったく当たり前のことだが、全国で80万名は優に超えるだろうコンビニ店員がこれを徹底したら何かが変わるだろう。
私たち利用者にとってはたった一言でいい、心のこもった「ありがとう」から始まる。
悪循環のなかのマニュアル通りの投げやりなバイト従業員の心の中の何かが溶け、私たちの心の中のこれでいいのかという何かが変わるかもしれないではないか。
8 16, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年06月20日
マリー・アントワネットの処刑記事を読む


今月公開されたイギリスの代表的新聞社 "Times" の"Times archive" サイトは実にエキサイティング。
なにしろ1785年から1985年までのTimes紙2000万の記事、紙面が無料で(今のところ)読めるのだ、
1785年(18世紀末)! からだよ。
日本でいえば江戸時代後期、天明5年。将軍は家治の時代。
朝鮮,琉球,蝦夷,小笠原諸島を記述した林子平『三国通覧図説』が成った頃。
この年、イギリス産業革命のメルクマールとなったカートライトの「力織機」が発明された。
フランス革命、人権宣言はまだこの4年後だ。
歴史書からしか知ることができなかった、フランス革命も、ナポレオンの盛衰も、ラッダイト運動も、パリコンミューンも、その当時どう新聞記事として伝えられたかが見られる。
マリー・アントワネットがギロチンの露と消えたことを記した1793年10月23日の記事。
案内ツアーページ "Take our Interactive Tour"

アメリカの代表的新聞社 "New York Times" の
"TimesMachine"サイト
は、1851年から1922年までの紙面がPDF化され個々の記事にパーマリンクが貼られ、各種検索、テキストをコピーすることもできる。
こちらは同紙の宅配購読者にはすべて無料。その他はサンプルを見ることができる。
1916年4月16日付けのタイタニック号沈没ニュースの紙面。
いずれも新聞における情報編集、メディア史、紙面デザイン、タイポグラフィ、印刷史などの観点からも貴重。
将来的に通信・ネットワークに飲み込まれることを相変わらず理解できず、TVとの連携などで生き残ろうとあがく日本の大新聞社たち、考え直した方がいいよ。
という前に「新s(あらたにす)」なんてつまらないことをやっていないで、これに匹敵するくらいのことをしたらどうよ、世界一の発行部数だの良識の砦を誇る日本の新聞社。
6 20, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年06月13日
『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』(湯浅誠/岩波新書)

アメリカの主導する「グローバリゼーション」と「新自由主義」は、属国日本では小泉の「構造改革」として、さまざまな「規制緩和」「民営化」があたかも政治経済を革新し、新しい活力を生み出すかのような幻想をまき散らして蔓延した。
19世紀末以来の資本主義が掲げる「自由主義」は経済的な市場原理とセットで社会的な公正、モラル、福祉保障などとまがりなりにも共にあった。
平等な機会などかなぐり捨て、公的責任の大幅な削減、市場競争原理、経済効率一辺倒の「新自由主義(構造改革)」が生み出した現在の結果は何か。
年金、医療などの社会保障費、法人税を軽減され地方地場のこれまでの取り分まで吸収した大企業は利益を上げているが、稼ぎ出したなかの労働分配率は著しく下がった。
専門分野に限定されていた「派遣法」が1999年に改悪され、2004年には製造業まで「規制緩和」された。
派遣・請負業があらゆる業種・職種に浸透し、労働雇用条件は不安定化、細切れ化、切り下げられ続けている。
1998年から2005年までのわずかな間に、正規従業員は450万人消え、非正規労働者が500万人増えた。
戦争や革命が起きたわけではない。国民が何かのかたちで「同意」したわけでもないうちに、今や日本の働き手の3人に1人はパート、アルバイト、契約社員、派遣社員などの「非正規」になってしまい、今後もその割合は増え続ける。
かつて「一億総中流」などといわれた「中流」はもちろん幻想で崩壊し、さまざまな生活面でのセイフティーネット(雇用・社会保障・公的扶助の三段構えで「有る」はずだった)が機能しなくなり、日本の相対的貧困度は先進国中アメリカについで一気に2位になった。
アメリカにならって「貧困ビジネス」が跋扈する。
「うっかり足を滑らせたら、どこにも引っかかることなく、最後まで滑り落ちてしまう『すべり台社会』化」(『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』湯浅誠/岩波新書)が猛烈な勢いで進んでいる。
給与所得年収200万円以下の人は2006年に1000万人を超えた。
300万円以下では1740万人。
日本の労働者の3割近くにのぼる。
「勝ち組ー負け組」「希望格差社会」「下流社会」などの懸念、警鐘の段階を超え、「貧困」が日本社会の中でおそらく明治・大正以来あらためて真正面から直視せざるをえなくなっている。
これは為政者や経営層がいうような「自己責任」の問題では断じてなく「政治」「社会」の問題だ。
「自己責任論」は「他の選択肢を等しく選べたはず」ということを「前提」として成り立つ。しかし「貧困」とは「他の選択肢を等しくは選べない」からなるのだ。
反貧困「もやい」の活動をすすめている湯浅誠氏は『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』のなかで、貧困状態に至る背景として「五重の排除」があると述べている。
1. 教育課程からの排除
福沢諭吉以来、貧しくとも刻苦勉励すれば立身出世は可能と希望を持たされてきた。現在、親の貧困は子どもを教育の平等な出発点にはとても立たせられない。
2. 企業福祉からの排除
非正規雇用が典型だが、単に低賃金、不安定雇用というだけではなく、各種の社会保険に入れず(従って失業時の保障もなく、職業訓練も受けられない)、正社員が受けているさまざまな福祉からも無縁だ。
派遣社員は派遣先企業に対して労働者としての基本的権利さえ持てない。
彼らの労働費用は「人件費」ではなく「資材調達費」扱いであり不断の「在庫調整」の対象にすぎず、派遣会社の入札すら行われる。
派遣会社の借り上げアパートなどで暮らしていた場合、首を切られれば即路頭にまよわざるをえない。
3. 家族福祉からの排除
貧困は世代間に連鎖し、親や子どもに頼れない。
4. 公的福祉からの排除
生活保護制度は、「水際作戦」と呼ばれる追い返す技法ばかりが肥大し、本当に必要な人々に手を差し伸べていない。
5. 自分自身からの排除
1から4までの排除を受け続け、しかもそれが「あんたのせい」と「自己責任論」で片付けられ、さらにそれが本人まで内面化して「自分のせい」と考えるようになってしまうと、何のために働くのか、生きるのか。それに何の意味があるのか、どんな意義があるのか。そうした「あたりまえ」のことが見えなくなってしまう。
「人は自分の尊厳を守れずに、自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる。ある相談者が言っていた。『死ねないから生きているにすぎない』と。周囲からの排除を受け続け、外堀を埋め尽くされた状態に続くのは、『世の中とは、誰も何もしてくれないものなのだ』『生きていても、どうせいいことは何一つない』という心理状態である。
期待や願望、それに向けた努力を挫かれ、どこにも誰にも受け入れられない経験を繰り返していれば、自分の腑甲斐なさと社会への憤怒が自らのうちに沈殿し、やがては暴発する。精神状態の破綻を避けようとすれば、その感情をコントロールしなければならず、そのためには周囲(社会)と折り合いをつけなければならない。しかし社会は自分を受け入れようとしないのだから、その折り合いのつけ方は一方的なものとなる。その結果が自殺であり、また何もかもを諦めた生を生きることだ。生きることと希望・願望は本来両立すべきなのに、両者が対立し、希望・願望を破棄することでようやく生きることが可能となるような状態。これを私は『自分自身からの排除』と名づけた」
ここ5年間の日本の自殺者が16万人、
私が住んでいる鎌倉市の総住民ほどの数の人々が自ら命を絶つという社会が正常、健全であるはずがあるか?
写真は「反貧困ネットワーク」のシンボルキャラクター「ヒンキー」
ヒンキーはオバケだ。
なぜオバケかというと貧困は「ある」と「ない」の間にあるから。
貧困の最大の特徴は「見えない」こと、
そして貧困の最大の敵は「無関心」。
「貧困とは常に『再発見』されるべきものである」(『現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護』 岩田正美/ちくま新書)
NPO法人 自立生活サポートセンター・もやい
反貧困ネットワーク
6 13, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年06月06日
スペイン語圏で育った少女に日本語をどう教えるか



コロンビアから先月やってきたばかりのルナちゃん(10歳)にPartnerと私が日本語を教えることになった。
ルナちゃんは9月から鎌倉の小学校に通う予定だが、スペイン語しかわからない。
こちらはスペイン語はほんのカタコト程度。
先日『旅の指さし会話帳 スペイン』をあげたらとても喜んでいたそう。
さて、どう教えていくか。
安野光雅『あいうえおの本』(福音館書店)、村上勉『あそぼうあそぼう あいうえお』(あかね書房)、五味太郎『ことばのえほん あいうえお』『かずのえほん 123』(絵本館)、『すてきなひらがな』『ステキナカタカナ』を本棚から引っ張り出して眺め、先月出た『素敵な漢字』(講談社インターナショナル)を購入。
どれも文字と言葉とそれを通した世界への想いがこめられた絵本作家の名作。
ルナちゃんにあげることにする。
6 6, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年05月31日
『蟹工船』(小林多喜二)

「かにこーせん」と聞いて「カニ光線」が頭によぎったり、船の上でカニシャブが食えるの、とか思い浮かべたりの世代にガチガチのプロレタリア文学『蟹工船』(1929/小林多喜二)が読まれているらしい。
今年になっての増刷が20万部を越えるという。
毎日新聞が今年1月9日に掲載した作家の高橋源一郎、雨宮処凛の「現在のワーキングプアは『蟹工船』の世界に通じる」という発言がある対談がきっかけ。
東京上野の書店員がこれを読み、文庫本を平積みにしたところ数十冊売れ、他の書店にも拡がった。
いいね、こういう書店員がいる本屋はつぶれない。
中学、高校生の頃、「日本近代文学」の陰々滅々とした「私小説」の系統に飽きると「プロレタリア文学」を読み漁った。
佐多稲子『キャラメル工場から』、葉山嘉樹『淫売婦』『セメント樽の中の手紙』『海に生くる人々』、宮本百合子『貧しき人々の群』、中野重治『芸術に関する走り書的覚え書』『鉄の話』『村の家』『空想家とシナリオ』『歌のわかれ』…。
小学校の頃の通い道にあった共同印刷の争議を題材にした徳永直『太陽のない街』は繰り返し読んだ。
彼ら彼女らがかつて住んでいた街を毎日歩いていたせいもある。私の印刷への関心はこの頃共同印刷の下請け工場の様子を下校時に毎日眺めていたことにも起因する。
『蟹工船』(小林多喜二)も何度も読んだ。
「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」
という書き出しは有名だが、
「カムサツカの海は、よくも来やがった、と待ちかまえていたように見えた。ガツ、ガツに飢えている獅子のように、えどなみかヽてきた。船はまるで兎より、もっと弱々しかった」
という描写が私は好きだ。
『蟹工船』発表4年後の1933(昭和8)年、小林多喜二は特高に逮捕され、築地警察署署内での苛烈な拷問でその日のうちに殺された。
5 31, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年05月24日
ブルックリン・ブリッジ125周年と『人類が消えた世界』(アラン・ワイズマン/早川書房)

マンハッタン南端とブルックリンを結ぶブルックリン橋(Brooklyn Bridge)は鋼鉄ワイヤーを使った世界初の吊り橋でとても美しい。
1883年に完成し、今日5月24日に開通した(125周年)ということで、NYでは3日間にわたってさまざまな記念行事をしているという。
が、TVのニュースでもちらとやっているとき私が読んでいたのは邦訳が刊行されたばかりの『人類が消えた世界』(アラン・ワイズマン/鬼澤忍訳/早川書房)であり、200〜300年後の無惨に崩壊していくブルックリン・ブリッジのイラストだった。
ブルックリン・ブリッジは風洞実験もコンピュータ構造計算もなかった時代、当時の基準の6倍もの強度で作られた。
設計当時(日本で言えば明治初期)、まだ馬車とガス灯の時代であり、その後一日数十万台もの自動車が通ることになろうなど誰も想像すらできない。
けれども、NYの橋の管理者は言う。
「この手の橋は必要以上に頑丈にできているので、行き来する車など象に乗った蟻のようなものです」
「私たちは先祖が残してくれた過剰設備で食いつないでいるのです」(同書より)。
しかし、チェック、管理、メンテナンスできる人間がもしいなくなったとしたら、NYの冬の寒暖による縮小時の目地へのゴミ、膨張時のきしみ、塗装はげとサビ、などによって、本来はあと1000年は保つだろうブルックリン・ブリッジも200〜300年先にはイーストリバーに飲み込まれるだろうという図なのだ。

『人類が消えた世界』は、危機をあおりたてるような類のものでも、あるいは時系列を追ったSF仕立てのものでもない。
学者はもちろん現場の技術者や管理者からアマゾンの農民、アフリカの狩猟民などへの国際的な取材、現代科学の最新の知見に基づいて書かれている。
ある日忽然と人類が姿を消したとしたら(ただし世界的な絶滅戦争や、他の生物を道連れにしてではなく、今あるものはそのまま残したままで)という仮定を立てることによって、人類が築いてきた文明とはいったい何なのか、これまでこの地球生態系のなかでどういう歴史的経路をたどってきて現在があるのか、そしてとりわけ現代が創り出してき残されるものはその後の地球環境にとってどういう意味と影響を与えるのか、ということを鮮やかに照射して実にスリリング。
5 24, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年05月23日
欧米諸都市と比べた東京在住者の環境問題意識と行動

博報堂生活総合研究所が、2008年3月、世界8都市(東京、ニューヨーク、トロント、ロンドン、フランクフルト、パリ、ミラノ、モスクワ)の生活者2,600 人に対して実施した環境意識のアンケート調査の結果がサイトに掲載されている。
博報堂生活総研・新着情報からPDFダウンロード
「自国は経済発展より環境保護に目を向けるべき」は8都市平均74.4%。
「自分には地球環境を守る責任がある」は8都市平均83.4%。
地球温暖化への危機感も80.9%.
地球環境の保護のために、あなた自身が多少の手間やコストをかけても貢献したいかどうかにも87.7%。
毎日の生活の中で、地球環境の保護につながる具体的な行動を実行しているかにも82.3%。
少なくとも世界の主要な大都市市民の意識が「経済成長・発展」より「環境優先」を、自分から貢献し行動することを当然とするようになっていることがはっきりしている。
ところが、よく内訳をみていくと、東京在住者は他の欧米諸都市と比べてかなり特異な傾向を持っていることがわかる。
地球温暖化進行への危機感はもっとも高い88.4%。
ただしこれは「やや」を含む数字で「危機を感じている」はパリ(57.3%)、フランクフルト(51.3%)などに比べるとずっと低い35.2%。
自国は経済発展より環境保護にもっと目を向けるべきは最高の90.2%。
自分には地球環境を守る責任があると思う87.4%。
ただしこれも「やや」を含んだ数字で「思う」はパリ(60.0%)、トロント(62.7%)などと比べるとずっと低い35.4%。
つまり、環境(問題)についての東京在住者の意識は他の諸都市とある程度遜色なく高い。
しかし、実際の行動に結びつく課題の理解と日常生活での実施となるととたんに軒並み最低レベルになる。
多少の手間やコストをかけても貢献したいか、への積極的なYesはパリ、ミラノ、トロントなどの半分の26.2%。
自分の日常生活が地球環境に与えている影響の理解は、どこも20〜40%だが東京はわずか8.6%。
地球温暖化防止のために自分がいつ、どこで、どのように行動すべきかを理解しているはダントツ最下位の8.2%。
「地球環境に配慮した行動」が日常的な習慣になっている、もダブルスコア以上の最下位、11.8%。
「地球環境に配慮した生活」が快適である、も同じくダブルスコア以上の最下位、10.2%。
そして「地球温暖化防止のために、現在の便利な生活を犠牲にしたくない」は「やや」も含めると41.6%で最高。
ここから見て取れるのは、問題があることはわかっており、それなりに危機感も持っている。
しかし、問題の知識、理解が足りないため、また現在の利便を犠牲にしたくはないという思いが強く、したがって日常生活のなかで具体的に「課題化」することができず、日常的な習慣化率もひじょうに低い東京在住者の姿だ。
まさしくこれこそ取り組まなくてはならない「不都合な真実」。
5 23, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 16.都市・住い・インテリア・暮らし | 固定リンク
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2008年05月06日
1968年「パリ5月革命」

パリ、ソルボンヌ広場(Pl.de la Sorbonne)での路上写真展。
1968年5月、この場所、カルチェラタンでパリが燃えたときのドキュメント写真。
もう40年になるのか。
遠く東京で学生運動に関わっていた私の、ベトナム反戦とエスタブリッシュメントへの異議申し立ての世界共時的なうねりに熱く共感し連帯した二十歳の頃の日々をパリで想い起こす。


ソルボンヌ(パリ)大学での政治集会。哲学者ジャン・ポール・サルトルの姿も見える。
5 6, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2008年05月04日
チベットのポシェット

「パリでチベット料理」で触れたオーナーが1979年にオープンしたパリのサン・ジャック通りのチベット雑貨店「La Route du Tibet(ラ・ルート・デュ・チベ)」で購入したポシェット。
もちろん今の中国が支配するチベットから直接輸入などできない。
インド、ネパール、ブータンなどに逃れたチベット人たちに仕事の機会を提供し、パリジャンたちにチベットの文化を伝える。
フランスのデザイナーがコーディネイトし、チベット人が制作することも。
このポシェットはネバールの亡命チベット人が作ったもの。
5 4, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2008年04月26日
パリでチベット料理

パリは移民の街であり亡命者たちの街。
異質の文化が常に出会い、もちろん摩擦を生み、しかしお互いに受容し、共生してハイブリッドの新しい文化を不断に作り続ける街。
パリにはチベット人が100名以上は暮らしているという。
特にカルチェ・ラタン、パンテオンの丘のあたりは「Little Tibet(リトル・チベ)」とも呼ばれるほど料理、雑貨、アクセサリー、本屋などが集まる。
1959年のダライ・ラマ亡命時、家族に連れられてインドに逃れ、フランス留学の機会を与えられたのを期に26年ほど前からパリに住む女性が、1979年にまず雑貨店を開き、82年にはパリ初のチベット料理店「Tashi Delek(タシ・デレック)」をオープンする。
午後8時、まだ外は明るいが店内は客がいっぱい。
子連れの「普通の」フランス人家族や、パリジェンヌのグループ、独り黙々と食べる初老の男性などなど。

「ツァム・タン(Tsam thang)」(麦焦がしスープ)
チベットは高地で米はとれない。大麦を乾燥させ、軽く焦がして粉にしたものを主材料にしたものが「ツァンパ」料理。
本来は「ヤク」のチーズを入れるのだが、もちろんチベットから輸入などできないので、代用品を工夫している。
歯にあたる具はニンジンの細切りと少しのハーブしかないのだが、とろっとしたスープは倍煎茶のような香りと奥深い滋味に溢れている。
アムド地方のパンと。

チベットの餃子「モモ(Momo)」
パリでも人気のよう。皆注文している。
テーブルに「キッコーマン」も置いてあるのだが、何が原材料かわからないタレととても合う。
私にちょうどいい分量だと思っていたら、下段もあった。

食後の塩とバターの茶が実に旨く、短いが濃密だった12日間の滞仏の疲れを癒す。
静かにかわす "Free Tibet !"
4 26, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 19.食と農、健康と病, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2008年04月08日
世界のチベット人のために-老母作佛像

全世界のチベット人とその文化と人権と自由を願って。
それは言うまでもなく同時にわれわれのためでもある。
4 8, 2008 10.美術工芸, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年03月29日
「日光修験」のチベット弾圧抗議

四川省でも僧侶が100名以上拘束されたというニュースがあり、おそらくらは殴打、拷問を受けているだう。
「日光修験」サイトより転載。
【 チベット弾圧に対する憤りと抗議 】
私たち日光修験道は、中華人民共和国の暴虐行為、殺人行為、民族と文化の抹殺行為、宗教破壊行為等に対して、甚深なる憤りをおぼえ、ここに強く抗議するものである。
中国政府は、この度のチベット弾圧事件で、その歴史的傲慢さを露呈した。自ら共和国建国前に受けた中国人民の苦しみを忘れてしまっている。現中国政府が他民族を虐待することは、まさに独裁、拝金、覇権主義国家であることを示している。その主張と行為は、厚顔無恥以外の何ものでもない。
このような思考の指導者集団である中国共産党政府に、次の四か条をもって、断固抗議し、懺悔の機会を与えるものである。
1.直ちに理性をもって、自制的行為を執るべきである。
2.外国のジャーナリズムによる公正な報道を受け入れるべきである。
3.強制的に連行、捕縛した全ての人々を、すみやかに解放すべきである。
4.直ちに侵略を認め、チベット人民に謝罪し、速やかにその独立を認めるべきである。
人民と天命、因果は常に権力が恐れるべきものである。中国政府は恥を知り、その愚昧な政策を改めよ。
2008年3月20日
日光修験道 法頭正大先達 伊矢野慈峰
3 29, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年03月24日
五輪開催地にふさわしいか?ー「世界新聞協会」の中国への抗議キャンペーン


今年8月に北京オリンピックが予定されている。
チベット問題に限らず今の中国に言論出版の自由などない。
国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」による昨年の世界報道自由度ランキングで中国は169カ国中163位。
世界新聞協会(World Association of Newspapers)(パリに本部。1948年設立の非営利非政府団体。日本新聞協会を含む65カ国の新聞協会の他通信社などがメンバー)が昨年11月からジャーナリスト拘束・投獄に関し、中国に対する抗議広告の掲載を世界中の新聞社に呼びかけるキャンペーンをはっている。
すでに「USA TODAY」他、海外のかなりの新聞が掲載。
日本の大新聞に掲載される可能性はほぼ無い、だろう。
画像は2種類のポスターの一部。
「次の五輪を観戦するつもりですか?
ここにはあなたには見えていないだろうある事実があります。
中国では30名以上のジャーナリストが投獄されているのです。
これらのジャーナリストたちはなにか悪事を働いたわけではありません。
ただ真実を語り、政府が隠したい事実を述べただけなのです。
たとえば Zhu Wanxiangは、農村での没収差し押さえに対する農民の抗議行動を記事にしたという理由で10年の懲役刑に処せられています。
同じく10年の刑を受けているShi Taoは、いかに中国当局が天安門事件15周年記念に対してメディア規制を行っているか外国のウェブサイトに投稿したという理由。
少なくとも30名以上のジャーナリストや50名のネット発信者が同様な「犯罪」で投獄されています。
あなたはこのような国で行われるオリンピックのスポーツを心地よく観戦することができますか?」
「中国は誰も破れないだろう記録を保持しています。
このオリンピックホスト国は最大のジャーナリスト投獄国なのです。
彼らはなんの罪?
ただ批判的であり真実を語り挑戦的であるということだけで密室でわずか一日の審判で獄に入れられているのです。
私たちは、8月のオリンピックを祝福し、集まるときは、ジャーナリストが投獄されていないような国であることを願っています」
世界新聞協会(World Association of Newspapers)キャンペーンサイト

国境無き記者団(REPORTERS WITHOUT BORDERS)サイト
3 24, 2008 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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『弥勒世』(馳星周)

チベットと重ねあわせながら『弥勒世(みるくゆー)』(馳星周/小学館)を読む。
沖縄(琉球)と蝦夷(アイヌ)の武力併合によって近代日本という国家は成立した。
韓国、台湾併合への地ならしでもあった。
中国がチベットやウィグルを武力併合していったのに先立ち、しかし同じ意味を持つ。
どちらも国家拡張、帝国化の原理の産物。
周辺との「緩衝地帯」とされることも同じ。
文化破壊と「同化」政策も同じ。
沖縄は第二次大戦中、「本土防衛」のための時間かせぎの盾とされ多くの島民が無惨に殺され、日本軍によっても「自決」を余儀なくされた。
そして戦後、日本が独立を回復しても、米軍にとっての「太平洋の要石(Key Stone)」として切り離されそのまま占領下におかれた。
琉球政府という「自治」組織はあったが、アメリカ高等弁務官府の命にはそむけなかった。
先頃の少女「暴行」事件など日常茶飯事のなかで、沖縄人は「独立」ではなく「祖国復帰」などという沖縄の気候同様の生ぬるい希望にかけた。
しかし日本は「祖国」なのか?
ヤマトゥに帰属すれば幸せになれるのか?
二重、三重に鬱屈した沖縄人の魂はそんなことで解放されるのか?
アメリカー、ヤマトゥンチュー(日本人)に圧迫、支配、差別される人々は、自分より「下」の差別対象をみつけ、差別することで鬱憤をはらす。
「ウチナンチュー」は那覇を中心とする人々のみのことであり、離島、本島北部などの人々は差別される。
苦界に身を沈める女性たちは、ほとんど必ず離島か本島北部の出身だった。
親を失い、同じ施設で育ち、沖縄のなかでももっとも差別されてきた主人公たちが、米軍に対する絶望的な、しかし晴れ晴れとした戦いに挑む。
描かれている1968年から1972年「沖縄本土復帰」に向かう時期、私もその頃沖縄に3年間いたので雰囲気や心情や地理感も、ありうるだろう現実感もよくわかる。
日本資本に蝕まれ、補助金まみれになり、単なる南国リゾートに堕し、それでいて全国最高の失業率にあえぎ、日本の米軍基地の75%がいまだに集中する今の沖縄びとに、チベットの人々への呼びかけと同じビョークの言葉を借りよう。
Free OKINAWA !
Free RYUKYU !
Raise Your Flag !
Higher, Higher !
3 24, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年03月23日
『チベットを知るための50章』-チベットとそこに生きる人々を少しでも深く知るために-2

青海省、甘粛省、四川省、雲南省などチベットの「外」まで抗議活動が拡がった、などと報道されているが、それは根本的な間違い。
これらはもともとチベット人が住んでいた地域であり、1951年の中国による武力併合前後、それぞれの省編成で組み込まれたもの。
「チベット自治区」というのは本来チベット人が居住していた地域の半分以下にすぎない。
そのようなことを含め、現中国共産党政府の圧政と弾圧に徹底して反対し、この「観音菩薩に祝福された民」と共にありたいと思う。
『チベットを知るための50章』(編著・石濱裕美子/明石書店)
3 23, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年03月22日
『図説 チベット歴史紀行』-チベットとそこに生きる人々を少しでも深く知るために-1

チベットではおそらく数百名の人々が中国警察や軍に殺され、倍する人々が負傷し、たくさんの拘束された僧や市民が今現在も過酷な拷問を受けているだろう。
チベットとそこに生きる人々を少しでも深く知るために。
『図説 チベット歴史紀行』(石濱裕美子・著/永橋和雄・写真/河出書房新社ふくろうの本)。
チベットの歴史と文化を知る上で最適な一冊。
「中国の不可分の一部」などという中国政府の主張がいかに欺瞞であり、チベットはチベットであることは歴史をきちんとふまえればまったく明らかなことだ。
1911年の「辛亥革命」で清王朝が滅び「中華民国」が成立したが、13年にダライ・ラマ13世が独立宣言をしたチベットに対し「中華民国」はその後ずっとなんら影響力を持っていない。
当初「民族自決」「民族独立の権利」などとコミンテルンの方針通りいっていた中国共産党は、その後の国共内戦時に方針転換し、旧清朝の影響版図はまるごと中国のものだという路線になる。
これがそもそも今の中国の間違いの元だっただろう。
1951年、チベットを武力併合。
以降、チベット人への抑圧と文化破壊、漢化政策が進められる。
チベットを撮り続けてきた永橋和雄さんの写真が素晴らしい。
3 22, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年03月20日
「世界は語っている。あなたは聴いているか?」-Global Voicesサイト

『TibetTibet チベットチベット』の記事にトラックバックが付けられて、チラッと一度見に行ったGlobal Voicesサイト。
在日コリアンとチベット人に通底することを私が指摘していると紹介しリンクが貼られている。
その時は面白そうなサイトだと思ったがよく見る時間がなかった。
今日のasahi.com「コミミクチコミ」に「世界中のブログ翻訳プロジェクト進行中」としてこのサイトが紹介されている。
ハーバート大ロースクールのシンクタンクが運営し、2004年12月に発足したプロジェクト。
「The world is talking. Are you listening?」とサブタイトルにあるように、世界の言語、地域のブログの内容を英語に翻訳して紹介している。
現在19名のエディター、約80名のボランティアが手伝う。
日本語のエディターは翻訳家の鴇田(ときた)花子さん(28)とカナダ人大学院生クリス・サルツバーグ(Chris Salzberg)さん(31)。
2007年4月から開始。
週に2本、話題になっていることについて書かれたブログの内容をまとめ、英語に翻訳して紹介。
また世界の言語から英語に訳されたものを日本語に翻訳して紹介することにも力を入れている。
鴇田さんは、日本のブログは数だけ多いがつまらない、という英語圏メディアの既成観念に対し、日本のブログには、自分の思想などについてしっかり書き込まれたものがたくさんあることを伝えたい、と言う。
サルツバーグさんは、大手メディアの報道は世界を分かりやすく伝えてくれる。だがブログの文章は世界がいかに複雑なのかを教えてくれる、と述べる。
そうまさしくその通り、チベットの人々や、「開戦5年目」(正しく言えばアメリカによる一方的な軍事侵略と占領5年目)を迎えたイラクの人々、ガザの人々、等々の苦しみと希望と心の襞(ひだ)は、マスメディアによってではなく、無数のブロガーたちによって世界に伝えられ、ネットワークしあうだろう。
3 20, 2008 08.ことばとコミュニケーション・文字・タイポグラフィ, 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年03月15日
『TibetTibet チベットチベット』(監督・キム・スンヨン)

先月、麻心(鎌倉長谷)で常連たちと『TibetTibet(チベットチベット)』(監督キム・スンヨン/2005年リニューアル編集版)のDVDを観た。
監督のキム・スンヨン(金昇龍・日本名 金森太郎)さんも招いて話も聴いた。
死傷者数百名にのぼるだろうラサでの武力弾圧、インドでの亡命チベット人たちへの弾圧のニュースが続き、店にまだおいてあったDVDを借りてきて再び見る。
在日韓国人3世の彼は1998年、ビデオカメラを手にしてあてのない世界旅行へと下関港をあとにする。
「僕は世界を見てみたかった。はじめはそれだけだった…」
ところがモンゴルの遊牧民のゲルの中でダライ・ラマ14世の写真を見かけ(中国ではダライ・ラマ14世の写真や肖像画を持つことは禁じられている)、チベット人の自由と尊厳、歴史と文化のために亡命し静かに闘っている姿に関心を持つ。
日本人として育っても日本名と本名とを持つ在日コリアンだから持たざるをえない「国家」と「民族性」への複雑な想いとアイデンティティの不安がこの関心の底にあるだろう。
彼はダライ・ラマと多数の亡命チベット人が暮らす北インド・ダラムサラに向かう。
僧侶たちから1989年の大弾圧の様子をいろいろ聴き(まさに今行われているだろうことと同じ悲惨な実態)、この受難が今も続いていることを少しでも多くの人に伝えたいと思うようになる。
亡命政府に願い出て10日間のダライ・ラマへの密着取材を許される。
これまでの取材は「白人ばかり」だったが、日本から来たということで特別にとりはかられたという。
ここで描かれているダライ・ラマの姿と話はチベット仏教の指導者ということをこえて、自然体でユーモアもある本当の偉大な賢者として感動的だ。
「やるかやらないか迷った時はやってみるといい。こうすればこうなるかもしれないと思い描いた時点で、人はそのアイディアをすでにかなり実現しているのだ。やってみるといい結果につながることの方が多い。やってみて、間違いだと気付いたらその時点ですぐに止めればいい。やり始めたことだからとか見栄で続けていると当然悪い結果がやってくる」
その言葉に鼓舞されてこのドキュメンタリー・ロードムービー映画を完成することができたと彼は言う。
FREE TIBET !
チベットに自由を!
キム・スンヨンさんのサイト
TibetTibetーチベットチベットサイト
こちらでDVDを購入できます。
【チベット関連サイト】
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
(チベットの歴史から文化、ニュースまで詳細)
チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン(TSNJ)
(日本国内のチベット支援グループの連絡組織。3月8日にも在日チベット人と協同し新宿で抗議デモを行った)
I LOVE TIBET!
(チベットを愛する日本人ライター&エディターの個人サイト)
Tibet TV Online
(チベット亡命政府によるオンラインTVサイト)
チベット亡命政府オフィシャルサイト
(英語)
ダライ・ラマ法王庁オフィシャルサイト
(英語だがビデオも多数)
Free Tibet Campaign
(ロンドンに本部をおく自由チベットサイト)
Internatyonal Campaign for Tibet
(ワシントンに本部をおくチベット問題キャンペーンサイト)
Tibetan Centre for Human Rights and Democracy
(インドに拠点をおくNPOチベット人権民主化センター/英語・最新のニュース)
福島香織さんのページ
(産経新聞中国総局記者・福島香織さんのブログ。2002年から北京在住。この間のチベット情報のまとめなど詳しい)
3 15, 2008 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年02月24日
『コールドケース(Cold Case)』

アメリカ自治領サイパンで「ロス疑惑」の三浦和義容疑者(アメリカにとっては1988年の逮捕状以来容疑者状態)がロス市警の指示で逮捕されたという報道に、WOWOWで放映されているアメリカのTVシリーズ『コールドケース(Cold Case)』を思い起こす。
アメリカでは各州とも殺人罪などの凶悪犯罪に原則として時効はない。
これは『CSI:科学捜査班』シリーズなどを手がけたジェリー・ブラッカイマーが2003年から作っているシリーズ。
フィラデルフィア市警殺人課のリリー・ラッシュ(キャスリン・モリス)を主人公に、時には1939年の事件にまでさかのぼる未解決の凶悪犯罪(通称「コールドケース」)の捜査と人間模様を濃密に描く。
徹底した時代考証をもとにした昔の事件当時のフラッシュ・バック映像が凝っている。画質や色調の処理、当時のコスチュームや風景、ノスタルジックな音楽の使い方、犯人等の若い頃と現在の顔の入れ替えなど素晴らしい。
おそらくはロス市警にもこうした捜査官たちがいるのだろう。
2 24, 2008 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2008年02月10日
プラハ『共産主義博物館』

プラハの「Museum of Communism(共産主義博物館)」の入り口表示。
ロシアのマトリョーシカ人形が牙をむいている。

実質的に支配したソ連共産党幹部の執務室を再現。
ときどき電話が鳴り、当時のラジオ放送が流れる。

共産主義時代のほとんど何も商品がない食料品店。

当時の小学校の制服と教科書。

貧しい農民の農機具。

取り壊された「ベルリンの壁」の一部を展示。
ソ連軍戦車に圧殺された1968年「プラハの春」の後、永い苦難を経て1989年「ビロード革命」に至る。

1989年「ビロード革命(Velvet Revolution)」で連行される女性。

1989年「ビロード革命」。
ソ連は崩壊し、初代ボヘミア王ヴァーツラフに由来するヴァーツラフ広場を埋め尽くす民主化を求める100万の市民に対し軍事介入する力はすでになかった。
彫像はヴァーツラフ・ハヴェル(Václav Havel 1936〜) 。
チェコの劇作家。チェコスロバキア大統領(1989〜92)、チェコ共和国初代大統領(1993〜2003)。

2007年2月撮影のヴァーツラフ広場。
プラハ随一の繁華街。
2 10, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 27.ヨーロッパ行・考 | 固定リンク
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2008年01月10日
こんなところの福田首相

国際的環境市民団体「AVAAZ.org」(Avaazはヒンディー語、ウルドゥー語、ファルシー語、ボスニア語、トルコ語、ネパール語、ダリー語を含む数言語で「声」または「歌」を意味する)が、昨12月、バリでの気候変動に関する国際会議に際してインドネシアの新聞に出した意見広告。
映画『タイタニック』ポスターを模して。
ブッシュ米大統領、カナダ首相と並ぶ堂々主役3名のひとりに「どれも他人事」「特になにもしない」「鼻先で笑う」のが他に類をみない個性的演技と評される日本国福田首相。
政府間パネル(IPCC)報告に基づく、気候危機を回避するのに必要な削減交渉でイニシアティブを発揮すべきこの3名は削減案を拒否。
「彼らは達成目標を明確にしようとしない」
「氷山など無い、が世界的な惨禍は近づいている」
「しかし世界は屈しはしない」
「私たちはアメリカ、カナダ、そして日本に対して2020年の削減達成目標の一切の引き下げを認めない。世界中のその他の人々もそれ以下になることを拒否する」
もっとも重要な国際的政治課題となった地球温暖化、気候変動問題に関して、「京都議定書」開催・締結国でありながら、すでに日本は世界の中ではアメリカに追従する最大の「抵抗」「反動」勢力の主役のひとりとみなされている。
1 10, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 31. 「不都合な真実」をデザインする | 固定リンク
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2008年01月06日
庭の「地球温暖化」-2

夏に実ったワイルドストロベリーがまた花をさかせなっているが、真夏からせいぜい10月初めが花期であるはずの庭の芙蓉は正月を迎えても咲き続け、蕾もたくさんつけている。

「夏野菜」のピーマンやししとうがまだ収穫できる。

12月下旬まで紅葉しなかった山もみじ。
ようやく、しかし下の方はまだ青々と。
1 6, 2008 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 18.花・木・野菜・生きものたち | 固定リンク
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2008年01月03日
強毒性新型インフルエンザの脅威『H5N1』(岡田晴恵)

秋口あたりからひいた風邪がずっと長引き、治ったかと思うと熱は微熱程度にしか上がらないが、咳、くしゃみ、鼻水、喉の痛み、頭痛、ふしぶしの痛みなどがぐずぐずとぶりかえし、年始にまで持ち越してしまっている。
ということもあって新春そうそう手にとった本が、国立感染症研究所研究員であり、感染症や新型インフルエンザについての啓蒙書を何冊も出している岡田晴恵さんが書いた『H5N1―強毒性新型インフルエンザウイルス日本上陸のシナリオ』(ダイヤモンド社)。
ある南の島に雑貨の買い付けに行っていた日本人ビジネスマンが新型インフルエンザウィルス「H5N1」に感染する。
潜伏期間があるため帰国時には気が付かない。
発症1日前からウィルスを放出し、空気感染するので、SARSなどと違い水際阻止はまずできない。
飛行機、地下鉄、バスのなか、感染者の最速時速120Kmの1回のくしゃみは車両の端から端まで一瞬にウィルスを飛散する。
家族、そして接触環境にあった人々が次々に倒れ始める。
欧米に比べて圧倒的にお粗末なこの問題に関する行政対策、医療体制、ワクチン備蓄の不足と配布計画の不備、国民の認識欠如のなかで、この現実を迎えたら日本はどうなるのだろうか、という研究者としての危機感と警鐘にあふれたシミュレーションシナリオを、事実と現状をふまえ、「火種」「苦悩」を経て「発生」「上陸」「拡大」「連鎖」「混迷」「破綻」そして「崩壊」へ至るストーリー仕立てにしている。
1997年香港、感染すると48時間以内に100%死に至る強毒性鳥インフルエンザ(コードネーム「H5N1」)がニワトリなどに流行し、しかもそれがヒトに感染し死者が出るという事態となった。
それまで鳥インフルエンザが直接ヒトに感染する例が報告されたことはなかった。
鳥のウィルスはさまざまな遺伝子の変異、交雑によってヒト型に変化し、数十年に一度の割合で大流行(パンデミック)を起こす。
1957年の「アジア風邪」、1968年の「香港風邪」といった新型インフルエンザはすべて弱毒型の鳥ウィルスに由来する。
毎冬に流行するインフルエンザはこうした「新型インフルエンザ」の子孫だ。
これらのインフルエンザは呼吸器系の感染に限定され、健康被害も肺炎などの呼吸器系合併症に限られる。それでも新型の場合はほとんどの人が免疫を持っていないので大流行を起こす。
1918年の「スペイン風邪」では全世界で4000万から1億人、日本国内でも45万人が死んだ。
しかしこの猛威をふるった「スペイン風邪」でさえ「弱毒性」ウィルスなのだった。
WHO(世界保健機構)は「H5N1」強毒性鳥インフルエンザの封じ込めはすでに失敗したとしている。限られた地域の家禽を殺処分することはできても、宿主となる渡り鳥を絶滅させることなど不可能なのだ。
ヒトへの感染と死者の発生は引き続いて起きている。
そしてヒトからヒトへ感染する新型インフルエンザウィルスに変容するのは、WHOが「最大の脅威」と発信し続けているように、もう「If(あるかもしれない)」ではなく「When(いつ起こるか)」の段階になっている。
「H5N1」は、呼吸器系のみならず、血流にのって多臓器不全や脳炎を引き起こす。
さらに体内の免疫機能が異常に反応して暴走し、自分の身体を壊し始める「サイトカイン・ストーム」も来すため、高齢者、乳幼児だけでなく10代、20代の死亡率も激烈に高くなる。
最短4日で死亡。致死率は60%強(例年流行するインフルエンザでは0.1%)。
公害であれ薬害であれ、日本の行政が的確で万全な事前対策などした試しはない。
現状の備えしかない日本に上陸流行すれば死者200万人以上(2年間の国内誕生者数に匹敵)。
10ヶ月ほどをかけて伝播した「スペイン風邪」(1918年)の時代とは違い、グローバルな高速大量交通の整備されている今、発生・感染から世界への伝染拡大時間は数時間からせいぜい数日だ。
【関連サイト】
この本にも出てくる、小樽市保健所長・外岡(とのおか)立人氏が運営する
Let's prepare for the next influenza pandemic!!
鳥及び新型インフルエンザ海外直近情報集
は新型インフルエンザに関する海外情報を毎日のように訳して載せている。
著者が属している
国立感染症研究所感染症情報センターサイト
日本では自治体としてもっとも対策が進んでいるといわれる東京都品川区の
インフルエンザ・新型インフルエンザへの備えをすすめましょう!ページ
【関連書籍】
『新型インフルエンザ・クライシス』(外岡立人/岩波ブックレット)
『パンデミック・フルー 新型インフルエンザ Xデー ハンドブック』(岡田晴恵/講談社)
『強毒性新型インフルエンザの脅威』(岡田晴恵・速水融/講談社)書店)
『新型インフルエンザ―世界がふるえる日』(山本太郎/岩波新書)
『感染症とたたかう -インフルエンザとSARS-』(岡田晴恵・田代眞人/岩波新書)
『人類vs感染症』(岡田晴恵/岩波ジュニア新書)
『感染症は世界史を動かす』(岡田晴恵/ちくま新書)
1 3, 2008 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年11月06日
三角の石たち

由比ガ浜で丸い石がほとんどのなかでときどき拾う三角の石。
大きさも色合いも違うが尖った三角。
一番大きいものの角が少し丸くなっている。
波と石の力学はよく分からない。
たぶん、ごつごつしたものは角をとってまあるくしてやろうと海底には妖怪どもがうごめいているのだ。
少数派の三角でも石は石で毅然として美しい。
すこしは見習ったらどうよ、見苦しいドタバタの民主党のセンセイたち。
11 6, 2007 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | 固定リンク
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2007年10月23日
『東大全共闘1968-1969』(渡辺眸/新潮社)






「空気感」ということばがいつの頃からか安直に使われるようになった。
最近のカンヌ映画祭でも、キミがいるトコじゃないだろという感じのキムタクが「カンヌならではの空気感」などとしゃべっていた。
要するにきちんと言葉で述べる能力がないことを糊塗(う〜む、「糊塗(こと)」=一時しのぎにうわべをとりつくろうこと、が変換で出てこないとは)するのに便利。
ついでながら、ガンダム世代以降の「世界観」ということばの使われ方も同様。
私が学生の頃は、哲学、歴史、宗教、社会思想、文学、芸術論等とそれなりにきっちり向き合ってからでなくては「世界観」などというのはとても恐ろしくて発せられない言葉だった。
どうということもない独りよがりの作品を見せられて「私なりの世界観を表現してみましたぁ」なんて言われてもなぁ。
渡辺眸(ひとみ)さんは、一度社会人となったあと写真専門学校で写真を学ぶ。
新宿の街を撮るうち、68年10.21「国際反戦デー」のいわゆる「新宿騒乱」に遭遇し、また友人のデザイナー山本美智代さんの夫が山本義隆だった(いうまでもなく東大全共闘議長になる)こともあり、東大闘争に関わる。
彼女は1968年初秋から、「解放区」となった安田講堂のバリケードに寝泊まりし、事件性を追いかけるマスコミジャーナリズムとは異なり、山本義隆が寄稿している文にあるように「東大全共闘の闘争を長期にわたって内部から撮影した唯一のカメラマン」となる。
連帯を求めて孤立を恐れず
力及ばずして仆れることを辞さないが
力を尽くさずして挫けることを拒否する
という落書も彼女の写真により有名になった。
体育会系のスト破りどころではなく、古田会頭につながる右翼が抜き身の日本刀をふりかざして殴り込んでくるような苛烈なバリケード戦を闘ってきた日大全共闘3000名が、神田三崎町のキャンパスから無届けデモで機動隊の壁を突破し(隊列の外側のものはほとんど銀ヘルの下で血を流していた)、安田講堂前広場「11.22 東大=日大闘争勝利全国学生総決起大会」に合流してきたときの「闘争、勝利!」のうねるような地鳴り、連帯の歓声…。
そして一転してたんたんとしたバリケードのなかの日常…。
彼女が写し撮り、私もなにがしかを共有した時代の「空気感」がここにある。
10 23, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年10月15日
『真犯人ーグリコ・森永事件「最終報告」』(森下香枝・朝日新聞社)

いわゆる「グリコ・森永事件」が起こったのは今から23年前(1984=昭和59年)だから、今の若い人はほとんど知らないだろう。
入浴中の江崎グリコ社長が3人の男に芦屋の自宅から全裸で拉致され、「現金10億円と金100Kgをよおいしろ」という脅迫文が届く。警察の動きを察知した犯人たちは受け渡しには現れず、倉庫に監禁されていた江崎社長は3日後に「自力で」脱出する。
その後「かい人21面相」の名で、報復的な脅迫状が次々に届き、迂回裏取引をもちかける一方、新聞社に捜査本部を挑発、嘲笑する挑戦状を送りつけ続ける。
そして青酸ソーダを製品に混入して置くという新聞各紙に掲載された脅迫は鮮烈だった。
大手スーパーはのきなみグリコ製品の撤去を即日決定、翌日には菓子売り場からポッキーやキャラメルなどグリコ製品は一斉に姿を消す。グリコの株価は暴落し、工場も次々と操業停止に追い込まれていく。
こうした中で「ともこちゃん、ありがとう。グリコは、がんばります」という新聞広告が出され、2日後これに呼応するかのように「わしら もうあきてきた…江崎グリコ ゆるしたる」と終結宣言が新聞社に届く。
ところが一方で、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家などを次々と脅迫し、実際に致死量を超える青酸ソーダの混入した森永の菓子があちこちで見つかりパニックとなる。
売り場からの撤去、操業停止、株価暴落、売り上げ減はグリコと同じ。
現金引き渡し時の犯人取り逃がしの責任をおしつけられた滋賀県警本部長が定年退職と同時に焼身自殺する。
5日後「たたきあげの 山もと 男らしうに 死によった さかいに わしら こうでん やることに した くいもんの 会社 いびるの もお やめや」と1年5ヶ月におよんだ脅迫は唐突に終わる。
犯人たちは表面上一銭も入手できていない。
誰がなんの目的でこのようなことを行ったのか、皆目わからない。
2000年2月に最終時効が成立するまで、捜査対象者は12万5千人にのぼったが、ほぼ実行犯とされる「キツネ目の男」も「ビデオの男」も最後まで特定できない。
筆者は、1994年に神戸で起きた国内犯罪史上最大5億4千万円にのぼる銀行強盗事件を24歳の駆け出し新聞記者として取材し、現在は週刊誌記者として取材を続ける(『史上最大の銀行強盗ー5億4千万円強奪事件』幻冬舎)。
その中で二人組犯人のひとり(すでに自殺)とグリコ・森永事件との接点を見いだす。
当時未公開の捜査資料を入手して読み込み、彼らを結びつけた服役囚と接触し、ヤクザ、食肉業界、仕手筋、北朝鮮スパイ、エセ同和団体などなど、さまざまに描いた絵がすべて崩壊し、捜査ミスを隠蔽しようとする警察とは別の視点から真実に迫っていく。
黒澤明『天国と地獄』で、そしてこの事件にヒントを得て書かれた高村薫『レディ・ジョーカー』で活写されているように、底辺の闇から高台の豪邸をじっとりと見上げる憎悪の眼と犯罪の芽は、またそれを操るビハインドは今の日本社会にも確実に横たわっている。
「わしら 悪や くいもんの 会社 いびるの やめても まだ なんぼでも やること ある 悪党人生 おもろいで かい人21面相」
10 15, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年09月29日
Democratic Voice of Burma(ビルマ民主の声)サイト

現代のミャンマーではいくら普及率が低いとはいえネット環境も携帯電話もある。
28日にメールを含めたネット環境が閉鎖され使えない状況になった(ロイターによれば29日朝、アクセス可能に)ようだが、軍権力がいくら情報を遮断しようとしても北朝鮮のようにはいかない。市民や僧たちはあらゆる工夫をして情報発信し世界に伝えるだろう。
『Democratic Voice of Burma(ビルマ民主の声)』サイト(本部ノルウェー)
右は市民が撮った映像(長井健司さんが射殺されるところ)
下の写真は直前の長井さん
9 29, 2007 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年09月28日
ミャンマーを想う

訪れたことはないが、20年にわたる軍事独裁政権下のミャンマーの人たちの苦しみと、至近距離から撃たれて亡くなった日本人ジャーナリスト長井健司さんのこれを伝えねばという志と無念を想う。
軍事クーデター後の1990年に行われた総選挙で、アウン・サン・スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)が人民議会の485議席中392を獲得して圧倒的な勝利を得たのに、民政移管は行われず、スー・チーさんは自宅軟禁されたまま(ここ数日で別の場所に移されたという情報もある)。
日本政府は、軍事政権をいち早く承認し、外国人ジャーナリストの取材すら認めないこの独裁国家に多額の援助をずっと行い、一部の軍人と政商のみが潤う構造を支えてきた。
1960年代前半、アメリカの介入支持による南ベトナム腐敗独裁ゴ・ジン・ジエム政権に抗議する仏教僧の焼身自死のイメージをありありと思い起こす。
Reporters Without Borders(国境なき記者団)のPress Freedom Barometerで、今年殺されたジャーナリストは74名となった。
9 28, 2007 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年09月27日
笑う踏切

「とじこめられたら出てください」って、警報がカンカン鳴り響く中、遮断機に閉じこめられて遊んでいる人もいないだろう。
どこまで進む日本社会の幼稚化と責任を背負い込みたくない症候群…
JR横須賀線、鎌倉大町の踏切で。
9 27, 2007 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年09月20日
「”不都合な真実”をデザインする」ークライアントは地球

全学年向けの特別講演会。
4月から取り組んでいる「不都合な真実をデザインする」をテーマに、専任教員が話し、映画『不都合な真実』のダイジェストも観せる。
以下は私が作ったフリップから。
アル・ゴアは著作『不都合な真実』のなかで、
学生のころから30年以上取り組んできた地球温暖化の問題が
もうのっぴきならないところまできていることに警鐘をならし、
しかし私たちにはまだ解決の方向があることを示しました。
ゴアのスライド講演に接して感銘を受けた映画プロデューサーたちは、
講演では数百人にしか伝えられない、
この問題は何百万という人々に伝えたい
と映画『不都合な真実』を作りました。
私たち多摩美術大学(上野毛)デザイン学科の教員たちは、
これらの問題の解決に
私たちや学生たちが身に付けつつある
「デザインの力」を活用したいと考えています。
私たちが「デザインの力」を使ってとりあげるべき『不都合な真実』は
地球温暖化の問題にかぎりません。
核・戦争・難民・宗教対立・民族紛争・テロ
人口爆発・饑餓・水や食料不足・砂漠化・疫病
などの大問題から
身近なゴミやコンビニ袋の問題まで
わかってはいても
便利さや効率や安価さを優先してしまう生活スタイル、
科学技術が発達すれば解決できるのではという楽観、
誰か専門家が取り組んでくれるだろうという非当事者意識、
どうせひとりでは何もできないという諦め、
明日やればいい、と次の世代にツケを先送りする無責任、
これに類するすべてのことがらが
デザインの対象となる『不都合な真実』です。
20世紀のデザインは、大衆社会化・工業社会化のなかで、大量生産・大量消費・大量廃棄、利潤追求に寄り添うかたちで進展し、世界のさまざまな否定的側面にはなるべく関わらないようにしてきたといっていいでしょう。
もし「デザイン」ということの目的が
人々のほんとうの意味での幸せに資することであるならば、
21世紀、これからのデザインを担う若い人々には、
これらの問題に正面から向き合い、
クリエイティブな力を発揮してほしいと願います。
映像もアニメーションもウェブもポスターも
パンフレットも絵本もあるでしょう。
わかりやすいダイアグラムやエコプロダクツ、
警鐘に応える環境デザインも、
エコハウスの提案もあるでしょう。
上野毛デザイン学科の私たちは、コミュニケーション・デザインを通して、
少しでもできることから
これらの動きを主導し、支援します。
9 20, 2007 11.教育と学びのデザイン, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 31. 「不都合な真実」をデザインする | 固定リンク
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2007年09月12日
支離滅裂投げ出し辞任

内閣を改造し所信表明で決意を演説しておいて、それに対する代表質問が始まる直前に辞意を表明するというのは、日本の憲政史上初めてだろう。
弁論が命の政治家としてこれほど言葉と論理が空疎だった首相もいない。
しょせん「三塁ベースの上で生まれたのに自分で三塁打を打ったと思いこんでいる」三世おぼっちゃま、勘違い、空気(民意)を読めない人だった。
写真は台風後、由比ガ浜に打ち上げられたおびただしい量の海草やゴミ。
9 12, 2007 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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リバーベンド一家どうか無事で!

9.11の6年目の日に。
4月26日付けで「私たちはついに立ち退くことに決めた」という記事以来、更新のなかったバグダッドのリバーベンドのブログが9月6日に記事がアップされ、一家でシリアに逃れたことを知る。
Imagine !
これまでの生活のなかでため込んだ品々を調べ、選んで、1m x 70cm x 40cmのスーツケースに詰め、再び帰ってくるとき(それさえ分からないが)あるかどうか定かでない家と祖国に別れを告げ、「難民」と化すことを。
「私は部屋から部屋へと歩いてなにもかもにさよならをした。高校から大学の間ずっと使っていた机にさよならと言った。カーテンとベッドとソファにさよならと言った。子どものころ、E.と二人で壊してしまった肘掛け椅子にさよならと言った。食事の時にみんなが集まり、宿題もやった大テーブルにさよならと言った。かつて壁にかかっていた額入りの写真の幻影たちにさよならと言った。額はもうとっくに壁からはずされしまわれているからだ。でも、どの写真がどこにかかっていたか、私は知ってる。いつもみんなが夢中で遊んだくだらないボードゲームにさよならと言った。アラブ版のモノポリーで、カードもお金も欠けているけれど、誰もが捨てるにしのびなかったものだ。
いまの私にわかっているように、その時だって、どれもただの物にすぎないってことはわかっていた。人間のほうがずっと大切。だけど、一軒の家はひとつの歴史を伝える博物館のようなものだ。カップ一つ、ぬいぐるみ一つを見ても、思い出の詰まった一章が目の前に開かれる。私は突然、置いていってもいいと思えるものが自分で思っていたよりずっとわずかしかないことに気づいた」
バグダッド・バーニング(日本語翻訳サイト)
Bagdad Burning(原英文サイト)
『バグダッド・バーニング—イラク女性の占領下日記 』
『いま、イラクを生きる—バグダッド・バーニング〈2〉』
過去記事
爆音が鳴り響くバグダードでリバーベンドが観る「華氏911」
リバーベンドがクリスマスにほしいもの
9 12, 2007 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年08月30日
バングラデッシュを想って

由比ガ浜でT-Sideのシャウンと出会い、彼の家族とリトル・タイランドで。
シャウンも地球温暖化と故郷バングラデッシュの行く末を深く案じている。
バングラデッシュはガンジス河デルタ低地が大部分を占め、2004年の水害では国土の2/3が大被害を被った。
海面上昇ではすぐさま影響を受ける。
今日みたNHKの番組で、バングラデッシュの子供たち(実に生き生きとしたいい目をしている)が、防災訓練を見て「生き残る方法が分かったよ、”サイクロン・センター”に行けばいいんだね」とうれしそうに言っていたが、映し出された粗末なコンクリート2階建てのその避難所は村人の10分の1も収容できない。また、カトリーナ級の暴風サイクロンが来たらひとたまりもないだろう。
小学3年のモネッサ(アラビア語で「妖精」)ちゃんと1年生のラビーザ(同じく「太陽」)ちゃん。
8 30, 2007 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | 固定リンク
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2007年08月13日
もうひとつの原爆容認

1949(昭和24)年に出版(脱稿は被爆1年後の46年8月だが占領軍検閲で当初は出版差し止め)された『長崎の鐘』(永井隆)は、ベストセラーとなり、人気歌手、藤山一郎が歌う歌謡曲ともなって人々の記憶に残り、今に読み継がれている。
一方で、永井は戦前、浦上天主堂で洗礼を受けたクリスチャンだった。
浦上のカトリック信者たちが、天主堂崩壊後、爆死者たちの合同葬儀を行った際に、永井が読んだ弔辞が『長崎の鐘』に収録されている。
_____________________________
「…午前十一時二分、一発の原子爆弾はわが浦上に爆裂し、カトリック信者八千の霊魂は一瞬に天主の御手に召され、猛火は数時間にして東洋の聖地を灰の廃墟と化し去ったのであります。その日の深夜半天主堂は突然火を発して炎上しましたが、これとまったく時刻を同じうして大本営に於いては天皇陛下が終戦の聖断を下し給うたのでございます。
…
この日は聖母の被昇天の大祝日に当たっておりました。
…
投下時に雲と風とのため軍需工場を狙ったのが少し北方に偏って天主堂の正面に流れ落ちたのだという話をききました。もしもこれが事実であれば、米軍の飛行士は浦上を狙ったのではなく、神の摂理によって爆弾がこの地点にもち来らされたものと解釈されないこともありますまい。
…
世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔(こひつじ)として選ばれたのではないでしょうか?
…
互いに憎しみ互いに殺しあって喜んでいた此の大罪悪を終結し、平和を迎える為にはただ単に後悔するのみでなく、適当な犠牲を献げて神に詫びをせねばならないでしょう。これまで幾度も終戦の機会はあったし、全滅した都市も少なくありませんでしたが、それは犠牲としてふさわしくなかったから、神は未だこれを善しと容れ給わなかったのでありましょう。然るに浦上が屠られた瞬間初めて神はこれを受け納め給い、人類の詫びをきき、忽ち天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させ給うたのであります。
…
主与え給い、主取り給う。主の御名は讃美せられよかし。
浦上が選ばれて燔祭(はんさい)に供えられたる事を感謝します。この尊い犠牲によりて世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝致します。
希わくば死せる人々の霊魂、天主の御哀憐によりて安らかに憩わんことを アーメン
_____________________________
浦上地域は16世紀のポルトガル宣教師による布教以来、「キリシタン」の里であり、江戸幕府の度重なる弾圧にさらされながら住民たちは「隠れキリシタン」として暮らした。これらの弾圧は「崩れ」と呼ばれ、幕末の「四番崩れ」では三千余名の全村総流罪にあい、帰村できたのは1973(明治6)年になってからだった。
幕府は旧長崎市街と北にある浦上地区との間に、一種の緩衝地帯として、いわゆる「被差別部落」を置き、キリシタン摘発に「部落民」を使ったという。
私には直接はわからないが、旧長崎市街の住民と、爆心地浦上の住民とには微妙な差異感が当時も引きずられていただろう。
「そりゃそうばってん、誰に会うてもこういういうですたい。原子爆弾は天罰。殺された者は悪者だった。生き残った者は神様からの特別のお恵みをいただいたんだと」(『長崎の鐘』)と言われていたなかで、永井は、そうではない、原子爆弾が浦上に落ちたのは神の摂理、神の恵み、浦上は神に感謝をささげなければならない、としたのだ。
残された浦上のカトリック信者にとって、肉親、同胞の死を、無惨で無意味なものとして、あるいは天罰としてではなく、戦争を終結させ、世界に平和をもたらすための神の摂理であり、彼らは聖なるものに昇華した羔なのだ、という論理は、慰めや救いをもたらしただろうことは想像にかたくない。
しかし、この論理はカトリック信者のなかでは通じても、社会的政治的歴史的にとらえれば、きわめて重大な戦争責任の問題につながっている。
ひとつは、明白な「戦争犯罪」であるアメリカによる原爆投下の免責だ。
「広島、長崎への原爆投下がなければ、本土決戦となり、さらに100万(当初は5万の米兵と言っていたが後にだんだん数がふくれあがった)の命が失われただろう」というアメリカ政府と御用学者の宣伝(米国民の大半は今もこれを信じ込んでいる)に永井の言説は好都合だった。
だからこそ、被爆の悲惨さが記されていながら、占領軍GHQの検閲下(国防総省まで送られ、日本軍によるマニラでの残虐行為の記述を付加するという条件で)『長崎の鐘』は刊行を許された。
もうひとつは、昭和天皇の戦争責任の免責。
戦後アメリカは日本統治の上で天皇制を利用した方が得策と考え、象徴として残し、東京裁判でもこの戦争の最高責任者を起訴しなかった。
神が天啓を天皇に与え「御聖断」を下された、という永井の今からすればとんでもない詭弁は、アメリカと、「聖断神話」を維持したい天皇にとって、責任追及を封ずる願ってもない好ましいものだった。
昭和天皇が戦後初めて長崎を「巡幸」した際、永井はいわゆる「拝謁」を許されている。
さらに言えば、戦争に向かって行く中で、「宗教を超えた宗教」である国家神道に屈服、服従し、「銃後」体制を支えるように成り下がった(カトリック、プロテスタント、仏教、教派神道を問わず)宗教者としての戦争協力責任の糊塗であり免責でもある。
永井隆が献身的で真摯な医学者であり良き教師であり敬虔なクリスチャンであったことは疑いない。
しかし原爆投下について、戦争責任について、国家の側からではなく、民間の立場から、米日支配層に都合のいい納得感、気持ちの持ちようを大衆に広めたひとりであることもまた確かだ。
関連過去記事:
原爆しょうがないの本家
ナガサキの日に
参考文献:
高橋哲哉『国家と犠牲』(NHKブックス)
高橋哲哉『戦後責任論』(講談社学術文庫)
映画(公開中):
スティーブン・オカザキ『ヒロシマナガサキ』
8 13, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年08月09日
ナガサキの日に

長崎被爆62年目。
長崎被爆時、長崎医科大学で物理療法に携わり、自身被爆し妻も家も失いながら、献身的な救護活動を続け、白血病で亡くなった永井隆(1908-51)『長崎の鐘』(アルバ文庫)を再読ー
「昭和二十年八月九日の太陽が、いつものとおり平凡に金比羅山から顔を出し、美しい浦上は、その最後の朝を迎えたのである。
…
長崎医科大学は今日も八時からきちんと講義を始めた。国民義勇軍の命令の、かつ戦いかつ学ぶという方針のもとに、どの学級も研究室も病舍も、それぞれ専門の任務をもった医療救護隊に改編され、防空服に身を固め、救護材料を腰につけた職員、学徒が、講義に、研究に、治療に従事しているのだった」
そして午前十一時二分ー
「浦上の中心松山町の上空五百五十メートルの一点に一発のプルトニウム原子爆弾が爆裂し、秒速二千メートルの風圧に比すべき巨大なエネルギーは瞬時にして地上一切の物体を圧し潰し、粉砕し、吹き飛ばし、次いで爆心に発生した真空はこの一切を再び空中高く吸い上げ、投げ落としたのであり、九千度という高熱が一切を焼き焦がし、さらに灼熱の弾体破片は火の玉の雨と降ってたちまち一面の猛火を起こしたのである。推定三万の人が命を失い、十余万人が重軽の創傷を負い、さらに放射線による原子病患者は数限りなく発生せんとするのである」
「学生は? 清水先生は足もとへ眼を転じ、いきなり氷水をぶっかけられたかのように、全身が凍るのを感じた。この物体のようにころがされているのが私の学生なのか?
…
先生はまず足もとの黒変した肉体に飛びついた。”おい、おい”。返事がない。両肩に両手をかけて引き起こそうとしたら、皮がぺろりと水蜜桃のようにはげた。岡本君は死んでいた。その隣のが ”うーん”と呻いて反転した。”村山君、村山君、しっかりしろ” 先生はべろべろに皮のはげた学生を膝に抱いた。”先生、ああ、先生” そういったきり村山君ががくっとなった。
…
荒木君は南瓜のようにぶくぶくに膨れ上がり、ところどころ皮のはげた顔の中に、細い白い眼をみひらいて、”先生、やられました” と静かにいった。”もう駄目らしいです。お世話になりました”」
映画(公開中):
スティーブン・オカザキ『ヒロシマナガサキ』
8 9, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年08月06日
ヒロシマの日に

広島被爆62年目。
核兵器は「大きな爆弾」などではない。
生き残った人々とそのこどもたちにもさまざまな放射線障害を与え今にいたるまで苦しめている。
支持率22%(毎日)にまで落ち込んだ安倍内閣は今更のように「原爆症」の認定基準見直しや支援策充実などと言いだした。
こうの史代『夕凪の街 桜の国』よりー
お母さん…
いまのは誰?
そしてそれきり目も見えなくなった
…
だまって手を握る人がいた
知っている手だった
痛い
のどをまた生ぬるいかたまりが通っていく
もうただの血ではなくて
内蔵の破片だと思う
うでは便器をもつのが
精一杯
髪も抜けとるのかも知れんが
触って確かめる気力もない
あしたにしよう……………………あした………
嬉しい?
十年経ったけれど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?
(皆実)
このお話は
まだ終わりません
何度夕凪が
終わっても
終わっていません
『夕凪の街 桜の国』についての過去記事
映画(公開中):
スティーブン・オカザキ『ヒロシマナガサキ』
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2007年08月01日
悼・小田実

作家の小田実が7月30日亡くなった。享年75。
私の若い頃の人生にさまざまな刺激を与えてくれた人だった。
『何でも見てやろう』(1961)を中学生のころ繰り返し読んだ。
新聞やテレビで見るものではない世界がそこにはあった。
終戦のわずか前日、8月14日に経験した大阪大空襲で黒こげの死体と向き合い、後年「難死」と呼んだ無意味な死の意味を問い続けた。
米軍の猛烈な空爆下のベトナムの地で人々にどのようなことが起こっているか、ありありとイメージできたのだろう。
小田実、鶴見俊輔、開高健などによる「べ平連」=「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」(後に「ベトナムに平和を!市民連合」)の呼びかけに、1965年4月、当時高校三年生だった私は友人をさそって清水谷公園に学校帰りに行き、賛同の署名、集会とデモに参加した。
熊のような体格で、しかし猫背で、ボソボソと話す、けれど反論するときは少し顔を上げてまっすぐ見つめ、諭すように自分の意見を言う人だった。
『何でも見てやろう』から私の好きな一節を引用して追悼。
ギリシャでのたぶん1959年か60年の話ー
バスで、あるいはバスも来ないような寒村へは徒歩で村につくと、私はすぐ喫茶店(カフイニオン)へ行った。
村人はたいていそこに集まっている。私は店内へ入る。みんなはいっせいに私を見る。…
なかでもとりわけ人なつっこく笑っている若者に向かって、私はニコニコしてやる。…
すぐさま、そいつが私のそばに来る。そしてギリシャ語で訊ねる。「どこから来ました?」
「どこから来たと思うか?」私もギリシャ語で答える。
とたんに、その若者の眼に喜悦の色が浮かぶ。彼はみんなに、「おい、この客人(クセノスーギリシャ語では「客人」と「外国人」とは同一語である)は、ギリシャ語が判るぞ!」とどなる。みんなはどっと私のまわりに集まって来る。
おまえはドイツ人だろう、イギリス人だろう、いやアメリカ人だろう。要するに外国人というものをろくすっぽ見たことがない連中ばかりだから、みんなはそんなすっとん狂なことを言った。
そのうち村のものしりがでてくる。この客人は髪の毛の黒いところを見ると、イタリア人かスペイン人であろう。オヒ、オヒ(ノー、ノー)、このかたはきっとアラビア人だ。このかたの眼を見なさるがよい、このかたの鋭い眼は、これは砂漠に生きる者の眼だ。
…ころあいを見はからって、私は真相を明かす。「日本(イアポニア)だ」。みんなは、一瞬、呆気にとられたように黙る。それから異口同音に叫び出す。
「イアポニア!イアポニア!」誰かが握手を求めに来る。おれの伯父さんの友人の息子が、朝鮮戦争のとき日本に行った。ぼくの兄貴の嫁さんの友人の夫が、日本製の魔法のようにちっちゃなラジオを持っている。すばらしい。すばらしい。
…私は質問の十字砲火を浴びる。
…これがひとわたりすんだところで、私は訊ねる。「ときに、この村には宿屋はないか?」彼らはかぶりをふる。あたりまえである。私は始めから宿屋のないような寒村ばかり選んで行ったのである。「それは困った。おれはもうくたくただから、ここで泊まりたいのだ」すると、四、五人が口々に「それじゃあ、おれのところに来いよ」と言い出す。その四、五人のうちで、失礼な話であるが、もっとも身なりのよいのを選んで、その人の家にころがりこむことになる。
正直にいって、彼らは貧しい。…しかし彼らは、その貧しさのなかから最上のものを私にあたえようとする。あるお百姓さんの老婆がお嫁入りのときに持参したというシーツにくるまりながら、私はあるとき、彼らの親切に真実泣いた。お手製のわが家で焼いたパン、牛乳、オレンジ、そして、おお、羊の肉と酒さえが、私の食卓にはあった。…
8 1, 2007 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年07月19日
アーロン・マーカス氏の講演を聴いて

上野毛オープンキャンパスでアーロン・マーカス氏の講演を聴く。といっても前半だけで後半は聴いていない。
「異文化コミュニケーション」うんぬんと題されていたが、けっきょくグローバル企業が異文化に入り込んでグローバリゼーションを貫徹するためにはこういう文化的背景を考慮してアピールしなければなりませんよ、ということをデザイン面からコンサルティングしていることのプレゼン。
ひらたく言えば、このボトルの形状や色のままではここには進出できませんよ、こういう歴史的社会的文化的背景を考えてここではこうしなさい。
さらに、いわゆる「ユーザビリティ(使い勝手)」という「フィジカルな(身体的な)」面だけでなく、「User-Experience Design(ユーザーの経験のデザイン)」という「スピリチュアルな」ことまでも考えなさい(そこまで影響・支配しなさい)。
異文化をできるかぎり理解するということは当然必要であり、その上で人々にアピールすることに資するのがデザインだ。
この人の華々しい業績から、狭い意味での「デザイン」面で学ぶことは多々あるだろう。
しかし「何を」「誰のために」アピールするのか?
私は微力ながらグローバル企業のためではない違う(反対な)方向に資することを目指します。
この問題の背景を考えるうえでのとりあえずの参考文献:
『グローバリゼーションとは何かー液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁
『グローバリゼーション・スタディーズ 入門編』
『グローバリゼーション・新自由主義批判事典』
『グローバリゼーション(知の攻略 思想読本)』伊豫谷登士翁
『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』
『オルター・グローバリゼーション宣言ーもうひとつの世界は可能だ!もし…』スーザン・ジョージ
『グローバリゼーション・スタディーズ1 総力戦からグローバリゼーションへ』山之内靖・酒井直樹
『グローバリゼーション・スタディーズ2 グローバリゼーションの文化政治』テッサ・モーリス=スズキ他
『グローバリゼーションのなかのアジアーカルチュラル・スタディーズの現在』編集=伊豫谷登士翁・テッサ・モーリス=スズキ・酒井直樹
7 19, 2007 07.デザインの世界, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年07月05日
原爆しょうがないの本家

某とかのしょうもない大臣が「原爆投下はしょうがない」旨の発言をし、「万死に値する」等々さんざんに批判されて辞任した。
では以下の発言はどうなのか?
1975(昭和50)年、昭和天皇は初めて訪米し、帰国後の記者会見で「戦争終結に際し広島に原子爆弾が投下されたことを、どのように受け止められましたか」という質問にこう答えた(高橋哲哉『国家と犠牲』NHKブックスより)。
「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っております」。
ついでに記しておけば、この記者会見のとき「いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか」という質問に、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」と答えて(?)いる。
7 5, 2007 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2007年05月01日
増山理人写真展「UN ABRAZO」(20日まで)


昨年11月から今年2月にかけ、再びニカラグアに渡り、首都マナグアに拡がるスラム路地裏の子供たちに会い、個人として活動してきた増山理人くんの報告と写真展が、鎌倉由比ガ浜の「ラ・ジュルネ」で開かれている(5月20日まで)。
今回のタイトルは、スペイン語で「抱擁」を意味する「UN ABRAZO(ウン・アブラッソ)」。
「人の抱擁から、社会の抱擁から見捨てられた子どもたち。’貧しさ’に傷つけられながらも毎日を懸命に生きる子どもたち。そんな子どもたちに出会ってきた。…人を抱きしめたときにつたわる’ぬくもり’ 人を抱きしめたときにつたわる’愛情’、そんなものしか彼らに与えることはできないが そんなことしか自分にはできないが そんな抱擁を彼らに贈りたい」
増山理人くんのブログ
La Journee(ラ・ジュルネ)
鎌倉市由比ガ浜3-9-47 Tel: 0467-23-6731
5 1, 2007 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年10月09日
地方のロードサイド風景

日本の地方を高速道路ではなく地方都市をつなぐ国道やバイパスを車で走っている(私は運転はしないのでいつも周りを見ている)と、ロードサイドの景観のあまりの醜悪さに暗澹たる気分になる。
物理的に荒廃しているわけでも環境衛生的に不潔なわけでもない。
しかし田んぼの中にも突然出現する大型ショッピングセンターや町そのものといっていいショッピングモール、ファミレス、安売り紳士服店、けばけばしいパチンコ店、家電量販店、カラオケボックス、中古車販売、無数のコンビニ……。しばらく走ればまたこのワンセットが次々に現れる。
遠景になにか特徴のある山並みでもあれば多少区別はつくが、北関東だろうと、上越だろうと、東海だろうと、ここ20年ほどで今ではまったく地域の風土の歴史や個性も矜恃も無い留めない画一化された風景となってしまった。
安倍晋三は先週の国会で「ナショナリズム」についての見解を求められ「自分が生まれ育ち、慣れ親しんだ自然や祖先、家族、地域のコミュニティーへの帰属意識だ」などと答えていた。「近代国家」におけるナショナリズムをまったく理解していない、あるいは明治以降のナショナリズム形成の上でのこうしたすり替えを踏襲する人物を私たちはまた首相としていただく。
安倍のいうような牧歌的な「ふるさと」や「地域コミュニティー」を日本中で壊してきたのは君たちではないか。
90年代以降、グローバリゼーションによって「総フランチャイズド化」が世界的にも押し進められ、日本の地方は過疎山間部以外は「総郊外化」され「消費社会化」し「ファスト風土化」している。
若い世代がこれらの変化を所与の現実としてさして疑問も抱かず受けとめていることに胸が痛む。
大都市圏に現在住んでいる人間にとっても自分の住んでいるところだけでなく、地方地域を創り直すこと(単に「シャッター街」と化したかつての商業中心地を活性化させるというレベルではなく)を考えることはこれからの日本社会と生活にとって欠かせない。
調べ考えるきっかけとしてー
『儲かれば、それでいいのか—グローバリズムの本質と地域の力』(「環境・持続社会」研究センター発行・コモンズ販売)
『ファスト風土化する日本ー郊外化とその病理』(三浦展・洋泉社新書y)
『失われた景観ー戦後日本が築いたもの』(松原隆一郎・PHP新書)
『<景観>を再考する』(松原隆一郎他・青弓社)
『品格なくして地域なし』(晶文社)
10 9, 2006 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 16.都市・住い・インテリア・暮らし | 固定リンク
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2006年10月05日
『Maria Full of Grace』(『そして、ひと粒のひかり』)

南米コロンビア出身の友人エクトル・シエラによれば、コロンビアは自然に恵まれた美しい国で、資源も豊か、多様な生物にあふれ、人々は素朴であたたか、陽気で楽天的。
一方でコロンビアは第二次大戦後から長く「内戦状態」といっていい状況にあり、政府軍、地方有力者が囲う民兵、左翼ゲリラなどの抗争がずっと続いている。
人口1000万の首都ボゴダでは毎晩30名が殺され、数十人が暴徒に襲われ、約100人が強盗に遭う。年間の誘拐は2000件、テロ攻撃は850件。
コロンビア人は母国を皮肉って「ロコンビア」と呼ぶ。「Loco」はスペイン語で「クレイジー」の意。
この映画もコロンビアではほとんど撮れなかった。
そしてさらに「麻薬民主主義社会(Narcodemocracy)」と呼ばれるほど麻薬カルテルが強大な力を政界にまで及ぼしている。
『そして、ひと粒のひかり』(原題『Maria Full of Grace』)-米&コロンビア/監督-ジョシュア・マーストン/2004
コロンビアの地方の町で薔薇のトゲ取りで一家の生計をしょっていた17歳の娘が、尊厳も品位(Grace)もない扱いの仕事と自分に依存する家族にどうにも我慢ができなくなる。
特に愛してもいなかった男との子を宿しながら、首都ボゴダに行き、5000ドルという(コロンビアでは家も買えるだろう)報酬につられ(「つられ」というのは正確ではない、彼女は自覚的に選択している)、麻薬の運び屋を引き受け、ヘロインを詰めた親指大ほどのゴム袋を62個も飲み込んでニューヨークに飛びたつ。
揺れ動く手持ち撮影を徹底しドキュメンタリーフィルムの味わいを通した脚本・監督のジョシュア・マーストンと凛とした(Full of Grace)主演のカタリーナ・サンディノ・モレノ(米アカデミー賞主演女優賞ノミネート他受賞多数)が素晴らしい。
『Collins Cobuild English Dictionary』の「Grace」の項、1と2。
1. If someone moves with grace, they move in a smooth, controled, and attractive way.
2. If someone behaves with grace, they behave in a pleasant, polite, and dignified way, even when they upset or being treated unfairly.
10 5, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年09月14日
増山理人写真展「CORAZON」at 上野毛キャンパス

増山理人写真展「CORAZON」(中米ニクアグラ、スラムの子どもたちと過ごした2年間の記録)を今日14日から21日まで、多摩美上野毛キャンパスの学食前で開催します。
14〜22時 / 17-18日は休み
20日(水)には公開特別講演会も行われます。
18〜21時 / 上野毛キャンパス講堂
いずれも一般の方のご来場、聴講は自由です。どうぞお越しください。
以前の記事をどうぞ。
6月8日の記事
7月2日の記事
7月3日の記事
9 14, 2006 11.教育と学びのデザイン, 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年09月12日
歳を重ねてー『アメリカよ、美しく年をとれ』(猿谷要)

絵・アニサ・13さい・アフガニスタン・カブール
「いったいどんな経験をすれば、子どもたちは黒いクレヨンで太陽をかくようになるのでしょうか?」(『あの日のことを かきました』(エクトル・シエラ / 講談社)。
大英帝国の植民地からアメリカが独立したのは、今からわずか230年前の1776年。大西洋岸のメインからジョージアまで13州の弱小国家として出発した。
日本では江戸後期十代家治の安永5年。当時日本の人口はおよそ3000万。
アメリカは1790年に国勢調査を行ったが人口は僅か400万(うち80万がアフリカ系)。ただし300万と推定される先住民(ネイティブ・アメリカン)は入っていない。
次の世紀を通じて西部を「開拓」し、メキシコに戦争をしかけてテキサスなどを獲得し、フロンティアが消滅するとハワイを呑み込み、スペインからフィリピンを奪い取る。
そして今「大米帝国」といっていい最強国家として世界に君臨する。
若い頃から猿谷要氏のさまざまな著作や翻訳でアメリカのことを学んできた。
ややオプティミスティックなリベラリズムに私は批判的ではあったがこの近著『アメリカよ、美しく年をとれ』(岩波新書)は、読んでいて何度も涙した。
戦時中、飛行教官で赴任していた北海道西春別(現別海町)で見たグラマン機の「少なくとも鬼畜ではない」初々しさが残っているほどの少年パイロットの顔のアメリカとの出会いに始まり、「西洋史」はギリシャ・ローマと英独仏が中心で「アメリカ」など影も形もなく独学した大学時代。その後のアメリカ各地での学びや旅と人々との交流を描いた心象風景。
何度にもわたる脊椎圧迫骨折の苦痛のなかで書かれた。
なによりも、自分がより知ろうと志し、訪れ、学び、人々とつきあってきた「若く」「民主的」で「親しみやすい」国であるはずだったアメリカが、世界中の人々から嫌われ、今無惨な「老醜」をさらそうとしていることへの悲痛な忍びなさが行間に溢れている。
帯の文言ー
「愛する国の老醜は見たくない」「軍事力より文化力を」
AMERICA, Age with Grace and Dignity.(私訳ーアメリカよ、品位と尊厳とともに年をとれ)
私も今日ひとつ歳を重ねる。
Age with Grace and Dignityでありたい。
9 12, 2006 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年09月11日
9・11から5年

「何まいかいても、アシュリーちゃんの絵の中のツインタワーは、やっぱり黒いままでした。」(『あの日のことを かきました』(エクトル・シエラ / 講談社)。
一昨年にも、昨年にも記した。今年はもうくどくどしく書かない。
9・11は出発点では断じてない。
それまでに何がなされれてきたか、それまでに何がなされてこなかったかの歴史的結果だ。
その後の「対テロ戦争」下の5年、世界と日本はますます暗い道筋をたどっている。
9 11, 2006 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年09月04日
「国境なきアーティストたち」(ギャラリーf分の1)



「南米からの熱い風ー日本在住の中南米芸術家たちによる展覧会」の際、理人くんに続いてのプレゼンテーションを聴いていろいろ話しをし、知己となったエクトル・シエラ(Hector Sierra)さんによるミニ展覧会。
御茶ノ水「ギャラリーf分の1」(9月9日まで・03-3293-8756)
エクトル(写真中左)は1964年南米コロンビア生まれ。93年から東京在住。
映像制作を志すがコロンビアには適当な大学が無く、奨学制度のある旧ソ連ウクライナ共和国のキエフ大学映画監督学科に進む。キエフ大学は世界中(特に「第三世界」)からの留学生がたくさん集まっており、またグルジア生まれのアルメニア人で奇才・天才と呼ばれた映画監督セルゲイ・パラジャーノフ(1924-90 / 『火の馬』『ざくろの色』『スラム砦の伝説』『アシク・ケリブ』など)の助監督を務めたりすることで、異なる文化、民族、宗教の問題を体感する。
エクトルは日本を含むさまざまな国を旅するなかで日本に強く惹かれ、1993年奨学生として来日。九州芸術大学、そして日本大学芸術学部大学院で映像制作を研究。
修士作品として当時解体しつつあり緊張が高まっていたユーゴスラビア連邦・コソボの姿を自分の目で見、ドキュメンタリーを作りたいと考えてコソボに渡りNATO軍による空爆を体験するなかで、戦争に慣れてしまうことの恐ろしさ、そして「敵が誰か」ではなく「戦争そのもの」こそが最大の敵だと考えるようになる。
自分個人では戦争を止めさせるすべはない、けれどなにかをせずにはいられない。ベオグラードの友人たちからの悲鳴のようなメールや滞在した町が次々に破壊され人々が難民となっていく様をTVで見るなかで、エクトルはアーティストとしてできることを思案する。
食料や薬などの物資はいろいろな機関の援助があるだろう。しかし戦争によって打ちのめされた人々の心のケアには手がまわらない。特に心に深い傷を負った子どもたちに対しては。
戦災地や紛争地の子どもたちに芸術の種を蒔こう。心の傷をアートを通して浄化する機会を提供しよう。
こうしてエクトルが他のさまざまなアーティストの協力を得て1999年に作り国際的な活動を行っているのがNGO「国境なきアーティストたち(Artists Without Borders)」
今回はコソボ、バーミヤン、NYグラウンドゼロなどでの子どもたちとのワークショップで描かれた絵と、十二支の動物たちが「グローバリゼーション」について議論するエクトル作のお話に、コロンビア出身で武蔵野美術大学大学院を出たラウラ・スタニョ(LAURA STAGNO)さんが描いた愉快な絵の数々を展示。
私が行った2日には、翻訳(『世界の<水>が支配される!—グローバル水企業(ウオーター・バロン)の恐るべき実態』)やグローバリゼーションと環境・持続社会についてのNGO、情報提供、市民教育で活躍している佐久間智子さん(写真中右)を迎えてトークショー。聴講者も熱心に発言。
【写真上】ロシア軍の侵略破壊から逃れてきたチェチェン難民の少年(12歳)が「雨のイメージ」として描いた自分の生まれ育ち今は廃墟と化したチェチェン首都グロズヌイ。エクトルは世界の子どもたちに日本の文化の紹介や子どもたちとの交流をはかることも進めている。「美」「和」などの漢字と意味を教えると子どもたちは喜んで絵に取り入れる(エクトルは「習字絵」と名付けている)。漢字の「雨」は大人気。
【写真中】エクトル・シエラ(左)と佐久間智子さん(右)
【写真下】聴講者も熱心に発言する
国境なきアーティストたち(Artists Without Borders)サイト
『国境なきアーティスト』(エクトル・シエラ 子どもの未来社 寺子屋新書)
『あの日のことをかきました—ニューヨークとアフガニスタン 絵でつたえる子どもたちの心 』(エクトル・シエラ 講談社)
9 4, 2006 10.美術工芸, 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年09月03日
「世界の戦場から」写真展


石ころがごろごろしている地面にある三足の、いや正確には片方ずつ三個の靴の写真(撮影・桃井和馬)。
縫い目もほころび使い古し土埃にまみれている。
イラク、2004年2月16日。三人の男たち、爆死。
かつて三人のイラク人が履いていた靴。
それはユーセフとモハンムドとアブドゥルのものかもしれないし、ジュールジュと二人の弟のものかもしれない。
老父母や幼い子どもたちを養い、爆撃で傷ついた娘を瓦礫の中でろくに医薬品もない病院へと走り続けた靴かもしれない。
死んだ息子を抱きしめ血と涙が垂れ落ちた靴かもしれない。
そしてそれは誰のものでもありえ、またレバノンやパレスティナやチェチェンやアフガンやコソヴォの地のものであるかもしれない。
古典的な戦争では「戦場」とは戦闘員どおしが戦う場だった。
20世紀の無差別大量殺戮を経た21世紀の今、ここに切り取られた「戦場」は人々が暮らす「日常の場」だ。
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)のメンバーが出展(8月27日 地球市民かながわプラザで・すでに今回の展示は終了)。
JVJAは、9・11後の「反テロ戦争」の拡がりの中でますます力に寄り添うマスメディアの危機的な状況に抗し、人間の生命と尊厳と環境を守り伝えるためのフォトジャーナリズムを復権させようと2002年に広河隆一、古居みずえ、土井敏邦、山本宗輔、林克明などのフリーフォトジャーナリスト、ビデオジャーナリストにより結成された。
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)サイト
『フォトジャーナリスト13人の眼』(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会編・集英社新書)
『岩波フォト・ドキュメンタリー「世界の戦場から」』(岩波書店)ー『反テロ戦争の犠牲者たち』(広河隆一)他全11冊・別冊
9 3, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年08月31日
『絶望と希望の半世紀』展

東京都写真美術館で『絶望と希望の半世紀』展を観る(9月10日まで)。
第二次大戦中、それぞれの国家のプロパガンダと堕したフォトジャーナリズムへの反省から、1955年「世界報道写真財団(World Press Photo)」が設立された。
これは2005年に財団本部のあるオランダ・アムステルダムで開催された設立50周年記念展覧会の国際巡回展。
1955〜2005年の50年間を10年ごとに5つのテーマに分けている。
・1955〜1964 雑誌がビッグだったころ
・1965〜1974 ベトナム戦争の時代
・1975〜1984 ヒーローとアンチヒーロー
・1985〜1994 新しい世界秩序
・1995〜2005 報道アーティストの出現
アンリ・カルティエ=ブレッソン、ウォーカー・エバンズ、ユージン・スミス、エド・バンデル・エルスケン、リチャード・アベドン、ナン・ゴールドウィン、ジェイムズ・ナクトウェイ、セバスチャン・サルガドといった20世紀後半写真史上の巨匠たちが、世界中の現場から人々と生起する歴史の現実を切り取り『ライフ』『パリマッチ』『ナショナル・ジオグラフィック』『シュテルン』などを舞台に発信する。
「絶望」が99%に思えてくるなか、妊娠2ヶ月、体長わずか8cmですでにヒトとわかる胎内写真を見て、残り1%の「希望」を持ち続け、イメージし続けるしかないと感ずる。
8 31, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年08月24日
『サラフィナ!』-「自由はまだ始まりなのよ」



『サラフィナ!』(1992・監督・ダレル・ジェームズ・ルート・イギリス/ドイツ/南アフリカ)。
アパルトヘイト(Apartheid・人種隔離政策、1991年に撤廃)下の南アフリカ、ケープタウンの「黒人居住区」ソウェトに住む、ズール語で「小さな天使」を意味する「サラフィナ(SARAFINA)」という高校生少女(レレティ・クマロ)を中心に描く。
1976年から89年までに、抵抗する高校生たちはおよそ750名も殺された。生徒たちは連行され「Lesson」として拷問が加えられていく。恐怖による屈服の強制と支配。
しかし、彼ら彼女らの自由への欲求を抑えることなどできるわけがない。
生徒たちに、政府が教科書として与える「シラバス」ではなく歴史を通して「ほんとうのこと」「学ぶべきこと」を教え、やがて連行され「自殺した」とされる女教師マソンブカ先生(ウービー・ゴールドバーグ)が印象的。
「いつの日か自由は必ず来るわ。でも自由はまだ始まりなのよ」
8 24, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年08月17日
『ロバート・キャパ写真集「戦争・平和・子どもたち」』



ロバート・キャパ(1913-54)はスペイン内戦、第二次世界大戦、インドシナ戦争とずっと戦場を撮り続けたが、同時にそのなかにある子どもたちの姿をたくさん撮った。
『ロバート・キャパ写真集「戦争・平和・子どもたち」』
弟のコーネル・キャパは述べる。「ここにあるのは、つまるところ、ボブ・キャパが密かに愛した家族、世界中に散らばっている彼の子どもたちのアルバムなのである。これらの写真のなかに私が見るのは、私たちの両親が子どものころの彼にそそいだ愛情、そして、私たちの母親ユリアが彼の生きている間じゅう惜しみなく彼に与えつづけた愛情が生み出した、利益配当金である。ここに見えてくるのは、それほどまでにたっぷりとそそがれた愛情や賞賛を、再投資し、こんどは自分がやさしく全世界の子どもたちに移しそそいでいるボブの姿である。」
上)1938年・西安。前年日本軍は盧溝橋事件を起こし本格的な中国侵略を押し進め、南京も占領していた。
中)1939年・バルセロナ。ファシスト・フランコ軍が迫る。市外へ避難するための車を待つ少女。
下)1944年・パリ。ナチスドイツからの解放を祝って。
8 17, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年08月13日
「南米からの熱い風ー日本在住の中南米芸術家たちによる展覧会」

横浜の神奈川県民ギャラリー(第2展示室)での「南米からの熱い風ー日本在住の中南米芸術家たちによる展覧会」(主催:国際交流ゆめプロジェクト)に。
増山理人くんによる、ニカラグァでのストリートチルドレンとの2年間の経験のスライドショー。


コロンビア出身で多摩美術大学大学院在籍中のエディソン・オソリオ・ザパタ eDISON OSORIO-ZAPATAさん(ガラス工芸)、ユアン・マニュエル・カストロ Juan Manuel Castroさん(情報デザイン)の作品(上の写真の右の映像)もある。
神奈川県民ホールギャラリー 第2展示室
今日13日(日)PM4まで
8 13, 2006 10.美術工芸, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年08月07日
広島の日に-2 『爆心地復元』



NHKハイビジョン特集『爆心地復元』を観る。
生き残った人々の記憶やさまざまな記録からCGで爆心地の被爆前を再現する。
一瞬にして喪われたのは、このような街並みと家々に暮らす人々と生活だった。
8 7, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年08月06日
広島の日にーこれから空爆されようとしている街


イスラエル軍は5日、レバノン第3の都市、南部の人口15万のサイダ(Saida)に空爆を加えると予告し、全市民に退去を「要求」した。「予告」が「人道的」とか「紳士的」とか言うつもりか?
Google Earth で見たサイダの街並み。
8 6, 2006 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年08月03日
『戦略爆撃の思想・ゲルニカー重慶ー広島への軌跡』(前田哲男)


レバノンへのイスラエルによる空爆再開のニュースを聞きながら、友人に推奨され、『朝日ジャーナル』に1987年連載され一度は目を通していた前田哲男『戦略爆撃の思想・ゲルニカー重慶ー広島への軌跡』(現代教養文庫・絶版)をようやく入手し読み継ぐ。
「空からの無差別大量殺戮」という戦法が、実は第一次世界大戦後初の都市への無差別攻撃となる日本軍による中国東北部・錦州に対する空襲(1931年)に始まり、上海、南京、武漢、そして「抗日首都」重慶に対する3年に渡る空爆という世界史的な背景を持っていることを今の日本人はほとんど知らない。
8 3, 2006 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年07月24日
『ドレスデン大空襲』(ドイツ・2005)



ドイツ・ブロードビューTVが2005年に制作し国際エミー賞も受賞したドキュメンタリー『ドレスデン大空襲』をNHK・BS1で見る。
第二次世界大戦末期、すでに大勢が決した1945年2月初め、クリミア半島ヤルタに連合国側の三首脳、米(ルーズベルト)、英(チャーチル)、ソ連(スターリン)が会し、戦後の枠組みを決める。
この席でチャーチルは、ドイツ東部戦線に近い諸都市の空爆により市民の混乱を引き起こすことを提案(英空軍爆撃司令部司令官アーサー・ハリス=別名『ボマー』・ハリス、絨毯爆撃の熱烈な支持者とされる、の意見が通ったらしい)、実行に移される。
2月13日夜ロンドンを飛び立ったイギリス空軍ランカスター爆撃機245機は陽動作戦により防空網をやすやす突破しドレスデン上空に達する。
第一波、通常爆弾500トン、焼夷弾、時限発火爆弾。
深夜の第二波は倍にのぼる529機、通常爆弾965トン、焼夷弾800トン。黄リンと合成ゴムを混合した発火物質も使われたといわれる(これは後に「ナパーム弾」などに「発展」する)。
ドレスデンは「アルプス北のフィレンツェ」と呼ばれたザクセンの古くからの美しい街。当時軍事施設などはなく、しかも「無防備都市」宣言をしていた。
中世からのバロック様式の建築が密集する街の中心部は一夜にして灰燼に帰す。
このドキュメンタリーはドイツで制作されたが、当時少年、少女だった生き残りの人たち(今はもう70〜90代)の実に生々しく具体的な証言とともに爆撃した側のイギリス兵のインタビューも丹念に収録している。
「外に出て焼けた材木の上を歩きました。気がつくとそれは材木ではなくすべて焼死体なのでした」
「軍事目標は何もない、ただ建物を破壊し市民を殺しました。それ以後私はずっと神に許しを乞い続けています」
「私は敬虔なクリスチャンでした。しかしこの空襲の体験のなかで信仰心を失ないました。もはや神を信じることはできません」
翌昼のアメリカ陸軍航空隊によるこれでもかという拷問のような第三波空爆。通常爆弾475トン、焼夷弾296トン。米軍は否定しているがエルベ河畔に避難している市民への低空飛行による機銃掃射。
当時約60万の市民にソ連軍の侵攻が迫るプロイセン地方などからの避難民が20万人ほどはドレスデンに流入していた。
この無差別爆撃による死者の数は35万とも3万5千ともいわれるが永久にわからない。
「人間の身体は600度で45分焼けば灰になります。このときのドレスデンは1200度の炎に包まれていたのですよ。死者の数になんの意味があるのでしょう」
写真中は60年の歳月をかけて復旧された「聖母教会(Frauenkirche)」
写真下はここに集い追悼の祈りを捧げる元イギリス爆撃隊員。
ヨーロッパ磁器制作発祥の地、マイセンが近郊にあり、来年2月に訪れる予定。
7 24, 2006 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年05月16日
パトリックに沖縄を語る

八重洲「沖縄すろーふーど う〜みや」で。
泡盛は200種類以上揃えてある。昔沖縄で暮らしていた頃もこれほど置いてある店はなかったように思う。食材は毎日沖縄から空輸。
海ぶどう、島らっきょう、豆腐よう、クス豆腐、ラフテー、ゴーヤチャンプルー、ソーミンチャンプルー…。
英語を少ししか解さないパトリックに沖縄の歴史を理解してもらうのは難しい。が、この晩は顧問で美術工芸史家の池田まゆみさん(写真中)と通訳の畔柳奈緒さん(リモージュ大学に留学していた・写真右)というフランス語に堪能な人たちと一緒。
私が日本語で話し通訳してもらう。
近世初頭まで沖縄は琉球として日本とは別の独立王国であり、中国と日本との一種の二重「朝貢」関係のもとで交易で栄えたこと、17世紀からの島津の武力侵攻と過酷な収奪の歴史、そして明治近代国家の創成に際し、北方の「蝦夷地」とともに併合され「大日本帝国」化のもととなったこと、その後も「臣民化」の中で厳しい差別と貧困にさらされたこと、第二次大戦では日本「本土」防衛の盾とされ将兵の戦死者をはるかに上回る一般住民10万人もが死んだこと。戦後冷戦の始まりにより72年まで米軍の直接統治下に据え置かれ「極東の要石」として朝鮮戦争、ベトナム戦争の出撃補給基地となったこと、「復帰」後の現在でも日本における米軍基地の75%もが集中していること、等々…。
パトリックは、王国の歴史を持ちながらその後さまざまな支配と差別、貧困にあえいだシシリー(シチリア)島やフランスに18世紀「売却」され、激しい独立運動を繰り広げたコルシカ島を思い起こしている。
5 16, 2006 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年02月19日
『戦後史大事典』(三省堂)

今年七回忌を迎える私の父は第二次大戦時応召され中国大陸に送られた。
東京帝国大学出だったために、中国江蘇省揚州で士官としてのにわか訓練を受け、1944年の無謀な「大陸打通作戦」の前線で小隊指揮に立たされた。湖南省長沙(チャンシャー)の市街戦で、左耳奥貫通の重傷銃創を受け、ハルピンの病院に移送される。以降左耳は聴こえなくなる。敗戦と同時にソ連軍が進駐。中国人に筆談で私は医者ではないとロシア兵に伝えさせ(医者だとわかると当時の首都・重慶に送付された)かろうじて難を逃れ、1946年なんとか復員した。
仁川からの帰港船では、二目と見られぬ顔になった身を嘆き海に自死する姿があったという。
取り持つ人がいて母と結婚、1947年、私が生まれる。
『戦後史大事典ー1945-2004増補新版』(三省堂)はその後の私の生きてきた時代をすべてカバーしている。
編者代表・鶴見俊輔の以下の言を噛みしめて読んでいきたい。
「細かい事実が集まって傾向をつくる。その傾向について記述することは、筆者の価値判断に影響される。編者は、戦争中に日本政府のよりどころとした皇国史観、敗戦後の占領軍宣伝の東京裁判史観、おなじく戦後のソ連中心の世界史法則史観の三つの歴史観に揺さぶられた経験をくぐっており、その三者のかたくなさから自由でありたいと考えている。そのことは、史観のかたくなさそのものからの自由を保証しえないが、ひとつの史観へのかたくなな信奉が事実の細部をみる目を衰えさせる傾きについて自覚をもちたいと願っている」
2 19, 2006 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年01月25日
コニシキ・キッズ 2006 -2




もともとポリネシア系の人々が移住し暮らしていたハワイ諸島も、大航海時代から西欧と接触しその影響にさらされていく。
19世紀初頭にそれまでの首長たちの競合をカメカメハ大王が統一したのだが、盛んになったサトウキビ栽培のために主としてアメリカ人に入植・土地購入を許してしまったことが因となり、政治的にもアメリカの勢力下になる。
1900年に準州として併合される(50番目の正規の州となったのは戦後の1959年)。
この間プランテーションでの仕事を求め、日本、中国、フィリピンなどから続々と移民が押し寄せた。その結果現在のハワイはもともとのポリネシア系、いわゆる白人から日系、中国他のアジア系、黒人などを含むとても複合した社会になっている。
「白人」(軍人家族に多い)は24%ほどで、アメリカ合衆国のなかで白人が過半数を占めない唯一の州。
子どもたちもいかにもポリネシア系という顔から普通の白人までさまざまだが、皆はじけるように明るい。
1 25, 2006 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年01月24日
コニシキ・キッズ 2006 -1

コニシキ(元大関小錦)はハワイ・オアフ島の西海岸にあるワイアナエ・コースト(Waianae Coast)で1963年に生まれた。82年に高見山(東関親方)にスカウトされ来日、高砂部屋に入門し初土俵。87年大関。94年に日本に帰化したが、故郷のことは片時も忘れていない。
97年に引退、その年「KONISHIKI基金」を設立した。
ワイアナエ・コーストはハワイの中でも貧困な地域で、ある小学校では850人中、把握しているだけでも100人以上にのぼる生徒がホームレスという。86%がランチ補助を受け、親の麻薬乱用、子育て放棄などで両親と住んでいない子どもが20%もいる。
コニシキが設立した基金は、こうした故郷の状況を少しでも改善し、子どもたちに将来への夢を与えたいというのが目的だ。
97年から毎年ワイアナエの7つの小学校から6年生5名ずつ計35名を日本に呼んで異文化体験をさせ、視野を拡げ向学心をもってもらうということを続けている。
ハワイの子どもたちに雪を体験させたいため、毎年1月に行われる。
20日に来日した子どもたちは、六本木ヒルズや浅草、江戸東京博物館、武蔵川部屋、大相撲などを見学し、河口湖でスキーを楽しみ、日本の小学生と交流した。明日はデズニーランド、池坊の華道、裏千家の茶道の体験などをして25日に帰る。
で、今晩はスポンサーとの交流レセプション。マリオットホテル錦糸町で。
リモージュボックス、チメルフなどの輸入販売をやっている私が属する会社もスポンサーになっているので出席。

今年でもう10年。KONIISHIKI基金で来日した子どもたちは300名を越えた。
97年の第1回のとき参加した2人も特別に参加。
大学進学率が5%たらずのなかで、彼女も今では立派に大学2年生。

スポンサーテーブルの合間に子どもたちの席がもうけられ交流できるようになっている。
みな、はきはきと受け答えし、とてもしっかりしているのに驚く。

歌やフラダンス、ハワイの楽器での演奏はみんなうまい。
子どもたちの目が本当に生き生きとしているのが印象的。

コニシキと。
まだ現役中、小錦のサイトの立ち上げに関わった。
古いアルバムからはがして送られてきたたくさんの写真をスキャンし、画像処理してアップしたりした。
もう11年も前の話か。

ありがとう、元気で!
コニシキサイト
1 24, 2006 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2006年01月12日
『ビジュアル・ワイド 明治時代館』(小学館)

明治時代(1868〜1912年)に関する文献資料はたくさんあるが、昨12月に刊行された『ビジュアル・ワイド 明治時代館』(小学館)ほど豊富なカラー図版を集めた一般向けのものは初めてだろう。
全606ページを4期(創業の時代・建設の時代・展開の時代・変質の時代)に分け、見開きごとに1テーマを立て(全168項目)、テキスト、カラー図版、地図、イラスト、グラフ、ダイアグラム(図解)などが配されて、その他にも、人物や歴史のターニングポイント、ジャンル別のコレクションなどのコラムページも充実している。
どのページも楽しめるように作られている。
しかし、以下のことはあくまで念頭に置いて見ていきたい。
明治時代はたしかに日本の近代を形作った時代だ。
けれども、戦後になって一般にイメージされているように、欧米にならって近代化(西洋化)をはかった、というような一面的なものではない。
今に連なる天皇制、国家神道、軍隊、官僚制度、法律から教育、政治経済にいたるまで、すべての基礎と始まりがここにあり、「日本」という「国家」と「国民」意識、「国語」という思想、文学や美術や「武士道」さえも含む「日本文化の伝統」なるものもこのとき「創り出され」た。
そして言うまでもなく、南方琉球処分と北方アイヌからの土地簒奪に始まり、台湾、韓国を呑み込み大陸へと向かう「帝国」への路の時代でもあった。
1 12, 2006 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年10月02日
『小松崎茂 昭和の東京』(根本圭助編・ちくま文庫)

千住の「おばけ煙突」。見る角度によって1〜4本に見えた。

銀座尾張町(現銀座4丁目)。左が服部時計店、現和光。

南千住のトンネル長屋。
小松崎茂(1915-2001)という挿絵画家の絵は私たちの年代が子どものころ、まだTVがない時代、山川惣二の絵(『少年ケニア』)と並んで大きな楽しみのひとつだった。それは絵物語だったり軍事ものだったり「空想科学」ものだったりさまざまだったが精緻な描写に感嘆しイマジネーションの世界に遊んだ。
『小松崎茂 昭和の東京』(ちくま文庫・根本圭助編)は、昭和11(1936)年、小松崎21歳、挿絵界の花形画家・小林秀恒に師事していた駆け出し時代に、師のための資料としてスケッチしたものを収録している。
「浅草の研究」「隅田川の研究」「銀座・京橋」「銀座裏」「数寄屋橋」「丸の内」。
B5の和紙に筆で描きそれぞれ冊子にして秀恒に届けた。
描いていた1936(昭和11)年。
すでに31年の柳条湖事件で中国侵略は本格化し「満州国」が「建国」されている。
国内では「治安維持法」が施行され「非常時」ということばが流行していた。
2.26事件の年でもある。「国策の基準」として「大陸における地歩の確保、南方への進出、軍備充実」が決定された。
しかし、庶民はまだ浅草六区の演芸映画を楽しみ、隅田川に遊び、銀座のカフェに集っていた。
当時の風景、風情を鮮やかに写し出すスケッチの数々と歴史とが交錯し興趣つきない。
10 2, 2005 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年09月11日
異議異見を許さないポピュリズム社会化╱容赦ないグローバリゼーションとナショナリズムの共謀の日本的現れー衆議院選挙の結果とこれから

世界的に見れば今日は「9.11」の4周年だ。
昨年9.11に書いた状況からさらに世界の流れは人々にとって悪化したが、日本では憲法改悪が一気に政治日程に上るかもしれないほどの自民党の衆議院選挙大勝で棹さすことになった。
バブル崩壊後の十余年にわたる無為無策による閉塞感、将来への「発展」のイメージの霧散、拡がる社会的不平等感、どうせ何も変わらないというシニシズム、アジアを始めとして「世界」ときちんと向かい合えない苛立ち等々が「強い指導者」や「改革」や「否定・拝外対象」を待望し始めている。
「多事争論」すべきところを他には耳をかさず「ぶれない」姿勢だの決断力や断固たる意志があるように見えることがかっこいいことのように写るようになった。わかりやすくかつ「深く」語るべきところを、わかりやすいということ自体が内容や方向性の吟味抜きにいいことであるように人々に思われ始めた。
何かが変わる、とより思わせた方が勝ちだった。変わる中味は抜きにして。
複雑で錯綜する社会事象とそれへの対応は極端にまでワンフレーズに集約され、ゲッペルスの宣伝戦略さながらにこの国を覆った。
「バスに乗り遅れるな」の再来。
言うまでもないがマスコミは批判的な検討分析報道の責務など果たすべくもなく単にそれらを垂れ流した。
公的事業体の民営化、市場原理の導入は、むろん「国民」のために目指されているわけがなく、これまでの公的責任の「放棄」と「払い下げ」による大企業のためのリストラクチャリング利益が当面の実際の目的であり、さらに膨大な「国民の」資産資金のグローバル資本への開放に路を拓けというアメリカの要求が根底にある。小さな政府ー民営化ー地方の充実、などというのはまったくの虚構にすぎない。
グローバリゼーションは日本の旧来からの利権構造、地域土建屋的利益誘導、旧自民党的派閥政治の世界を容赦なく破壊再編する。
これらの再編(「改革」と称される)は、改革=進歩・善 対 反対=守旧・悪などと単純化され、ろくな議論も資料開示もなく、異議異見を許さないかたちで進められている。
表向きは「(多数決)民主主義」、裏では恫喝、利益供与等なんでもあり。
形式を整えもっともらしい大義名分をたてるということにかけては昔から日本社会は「長けて」いる。
「痛みを分かちあおう」などという平成版「臥薪嘗胆」の虚妄鼓舞スローガンが人々にこれから来るだろう増税・福祉切り捨て・権利制約等の理不尽な痛みへの想像力をモルヒネのように麻痺させている。権力者や利益を享受する大企業・グローバル資本が「痛みを分かち合う」はずがあるか?
国際政治から生活経済にいたる「社会的」問題を、したがって政治的社会的に対応しなければならない問題を、家族だの美徳だのの個人的心構えの問題にすり替えて誤魔化すのも日本社会の昔からの得意芸だ。
権力者にすり寄りおもねる浅ましい輩ばかりが跋扈する。
しかしこれは「小泉独裁」などという特種個人的なものでも、広告代理店レベルの選挙戦術的勝利などでもなく、上記のような世界的動きの体現だ。
だから、「戦後民主主義」の枠内にある社民、共産や、たかが旧田中派や松下政経塾出あたりの寄せ集め民主党に根底的な対抗ビジョンや政治戦略が出せるはずもなく敗退するのは当然だった。
総選挙や国会の議席配分などというのは歴史の流れのなかでは「政治」や「社会」のごく一部に過ぎない。
しかし、今度の総選挙結果によって、世界の近代史に類を見ない半世紀以上にわたる二国間軍事同盟を軸に、アメリカのグローバリゼーションの要請を背後に隠し、その方向に沿った旧構造の再編(これは確実に中間層以下の多数の「国民」に犠牲を強いる)を「痛みを共有して改革に邁進しよう」として「多事争論」を許さず押し進める、ますます風通しの悪い社会へのステージに入ったことは確実だ。
かつてのファシズムは国民国家的、一国的な発現だったが、21世紀ではグローバリゼーションがベースにあり、その上でナショナルな形をとる。
それは、彼らが国家アイデンティティとしたがっている靖国、歴史修正主義、正規な日本軍化と海外派兵、憲法改悪等々として、この選挙で白紙委任したわけでもないのに今後強力に進められるだろう。
けれどもこれらは「彼ら」の問題ではなく「私たち」いや「私」はどう考えどうするかの問題だ。
どこかで人々は踏みとどまるかもしれないし、そうしなければならない。しかしあきらかに21世紀の新しいニッポン・ファシズムの苗床は整ってきた。
9 11, 2005 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年08月15日
『八月十五日の神話ー終戦記念日のメディア学』

「終戦記念日」だという。
今やっているNHKハイビジョン特集「8月15日・あの日世界は何をめざしていたのか」という番組でも、「ポツダム宣言を受諾し戦争が終了したのは60年前の8月15日」などと偽りの情報を流している。
すでに8月9日から10日にかけての「御前会議」でポツダム宣言受諾の「聖断」がされ、「聯合国」米英中ソに通告された。14日再び天皇によりポツダム宣言受諾が確定され「終戦の詔書」に署名、渙発、再び聯合国に通告。夜半、翌15日正午からの「玉音放送」が録音された。
終戦(敗戦でも降伏でも休戦でも)というのは対外外交事項だから、15日に「玉音放送」で「帝国臣民」に報せたということは関係ない。対外的に降伏を通告した14日が本来の「終戦」(ただし14日夜間にも米空軍の空襲はあり、旧満州では受諾を認めないソ連軍の攻撃が9月になっても行われた)であり、また9月2日のミズーリ艦上での公式調印が世界的に見れば第二次大戦の公的な終結日。
「8月15日終戦」そして「終戦記念日」へ、という「日本国民の共通認識」が、占領から独立にこぎつけた「日本国民」が「先の大戦」をどうとらえるかを誘導するために主としてマスメディアを中心にいかに形成されたか、を『八月十五日の神話ー終戦記念日のメディア学』(佐藤卓己╱ちくま新書)は検証していく。
あらゆる記念日は意図的に作られる。国家によって作られる場合、国民「統合」・歴史認識誘導のため以外に目的はありえない(なぜ「甲子園児」は8月15日正午に黙祷などするのかを見るまでもなく)。
日本の「終戦記念日」(法的な根拠として「終戦記念日」の正式名称「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が閣議決定されたのは戦後37年もたってからの1982年)は、8月15日の「戦没者追悼・平和祈念」によってあたかも戦前とは「断絶」したかのような幻想を振りまき、アジアに対する戦争責任を国民あげて自己免責し、そして21世紀のグローバリゼーションとナショナリズムの「共犯」の時代につきすすむための日本国家のイデオロギー装置にほかならない(もちろん「宗教の上に立つ宗教」「したがって宗教とは言えない」という国家神道・靖国神社とますます結びついて)。
8 15, 2005 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年08月09日
ガリレオも呆れるよ

ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は69歳の1633年、コペルニクスの地動説を証明したが、ヴァチカン教皇庁により聖書を冒涜するものとして罪に問われ、あらゆる著述を禁じられ、終身監視状態にされた。
「それでも地球は動く」と言ったというのは後からの伝説で、彼はこの裁判に服した。自説を曲げたわけではない。最愛の娘を失い、失明してからも密かに弟子たちに口述し、オランダ等で出版した。
死後も「なお教会の迫害はつづき、約百年間その遺体は棺に納められたまま教会の地下室に置かれ、墓をたてることは許されなかった。ヴァチカンが教会側の非を認め、ガリレオに謝罪したのは、右の宗教裁判から350年後の1983年、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世によってであった。むろん、ガリレオの知ったことではない」(山田風太郎『人間臨終図巻III』徳間文庫)
彼は、あくまで観測や実験をもとにした事実と考察で真理を探究するという「近代科学」の基礎を築き、自説を主張したのであって、もちろん当時の人々の「常識」からはかけ離れており、論文をラテン語ではなくイタリア語で書くことでできるだけ多数の人々に知らしめたいとはしたが、「多数決」だの「国民の信」などに頼ったことは一度もない。
郵政民営化ごときで小泉に引き合いに出されるのは墓の中で怒るか呆れているだろう。
8 9, 2005 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年08月01日
「山田風太郎が見た日本・未公開日記が語る戦後60年」

今晩やっていたNHK-BSハイビジョン「山田風太郎が見た日本・未公開日記が語る戦後60年」が若い頃からの愛読者として面白かった。
『戦中派虫けら日記ー減失への青春(昭和17年〜昭和19年)』『戦中派不戦日記(昭和20年)』『戦中派焼け跡日記(昭和21年)』『戦中派闇市日記(昭和22年・昭和23年)』までは出版されているが、93年(平成5年)まで実は日記は書き継がれていたのだ。
戦時中山田風太郎(1922-2001)は召集令状を受けるが前月の肋膜炎のために不合格となり、医科大学で医者の道をめざしていて23歳で敗戦を迎える。
戦後、忍法帖ものなどで人気作家となっても風太郎は小学校の同窓生34名中14名が戦死し、自分は「不戦」であり「傍観者」であったあの戦争がなんであったのか、をずっと考え続ける。いわゆる戦記を千数百冊も読みふけるが合点できない。「皇国青年」であった戦時中の自分をさらけ出す日記をあえて出版した意図の中には、この番組で紹介されていた戦後日本と日本人、そしてこれからに対する深い憂慮があっただろう。
60年の政治の季節を過ぎ、64年の東京オリンピックへむけてひたすら経済発展と土木工事に狂奔するさまを「これは戦争である。国内戦争である。戦争中アジア・太平洋にあふれ出たエネルギーが国内に沸騰している。これは国内に封じ込められるものではない。なんとか昇華させないと必ず国外に出て行く」と評し、75年のオイルショックに「いずれ欧米諸国は十字軍を組織し、石油の確保に向かうだろう。座視しているものに報酬はない。そのとき日本はどうする?」と書き記す。
30年前の風太郎の憂慮は今現実となっている。
写真は最後の日記の終節。「雨中散歩 終日水底にいる如し。」
8 1, 2005 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年06月16日
『僕の見た「大日本帝国」』と『靖国問題』

『僕の見た「大日本帝国」』(西牟田靖・情報センター出版局)という思わせぶりに400ページも費やしながら、猛烈に無内容な本を読んで苛つく。最後にまとめるかと思えば、靖国神社の本殿に参拝し、狛犬にサハリンで見た狛犬を想い出して「高揚感」に包まれるなどという有様。
行ってみればいいってもんじゃないよ。そりゃ帰国するたびに図書館で現地の当時の状況などを調べたかもしれない。しかしそれらが少しも「歴史認識」「歴史観」として思想の深化がはかられない。
だいたい「教わらなかった歴史と出会う旅」などというサブタイトル(おそらく編集者が提案したのだろうが)を高校生じゃあるまいし三十代の「物書き」が受け入れるなんて恥ずかしくないか。
正しく言うなら「学ぼうとしなかった歴史」だろうが。
彼が見てまわった「大日本帝国」の領土(統治領、傀儡国家「満州」、占領地、各種権益などを含む)を日清、日露戦争以来「獲得」するために戦死した皇軍兵士(あくまで軍人・軍属)を「顕彰(けんしょう)」(隠蔽のために普通言われる「追悼」では断じてない)し、次の戦争につつがなく兵士を補充するための鼓舞装置である靖国神社について、わずか238ページで実に簡潔・明晰かつ歴史的・論理的に分析した『靖国問題』(高橋哲哉・ちくま新書)を読んで口直し。
6 16, 2005 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年05月14日
こどもチャリティ・フェスティバルの打ち上げ

こどもの日に鎌倉かいひん公園で開催された「国際こどもチャリティ・フェスティバル」の実行委員やボランティアたちの打ち上げがありました。
たくさんの子どもたちが思い思いに描いた100メートル近い布を部屋にぐるりとひろげ、次々にボランティアたちが顔を出し、手作りの料理やおにぎりとともに話しを咲かせます。
実行委員長の井上アンナさん(ポーランド出身・在日10年・鎌倉のいくつもの小学校でEnglish Conversationを教えている)が、今回の津波で心の傷を負ったこどもたちが大きくなるまでまだいっぱい時間がかかります、これからも見守り支えていきましょう、と挨拶。
4時間のフェスティバルで100万円を越す義捐金(イベント、ワークショップ、食べ物のためのチケット代、Tシャツの売り上げなど)となったようです。


5 14, 2005 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | 固定リンク
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2005年05月06日
「国際こどもチャリティ・フェスティバル」(鎌倉かいひん公園)

5日こどもの日の「国際こどもチャリティ・フェスティバル」(鎌倉かいひん公園)は、天気にも恵まれ、たくさんの子どもたちが訪れにぎわいました。
実行委員長・井上アンナさんのバイタリティと実行委員の方々、大勢のボランティアの人たち、後援・協賛・協力していただいた企業、組織、お店、個人の方々にほんとうに感謝したいと思います。
苦しんでいるこどもたちが世界から消えることは当分ないでしょう。毎年のイベントになることを願っています。微力ながら協力させていただきます。










5 6, 2005 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ, 23.日々のなかで | 固定リンク
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2005年05月02日
「国際こどもチャリティ・フェスティバル」ポスター

5日こどもの日に鎌倉で行われる「国際こどもチャリティ・フェスティバル」のA3ポスターを4時間くらいでデザイン制作して、ひたすらインクジェットでプリント。
一番上の「Welcome」横断幕は横浜国立大附属中学の美術部の生徒たちが作ったもので、長さは10mほどもある。
5 2, 2005 07.デザインの世界, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年04月14日
国際こどもチャリティ・フェスティバルサイトオープン

5月5日(こどもの日)に鎌倉かいひん公園で行われる「国際こどもチャリティ・フェスティバル」をボランティアで手伝っている。
デザイン制作したチラシはたくさんの人の手に渡った。
あと私がやるのはウェブとポスター。
短期の勝負だからウェブはブログでやるしかない。
実行委員もライターに設定してとにかくサイトオープン。どんどんアップして、走りながら考えるというスタイル。
応援してください!
「国際こどもチャリティ・フェスティバル」サイト
4 14, 2005 09.ネットワーク・コミュニケーション, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年04月11日
「国際こどもチャリティ・フェスティバル」鎌倉

5月5日の子どもの日、鎌倉かいひん公園で「世界の子どもたちに愛を!」をテーマに「国際こどもチャリティ・フェスティバル」が開かれる。
今回はインド洋大津波で被害を受けた子どもたちへの支援が主目的で、鎌倉のいくつもの小学校で英会話を教えている井上アンナさんが中心となって企画が進められている。
100メートルもの布にみんなで絵を描いたり、ヨーヨー釣り、魚釣り、くじ引きなどの遊びや、外国人の子どもたちとの交流、和太鼓、マジック、ピエロなど色々なパフォーマンスのプログラムが準備中。
鎌倉市、教育委員会、社会福祉協議会が後援し、市内のたくさんの企業、店などが協賛、協力する。
市内小中学校の子どもたちも運営にあたる。
「子どもの日、楽しく遊びながら世界の子どもたちのことを考えよう。きみの参加ですくわれる子どもたちがいる!」などのコピーやチラシのデザイン制作は私のボランティア。
4 11, 2005 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年02月28日
スマトラ津波復興チャリティーイベント(麻心)


※写真下、左からSatokoさん、「タブラ クワイエサ」のケイさん、話しているのが岡庭妙子さん、右奥が井上アンナさん
一昨晩アラブ音楽ライヴをやったカフェ&バー「麻心」(鎌倉長谷)で、昨晩「スマトラ津波復興チャリティーイベント」が行われた。津波の被災者たちのために何かできないか、と考えた別々の3人の女性の思いをひとつのイベントとして実現したものだ。
Satokoさんは、モロッコ人ダンサーについてベリーダンスをやっている。ショーをして義捐金を集められないだろうかと麻心のシンさんに相談した。シンさんはそれならと南インドで子どもたちに造形美術を教えていた岡庭妙子さん(『バクシーシ通信』)を紹介し、チャージ・寄付金はどこにどのようにいくか分からない形ではなく、岡庭さんが教えていたポンディチェリー地区援助に内容も具体的に分かるように使われることになった。
鎌倉の小学校で英語を教え、津波被災の子どもたちのためのチャリティーフェスティバルを鎌倉由比ガ浜のかいひん公園で5月5日に開くことを企画している井上アンナさんの活動とも連携された。
アンナさんが語った、「援助」とは要らないものをあげるのではなく、自分にも必要だが分けられるものを分けるのであり、それは自分の「成長」にもつながるのだ、という話は印象的だ。
ボランティアでアラビアン・パーカッションユニット「タブラ クワイエサ」の3名も参加して演奏を披露した。
麻心はライヴやワークショップを行う一方、さまざまな人の出会いを提供し媒介しカタチにしていく「コーディネーション・センター」でもあるのだ。この上にネットの力を増幅させたい。
2 28, 2005 02.私の好きな鎌倉の店・Cafe & Bar, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年01月30日
『みんなのなやみ』(重松清)

『みんなのなやみ』(重松清╱よりみちパン!セ╱理論社)を読んでいたら「順接」「逆接」ということばが出てきた。中学校あたりで習った懐かしい文法用語だ。
この『みんなのなやみ』は、理論社のホームページの「10代の悩み相談室」のコーナーにメールで寄せられた質問・相談に作家の重松清が答えたものをまとめたもので2月には続刊も出る。
重松清の著作は50冊ほどほとんどすべて読んできたが、10代の悩みにこれだけ真摯に向き合い、悩みを安直に消し去ったり、解決したりする「答え」を出すのではなく、「それでいいんだよ」「でもこうも考えられるんじゃないか」と悩みに沿って一緒に考え、「ポンと肩を軽く押してくれる」ように相談に乗ってくれる適任の人は他にはそうそういない。
で、「順接」と「逆接」だ。
「今日は雨だ。だから、外では遊べない」—これが順接
「今日は雨だ。でも、外で遊びたい」—これが逆接
順接は順当な理由、原因の論理であり、逆接は矛盾、対立を内包する。
おとなの社会の発想と論理は基本的に順接だ。いわゆる「常識」であり、支配的な体制の論理でもある。ついでながら「常識」が正しかったためしは歴史的にみてない。だから「哲学」は「常識」を疑うところから始まる。
「いい学校に入れないと将来苦労する。だから、一所懸命に勉強しなさい」
正しいように思える。しかし親や先生がそう言っているからとそれを丸飲みして受け入れていいのか。
青春とは「逆接の時代」だ。「でも」のない青春ってツルンとして寂しいよ。「でも」のストックがないままおとなになってしまうと、上から与えられた順接をすぐに鵜呑みにしてしまう。一度は「でも」と疑う「批評」「批判」精神を持つべきだと重松は言う。
しかし逆接にはパワーと覚悟がいる。AだからBの「一所懸命に勉強しなさい」のところだけに反発していたら、それは単なる感情的な反発や駄々をこねているだけに終わる。
重松は二つの方法を提案する。
「AだからB」のAの部分—「いい学校に入れないと将来苦労する」に踏み込んでみること。たとえば「いい学校とは何か」「偏差値が高い学校がいい学校か」「苦労するとはどういう意味か。お金が稼げないことが苦労か」…。
おとなが子どもの口答えを嫌うのは、自分が無自覚に受け入れ鵜呑みにしている「常識」が揺るがせられるのが怖いせいなのだ。
もうひとつは、「AだからB」をひっくり返す「でも」に続く「C」を鍛えること。
たとえば「でも、勉強よりも大切なものが私にはあるんだ」「私は勉強よりも体を動かすほうが好きなんだ」
そこから「AだからB、でもC、だからD」まで行けばそれは強い。ただの否定ではなく前に進んでいるんだから。
「香織さん、きみはぜんぜん間違ってない。いまのきみの苦しさは、自分自身にとっての夢や希望と現実との関係を安易な”だから”に頼らずに懸命に探している苦しさで、それは絶対に—今は気づく余裕はないかもしれないけど、きみという人間を豊かにしてくれるはずなんだ」
「どんどん湧いてくる”でも”の中から、ほんとうに大切な”でも”を見つけて、おとなから与えられたのではない自分自身の”だから”を育てていってください」
1 30, 2005 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2005年01月08日
『西武王国 鎌倉』(山本節子)

鎌倉を観光で訪れる人々はほとんど知らないだろうが、鎌倉の土地の最大の地権者あるいは土地売買による利益・利権を享受してきたのはコクド・西武鉄道グループ(以下西武)である。
上図の赤い部分はすべて西武が手がけた、あるいは所管している土地だ。
鎌倉在住の行政ウォッチャー・調査報道ジャーナリストである山本節子さんの『西武王国 鎌倉』(三一書房・1997)は、さまざまな資料を渉猟し取材し、この実態の歴史と問題点を初めて明らかにしたものだ。
「土地が99%だ。土地さえ押さえておけばすべてはそこから派生する」というのが「政商」堤の哲学だった。すでに戦前の1930年代から西武による鎌倉の土地取得は始められ、40年には七里ガ浜周辺が買収された。戦後54年ころからの宅地造成ブーム時には「…主な山谷はほとんど西武によって土地が変形され、自然と風致は跡形もなく破壊され『西武の鎌倉か、鎌倉の西武か』といわれる状態を生み出している」と鎌倉市議会史に記されるほどとなる。
単純化していうと以下の手法をとる。
首相の座をうかがうほどの権勢を誇った堤の権力と財力で、歴代の市長、市政はすでに西武の薬籠中だ。市議会の多少の反対などものともしない。
進入路・道路など無いためとてもそのままでは宅地にならないような山林を二束三文で買収する。その後で自治体に道路を造らせて「開発」し、高値で売りさばく。
後に住民の環境意識が高まってくると、緑を守れという住民運動を逆手にとり、これも高値で売り抜ける。
七里ガ浜の美しい浜辺を分断するように、コンクリートで固めた西武の有料駐車場とファーストキッチンの建物があるが、これは、60年ごろ現七里ガ浜宅地の造成残土を勝手に海浜(むろん当時国有地)に捨て、そうしておいた上で、残土で埋まった砂浜はもはや海浜地ではないから、と国から払い下げを受ける、というとんでもないことがまかり通って造られたものだ。
その後も、海上を大規模に埋め立て一大海洋レジャーセンターを作る計画が密かに進められた(これは後に挫折)。
西武にとって土地は利益と利権のためのものであり、土地と人々と生活の歴史や環境などは、彼らの「町づくり」には無関係なのだ。
この企業がやってきた歴史の闇は深い。
1 8, 2005 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年12月29日
悼╱スーザン・ソンタグ

現代アメリカのもっともRadicalな思想家のひとり、スーザン・ソンタグが28日亡くなった。享年71。30年にわたりガンを患っていた。
『ラディカルな意志のスタイル』『写真論』『隠喩としての病』『反解釈』などから私は大きな影響を受けてきた。
9.11以降も『この時代に想うテロへの眼差し』『他者の苦痛へのまなざし』『良心の領界』で鮮烈な主張を続けていた。
今年出された『良心の領界』(NTT出版)の序「若い読者へのアドバイス…」は今読み返すと遺書のように読める。
訳者の木幡和枝さんにもNTT出版にもなにも断りを入れていないが全文を転載させていただく。
若い読者へのアドバイス…
(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)
人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。
検閲を警戒すること。しかし忘れないこと——社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。
本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)。
言語のスラム街に沈み込まないよう気をつけること。
言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を想像するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。
自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。
動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。
この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基礎になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます。
暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。
少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。
自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。
恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。
自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。
他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません——女性の場合は、いまも今後も一生をつうじてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。
傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。
傾注は生命力です。それはあなたと他者とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
良心の領界を守ってください……。
2004年2月
スーザン・ソンタグ
12 29, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年12月25日
リバーベンドがクリスマスにほしいもの

停電が日常的に続き、産油国だというのに普通の市民はガソリンも灯油もなかなか手に入らず、発電機もほとんど回らない状況で「はやくこれを書いてしまわなければ」と書き継がれているBaghdad Burningでリバーベンドは「イラクで誰もが納得のクリスマスにほしいものリスト」をあげる。「『平和』や『安全』や『自由』は入れない。クリスマスの奇跡はディケンズのお話の中だけよ」
以下がその10項目。URLが付いているのはその商品サイト。
1.ガソリン20リットル
2.料理用のガスボンベ1個
3.ストーブ用に灯油
4.爆風にも割れないという高価な窓
http://www.sommer-hof.de/usa/blast_proof.html
5.地雷探知機
http://www.foerstergroup.com/UXO/minex.html
6.水道
7.スライヤ衛星携帯電話(近頃、携帯の通話状況はひどい)
http://www.thuraya.com/
8.ポータブルのディーゼル発電機(家中が満足できるような)
http://www.generatorjoe.net/
9.コールマン充電式懐中電灯予備の電池付き(高級懐中電灯なら喜ばれることぜったい間違いなし)
http://www.tacticalflashlights.com/
10.いい香りのするろうそく(思いやりがあるだけでなく、実際的な人だって思ってもらえるわ)
電気をすべて消し、先日、たまたま「麻心(まごころ)」(鎌倉長谷)でアロマテラピスト・ハーブコーディネーターの小菅路子さんから教わって作ったアロマキャンドル(ローズマリーとレモングラス)だけで2時間ほどを過ごしてみる。
12 25, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年11月20日
無力感を超えてー『デモクラシーの冒険』(姜尚中、テッサ・モーリス-スズキ)

デモクラシーの「空洞化」はあまりに眼を覆うばかりの惨状なので、ブッシュの「中東にデモクラシーをもたらす」とかコイズミの口の端にのぼる「民主主義」を見聞きすると、もうこの言葉はお前たちが好きなように使え、私たちは新しいことばと概念を作り出す、とでも言いたくなるが、姜尚中とテッサ・モーリス-スズキの対談をまとめた『デモクラシーの冒険』(集英社新書)は、なんとか踏みとどまってこの内実を奪い返し発展させるほかない、という勇気を与えてくれる。
テッサ・モーリス-スズキはオーストラリア国立大学で教えているが、若い世代の政治的無力感をひしひしと感じている。アメリカのイラク侵略の後、彼らのなかでは「自分たちが暮らしているこの世界をより良い方向に変えていくことは、もはやできないのではなかろうか」というニヒリズムが支配している。
しかし問題を立て直してみよう、と彼女は言う。「あなたは、自分たちが暮らしているこの世界をより良い方向に変えていくことが可能だとしたら、そうすることを選びますか」。
姜氏との対話は、この問いを出発点に、冷戦構造崩壊後、自由が勝利したと言われるのに逆に自由な選択肢がなくなってきた状況、グローバル権力の生成から今日まで、デモクラシーのブラックボックスとしての「政党」の問題、世論と台頭するポピュリズム、直接民主主義と間接民主主義、デモクラシーの試金石としての「外国人」、等デモクラシーを歴史的、世界的、多角的に捉え返し、今「暮らし」のなかで私たちが何ができるのか、を示唆している。
「想像力を奪うものへの抵抗」「グローバル権力と内なる無力感への抵抗」への二人のさしあたっての提言が上にあげた「みんなでつくるデモクラシー・マニフェスト」。
6〜9が空白なのは読者に自由に埋めてほしいため。
そしてこの10項目にとどまらず100項目にも200項目にもなってくれることを願っている。
私も考えたい。皆さんも考えませんか?
11 20, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年11月14日
Sorry Everybody(世界のみんなにごめんなさい)

「UCSD(カリフォルニア州立大学サン・ディエゴ校)の76%からほんとうにごめんなさい!」

「親愛なる49%の人たち、よくやったよ…いずれにしても世界のなかではわれわれが多数派さ/ベネズエラから平和と愛を込めて!」
「勝てば官軍」でアメリカはブッシュの天下のように見えるが「Half of America(アメリカの半分の人々)」はブッシュに反対する票を投じた。
これらの人々の残念さ、悔しさ、あきらめず次を目指す気持ちなどを、画像とメッセージ(手書きメッセージを持って撮影したものでもいいし、コンピュータで加工したものでもいい)で発信するSorry Everybodyサイトがネットならではの試みですばらしい。
開設者は、インターネットはさまざまな文化や国々の人々のあいだのコミュニケーションを容易にするものと一般に考えられているが、それは自動的に自然に達成されるわけではない、「誰かが熱心に手がけなければ」それは実現しない、と言う。
このサイトの目的は、政府がやっていることに反対しているアメリカ人たちがいることを世界の人々に知ってもらうこと。
「ごめんなさい」が解決になるなどとは思っていないし、これは自発的なもので強制するようなことでもない。ただし「謝る」ことは弱さではなく、勇気と力のサインなのだ。ここからなにか始まるかもしれないではないか。
「世界」に向かって「Sorry」を表明するという基本コンセプトをはっきりさせたために、このサイトへの投稿は、ケリーの選挙事務所のボランティアが仲間内で残念がっている、というのとはまったく違う拡がりを持っている。
アメリカ人の投稿者たちは「Dear World(世界の親愛なる人々へ)」「Sorry for the rest of us(われわれ以外の人たちにごめんなさい)」という視点で自分の気持ちを表しており、これらに対して文字通り世界中から「あなた方のお詫びを受け入れる」「われわれもアメリカの半分が違う考えであることは理解している」「次はがんばれ」などの画像メッセージが投稿されている。
もうひとつは画像メッセージという条件にしたために、とてもリアルで親しみやすいコミュニケーションの場になっていることだ。
640x640pixel以内、75Kb以内の画像データを投稿する、という条件で、ギャラリーにはすでに3000枚以上の画像メッセージがアップされどんどん増えている。
本当にすまなそうな顔、人生を感じさせる顔、怒っている顔、白人も黒人もアジア系もいろいろいる。ヨーロッパのゲイからの激励もある。たどたどしい日本語で(表記は多少間違っているが)謝っている人たちもいる。生活がわかるような背景・シチュエイションも見て取れる。デザインアイディア的に優れたものもある。
「Dear World(世界の親愛なる人々へ)」という心の持ちようや「The Rest of Us(われわれ以外の人たち)」への想像力が確実に閉ざされつつあるなかで、これらの人々の写真とメッセージに、アメリカも世界もふつう考えているよりずっと多様であり、悲観することはないのだという元気とイマジネーションをもらおう。
11 14, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年11月12日
ファルージャへの「キルロイ参上」再び

※第一次湾岸戦争(1991)時のクウェートでの米軍キャノン砲に記された「Kilroy Was Here」
青山南『ネットと戦争ー9.11からのアメリカ文化』(岩波新書)に、ファルージャでの「キルロイ参上」について書いてある。
米軍によって女性、老人、子どもなど700名が虐殺された2004年4月、米軍に攻撃されたファルージャのある小学校を映したTVニュースのことだ。教室の黒板に米兵が残した落書きがある。「We Love(Loveの部分は実際はハートマーク)Pork」(われわれは豚肉が好きだ)。むろん豚肉を食べないイスラム教徒へのいやがらせだ。そしてその横に「つるつる頭の、やたら鼻の長い、いかにものんきそうな顔をした男が、塀の向こうから、のぞきこむようにしてこっちをながめている」絵。下に「Kilroy Was Here」(キルロイはここに来たぞ)。
で、キルロイとはなにものなのか?
アイルランドの代表的な劇作家にトマス・キルロイという人がいるのでたぶんアイルランド系であることは分かる。
このキルロイは実は第二次世界大戦に遡る諸説紛々の「民間伝承」「伝説」の存在なのだ。
主な説は、大戦時キルロイは軍艦を最終点検する係だった、というもの。船のあちこち点検を終わるとかれは「キルロイ参上」とチョークで書いていった。戦場におもむく兵士たちは、意味はわからなかったがこのサインが気に入り、行く先々で自分が来た証拠として冗談半分に記すようになった。まもなくそれは一番乗りの印ともなり己の勇敢さを自慢するものとして使われるようになった。
Styxというミュージックグループが「Kilroy Was Here」というアルバムを出している。「ドモアリガト、Mr.ロボット」という歌が入っている。
第二次大戦のイタリア戦線を舞台にしたジョセフ・ヘラーの小説『キャッチ-22』にもキルロイはたくさん出てくる。
アシモフのSF『地球は空き地でいっぱい』にはかなりリアルな存在として登場する。
トマス・ピンチョン『V.』にも。
ファルージャを蹂躙している米軍兵士は「アドレナリンが高まる一方だ、楽しいぜ」(TVニュースで放映された)などと言いながらあちこちに「Kilroy Was Here」と再び記しているのだろうか。
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2004年11月11日
ファルージャでの「殺戮率」は?

米軍には「殺戮率(Kill Ratio)」という概念があり、常にカウントされているという。
「Ratio」というのは「比率」「割合」ということを意味することば。
使い始めたのは、ベトナム戦争当時の米国防長官マクナマラだ。
単純にいうと、米兵ひとりあたりが何人を殺しているか、という「効率」を表す。
米兵ひとりにかかる費用は○$である。これに対してベトナム兵(南ベトナム民族解放戦線・北ベトナム)は○$である。したがって米兵一人が戦死するまでにベトナム兵○人を殺せば「割にあう」というわけだ。
戦争による人命の殺戮を物品と同じように費用対効果のマーケティング的観点から評価し、これをできるかぎり「高利率」にしようとする、イラク侵略からグローバリゼーションにいたるこのようなアメリカ的価値観を全力で撃たねばならない。
ファルージャでの「殺戮率(Kill Ratio)」はいくつなのだ、ラムズフェルド!
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2004年11月10日
俯瞰写真とともにファルージャを想う

※ファルージャ西部の俯瞰写真の一部(下記記事中にリンク・ダウンロード先があります)。左上の建物群が米軍がまず「制圧」した病院。ユーフラテス川にかかる2つの橋。右上が「武装勢力の拠点」とされるジョラン地区。クリックすると拡大表示
ファルージャ。
バグダードの西約60Km。ティグリス川とともに古代メソポタミア文明を育んだユーフラテス川の東に位置し、バグダードとヨルダンを結ぶ要路にあり、はるか古くから人が住んだ。乾燥地帯にあって潅漑設備を発達させた農業が中心の町だ。
人口は25万〜35万といわれる。
イメージするために同じ程度の人口の日本の町をあげる(以下35万から25万まで人口順)と、吹田・岡崎・郡山・高松・川越・高知・所沢・柏・富山・秋田・越谷・宮崎・那覇・青森・明石・福島・四日市・盛岡・大津・函館・春日井・前橋・市原・八尾・一宮・徳島・加古川・茨木・山形・平塚・下関・福井・寝屋川といったところ、東京でいえば、品川区・北区・中野区・新宿区・目黒区・豊島区あたりとだいたい同じくらいの規模だ。
これらの市や区の住民の女性・老人・こどもが短期間ですべて避難できるかどうか想像しよう。
いわゆる「スンニ・トライアングル」と呼ばれ、フセイン支配下では経済的に比較的優遇されてはいたらしいが、国際的な人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」によると、フセイン政権崩壊の際にもフセインへの強い同情は見られず、インタビューに応じた住民の多くは自分たちが弾圧の犠牲者だったと感じており、アメリカのメディアが決めつけ日本のメディアが追従して報じるような「フセイン派の拠点」ではもともとない(『ファルージャ 2004年4月』/現代企画室刊)。
「イスラム過激派の拠点と化し」(読売新聞社説)たり、「悪の巣窟」(フジテレビ・木村太郎)となっている、というのは、もしもそれが事実だと仮定したとしてもアメリカの侵略と占領が自ずから引き起こした結果だ。
1991年の「第一次湾岸戦争」のときには、英軍のミサイルが人々で賑わう市場を直撃し200人が殺された。2003年4月には小学校を占拠した米軍への非武装の市民デモに発砲し15名を殺害。そして2004年4月の大虐殺(これらは抜粋しただけ)。
平和的で親切な市民が「レジスタンス」になるには不十分か?
Raed in the Japanese Languageの9日にアップされた記事にある地図のDIGITALGLOBE社のサイトの左下「Media Gallery-Iraq」の中で「Al Fallujah(ファルージャ)」の俯瞰写真3枚をダウンロードすることができる。
Overviewを見ると、周りの町村を合併した日本の市とは違って、周囲の潅漑農地の中の密集住宅地であることがわかる。
Detail(2004年5月)は72dpiでドキュメントサイズ・127x105cmの大きなもので建物のひとつずつも判別できる。
米軍がまず「制圧」した病院がユーフラテス川西岸に見える。市内に通じる2つの橋。「武装勢力」の拠点とされる市北西部・Joran(ジョラン)地区。むろん4月の時と同じく発電所は真っ先に破壊されていて電気も水道もとまっている。市の北側に鉄道駅が見える。中心を東西に貫く幹線路。右下はこれから米軍が「制圧」をめざす公共施設地域だろう。
池澤夏樹さんは2002年秋「もしも戦争になった時、どういう人々の上に爆弾が降るのか、そこが知りたかった」とイラクを訪れさまざまな人々とふれあい暮らしを見る。「実に明るい人たちだ。しかもおそろしく親切」。
そして「小さな橋を渡った時、戦争というものの具体的なイメージがいきなり迫ってきた…近隣国にあるアメリカ軍基地の倉庫の中か洋上の空母の上に、この小さな橋の座標を記憶した巡航ミサイルが待機している。遠くない将来にそれが飛来して、青い空から一直線に落下し、爆発し、この橋を壊す。そういう情景がくっきりと浮かんだ。ぼくの目の前で橋は炎と砂塵と共に消滅してゆく」
「アメリカ側からこの戦争を見れば、ミサイルがヒットするのは建造物3347HGとか、橋梁4490BBとか、その種の抽象的な記号であって、ミリアムという名の母親ではない。だが、死ぬのは彼女なのだ。ミリアムとその三人の子供たちであり、彼女の従弟である若い兵士ユーセフであり、その父である農夫アブドゥルなのだ」『イラクの小さな橋を渡って』(池澤夏樹・文/本橋成一・写真ー光文社)
ファルージャに知人はいない。
しかし、この俯瞰写真図(ぜひダウンロードして見てください)を熟視し、この一軒一軒に暮らす人々のこと、この人たちが今受けている砲弾や銃撃やその後の「しらみつぶしの捜索」や「人が住めるところではなくなった」(今朝6時のNHKニュースのなかのファルージャの住民の声)様を少しは想像することはできる。
ブッシュやラムズフェルドやアラウィや、「成功させなきゃいけない」(「have to be successful」「strong support」として英語圏に打電された・むろんイラクの人々にも伝わるだろう)小泉の言辞とそれを垂れ流すマスメディアにではなく、私はこの想像力に立脚するしかない。
11 10, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年11月09日
ファルージャは泣いてくれることを期待などしていない ファルージャは強烈な悲鳴を必要としている すべての良心を叩き起こすための悲鳴を

『ファルージャ 2004年4月』/現代企画室刊より、墓地と化したサッカー場
アメリカの後ろ盾がなければ一時たりともイラクに居場所などない傀儡「暫定」首相が「米軍に軍事作戦開始の許可」を「与え」(近代植民地の歴史でよくみられた笑止な構図)、ファルージャに対する総攻撃が始まった。
作家・吉村昭氏の『東京の戦争』(筑摩書房)に空襲の体験が記されている。
「私は、防空壕の中で耳を手でふさぎ突っ伏していたが、爆弾が頭上にせまってくる音は、貨物列車が機関車を先頭に落下してくるのに似たすさまじい大轟音で、体が瞬時に飛散するような激しい恐怖におそわれた。爆弾が落ちると、体は大きくはずんだ」
「(ファルージャから逃げてきたリバーベンドの遠い親戚)ウム・アフメドは少し私を見て、首を振った。"私たちは、先週、隣に住んでいたウム・ナジブと2人のお嬢さんを埋葬しました。寝ているときにミサイルが庭に落ちて家が破壊されたのです"」
「私たちは逃げなくてはならなかったのです。私には子どもたちといっしょにあそこにとどまることはできませんでした。」彼女は弁解するかのように言った。
『東京の戦争』に記されたエピソード。日暮里に焼夷弾がばらまかれた夜、避難する彼の後ろに寝巻姿の老女が這ってきているのを眼にする。引き返してかかえあげようとすると、
「老女は"残されまして、残されまして…"と、繰り返し言った。一見してその女性は体が衰弱し、床に臥していたにちがいなかった。残されましてというのは、家族に置き去りにされたことをしめしていた。品のいい老女で、うらみがましい表情はなく、おだやかな眼であった」
少なくともみな無事でよかったわね、とリバーベンドの母がウム・アフメドに言うと彼女は突然号泣しはじめる。
ウムの夫は、モスクに協力して人々が避難するのを助けるため、まだ市内に留まったのだ。そしてウムの14歳の長男アフメドも、父が留まるなら離れない、と残ったのだ。
動くものはすべて射撃し破壊する、無人偵察機をはじめとする赤外線探査で体温やエンジン温(排気温)を感じればすぐに砲弾や爆弾が撃ち込まれる、昼はやり過ごし夜間暗視装置でレジスタンスを襲う、エレクトロニクスを駆使した米軍の最先端ハイテク市街戦は、一時的、地域的、軍事的には勝利するかもしれない。
しかし断言していい。「テロリストの掃討」を標榜してこのような暴虐をいくら繰り返してもイラクの人々の心は絶対につかめない。社会的・政治的・文化的・歴史的そして大局でみて軍事的にも敗北するだろう。
「イラクで不足していない僅かなもののひとつ、それが尊厳だ」
(ラフール・マハジャン『ファルージャ 2004年4月』/現代企画室刊)
11 9, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年11月08日
ファルージャ再び

※写真はファルージャ4月11日『ファルージャ 2004年4月』/現代企画室刊より
イラクでは「非常事態宣言」が出され、米軍によるファルージャへの全面攻撃が秒読みになっている(もちろん今現在も半径400メートル域をふっとばせる500ポンド爆弾が落とされている)。
〔追記〕8:35のバグダード・ロイター電は、未明の空爆に続いて激しい地上戦が始まったことを伝えている。
4月の攻撃では女性、老人、子供などが700名殺された。サッカー場は犠牲者を埋葬する墓地と化した。
今また虐殺が繰り返されるのだろうか。
そしてそれは報じられるだろうか。
日本のTVはイラク「暫定政府」の記者会見を簡単に垂れ流すだけだ。
以下は日本語で読めるサイト
Falluja, April 2004-the book
『ファルージャ 2004年4月』(現代企画室刊)を引き継ぐ形で、同書共訳者の益岡賢さん、いけだよしこさんがニュース等を翻訳紹介。
Raed in the Japanese Language
バグダードの建築家・NGO活動家ライード・ジャラール氏のブログ「Raed in the Middle」をいけだよしこさんが翻訳。
バグダードバーニング
バグダード在住リバーベンドのブログ。下記TUPの人たちが訳している
低気温のエクスタシーbyはなゆー
イラクの最新ニュースも追っている
REI SHIVA Iraq reports
フリージャーナリスト志葉玲さんのブログ
暗いニュースリンク
「政府があなたに熟考してほしくない由々しき情報」
weblogIRAQ
イラク情報リンクを共有するためのサイト。会員登録で投稿もできる。
森住卓ホームページ
『イラク 湾岸戦争の子どもたちー劣化ウラン弾は何をもたらしたか』などで知られる森住卓さんのサイト。
TUP速報
ボランティアの翻訳家たち(「平和をめざす翻訳者たち」)が戦争と平和に関するマスメディアが伝えない記事を手分けして翻訳している。以下はそのアンソロジー集。
『世界は変えられるーTUPが伝えるイラク戦争の「真実」と「非戦」』(七つ森書館)ーJCJ市民メディア賞受賞。
『世界は変えられる2ー戦争の被害者って?加害者って?』(七つ森書館)
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2004年11月03日
Four more years of Bush....NOOOOOO!!!

「ブーンドックス(The Boondocks)」31 Oct 2004 より
バグダードバーニング by リバーベンド
Baghdad Burning by Riverbend
(以下、山口陽子さん訳)
そう、アメリカ人よ、あなた方が昨年私の国を占領してから、ホワイトハウスの主(ぬし)が誰かについて、私にはおおいに口出しする権利がある。リアリストの私は、劇的な変化や何かすごいことを期待する気になれない。だけど、アフガニスタンとイラクでの不当な戦争を容認することになるので、ブッシュの再選(あるいは「再任」と呼ぶべきかしら)を拒絶する。…ブッシュが再びホワイトハウスに納まれば、私たちがこの1年半舐め続けた恐怖と流血の辛酸がすべて是認されてしまうことになる。
あなた方アメリカ人にハッキリさせておく−彼には絶対に計画などない。私たちが生きているこの大混乱に対処する設計図などありえない。ブッシュがイラク復興計画をたてるのに、ずるがしこくもカオス理論をつかっているのでなければ。イラクにあるのは混乱だけ。そしてイラク人は、ワシントンにいる奴らは自分たちの行為が何を意味するか分かっていないのだと考えている。イラクにいる彼らの操り人形はもっとわかっちゃいない。今のイラクで行われているゲームの名は、剥きだしの侵略−イラク全土が抵抗を始めてからは、民心獲得作戦なんてもんじゃまったくなかった。ブッシュの計画は簡単にいってしまえばイラクで言うところの「A'athreh ib dafra」、おおまかに訳すと、“つまづいたらけっとばせ”。
戦争を始めるという決断を「強さ」と結びつける人たちがいる。いったいどれくらい強ければ、異国の地で何千もの同胞を死においやることができるのか?特に、自分は家で家族とぬくぬくと傍観しているというのに。どれくらい強ければ、弱い軍隊と生活も経済もがたがたの国に対して、最先端の軍事技術をもって町々を瓦礫にする爆撃の命令を下すことができるのか。強くならなくても、できる。狂えばいいのだ。
アメリカ人よ—あなたがたにとって今より悪い事態はありうるかしら?
イラク人にとって今より悪い事態はありうるかしら?
もちろんありうる。
想像すればわかること ブッシュがもう4年やる、と。
only imagine- four more years of Bush.
_______________________________________________
どなたか「four more years」と「another four years」のニュアンスの違いを教えていただけませんか。
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米大統領選開票速報サイト

米メディアサイトのなかでは、ABCNewsとCNNが日本のTV(ABCをほぼ同時中継しているBS1)よりはるかに早く集計結果を報じている。
NewYorkTimesはまったく遅い。
ABCは自動リフレッシュ、地図の各州へのマウスオーバーで結果表示。
CNNは各州の分析が見やすい。
ABC Presidential Race Real-time vote result
CNN.com Election Results
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マイケル・ムーアの最後の呼びかけ

マイケル・ムーア(MICAELMOORE.COM)が米大統領選直前の11月1日「my final words」を「One Day Left」と題して呼びかけている。
「まっとうな保守派と回復しつつある共和党支持者たちへ」ではブッシュがいかに惨めな失敗者であり「保守」とはかけ離れたものであるかを綴り、
「左派の友人たちへ」では、たしかにケリーは君達の求めているすべてを体現してはいない(それは僕にとっても同じだ)。しかしブッシュによって「上院でもっとも"リベラル"」と呼ばれるケリーはよりイラク撤兵ができる可能性を持っているだろう。
「ネーダー(ラルフ・ネーダー)投票予定者へ」では、ブッシュをホワイトハウスから引きずり出すための最後の共闘を。
「Non-Swing States(非接戦州)の人々へ」では、単に選挙に勝つだけではなく、圧倒的な支持票を(30州以上といわれる非接戦州でも)獲得することが、これから4年間の委譲される権限に必要なのだと訴え、
「無投票の人へ」では、およそ50%のアメリカの人々が投票していない。それはそれらの人々がもっとも力を持っていることじゃないか。今回だけは投票すると僕に約束してほしい。
「始めて投票する人たちへ」では、投票する上でトラブルがあった場合へのガイドを記し、
「アフリカン・アメリカンの人々へ」では、前回のフロリダのような不正が行われないよう、数千のボランティアの弁護士たちが監視に向かう。僕自身、フロリダとオハイオにはプロもアマも含めて1200名の撮影隊を送り込む。少しでも不正犯罪が行われたなら、われわれの記録は世界に放映されるだろう。クリーブランドでは共和党に金で買われたごろつきどもがアフリカン・アメリカンの投票を妨害しようと卑劣な活動をしている。投票をやめないでほしい。僕と仲間たちはあなたたちのためにそこに行き戦いあななたちを守る。
「ジョージ.Wへ」"You're fired"の2ワードほどおそろしいものはないだろうね。まあ故郷で映画でも楽しんでくれ。
「ジョン・ケリーへ」君が就任したって僕らはどこにもいかないよ。君の手を握って君が誠実でありつづけることを見ているよ。裏切るな(もちろんそう信じてるとも)。アメリカ以外の世界のためにも。
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2004年10月30日
『夕凪の街 桜の国』(こうの史代/双葉社)

この漫画に関してはいろいろな想いがあるのだが今は書かない。
さまざまな先入観なしに、ただひたすら少しでも多くの、とくに若い人々に読まれてほしい。
私の薦めたものにはすべて心を打たれたと言ってくれた若い人がいた。ならば信じて読んでみてほしい。私で不足なら、漫画の歴史に目配りを怠らない漫画家みなもと太郎氏が「マンガ界この十年の最大の収穫」と言っている。
わずか100ページ、800円の本だが、もし私にお金の余裕があるなら何十冊でも買い入れて、周りの人に贈りたい。
3つの短編から成っている。
『夕凪の街』ー1955年(昭和30年)広島。二十代半ばの女性、皆美(みなみ)。
『桜の国1』ー1989年ころ。中野区新井薬師前。皆美の弟の娘、小学5年生の七波(ななみ)。
『桜の国2』ー2004年。二十代半ばの七波と父、そして広島。
3つの物語は時を追って語られてはいるのだが、ウロボロスの蛇のように循環するものでもあり、あるいは無限の螺旋の中途であるようにも思える。
1968年生まれの作者がこれを描きえた、ということに、文芸でも映画でもアートでもデザインでもなんでもいいが、想像力と創造力が試される仕事をしようと志す若い人々は学んでもらいたい。
そしてえらそうなことを言っている年長者は(私も含めて)恥じ入るしかない。
10 30, 2004 14.読書三昧, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年10月17日
『放送禁止歌』森達也

※民放連が出していた「要注意歌謡曲一覧表」。『放送禁止歌』(森達也/光文社・知恵の森文庫)より クリックすると拡大表示されます
フリーTVディレクター森達也は1970年代に入った頃、十代後半の多感な若者だった。
彼は振り返る(以下『放送禁止歌』より)。
「歌の形をとった彼らのメッセージを、嘲笑いながら抹殺する巨大な権威や権力の姿を思い描き、深夜に机に向かいながら、ニキビ面の17歳は受験勉強どころじゃなくなって一人で歯軋りしていたはずだ」「"歌"を抑圧する権力は、絶対に容認できない存在だった」
しかし上京し大学に入った彼は熱い政治の季節の残骸のなかで「燃え上がらせることも鎮火することもできない残り火を、ずっと燻らせ続けてきたような気がする」
TV業界に入り「放送禁止歌」をテーマとしたドキュメンタリー番組の企画に着手したのは1992年、リサーチではほとんどなにも分からない。
98年、いくつかの企画に紛れ込んでいた「放送禁止歌」の企画にフジテレビ編成局の鈴木専哉が「これ、面白いじゃないですか」と声を上げる。「編成局長が許可するわけないよね」と思っていた企画は、思いがけず当時の編成局長・北林由孝から「やるなら中途半端ではなく徹底的にやるように」とGOサインが出てスタートする。
「放送禁止歌にはまさに時代のタブーが集約されているはずで、その歴史的変遷を追えばきっと日本の戦後が新たな視点から見えるのではないだろうか」というのが当初の企画の趣旨だった。
禁止というからには「誰かが」なんらかの理由で禁止しているはずだ。
ところが当時「放送禁止歌」とされた歌を歌った人にいくら取材してもクレームなど一件もなかった、というのだ。
「放送禁止歌の背景を検証」し、歌を抑圧する背後の権力をあぶり出すという当初のテーマは森達也のなかで変質を始める。
禁止を指示している「黒幕」は「民放連(日本民間放送連盟)」であると誰もが漠然と思っていた。
ところが取材すると、たしかに「要注意歌謡曲一覧」というのは1959年から83年まで出している。しかしこれはあくまでもそれぞれの放送局(放送主体)が独自に放送するかしないかを判断する際のガイドラインでしかない、という。
過去にも現在にも「放送禁止歌」など存在しなかったのだ。
にもかかわらず、1971年にはすでに述べた「放送禁止歌」というタイトルの歌が作られ、現実に放送からは消されてきた。
TVやラジオの制作現場の人間は「確か『竹田の子守唄』は放送禁止だったよなあ」などとつぶやきながら、打ち合わせや収録の忙しい日々を送り、誰も疑問には思わなかった。
歌を規制する巨大で横暴な権力の暗躍を予想していいた森は撃つべき相手を失う。
しかし現実に規制は今も続いているし、日々増殖し続けている。
森にとって、過去のある歌が規制された事情や背景などはすでにどうでもよくなった。
「射程に置くべきは現在だ。自分自身を含めメディアに帰属する一人ひとり、そしてメディアを享受する一人ひとりが、実は無自覚な"規制の主体"であることを現在進行形で抉りだし、画面に定着すること」がテーマとなる。
「…皆が自分で考えていないからでしょう。マニュアルや他人の判断を鵜呑みにして、自分自身で考えるという当たり前のことがなされていない。特にマスメディアの方々に対して、私はその思いを強く持っています」という部落解放同盟の幹部の話の後に、キャメラはスタッフルームの鏡に向かう。
「被写体は他にない。レンズを自分自身に向けないかぎりは、この作品は終われない」「画面いっぱいに映るのは、鏡に映りこんだキャメラのレンズであり、キャメラを持つ"僕"とその背後のメディアだ。同時に、キャメラのレンズが向けられているのは、まさしくテレビの前の視聴者である"あなた"なのだ」。
1999年5月23日の未明放映された森達也の52分間のドキュメンタリー「放送禁止歌〜唄っているのは誰?規制するのは誰?」のエンディングは、真っ黒な画面にタイムコードだけが入り、「超Aランク放送禁止歌」と「されてきた」岡林信康「手紙」が3分間流れて終わる。
…
もしも差別がなかったら 好きな人とお店が持てた
部落に生れたそのことの どこが悪い なにがちがう
暗い手紙になりました
だけど私は書きたかった
だけど私は書きたかった
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2004年10月15日
「放送禁止歌」

私が学生時代を過ごした1960年代の終わりから70年代の初めはフォークソングが急速に広まり若者たちの心をつかんだ。なんとかの首飾りがどうしたとか森と湖に囲まれたお城だとかの他愛ない逃避的世界ではなく、自分と社会、世界を見つめ、さまざまな矛盾や被差別の不当と哀しみ、体制・権威への嫌悪批判を、ある者は声高に、ある者は諧謔にまぶし、またある者は静かに語りかけるように歌った。
「頭脳警察」は「ブルジョワジー諸君!君達にベトナムの民を好き勝手に殺す権利があるなら 我々にも君達を好き勝手に殺す権利がある」と吠え、なぎらけんいちは「悲惨な戦い」でNHKと相撲協会という権威を徹底的におちょくり、高田渡は「みなさん方の中に 自衛隊に入りたい人はいませんか…自衛隊に入ろう入ろう入ろう 自衛隊に入ればこの世は天国 男の中の男はみんな 自衛隊に入って花と散る」とひょうひょうと歌い、マジに受け取った自衛隊の広報だか幹部だかが「自衛隊としてこの歌を正式に採用したい」などと高田に電話をしてくる。
泉谷しげるは「戦争だ 戦争だ 戦争だ 待ちに待った戦争だ 国が認めた 戦争だ みんなで殺そう 戦争だ」(「戦争小唄」)と揶揄す。
岡林信康は「手紙」で「わたしの好きなみつるさんは おじいさんからお店をもらい 二人一緒に暮らすんだと うれしそうに話してたけど 私と一緒になるのだったら お店をゆずらないと言われたの…私は彼の幸せのため 身を引こうと思ってます…くやんではいない 別れても もしも差別がなかったら 好きな人とお店が持てた 部落に生れたそのことの どこが悪い なにがちがう 暗い手紙になりました だけど私は書きたかった だけど私は書きたかった」と「チューリップのアップリケ」とともに部落差別の非道と差別される者の悲哀を歌う。
深夜、ラジオを付ければ必ずこれらの歌の数々が流れていた。
しかし70年代に入ると、次々と放送からは消えていく。
13日に亡くなった山平和彦の「放送禁止歌」は1971年に作られ歌われ、そして「消された」。
秋田からフォークシンガーになることを夢見て東京に出てきたナイーブで人に優しい19歳の頃だった。
参照
『放送禁止歌』(森達也/解放出版社刊)光文社・知恵の森文庫版
※写真は、光文社・知恵の森文庫版カバーより
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2004年10月01日
戦没画学生慰霊美術館「無言館」(信州上田)

※写真はクリックすると拡大表示されます。
「無言館」前にある「記憶のパレット」。画学生たちが学ぶ教室風景が描かれ、収蔵した戦没画学生の名が記され「私たちの芸術と私たちの銃の前にあったすべての芸術のために」と刻まれている。
人は運命を限られたときどうするだろうか。
絵を志した人間は、愛するものを力の限り描くのだろう。
「あと5分、あと10分、この絵を描かせてください」
1942年(昭和17年)。外では出征兵士を送る会が盛大にひらかれ、沿道には村人たちが振る日の丸の小旗が揺れる。
鹿児島県種子島出身、東京美術学校(東京芸術大学の前身)油画科を41年(昭和16年)繰り上げ卒業(繰り上げ卒業というのは徴兵のためむりやり早く卒業させるもの)した日高安典は、入隊までの残された最後の最後の時間まで恋人の姿を描き続けた。「自分は必ず生きて帰ってこの絵の続きを描くから」と愛しい人に言い残して出征した日高は、満州を経て南方に転属、45年(昭和20年)フィリピン・ルソン島で戦死する。享年27。
「お腹の赤はあばれるだろう。俺にかはつて親孝行と赤を大事にそだてるのとを引き受けてくれ」と中国華北から軍事郵便で書き送った中村萬平は1941年東京美術学校を首席で卒業、応召前に在学中に結婚したモデルの霜子さんを描いた。出征後に子が生まれるが妻は肥立ちが悪く他界する。「昨夜兵舎の窓にのぼった満月がことのほか白くかがやいているようにみえました。それは、今までみたどの月よりも心にしみわたるうつくしい光の月でした。あれは霜子が天に召されたことを知らせる満月だったのですね」と書いた手紙が両親に届く。43年(昭和18年)蒙古の野戦病院で戦病死。享年26。
「続き」が描かれることの無かった日高安典「裸婦」も中村萬平「霜子」も美術的な完成度とか巧拙とか絵の傷みとかを越えて心を打つ。残された、限られた時間のなかでの、彼らの絵を描くということに対する喜び、ひたむきさと、対象への愛の深さが、静かにそして圧倒的に伝わってくるのだ。
長野県上田市の西南郊外に拡がる塩田平の南、山王山(さんのうやま)の上にあるこの小さな美術館にはこれらの絵が数々の遺品と共に展示されている。
アートやデザインを志す若い人々は必ず訪れてほしいと願う。
〔参考書〕
この美術館をもともと発案した画家・野見山暁治氏の著作『遺された画集—戦没画学生を訪ねる旅』 (平凡社ライブラリーoffシリーズ)『四百字のデッサン』 (河出文庫)など
作品収集・整理をし無言館建設にあたった無言館館主・信濃デッサン館館主窪島誠一郎氏の著作『「無言館」ものがたり』(講談社)『無言館ノオト—戦没画学生へのレクイエム』(集英社新書)『「無言館」の坂道』(平凡社)『信州の美術館めぐり』(とんぼの本)など
10 1, 2004 10.美術工芸, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年09月27日
『戦没画学生人名録』(編・戦没画学生慰霊美術館「無言館」)

東京美術学校(東京芸術大学の前身)、帝国美術学校(多摩美術大学および武蔵野美術大学の前身)、京都美術工芸学校(京都市立芸術大学の前身)、多摩帝国美術学校(世田谷区上野毛に創設された多摩美術大学の前身)などで絵を志し学んだ学生たちも、太平洋戦争中次々に応召され出征し戦死していった。
『戦没画学生人名録』は、戦没画学生慰霊美術館「無言館」(信州上田)の館主である窪島誠一郎さんと館のスタッフがこつこつと情報と作品を集め編んだ人名録(392名収録)だ。
どのページでもいい。たとえば大分県南海部郡上浦町出身「森崎勇」の項には、1941年(昭和16年)京都絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)での卒業制作の絵が掲載され、略歴が記される。同年卒業。42年応召。43年ビルマ(現・ミャンマー)インパール作戦の擁護で雲南省最西端ビルマとの国境に接する高地に出征。…1944年6月13日、怒江のちかくの上街の陣地において戦死。
同じ部隊の者が記す。「6月13日雨、雨に濡れそばっている陣地に、これでもか、これでもかというように情容赦もなく敵の砲弾が落下し交通壕をブチ壊し、掩体壕の土をブッ飛ばす。壕の痛みがひどくなった。この日の砲撃で森崎少尉が死んだ」(横田進著)
この本の21世紀版続編が編まれないようにすることは私(私たち)の絶対の責務だ。
9 27, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年09月21日
ヒットラーと「退廃美術展」

※写真はクリックすると拡大表示されます。
1937年ミュンヘンの「退廃美術展」の再現CG映像。NHKハイビジョンスペシャル「パウル・クレー/烙印を押された画家」より
1995年に神奈川県立近代美術館(鎌倉雪ノ下)で「芸術の危機/ヒットラーと退廃美術展」を見た。期間の終わりに近く図録が売り切れていたのは本当に残念だった。当時、躁病というやっかいな病からようやく回復した私には「退廃美術」の数々が実に心に染み入るように感じられたのだ。
仕事をしながらNHKハイビジョンスペシャル「パウル・クレー/烙印を押された画家」をつけていたら、1937年にミュンヘンの考古学研究所で開かれた元祖の「退廃美術展」が出てき、その展示をCGで復元した様子も映された。見た覚えのある数々の絵画や彫刻がそこにあった。
1933年政権を握ったヒットラー・ナチスは芸術・文化を自己の政策の中でひじょうに重要に位置づけた。それは博覧会から党大会、オリンピック、都市計画にいたる国家計画の一環だった。学生団体はすでにナチスが支配し、ベルリン大学前のオペラ座広場に盛大に薪を燃やし、「非ドイツ的・退廃的文献」、マルクスはもちろん、フロイト、ケストナー、レマルクなど2万冊の本を「焚書」した。記しておきたいのはこのときナチ学生同盟のたいまつ行列の先頭に立っていたのは新設された政治教育学講座の教授だということだ。
若い人のために注釈しておくと、レイ・ブラッドベリの傑作『華氏451度』(フランソワ・トリュフォにより映画化もされた)は「本のページに火がつき燃え上がる温度」であり、この歴史的事件をモチーフにしている。
いうまでもなくマイケル・ムーアの『華氏911』(自由が燃え上がる温度)はこれをもじったものだ。
「非ドイツ的」教授の追放、図書館からの文献一掃が進められた。
ユダヤ系であるメンデルスゾーン、ハイネなどはドイツの歴史には存在しないことになった。
ゲッペルスのもとに全国文化院が組織され、あらゆる文化・出版業界がそれに登録しなければ創作も営業もできないことになった。ユダヤ人、反ナチの文化人、芸術家は制作禁止を申し渡される。クレーを始めとする気鋭のアーティストたちはバウハウスなどの大学、美術学校を追われ亡命を余儀なくされ、エルンスト・キルヒナーは自分の作品を燃やし自ら命を断つ。
アーリア人種の優位を誇る美術が推奨され、モダニズムー特に表現主義、ダダイズム、未来派は徹底的に弾圧され、抽象絵画はわけの分からないもの、パウル・クレーの「幼稚な絵」は精神病者の絵にも劣るもの、斬新な宗教画は神を冒涜するもの、戦争の悲惨を描くものは国威発揚と士気に反するもの、ヌードや風俗画はドイツ女性を侮辱するもの、ユダヤ人の描いたものは認められないとされ、全国の美術館から2万点が没収された(展覧会後、軍費調達のため海外でオークションにかけられ、それ以外はおそらく焼かれ、ナチス崩壊後も1万点は行方不明となる)。
「退廃美術展」はこのなかから約120のアーティストの650点ほどの作品を集め、恣意的なテーマ別にまとめられ、プロパガンダと揶揄の言葉と文字通り「退廃」の「烙印」とともに展示された。パウル・クレー、カンディンスキー、ゴッホ、シャガール、オットー・ディックスなど錚々たるメンバーの作品群だ。近くに完成したばかりの「ドイツ芸術の家」では公募でドイツ美術の模範とされた「大ドイツ美術展」が平行して開かれた。
ドイツのある大学で今1年間に渡り「退廃美術」に関するゼミナールが行われており、数十名の学生が熱心に討論している姿が印象的だった。ある女子学生が言う。「悲しいことに70年後の今も同じようなことがあります。退廃美術という考え方もナチスも消えてはいません」。
日本で過去の歴史に対しこれだけ真摯に向き合っているか?
9 21, 2004 10.美術工芸, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年09月19日
CGアニメーション『Birthday Boy』パク・セジョン

SIGGRAPH2004のBest Animated Short(最優秀短編アニメーション)に選ばれた『Birthday Boy』がNHKBSの「デジスタ」で放映されて観た。
すでにアヌシー国際アニメーションフェスティバルでも入選している。
オーストラリア在住韓国人(あるいは韓国出身オーストラリア人)、パク・セジョン(Sejong Park)の作品だ。
舞台は1951年、朝鮮戦争時のある村。前年から始まった戦争で、すでに100万人以上が死に、朝鮮全土を荒れ果てさせ、ここで描かれる村には人影もない。
タイトルからして少年の誕生日なのだろう。前線で闘う父を想い戦闘のまねなどをして遊ぶ。一昔前の子供ならよくやったように鉄道線路にボルトを置き、鉄輪が踏みつぶしてくれることを待つ。
やがてやってくる鉄道貨車はすべて前線へと運ぶ戦車を積んでいる。少年の無邪気な想いと戦火の対比イメージ表現として圧倒的に凄い。
期待通り延びた鉄片をにんまりと持って家に帰ると「軍事郵便」が届いている。誕生日のプレゼントは戦死した父の遺品だった。
作者は37歳というからもちろん自身の経験ではない。けれども家族、親族がくぐり抜けてきた歴史が確実に反映されているだろう。
コンピュータグラフィックス(CG)で作られたもので私が感銘を受けるものはほとんど無い。しかしこの作品は生きている土地の歴史と少年の存在感と表情の表現が実に素晴らしく感動した。
9 19, 2004 12.写真・映像・映画・演劇, 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年09月18日
爆音が鳴り響くバグダードでリバーベンドが観る「華氏911」

※写真は英BBC制作・NHK放映「検証・イラク人虐待」より
Bughdad Burning が一月ぶりに更新され、池田真理さんによって訳された。
「バグダードの誰もがただただ疲れている…誘拐、爆撃、武装民兵、過激派、麻薬、ギャング、強奪、何でもあり。どの話を聞きたいか言ってみて。 お望みの話をひとつ、いいえいくつも聞かせてあげられる」
9.11にリバーベンドはマイケル・ムーアの「華氏911」を自宅で観る。
一月も前に海賊版(どこかの映画館で撮影・コピーされたもの)を手に入れていたのだが「5分と続けてブッシュを見ることに耐えられないのに2時間もの間保つとはとても思えなかった」からこれまで観なかったのだ。
事実に関しては「何も驚かなかった。ショックなことは何もない」というがやはり衝撃を受け「怒り狂い、なさけなく悲しく、自分に許せる限度以上に泣いた」。
娘と息子が「お国のために働いている」いやお国のためどころか同盟国と「世界のために働いている」といって満足しきっている「この戦争を支持する人々の傲岸不遜と無知蒙昧を体現する」ようなアメリカの母親の姿に激しい憎悪を抱く。しかしこの母親が死んだ息子の最後の手紙を読み聞かせる場面でリバーベンドは「感じまいとしていた同情」も感じ始める。
しかしそれは振りはらわざるをえない。「この人はイラクの犠牲者たちのことを少しは考えたことがあるのかしら。ファルージャの破壊された家の瓦礫の下から我が子たちを懸命に掘り出そうとしている、あるいはまたカバラで、子どもの胸の大きく口を開けた傷口から吹き出る血を必死に止めようとしているイラクの親たちも、彼女と同じ思いをしていると、一瞬でも思ったことはあるかしら」。
「9月11日。その人は座って新聞を読んでいた。お茶を飲もうと目の前のカップに手を伸ばしたとき、頭上に飛行機の音を聞いたような気がした。いい天気の気持ちのよい日で、さあこれから仕事にかかろうとしていた… 突然世界は暗転。ものすごい爆発音、続いてコンクリートと鉄骨の塊の下で骨の砕ける音…そこいら中が叫び声で満たされ…男も女も子どもも…ガラスの破片がむき出しの柔らかな皮膚を狙う…その人は家族が気になって立ちあがろうとした。が、からだのどこかがやられているようで、立ち上がれない…熱気が押し寄せてきて、人肉の焼ける臭いと煙りと粉塵が混ざり合って鼻をふさぐ…ふたたび突然真っ暗に。
2001年9月11日のこと? ニューヨーク? ワールド・トレード・センターでしょう?
いいえ。
2004年9月11日。ファルージャ。あるイラク人の家」
Bughdad Burning(原文)
Bughdad Burning(日本語訳)
『バグダッド・バーニングーイラク女性の占領下日記』
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2004年09月12日
9.11以後の3年

※写真はクリックすると拡大表示されます。
人々が「やり過ごす」ことによるファシズムの到来を描く『茶色の朝』(フランク・パヴロフ/物語・ヴィンセント・ギャロ/絵/大月書店)より
9.11(2001年)はけっして始まりではなく、歴史的なひとつの結果だ。
しかし9・11以後のアメリカによるアフガニスタン、イラクへの一方的先制攻撃「戦争」と、それを支えるための統制・抑圧の網の目の構築によって、世界はむきだしの軍事力と果てしの無い戒厳令化が支配するパラダイムに入ってしまった。
イラク日本人人質事件に関わって天下の朝日新聞は2チャンネルの罵詈雑言を「高級」にまとめ直したような「国際政治学者」の論考を載せたが、それには「世界が主権国家の原則で動いている事実を無視して行動しては真に意味のある行動はできない」などとあった。アフガニスタンとイラクに対する攻撃・戦争は、主権国家とその間の関係を規定した国際法でいうところの「戦争」などではない。ラムズフェルドは「国際法は時代遅れだ」と公言しているし「対テロ戦争」での拘束者は国際法上の「捕虜」としては扱われていない。「無法者」が世界を支配しているのだ。
たくさんの問題があるはずだった(むろん現在でも存在する)。圧倒的な富の偏在、飢餓、エイズ、環境、資源、難民、移民、宗教対立、地雷、植民地の遺制等々…。
ブッシュは「対テロ全面戦争」「安全確保」の名のもとに「問題」そのものを爆撃ですべて吹っ飛ばすというとんでもなく荒っぽい道を突き進んだ。
「アメリカはなぜこうも世界で嫌われるのか」「アメリカは過去50年間を見ても何百万人という世界の人々を殺してきたのではないのか」という真摯で反省的な問いは、元々の「加害者」が、9.11によって「国民全体が被害者」であるかのように一気に装われ実感させられるなかで「愛国的でない」声として圧殺された。
複雑にからみあった問題は単純な言葉と二元論に置き換えられた。「正義」と「邪悪」?
世界はジョン・ウェインとそれを補佐するディーン・マーティン、リッキー・ネルソンのみが正義となった。人権より「反テロ」を優先させる「愛国者法」はほとんど無制限に人々を拘束できる(拘束者の9割以上が結局疑い無しとして釈放されるにもかかわらず)。ウェブでの発信、メールの監視ももちろんだ。
アメリカの「衛星プチ帝国」ー『安心のファシズム—支配されたがる人々』(斎藤貴男/岩波新書)『「非国民」のすすめ』(斎藤貴男/筑摩書房)である日本では単純なフレーズしかもともと発せられない「首相」が「国際貢献」「人道復旧支援」という名目でアメリカに追従し「派兵」した。
マスコミはもっとも反対していたものでさえ事後追認し「自衛隊提供」などというクレジットを臆面も無く流すようになった。
世界の複雑な動きは「アルカイダ関与の疑い」などと表現されるだけで一気に色分けされ、人々は了解したつもりにさせられるようになった。
「安心」のために「監視・管理」は強化されるべきこととされるようになった。
一方で、構造改革・民営化などとさも新しい希望に満ちた政策であるかのように言っていることが、毎年アメリカが内々で日本に突きつける要求の忠実な反映であることも明らかになった。
グローバル資本(特に軍産複合体)と、それに都合のいいナショナリズムが一気に世の中を覆いつつある。
「平和憲法」などは「改正」するまでもなくとっくに無視・蹂躙されている。今ある改憲の動きは追認のカタチを整えるものでしかない。「日本国」は「日本国憲法」に即してはすでに運営されていない。ここでも「無法者」が支配している。
過去のアジア侵略・植民地支配を単に経済的にだけではなく政治的にきちんと清算していないからこそ起こるアジア諸国・諸国民との軋轢を逆に国家主義に利用する。
レイシズム(人種・民族差別)や女性蔑視の言辞を平気で、あるいは意図的に吐く輩が300万票以上を獲得して首都に鎮座する。ペロンを「極右」と呼びながら、この人物に対してはマスコミは何も言わない。
「国のために死ねる人材を育てるのが教育の目標」だの「反日分子」だのということばが国会で堂々と表明され、小中学校では「君が代」を本当に歌っているかどうか口元で「音量チェック」され、校長は教育委員会にもっと具体的な指示をしていただければ指導しやすいのですがとお伺いをたて、ちょっとおかしいのではと述べたPTA会長はよってたかって非難され辞任させられる。
北朝鮮による「拉致」は意図的に過去の「朝鮮人強制連行」とは切り離され(他の言語でこの歴史的事実の内容を表現すれば同じことだ)、元々の加害者が一斉にヒステリックに被害者面することでなにか優位な立場に立ったように思わせ、過去の植民地支配にほおかむりした(居直った)。
テロがもし「犯罪」であるのならばそれに対応するのは警察のはずだが、軍と警察はますます一体化しつつある。権力による管理・監視の範囲はとめどもなく拡がり、「有事体制」の訓練では「住民の参加」さえ求められるようになった。もちろん「始めは」「自発的に」だ。
「対テロ全面戦争」の国際的展開に合わせて「共謀法」などというものまで出てきた。
わずか数百たらずのグローバル資本が世界貿易の7割を牛耳るという根幹の問題を脇に置いて、「市場競争」がもっとも望ましいグラウンドであるように思わされるようになった。もともとの出発点の不平等はまったく無視して、競争に負けるのは努力が足りない質の劣っている本人・企業が悪いのだということが当たり前のようになってきた(「勝ち組・負け組」)。
「一億総中流」はもちろん幻想だった。市場にできるだけまかせる小さい国家は、基幹企業にはテコ入れするが、福祉や医療は削り、下層の人々は労働力・消費者としては利用されながらも徹底的に切り捨てられ始めた。リストラなどで中流から脱落する人々がこれに流入する。
「レッセ・フェール(自由放任主義)」「社会ダーウィニズム(自然淘汰・適者生存)」「夜警国家」などという、とうに歴史的な概念と思われていたことが21世紀に「舞台装置を隠されたなかで」ゾンビのようによみがえっている。
これが9.11の3年後のわれわれが置かれている状況だ。
9 12, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年09月05日
チェチェンを知るために

※写真はクリックすると拡大表示されます(『DAYS JAPAN 2004/9月号』より
ロシア軍の侵攻で廃墟と化したチェチェン首都グロスヌイ。右下はモスクワの劇場で射殺されたチェチェン女性ゲリラ
プーチンはブッシュの「対テロ戦争」と称する陣列の「陰」に加わることによって責任を逃れようとしている。もともと欧米諸国政府は独立を求めるチェチェンに対するロシアの軍事介入に批判的だったが、9.11以後は見て見ぬふりに切り替えた。
チェチェンは400年間に渡ってロシアの侵略・支配に抗してきた。ロシアが帝政であろうと革命ソヴィエト連邦であろうと変わりはなかった。
ソ連邦崩壊後の91年に独立宣言をしたが、94年以降ロシアの軍事侵攻・事実上の占領下で、つい先日の選挙でもあいかわらず傀儡政権が「選ばれた」。
岩手県ほどの面積で70〜80万の人口だが、ロシア軍の介入ですでに20万人ほどが殺されている。
ロシア軍による略奪、強姦、無差別逮捕、拷問、無裁判での処刑がチェチェンの日常だ。
『DAYS JAPAN』2004年9月号(広河隆一責任編集・世界を視るフォトジャーナリズム月刊誌)の林克明氏の写真と文は「テロリストと呼ばれる人々」がどういう侵略・圧殺の経験と絶望とそれでも抵抗しようとしているかの姿を描いている。
テロが始まりなのでは断じてない。テロは一連の歴史の結果でありそうした行動が起きるには原因がある。
2002年10月のモスクワ劇場占拠事件のとき、人質の俳優が若いチェチェン人女性ゲリラに無神経に尋ねた。「ずいぶん若いけれどいくつ?」「16歳」「それじゃ両親と暮らしてるんだね」「両親は殺された。戦争を止めさせてほしい。ロシア軍がチェチェンから出ていくなら私は死んでもいい」
俳優は子どもや病弱な人を釈放するよう要求する。別の女性ゲリラが言う。「私は生後1ヶ月の赤ん坊を残してきた。そうしなければならないほどチェチェンでは子どもも老人も殺されている」
ここまで追いつめられた人々が、ロシア軍の毒ガス攻撃で人質も120名以上が死亡し、もちろん16歳のチェチェン人女性ゲリラも1ヶ月の赤ん坊の母親を含めて40名全員が射殺された。
「貧しいが、親族や友人たちの強い絆のものとに成長し、格闘技に親しみ、伝統を守って生きる」(同誌・林克明)チェチェン人を少しでも理解するために—
「チェチェン総合情報」(chechennews.org)
『誓い—チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』(ハッサン・バイエフ/天野隆司訳/アスペクト刊)
『チェチェンやめられない戦争』(アンナ・ポリコフスカヤ著/三浦みどり訳/NHK出版)
『コーカサスの金色の雲』(プリスターフキン著/三浦みどり訳/群像社)
『チェチェン大戦争の真実』(植田樹/日新報道)
『カフカスの小さな国—チェチェン独立運動始末』
(林克明/小学館)
『チェチェン 屈せざる人々』(岩波フォト・ドキュメンタリー世界の戦場から/林克明/岩波書店)
『チェチェンで何が起こっているのか』(林克明・大富亮/高文研)
9 5, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年08月28日
ある在日バングラデシュ人に起きたことーそしてこれから日本人に起ころうとしていること

すでにドイツで逮捕された(その後フランスに移送)「イスラム過激派幹部」とされるフランス国籍のリオネル・デュモン容疑者が日本に1年2ヶ月ほどの間に4回入国していたことが判明し、日本のマスコミで「アルカイダ幹部日本潜入」「日本にもテロの脅威現実化」としてトップニュースで大々的に報道されたのは5月のことだ(なおデュモンがアルカイダと関係があるかどうかは未だに定かでなく、またなんらかの「イスラム過激派」に属しているとしても幹部であるかは疑わしいという情報がいろいろあるがここでは主題でない)。
問題は、デュモンが日本で「接触をはかった」とされたモハメド・ヒムさん(33歳)をはじめとするバングラデシュ人5人、マリ、インド、フィリピン人各1人計8人の在日アジア人が逮捕されたことをめぐることだ。いずれも微罪相当のいわゆる「別件逮捕」である。
しかしマスコミは警察のリークに沿って「アルカイダ関係者」としてこぞって扱った。
ヒムさんのことを、産経新聞は「普段は家族と暮らし、感じのいい、まじめな青年として環境になじんでいるが、もう一方では、国際テロ組織の一員としての顔を持っていた」と断定的に記し(社説で!)、週刊誌は彼らの顔写真とビンラディンの写真を並べてみせた。
ヒムさんは秋葉原に事務所を開き、横須賀基地のフィリピン人労働者などを主な顧客とする国際電話プリペイドカード販売やマレーシアでの携帯販売を行っていた。
毎日新聞は「東京・秋葉原の電気街や、米軍横須賀基地のある神奈川県横須賀市などに国際テロ組織の影が忍び寄っていたことに、周辺の住民らは不安と戸惑いの表情を見せた」と根拠のない不安を自分で煽り、
読売新聞は社説で「米同時テロのように、数年かけて支援組織をつくり、綿密に役割分担し、完全に準備を整えてテロを実行するのが、アルカイダの手法である。何の意図もなく、わざわざ米軍基地の前に事務所を置くだろうか。米軍の情報収集や、米軍を狙ったテロの準備行動だった疑いもあるのではないか」と書き「ヒム容疑者マレーシアに数百万送金、現地で幹部と接触」などと一貫して容疑が深まりつつあるような報道を続けた。
しかし2ヶ月たっても警察・検察は「アルカイーダの関係者」であることを8人について誰ひとり立証できず釈放せざるをえなかった。皆無関係だったのだ。
マスコミは逮捕するときは大々的に扇情的に書き立て放映し(それは世界にも発信される)、後はどうか。
読売新聞は7月8日付「『アル・カイーダとの関連、断定できず』ヒム容疑者を略式起訴」といかにも証拠不十分なので不本意だがという意味を込めた小さな記事で終わらせたのだ(略式起訴というのは別件逮捕の微罪についてのいやがらせのようなものでテロともアルカイダともまったく関係ない)。五十嵐仁の転成仁語 7月29日の「読売新聞はどう責任をとるのか」参照。他の新聞も1段のベタ記事の扱い。TVではほとんど報道もされなかった。
バングラデシュ出身のヒムさんは、カナダに渡り、そこで日本人女性と結婚、95年に来日した。6歳の息子と2歳の娘は「日本人」だ。
時給700円のアルバイトから始め、在日9年間で年商12億円まで育て築きあげてきた事業と信用の一切を失った。
警察はヒムさんの顧客をしらみつぶしに回り、国際テロ支援の疑いがあると銀行口座を調べたてた。数百人にのぼるヒムさんの顧客は「連絡しないでくれ」と関係を絶った。アルカイダ関係者の「容疑」を受けて逮捕されたと「報道された」だけで、会社事務所は家主から追い立てをくらい、NTTコミュニケーションは結んだばかりの契約を破棄し、佐川急便は取引を断り、海外送金もできず、クレジットカードも解約された。事業を展開していたマレーシアにもビザがおりず行けない。ショックで病に倒れた母がいる故国バングラデシュではすでにアルカイダの刻印を押され、裕福な事業家のイメージが拡がったので帰れば殺されるか誘拐されるだろう。回収できない売掛金などで逆に2億円の借金を抱えることになってしまっている。
これは東京新聞8/27朝刊「こちら特報部」がいう「風評被害」などという生やさしい性格のものではなく「社会的抹殺」ではないか。
「対テロ戦争」のためと称するなら人権などいくらでも蹂躙できる「愛国者法(Patriot Act)」を制定し、連邦法を改悪し、少しでも「疑い」があればどんどん拘束するアメリカ社会(ついでながらアメリカの世論調査では4割もがその際拘束された人への拷問を認めている)の後を日本は急速に追っている。
マスコミは公安警察の思い通りの拡声装置に成り下がった。
人々は不安を煽られ、批判的な思考力を喪い、一層の警察・監視国家化を求める。そしてこんな「疑い」を万一にも自分がかけられないように、「異を唱えない」「普通」に徹し、異物は無視し、関わりあいになることは極力避け、できれば「誰か」に、つまり「強力なリーダー・権力」に排除してもらいたいと願う、という方向になだれをうっている。
産経新聞は先の社説で、さらに話を広げて「日本に滞在しているイスラム系外国人は9万人ともいわれ、人と金のネットワークが出来上がっている。彼らはこの基盤を利用しているのだ」と在日イスラムの社会そのものがテロの温床になっているかのような暴論を吐いた。
東京新聞によれば「アラビア語を学ぶ日本人の教え子らも、電車の中でアラビア語の本を開いただけで妙な視線にさらされるとこぼしている」「日本人の学生に対してですらこうなのだから、滞日外国人のイスラム教徒はさぞつらいだろう」と同志社大学神学部の四戸潤教授が述べている。「数年前まではあったイスラムを知ろうといった友好的な雰囲気が消え、イスラム教徒に対しては聞く耳を持たないという風潮を感じている」。
ヒムさんは自殺を決意し、荒川の橋から飛び降りようともしたが「晩ご飯何時に帰る?」と携帯にかけてきた6歳の息子の声でふみとどまる。「息子にはこんなことがない世の中になるよう将来弁護士になってもらいたい」というのが彼の願いだ。
ニュースサイト『日刊ベリタ』は過去の報道を自己批判してヒムさんに謝罪し、当該記事を削除して、『日刊ベリタ』ー「日本政府、メディアは私の名誉を回復して」 アルカイダ関与が疑われて拘留43日 バングラデシュ人が訴えを載せている。
Asia Letter: He isn't from Al Qaeda, but who would know? -Norimitsu Onishi IHT
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2004年08月23日
「PLAY FAIR プレイフェア」(オックスファム・インターナショナル・オリンピックキャンペーン)

※写真はクリックすると拡大表示されます
※写真右/「1日12時間労働・週7日休み無し」「1万円のランニングシューズを作るのに日給3$(330円)」「時給33円で毎分4枚のシャツを作る」「週45時間の強制残業」
※写真左/オーストラリアのシドニーでオックスファム・オーストラリア(OCAA)がアテネオリンピックに向けてスポーツウェアを作る縫製工場のワーカーたちが悲惨な人権状況にあることを訴えたパフォーマンス(写真:OCAA)
※写真はいずれも許可を得てOxfam Japan サイトより転載
貧困や人権無視とその背景にある経済的政治的不公正をただすプロジェクトを中心として世界100ヶ国以上で活動する国際NGO「オックスファム・インターナショナル」(本部・イギリス)が、アテネ・オリンピックを期に、スポーツウェア産業労働者の権利尊重を求める「PLAY FAIR プレイフェア」キャンペーンを行っている。
すでに90年代後半のアメリカで「スウェットショップ(Sweatshop)」が問題化した。もともと19世紀に長時間低賃金無権利状況下に汗まみれでこきつかわれる繊維産業などの労働者が働く「搾取工場」(日本で言えば「女工哀史」や「ああ野麦峠」の世界)を指す歴史的な用語だったが、グローバリゼーションはこのことばを現代によみがえらせた。
「95年に労働省が摘発した工場の悲惨さは、第三世界にまさるとも劣らぬものだった。たとえばロサンゼルス郊外の工場では、六十余名のタイ移民女性労働者が監禁され、1週7日、ときには1日20時間も働かされていた。時給はわずか70セント、脱走者には暴力とレイプが加えられたという。その製品は大手百貨店や通信販売を通じて、高級ブランドとして販売されていた。…同省によれば90年代にアメリカ国内で生産された高級衣料品の6割はスウェットショップがかかわったものだという」(「安さの陰にひそむ矛盾/古沢広祐ー『安ければそれでいいのか!?』(山下惣一・編著/コモンズ)
スポーツウェアビジネスは現在国際的な大企業を中心とした寡占体制であり、オリンピックはその最大のPRチャンスだ。
「オックスファム・インターナショナル」が発表した「PLAY FAIR」レポート全文がボランティアの手で翻訳され日本語で読める(Oxfam Japan 「PLAY FAIR プレイフェア」よりダウンロード可)。
69ページにおよぶこのレポートは、ナイキ、アディダス、リーボック、プーマ、フィラ、アシックス、ミズノなどの華々しいブランドイメージを持つ商品群が、中国やタイ、カンボジア、インドネシアからトルコ、ブルガニアに至るまでの貧しい人々(特に女性の割合は圧倒的に多い)の過酷な労働と人権無視、暴力的な抑圧のもとで作られている実態をインタビューもまじえて生々しく描き出す。
企業は表向き改善の姿勢を見せても、実際はそれに相反するノルマと責任を末端の供給者におしつけ、受け入れねば工場を替えると脅し、構造は固定化し再生産されている。
「先進国」の私たちはこのような背景をほとんど知ることなく無自覚に買っている。
8 23, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年08月22日
スペシャル・オリンピックス

速さを競う、力を比べあう、運動能力の極限を極める、のもいいだろう。
しかし同じ「オリンピック」でもこれは違う。
「スペシャル・オリンピックス」は、1963年、J.F.ケネディ大統領の妹、ユニス・ケネディ・シュライバーが自宅の庭を、知的発達障害の人たちに開放して開いたデイキャンプが始まり。彼女は、知的障害があってもスポーツを心から楽しむチャンスが開かれるべきだという信念を持ち、68年には組織化されて「スペシャルオリンピックス」となり、現在では世界160の国や地域が加盟し、約100万名のアスリートとほぼ同数のボランティアの活動で4年に1度世界大会も催されている。
「オリンピックス」と複数形なのは、日常的なトレーニングから世界大会にいたるまで、いつでも、どこかで、この活動が行われているからだ。
NPO法人 スペシャルオリンピックス日本
以下は「転載自由・歓迎」なので転載する。
数年前にシアトルで行われた、スペシャルオリンピックスでのこと
九人の選手たちが、100ヤード走のスタートラインに立った
選手は全員が心身障害者だ
号砲とともに、全員がスタート
全力疾走とはいかないものの、ともかくゴールを目指し
勝つために走ろうという意欲が感じられた
ところが、一人の少年がアスファルトにつまずき
二回も転んで泣き出した
残る八人は、少年の泣き声を聞くと
スピードをおとして振り返った
そして全員が向きを変えてコースを戻っていったのだ
八人の選手全員が・・・
一人のダウン症の少女は、かがんで少年にキスをし
「こうすると痛くなくなるわ」と言った
そして九人で腕を組んで、ゴールまで歩いた
競技場にいた人たち全員が立ち上がり
声援がしばらくの間やまなかった
そこに居合わせた人たちは、今でもこの話を口にする
なぜ?
なぜなら、心の奥深くで、だれもが次のことを知っているから
今、生で大切なのは、自分が勝つなどという小さな目標ではないこと
たとえそのために、自分のペースをおとし、進路を変えることになろうとも
他者の勝利を助けることこそが大切だということを・・・
もしあなたがこの話を転送してくださったら
私たちのハートが変わったように
新しい誰かのハートを変えることができるかもしれません
「ろうそくが別のろうそくに灯をうつしても何も減りはしない」
翻訳:乾 真由美
TUP-Bulletin12
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-bulletin/message/12
七つ森書館:『世界は変えられる』より
8 22, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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隠蔽されようとするナジャフ

※写真はreporters without borders「国境なき記者団」より
日本の人々がアテネ・オリンピックの「メダルラッシュ」などにうつつをぬかしている間、イラク中部のシーア派の聖地ナジャフでは殺戮と抗戦が続いている。すでに米軍の空爆などによって1000人規模が殺されただろう。「もちろん亡くなった人たちはみな“反乱軍”と呼ばれている。テレビに映った、アバヤにくるまれて道路の上にごろりところがされた女性もその一味ということに違いない」(Baghdad Burning 8/7/Girl blog from Iraq)。
バグダッド在住の24歳イラク人女性のBlogによる発信は、2003年8月17日の始めから2004年5月22日までの分が翻訳刊行されている。『バグダッド・バーニングーイラク女性の占領下日記』
サドル派レジスタンスの戦士自体はもう数百人かもしれないが、米軍の封鎖を突破して数千人が人間の盾となるべくアリ廟に集まってきている。ファルージャの虐殺が再現されてしまうのだろうか。
『ファルージャ 2004年4月』(現代企画室)。
そしてここでも事実は隠蔽されようとしている。
ナジャフに滞在するジャーナリストたちは「暫定政権」配下のイラク警察によって銃によって脅され退去を迫られた。ロイター、APやアラブ諸国の記者たち(いうまでもないが日本のマスコミの記者などはいない。遠く離れたカイロあたりの空調のきいた部屋で「情報収集」し記事を送っているだけだ)は抵抗するが、ナジャフを離れなかった記者たちに対しては「ホテルを粉砕し、お前たちを皆殺しにし、出ようとするものがあれば狙撃手に狙わせる」と警部補が宣告する。
reporters without borders「国境なき記者団」によれば、イラク戦争開始以来38名のジャーナリストが殺されている。
さらに墓碑は増えるのだろうか。そして真実は伝えられるだろうか。
8 22, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年08月10日
「民度」ということば

私が管理する掲示板が荒らされている。
大学の学科のもので、学生、卒業生、教職員、そして広く市民と交流し、キャンパスライフの活性化と社会との結びつきを深める趣旨のものだ。
この掲示板は匿名投稿を認めていない。匿名投稿は内容の如何を問わず直ちに削除する。
発言に責任を持ってもらうためだ。
「民度」などという言葉が取りざたされている。
一般には「文化や生活の程度」のこととされ「民度が高い地方」とか「民度を上げるための教育」などと使われる。おそらく「中国」の古典・古語には由来しない和製のものだと思われる。それも、明治以降の中央集権化と統合のためにお上が使い始めた装置語ではないか。「大言海」には載っていないのでひょっとすると戦後のお役所ことばか。
どなたかご教示願いたい。
いずれにしても「文化程度の高いー低い」「生活程度の高いー低い」という「文明ー野蛮」に発する差別・抑圧イデオロギーをぷんぷんさせている語だ。
したがって当然「民度が低い」という侮蔑の文脈で使われることが多い。
発する側は優越感と自己満足にひたる。
ネットの匿名掲示板は品も論理もない嘲罵と排斥のことばでどこもあふれている。
日本人だけで騒いでいてもしょうがない、中国の掲示板に行って書き込もう、やってみたけれど面白いぜ、とけしかけるモノもいる。
なにしろ東京都知事が煽っているようなありさまなのだ。
在日「中国人」に対する悪罵もすさまじい。
これがネット上のことばだけではなく、実際のいやがらせ、生活面での不利益の押しつけ、法的な規制強化の要望などになるのは(もう進んでいるだろうが)ほんの一歩だろう。
そうするとき、この嫌な言葉を使うならば「日本人の民度」は限りなく下がるのだ。
8 10, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年08月07日
「ヒロシマ」の日に

※写真は私の母が作ったテラコッタの人形。東京大空襲で逃げまどう本人と妹を表現している。クリックすると拡大表示されます
核兵器が究極の無差別攻撃兵器であることはいうまでもない。
第一次世界大戦(1914-18)までは、飛行船ツェッペリンによるロンドン空襲がなされたとはいえ、戦争は陸・海軍の兵員どうしの戦闘が主だった。その後の航空機の飛躍的な進展によって、第二次世界大戦(1939-45)では大規模な「空襲(Air Raid)」が常態化した。
1940年、ドイツが英国の都市に対して焼夷弾を用い、きわめて有効であることが証明されると連合国側もそれに倣った。死傷する人間が誰であろうとかまわない、「都市全体を焼き払う」という戦争形態の誕生だ。ドイツの古く美しい都市は徹底的に破壊された。投下された爆弾量は対日本の9倍にあたる。
日本への空襲は、北海道から沖縄まで163都市に及ぶ。焼夷弾はドイツでは5割だったが、対日本では8割が使われた。石と煉瓦の家に比べて木と紙の日本家屋に有効だったからだ。そして「ヒロシマ」「ナガサキ」。
非戦闘員を区別しない戦争は「朝鮮戦争」そして「インドシナ」ー「ベトナム戦争」へと引き継がれた。焼夷弾とは比較にならない威力を持つナパーム弾が村をそして森を焼き払った。
第一次湾岸戦争(1991年)頃から、アメリカは軍事目標だけを叩いているのだと強調し出した。ゲームのようなピンポイント爆撃をTVで見せ、「クリーンな戦争」を印象づけようとした。そんなわけがないことは誰でも知っている。
そしてアメリカは今、戦術核の開発を再開した。
核は単なる「大きな爆弾」ではない。人類が制御などできないことがあきらかなものなのだ。イラク戦争でアメリカが使用した核の変種「劣化ウラン」弾の影響はイラクの人々だけではなく米軍自身、そしておそらくJapanese Armyにも及ぶだろう。
戦術核が使用される対象地域の「限定的な範囲」にどれだけの人々とその生の営みが行われているかについて、できるかぎり想像力をめぐらせ続けたい。
8 7, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年07月30日
憂鬱な季節

また「ガンバレ、ニッポン!」と「感動をありがとう!」の憂鬱な季節が始まる。
消しゴム版画家・エッセイストだった故ナンシー関は、オリンピックやW杯に対する人々の態度に対して、繰り返し「怖いです。気味悪いっす」と表明していた。
なにが怖く、気味悪かったのか。
TVであれ実際のイベントであれ、与えられた(そう「与えられた」のだ)ものを疑いなしで受容し、熱中し、「束ねられ」、そうでない(参加しない、中継を見ない、応援しない等々の)人々は排除・異端視されるあり方だろう。
「純粋にスポーツを楽しんで何が悪い」というか?
「純粋」ならなぜ「国」ごとに分かれて競うのだ?選手やチームはなぜ「国」や「国民」を「代表」するというスタイルをとるのか?
「近代オリンピック」は古典的な帝国主義時代の「国家間戦争の代替物」でもあった。
近代「国民国家」の枠組みは黄昏とはいえまだ崩れてはいない。
「近代スポーツ」とそのイベントはそもそもの成り立ちからして「政治とは無縁」などではまったくなく「切り離して」考えることはできない。
7 30, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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2004年07月28日
一番明るくうるさい国

宇宙から夜の地球を見ると、一番明るいところは日本だそうだ。もちろんニューヨークもロスアンゼルスも明るい。ただそれは広大な大地のなかの点にすぎない。日本は日本列島の地図通りの形で明るいのだ。
地球を攻めようという意志を持った宇宙人が「明るさ」を基準に攻撃目標を定めるならば、第一目標は日本に間違いない。
谷崎潤一郎が「先年、武林無想庵が巴里から帰つて来ての話に、欧州の都市に比べると東京や大阪の夜は格段に明るい。…恐らく世界ぢゆうで電燈を贅沢に使っている国は、亜米利加と日本であろう。日本は何でも亜米利加の真似をしたがる国だと云ふことであった」と『陰翳礼讃』に記したのは1933年(昭和8年)だった。ガス燈に驚き欧米諸国は「明るい」ものだと認識した文明開化日本はわずか六十余年ほどでヨーロッパ諸国を凌ぐ「明るい」エネルギー浪費国になったのだ。
そして宇宙から地球を「聴いて」みると、一番「うるさい」ところも日本に間違いない。
地球を攻めようという意志を持った宇宙人が「音を一番発している」ことを基準に攻撃目標を定めるならば、これも第一目標は日本だろう。
あらゆる駅、電車内、街中、銀行、エスカレーター、観光地等々は人工的なスピーカー騒音で満ちあふれている。田舎へ行けばいい?とんでもない。そこには超横綱級の「防災無線」がある。
驚くべきことにそれらのほとんどは「実効を期待しない」ものなのだ。
人々には「聞こえて」はいるが「聞いて」はいない。
そして誰も騒音に対して文句は言わない。それどころかしばしば「もっと注意してくれ」とクレーム(要望)をつけさえする。
唐突に思えるかもしれないが、こういう事態を招いている根底に「優しさ」「思いやり」「気遣い」という「暴力」が横たわっており、「管理されたがる」怠惰があり、音を発することをめぐる権力構造がある(パブリックな音は許容する、プライベートな音は拒絶する)。
これについてはまた記したい。
現代の日本人の「からだ」はこの「明るさ」と「人工騒音」に徹底的に慣らされてしまっている。
『夜は暗くてはいけないかー暗さの文化論』乾正雄(朝日選書)
『うるさい日本の私』中島義道(新潮文庫)
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2004年07月19日
桜蔭「女」vs. 開成「男」?

AERAはふだんは買わないが、上記のタイトルがトップ記事(カテゴリー「人生」)として出ていたので思わずコンビニで買ってしまった(私も開成中学・高校出身で、在学中には桜蔭に通う”ガールフレンド”が一時いたこともある。卒業ははるか38年前のことだが)。
桜蔭と開成の92年卒業生各21名(73年度生まれ・現30-31歳・21名というのは両校とも同学年の1割以下の数)からアンケートを回収し、そこをたどって市場調査会社の起業女性、アメリカに留学を決めた女性弁護士、英会話スクール起業者、区議会議員など(まあいわゆる「勝ち組」なんでしょうね)を適当に紹介しながら、当時は「常識でしばられていた」「等質は適応力を欠く」などこれも適当に問題点をあげながら、けっきょく両校の卒業生は「資格職種や研究職が目立つ。年収は600万〜800万が最多。結婚率も公私の満足度も高く”高め安定”の生活がのぞく」と「分析」し、「成績の良い子が両校に集中し、東大に進み、また成績の良い子が集中。純化、均質化が進む循環」を少し嘆くようなポーズをとる(どこの「国」だってエリート校はそういうものだ)。
「卒業13年目アンケートで浮かぶキーワード」というのがサブタイトルだが、そもそもなにがキーワードなのか(小見出しはまったくキーワードとなっていない)、それがわれわれにとって、またこれからの社会にとってどういう意味を持つのかさっぱり分からない。
この記事はいったい誰に向けてのなんのための記事なんだ?
ジャーナリズムは、エリート・勝ち組意識をくすぐる、あるいはあこがれさせる、日本社会のなんの問題点もえぐらないこんな愚にも付かない記事(トップ記事!)の制作に精力を注ぐ前に、たとえば「言ってもしかたない」「どうせそんなことを言っても努力しろと言われるだけ」ということを繰り返し経験させられることを通じての「偏差値の低い者から”言葉を奪う”社会」『<対話>のない社会—思いやりと優しさが圧殺するもの』(中島義道/PHP親書)についてじっくり調査分析報道すべきではないのか。
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2004年07月14日
括弧付きにせざるをえない理由
ちょっと注釈しておきます。
私の書く文章には括弧(「」)が多い。
単に強調するためのものもあるが、大部分の括弧付きのことば・概念・国名等は、すべて「疑念」を付けているのです。
「国家」「国民」「国語」はもちろん「民族」「人種」や「進歩」「進化」「文明」「文化」「伝統」、「日本固有の」「日本人」、「中国」「中国語」等々。
これらの概念・観念・ことばが、いかに植民地主義的・帝国主義的近代西欧が差別・抑圧を背景として産み出したものであるか、またそれを「日本」で縮小再生産されたものであるか、世界的な思想潮流をみれば、60年代以降徹底的に批判され解体されています。
日本の大部分の人々はこれらの思想的営為をまったくといってよいほど知らされず、夜郎自大な風潮のもとで21世紀に入ってしまいました。
これらの概念やことばを、日本の世の中の今の「常識」通りに、無条件で使うことなどはとてもできない。
それで、説明不足は重々承知しながら、私の文章中では括弧付きで使っているのです。
「中国」「中国語」はちょっと違う問題なので、これも別の機会に述べますが、結論だけいうと、「中国」とか「中国語」というものは”無い”。日本人が勝手に想定し、そう名付けて呼んでいるだけのもの。
もっともアメリカ人も「Chinese」という言語があると単純に思ったので、以前ちょっと触れたApple社のMacOS「Chinese Talk」などという命名がなされたわけですが。
時間がないので、少しずつになりますが記していきます。興味がある方はどうぞおつきあいください。
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2004年07月12日
「万歳」の誕生

TVは、当選者事務所の万歳三唱でかまびすしい。
古くからの日本の「伝統」「文化」などと称することは、ほとんどことごとく近代になって創造(捏造)されたものだ。
「万歳三唱」も例外ではない。
牧原憲夫氏の「万歳の誕生」(『思想』845号・1994)という優れた論考があるのだが、今手元にないので、同じく牧原氏の「客分と国民のあいだ—近代民衆の政治意識」(吉川弘文館/1998)から要旨を紹介する。
もともと天皇の即位式に「万歳」の文字を記した万歳旛(ばん)が用いられ、雅楽の『万歳楽(まんざいらく)」が演奏されたことはある(ただこの場合は「バンゼイ」と漢音で発音、「マンザイ」は呉音)。
中世での一般的な掛け声は「ええ」「おお」だった。
明治天皇の即位式でも万歳などは行われていない。
明治国家を建設したはいいが、天皇は民衆にとってかけ離れた存在で、行幸しても人々は黙って見ているだけだった。これではまずい、ヨーロッパには君主の長久の繁栄を祝して唱える習慣がある。我が国もこれに倣うべきである。
当時の文相・森有礼は、はじめ「奉賀」を提案したが、連呼すると「ホーガーァホーガー」になってしまうのでボツ。外山正一教授の「バンザイ」案が帝国大学教授会(!)で承認され、それを受けた森が宮内省にかけあい、天皇の前で大声を発するなど不敬きわまりないという強い非難を押し切って実現させた、というのが祝声・掛け声としての「万歳(ばんざい)」の誕生経過であるようだ。
大日本帝国憲法の発布(1889年/明治22年)の時期である。
2月11日、憲法発布の祝賀祭では、あらかじめ特訓を受けた帝国大学生五千余名が「天皇陛下万歳、万歳、万々歳」を叫んだ。
「『天皇陛下万歳!』と一斉に大声を発して帽子をかかげ、あるいは双手をあげる。この動作が群衆の心理に与える影響についてくだくだしく説明する必要はなかろう。静粛さのみが求められたのならば、その直後に人びとは雑多な傍観者に回帰しうる。が、いまやそうはいかない。たまたま隣り合わせ、こづきあっていた者との間にすら一瞬にして共通の感情がうまれ、その共有された空間のなかで一人一人の”祝意”がまっすぐ天皇にむすびつく。いわば出店のひやかし客から神輿の担ぎ手への変身、その共属感覚の瞬時の創出にこそ『万歳』の効能があった。天皇と民衆の関係を転換させる決定的な<装置>の誕生といってよい」(同書p.165)
森が他の国家主義的教育者と決定的に違うのは、祝声としての「万歳」、そして「唱歌」(「君が代」も当時はお抱えアメリカ人音楽家が賛美歌から採ってきた唱歌であり、小学校で教え始めたばかりで、大人はほとんど歌えなかった)の導入、兵式体操(「運動会」に展開する)、行軍(「遠足」の始まり)など、「身体のレベルから国民意識を構築することを自覚的に追求した点にある」(同書p.166)。
能天気で危険な「声に出して読みたい日本語」の流行などの淵源は著者が自覚しているかどうかに関わりなく、このあたりと結びつく。
ついでながら、ユン・チアンは「ワイルド・スワン」の中で、文化大革命が荒れ狂うさなか「毛沢東万寿無疆」を叫ぶのは皇帝崇拝と同じだとしてかたくなに拒んだ父の姿を描いている。
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民主党の「躍進」

参議院選挙で民主党の躍進により二大政党化が進み「政権交代」の可能性が強まった、とマスコミは報じている。
二大政党が政策を競い「国民」が「選挙」で「投票」によって選択するのが「政治」だ、などというのは造られた幻想にすぎない。
「政治」ということの本質がこんな狭い限定されたところに無いことは世界の歴史を振り返れば明らかだ。
私は民主党が政権を取ることにより何かが根源的に変わるとはまったく考えていない。
小沢一郎はもちろんのこと、松下政経塾出身の若手らを含めて、彼らもまた「日本国家」を前提・枠組みとした人々だからだ(これは社民党・日本共産党であろうと同じ)。
露骨でストレートなネオコン・ナショナリズムに変わって、ソフトで見えにくいネオコン・ナショナリズムに変わる分だけ、より危険だとさえ言えるだろう。
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2004年06月29日
せめぐべし

※写真はクリックすると拡大表示されます
私の友人の作家・俳優が某ラジオ放送に出演することになり、作品(いわゆるネタ)をいろいろ持ち込んだ。
驚くべきことに(まあ当然のことなのかもしれないが)、そのうちのかなりなものが、慇懃無礼に「これはいかがなものか」とボツにされた。
そのひとつひとつについての具体的なことはここでは記さない。
放送局の言い分(もしも「言い分」と言えるとすればだが)は、まとめると以下のようになる。
1. 戦争に関すること(広い意味で政治に関すること)には触れないでほしい、「触らない」でほしい。
2. そこで表現されたような立場の人が聴いていたらどう思うか(不快に思うのではないか、それで抗議してくるのではないか、従っていかがなものか、つまりやめて欲しい)。
3. メッセージはしないでほしい(メッセージ性のあるものは排除してほしい)。
ふつうこういうことを日本語では「いちゃもんを付ける」とか「因縁を付ける」という。
あまりの言いぐさに呆れてものも言えないが、そうも言っていられないので少しものを言う。
1. 戦争が終結していないイラクに「派兵」し、多国籍軍という形での「駐留」をなんの論議もなく決定してしまうような、とんでもない状況で、かつ、「備えあれば憂い無し」などという馬鹿の一つ覚えの言葉だけで「有事法制」を強行する(これが戦争とそのための抑圧体制の準備でなくてなんだ)ような状況で、言説・アートが「戦争」に触れるのは当たり前ではないか。
2. いかにも他人の気持ちを慮っているような態度に見えるが、全然違うことは言うまでもない。単に抗議を受け「問題化」して「責任を問われる」のを怖れているだけだ。
3. メッセージを発しないアーティストというのはアーティストなのか?
思想・信条そして言論・表現・出版・報道の自由というものは、それを求める行動と、それを抑えコントロールしようとする側とのせめぎあいの上にあるものだろう。日本における今の「水位」「拮抗点」はこんな低レベルにある(こんな低いところまで押し下げられており、「問題提起」さえ抑えられる)。
また「マスコミは中立でなければならない」などというのがまやかしであるのはとっくに明らかだ。
全体のなかで「右」や「上」が強くなったら、「中立」は「右」や「上」にシフトするのか?(そうしなければ「中立」ではなくなってしまうから、そもそも「中立」などという立場が成立しないことははっきりしている)。
ここでの放送局の態度は、ひたすら「クレームを付けられない」ことに徹する「事なかれ主義」であり、むろんそれは結果として権力を利する(「普通」にしていろ、「異」を唱えるな、そうすればなにも問題はない)。
数十くらいの「抗議の電話・メール・ファックス」等でびびって陳謝・自粛する(しかしなんら真摯に対峙しない)、主張も見識も矜持もないメディアは滅びるべきである(いや設備がもったいないから「乗っ取られる」べきですね)。
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2004年06月17日
リスに餌を与えることをめぐる背景
私は「湘南鎌倉メーリング・リスト」というのにも入っているので、リスに餌を与えることについて投稿してみた。
主催者の浜さんからは、鎌倉のタイワンリスについてのとても情報量の豊かなサイト
自然観察フォーラム/特集・鎌倉のタイワンリス
を教えていただいた。
リスに餌を与えることの是非についてはいくつか寄せられた意見はすべて否定的だった。
私は、リスに人が餌を与えることによってリスが増殖し人の生活や生態系への被害が増える、という因果関係についてはやや疑問に思っている。
餌を与えることによって庭木への被害が減る、ということだってあるかもしれない。
世界に冠たる「飽食」日本人も、出生率は1.29にまで落ち込んだ。
リスの個体数の増減についても複雑な要因が働いているだろう。
それよりも私が考えているのは、鎌倉のタイワンリスを問題にする上で、
1. 人間生活への被害(家屋・庭木・菜園・電線から「里山」を含む)をこれ以上増やさないように増殖を抑えよう
2. 既存の生態系への影響・破壊をくいとめよう
という問題の立て方で本当にいいのだろうか、という根本的な疑念だ。
1 には近代的な人間中心主義の自然観が横たわっている。
2 には「既存の生態系」こそが「本来的」なもので「守られるべき」であり「帰化動物」(明治の国民国家形成とともになされた奇妙な翻訳語で、さすがにこれではまずいと思ったのか最近では「移入動物」などと言い替えられているが、「国境」を前提とした概念であることはなんら変わらない)は基本的に「異物」であり、できれば排除さるべきもの、存在するとしても「本来のもの」をおびやかさない範囲でのみ認められる、という暗黙の前提了解が潜んでいるようにみえるからだ。
生き物と人間との関係は、人間と人間との関係と観念に規定されている。
(2はあきらかに「移民」「在日外国人」問題とオーバーラップする)
問題は単純ではない。
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気を付け(起立)ー礼の廃止
韓国ソウル市の教育庁が、小中高での授業開始時および終了時に教師に対して行われている「チャリョ(気を付け)」「キョンレ(敬礼)」(これは座ったまま行われる)の号令を廃止する運動を始めたそうだ。
YahooNews/九州ニュース/西日本新聞
「自由で多様な価値観」を重視し、学校現場での権威主義的習慣を排除することを目的とする。
日本の「文部科学省」は少しでもこれに学ぶか。
「気を付け」ー「礼」が韓半島でどのように行われるようになったのか。
言うまでもなく(といっても今の若い人にとってはあまり言うまでもなくではないと思うが)、朝鮮を植民地支配し「臣民化」しようとしての「教育」を行った大日本帝国が持ち込んだものだ。
日本でいえば「起立」ー「礼」。
私の大学でもふだん授業でそうしている教員はいないと思うが、入学式、卒業式では誰も不思議には思わずまったく当たり前のように行われている。
ものごとには始まりがあり、それを徹底的に検証すると「日本の伝統」とか「昔から行われている」などと称していることがらがことごとく近代(特に明治時代)になってから創作(捏造)されていることがわかる。
たとえば、「万歳三唱」などということがどのように「創られた」かについて牧原憲夫氏(東京経済大学)の「万歳の誕生」という素晴らしい論考があるが、また別の機会に紹介したい。
「起立」ー「礼」については江戸時代まで行われていなかったのはあきらかだから、明治の大日本帝国「臣民」の創成期に国家権力の末端としての学校のために「作られた」のは確かだろう。また「軍隊」の形成とも連関しているだろう。
どなたかの研究があるならぜひ読みたい。
6 17, 2004 15.社会・政治・思想・歴史そして世界へ | 固定リンク
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